鎮守の杜の学校  京都北山の老神主が次世代を担う人達に伝えたいこと

マスゴミから垂れ流されるプロパガンダを真に受けて信じている多くの人達に人生には色々な生き方があると伝えて行きたい

しばらくこのブログは「京都北山細野の神主」に書いて行きます

2012年04月30日 | 鎮守の杜の学校
「鎮守の杜の学校」というタイトルで書き始めたこのブログは以前から書き続けていた「京都北山細野の神主」の中にカテゴリーとして書き続けることにしました。
皆さんには期待を裏切る結果となりましたが私のような高齢者(来年には後期高齢者)の一人の人間が二つも三つも違うタイトルでブログを書き続けるのには能力的にムリと感じました。
特に三月末で3年間の単身赴任の勤めを終えて京都北山の自宅に戻る引っ越し作業中にギックリ腰と言う初めての経験をし、3年間の奈良での生活で増えた家具や書籍の移動や整頓に追われて初めて「私もモウ若く無いのだ」と言うことをつくずく感じました。
三年間の運動不足による体力低下や体調不調(座骨神経痛など)を取り返すために以前にも増して遊びまくろうと考えています。
それまではブログも「京都北山細野の神主」http://blog.goo.ne.jp/hosononoomiyasan 一本にしぼって全力で書きますのでぜひそちらの方を見てください。ブックマークからも見ることが出来ます。
先にも書きましたように「鎮守の杜の学校」は「京都北山細野の神主」の中でカテゴリーとして書き続けますのでよろしくお願いします。
「鎮守の杜の学校」は少し開始が遅れますが計画は進めて行きますのでぜひご参加ください.
詳しくは5月7日からの東北地方震災被害地の旅(3月末のギックリ腰で一ヶ月延期した)から帰ってからになります。

引っ越し準備でギックリ腰、東北の旅はGW明けまで延期

2012年04月01日 | 健康
3月末日(昨日)まで約3年奈良の福祉施設の手伝いに行っていましたが今日から晴れて自由のみになり真剣に「鎮守の杜の学校」の準備に取りかかろうと思っていました。また4月2日から東北地方の被災地を2週間ほど掛けて「震災復興祈願」と「犠牲者慰霊」の旅に出る予定でした。今夜1日の夜遅く自宅を出て福井県敦賀港から2日朝に出るフェリーに乗り秋田港へ、ここからスタートして八戸から南下と言う計画だったのですが。3月26日早朝引っ越しの準備中にギックリ腰になってしまい奈良西大寺からの引っ越しも中断、フェリーの予約もキャンセル。一ヶ月余り延期することになりました。

このお陰で「鎮守の杜の学校」の準備や呼びかけも出来る時間が出来ました。これも神様の配慮と感謝していますが「ギックリ腰」って、痛いものですね。

まだ机や椅子などが奈良から運べていませんので電気こたつに足を突っ込んでブログを書いていますがアグラをかいていて立ち上がると腰が痛くてたまりません。

一日も早く良くなって準備を始めたいと思っています。

妻や友達は医者に行けとか針が効くなどアドバイスしてくれますが、私は病や炎症は自分で直すことが大切で痛みを和らげても根本的な治療にはならないと常々思っていますので行かないで頑張っています。

「病院に行くと、病気になる」と言って母の入院時もあまり見舞いに行かなかったので「弟たちは頻繁に見舞いに来てくれているのにお前はなかなか来てくれない」と文句をいはれていました。

なんと言われても私は「病院に行くと病気がうつる」「検査入院なんて言うものはがん患者を作るための検査だ」と真剣に思っています。だから健康診断も人間ドックも嫌いなのです。人間ドックはまだ受けたことはありません。

一寸したことで病院に行き、馬にでも呑ませるのか?と言うほどの分量の薬を貰って安心している人がいますがその後病院通いが終わったと言う人は見たことがありません。

ギックリ腰のおかげで時間が出来ました.長らくブログも書いていませんでしたがこれからは真剣に書いて行きます

北山山中の自宅にも先月27日に携帯電話が繋がるようになりました。お陰で夜中までメールの音で目が覚めます。

携帯の圏外も不便でしたが四六時中繋がると言うことも不便ですね。嫌なら切っとけば良いのですが、気がヨワイセイですかつけたままにしています。

京都北山の鎮守の杜の学校は四月二十二日の山菜パーティーから

2012年03月07日 | 鎮守の杜の学校
ゴールデンウイーク前の日曜日四月二十二日に鎮守の杜の学校は山菜パーティと一緒に開催する予定です
3月末まで奈良での仕事と引っ越しを終えて四月二日から二週間ほど東北地方の大震災被災者の慰霊の旅に出かけます。軽自動車アルトで時間をかけて。
昨年暮れに果たせ終わらなかった支援の続きを今年暮れには果たせるように偵察を兼ねて。
この年になってなにができるかと言われれば、大したことはできなくとも同じ日本人として精一杯の支援は続けてゆきたいと思います
阪神淡路大震災の時には当時のモンベルの辰野社長のアウトドア義援隊の呼び掛けに応じて店の2トントラックを運転して駆け付た時に比べればつくづく年を感じますがマダマダヤラネバならないとという義務感と意欲はあるつもりです。
10日ほどかけて小さな車にキャンプ用品も積み込ん車中泊も入れて、宿にも泊まり被災地を廻って来ます。
現地からこのドコモのパッドでブログを書いて送ろうと思います。うまく送れるかはわかりませんが。

明けましておめでとうございます

2012年01月02日 | 鎮守の杜の学校

今年こそ良い年でありますように!

元旦は近年稀なくらい穏やかな一日でしたね。毎年の年末年始の寒波も来ませんでした。これからは判りませんが、キット今年は良い歳になる兆しと受け止めています。

今年だけは穏やかな冬であってほしいと思います。

奈良での仕事は3月いっぱいで終わります。4月からは鎮守の杜の学校を始める予定にしています。

ブログ上に発表してゆきますので時々見てください。

鎮守の杜の学校はスタートや成果を焦ることなく皆さんの協力をお願いしながらジックリ初めてゆきたいと思っています。

やりたい事だらけで自分の歳も考えずに計画中です。

4月から即、開校ではなくて有志の集まリを初めにしてゆきます。

ぜひ初めから参加して下さい。「鎮守の杜の学校」の他にも同時進行で新企画を始めます。

そちらの方も関心を持って頂きたいと思います。

新たなホームページも製作します。

夢の多い年の初めになります。

身体が丈夫であってこその人生です。暴飲暴食で人生の後半を闘病で終わらせるのはモッタイナイ。

酒を飲まなくても、タバコを吸わなくても、カラオケ、ゴルフをやらなくても人間関係は良好な関係を維持できます。

特に若い人たちはこれらの無駄な時間の消費に費やさないようにして欲しいと思います。

若い時の見栄や快楽のために豊かな老後の楽しみを失ってはいけません。

何も仕事が大切だとは言っていません。遊びこそ人生で一番大切なものです。

「人はあそびをやめた時から老いてゆく」と言はれています。

あそばない理由を仕事のせいにしてはなりません。

仕事の付き合いにはカラオケもゴルフも飲酒も貴方の役にはたっていない事を自覚して下さい

今年こそ本当の遊びに徹して下さい。

人は遊ぶために働くのです。働く事が人生などとは悲しすぎませんか?

 


「自産自消」(じさんじしょう)のすすめ・

2011年12月05日 | 鎮守の杜の学校

来春のための「花と野菜ガイド」春号300ページ余りと「はなとやさい」12月号81ページが届きました。

来春に植える予定の花と野菜はほとんど網羅されています。見るだけでも楽しいものです。畑が出来るようになればこれとこれを植えて、など想像しながら冬が過ぎるのを待つのもいいものです。

以前から「地産地消」(ちさんちしょう・ある地域で収穫した農水産物をその地域内で消費すること)が良いとされてきました。確かに産地で消費することは安心なものです。

しかし、特に食物の産地表示のいい加減さは騙すのが普通になって来て、今やまともに信じられるものは朝市に近郊の農家が直接売りに来る物に人気が出てきています。

これとて人気が出れば出るほど自家製で無い野菜類が出回る可能性も出ています。

究極の安心野菜は自分で作って自分で食べることしか安心できなくなってきました。

昔から農家はそうしていました、自分達が食べる農産物と農協に出荷する農産物は別けて生産していました。

農家自身が食べない農産物を別に作っていたのです。ヒドイものです。それを日本の農協はすすめてきたのです。今は外国からもっとひどい物を輸入していますが。

こうなったら信じられる食いものは自分が作ったものだけしか無くなります。

農家や販売業者に反省を促すためにも一部でもよいから自分達家族が食べるものは自分たち家族で作り始めることを試みるべきではないでしょうか?

今や農家も野菜苗や種ジャガイモなどはホームセンターで予約購入している時代です。

”コメリ”は農家さんの応援隊です。平成24年度農業用品予約申込書など言うものが店頭でもらえますし、農家でなくても予約できるのです。

後はお天道様と水と肥料で勝手に育つのです。あとは害虫と農家から呼ばれている虫たちに少しオスソワケしてやるだけで収穫できるのです。

今や農業は難しい物ではありません。素人にもホームセンターや種苗会社が応援してくれていますから将来は「自産自消」が家族全員の楽しみになるでしょう。

休日に満員のレジャー施設に高い金を払って疲れに行くより、家族で美味しい果物や野菜を収穫に行く方がどんなに楽しい事か。現地でアウトドアクッキングなどすれば子供たちはどんなに喜ぶか?

日本の国は今や都会以外は過疎地だらけなのです。町から1時間走れば緑いっぱいの田舎だらけです。

田舎に住んで町に仕事に通う。週末は家族と美味しい果物や野菜を作る、そんな生活を日本なら出来るのです。

あとはやる気だけですが。


神さまとのお約束・子供のための教育勅語

2011年11月19日 | 鎮守の杜の学校

戦後日本人にとって人生の規範が失われてしまいました。

短くても総ての規範が網羅されていた「教育勅語」はアメリカの占領政策により陽の目を見ることが出来ませんでしたがやっと今になって見直されるようにはなってきました。

しかし、古い文言が災いして現代人には理解しがたく、現代語訳も「教育勅語」と言うだけでアレルギーを起こす人たちがありこのままでは普及には難し所ありました。

先日、上に掲げましたように・子供のための教育勅語「神様とのお約束」というものを頂きました。

「これだ!」と思いました。誰が書かれたのか分りませんが、これから無断使用させていただきます。(ご存知の方がありましたらお知らせください)

規範と言うものは幼少のころに心に送り込んでおかなければなりません。それには難しい文言では遅いのです。

中には昔、論語の素読を子供たちにさせたことを言われる人もありますが、江戸時代と違いいまは出版物もニュースも数百万倍もあるのです。素読の効用を否定するものではありませんが効果は薄いと感じます。

理解しやすく少ない文言で子供たちの人生の規範になるこの「神さまとのお約束」は今の子供たちには格好のものと思います。

早速、コピーしてパウチでラミネートして幼い子供を育て中の親たちにプレゼントします。

もちろん私の孫たちにも、親戚の子供たちにも送ります。

朝夕、親も一緒に子供たちに読ませてやれば生きる道で何が大切なことかが親子ともども理解しすることが出来るとおもいます。

日本人としての、いや、人間としての規範はこれで十分です。

多くの人がこの「子供のための教育勅語」に気づいてほしいと思います。

そして、幼児教育に利用して欲しいと思います。

 


なぜ子供に武道を習わせる事が大切なのか?

2011年11月10日 | 鎮守の杜の学校

武道は日本人がすすむべき道を昔から子供達に教えて来た。

戦国時代が終わって敵を倒す事が必要でなくなっても日本人の心として教えて来たのは道には達する事の出来ない究極の目標と言うものがあるのではないだろうか?武道に限らず道と言う名がついた芸事でも同じ事が言えるような気がする。

本来の道は資格を取るために学ぶのではない。

遠すぎる目標を追い続けるのが道では無かろうか?

追い続けて神の領域と思われる心境まで追い続けるのが道で、トップを取ったところで登り詰めたと思うのはオゴリである。自分の中で頂点が無いのが道であるべきと思います。

芸事の家元は代々道を伝えるための伝道師の家柄としてなら認められるが世襲制の単なる手段なら道と言うべきではない。

またこれを学ぶものも然りで、単に上位の資格を取るためにだけ努力するのなら華道であっても茶道であっても道と言うべきではなく「お花教室」であり「お茶教室」で免状を貰って終わりのものであろう。

その点武道は実力の世界であり精進努力したものが師となる事が出来るのである、子供達は正しい形を覚えてから自分なりの実力を伸ばして行くから、何時の時代も、どんな世界でも形の大切さを学び自分を伸ばす事をも学んで行けるのです。

日本人は本来このような道を追い続けて来たから機械文明の世界でも誇れる完璧な製品を生産してこられたのではないかと思います。

まず師の言いつけに従えることが子供に取っては大切な事であります。今の親や学校の先生には出来ない教育を武道の師に託す事がコレからの子供達には必要です。

鎮守の杜の学校では武道を幼少時から学ぶことを強調して行きます。


戦争中は都会の学校の校庭(グランド)でも食糧作りに励む

2011年10月31日 | 鎮守の杜の学校

前回は家庭菜園の事を書きました。野菜を作るのはそんなに難しくはないとも言いました。

私が小学校1年生の夏休みに大東亜戦争(第二次世界大戦)が終わりました。その頃の思い出を書いてみます。

戦争も終り近くなるとアメリカ軍の一般市民に対する無差別爆撃が激しくなってきました。

都会に住む子供たちは小学校では高学年は田舎の方に集団疎開が始まりました。私は京都の近郊の山の麓に住む叔母の家に単身で疎開してその近くの学校に通いました。

その頃は食料も都会では配給制になりまともな米の飯は食べられなくなりつつありました。 叔母の家でも庭にサツマイモを主に野菜を植えて自給体制をとっていました。

町の実家でも終戦後もしばらく農家出身の祖母が先頭に立って空き地に野菜を植えたり、叔父の家の庭の一角に田んぼを作り、田植えをして神さまにお供えする餅の原料になるもち米まで作りました。

田んぼですから水が豊富にいります。そのため毎日ポンプで水を揚げで田んぼに流していました。その役目がわたしだったのです。俗に言うガッチャンポンプと言う奴です。今のようにモーターで上げるものでなく手でハンドルを下にガッチャンガッチャンと動かして水をくみ上げるのです。

ポンプのあるところから田圃まで10メートルくらい離れています。その間は溝が掘ってあっても何時もは水は流れていません。汲み始めは溝に汲み上げた水がしみ込んで中々田圃まで行ってくれません。その田んぼに水が行きとどいて溜まるまでポンプを汲むのです。

小学校に入ったすぐの子供には重労働でした。今の私の孫が小学校に今年入りました。

孫が私が経験したような事が出来るだろうか? まして親兄弟から離れて親戚の家に居候しながら学校に通うことなど想像も出来ません。だけど、我々は現実にやってきました。

今の子どにもそんな体験を少しはやらせるべきだと思いますが、きっとやらせる前から泣き出してしまうでしょう。

夏休みに敗戦になり叔母の家の御室小学校から実家に帰って京都市立七条小学校に転校しました。

幸い、同級生は同じ幼稚園に通っていた者もいて転校生だからとイジメニ会うようなこともなくデッカイ顔をしていました。皆転校生みたいなものですから。

この小学校も校庭にはサツマイモや大根など根菜類を中心にグランドや周辺が耕されて食料になるものが作られていました。

不思議にこの頃の風景は昨日のようによく覚えています、物覚えの悪い私ですが。もう、65年以上前の話ですが。

あの頃はみんながみんな農家出身者ではなかったけれども結構食べられるようなものを作っていました。

今はホームセンターでも野菜の苗や種は豊富にそろっていますし通販では手に入れられないものはないくらい何でも取り寄せることが出来て栽培方法なども学ぶことは難しくなくなっています。

鎮守の杜の学校では楽しみながら余裕を持って農業を実践してゆきます。参加者から本格的な農業経営を志す家族が生まれることを期待して。


自給自足はまず家庭菜園から

2011年10月24日 | 鎮守の杜の学校

前回のブログに農業は難しいものではないと書きました。

何事も指導者か手引書があれば習い物は上達が早いものです。

指導者が無くても手引書が充実していれば上達は早いものです。農家が数十年経験を積んできたものが書物ではそれ以上の経験が一目でわかります。

それに今はガーデニングブームです。また家庭菜園ブームでもあります。

なぜあれほどに家庭菜園がブームになったのか? 単に市販の野菜が農薬漬けだというだけではありません。

野菜作りは思ったよりも簡単だからです。素人は野菜は農家が作るものだと決めていました

本当は野菜は土と水と太陽が作ってくれるのです。人間は種をまくか、苗を植えるかだけなのです。

難しい事は少しもありません。時々水をやり、肥料を少しだけやれば野菜は自然に育ちます

今はテレビでも家庭菜園ブームです。懇切丁寧に指導してくれます。

それに、家庭菜園の通販カタログが出ています。写真は私が入っている「タキイ友の会」の年2回の総合通販カタログです。300ページ以上あります。この他に毎月月刊情報誌「園芸新知識はなとやさい」が送られてきます。そのほか苗や種を買う時に割引があったり、特典はいろいろありますが植える時期や植え方、手入れの仕方など誰でも即席で百姓になれます。

これで年会費1980円です。高いか安いかは利用次第ですがカタログを見るだけでも楽しいものです。(タキイの宣伝をするわけではありません、他にも色々なカタログ手引き書を出している種苗メーカーはあると思います。)

インターネット上にも多くの家庭菜園に役立つHPなどがあります。読み切れないぐらいあります。

私の猟友の一人も家庭菜園で夫婦では食いきれないほどの農作物を下手な百姓より上手に作っています。彼もタキイ友の会に入ってカタログで苗などを買っています。

家庭菜園の楽しみは単に野菜や果物を収穫するだけでは無くて育てる楽しさが味わえます、姿かたちはマチマチでも味は抜群であったり、香りのある野菜が味わえます。

市販の野菜はキュウリでもトマトでもなすびでも香りが無くて味も同じようなものしか売っていません。

野菜らしい野菜はモハヤ自分で作るしか味わえなくなっています。あんな水臭い市販の野菜に栄養分が有る筈がありません。

家庭菜園をと言うと畑にする土地が無いと言う声が返ってきます。次回は私が作っているプランター菜園を紹介します。

春から始まる「鎮守の杜の学校」でも友人が畑と山林を提供してくれます。皆で農業を体験し月一度の学習会では収穫したもので料理をして食べます。

余分に作って朝市やフリーマーケットに出して運営費を捻出します。今からどんな自給体制が出来るか楽しみです。


日本農業の矛盾を考え直す時期ではなかろうか?

2011年10月23日 | 鎮守の杜の学校

5年ほど前に農家を目指していました。

どうしたら農家になれるか? をたずねましたら、3反以上の農地を確保することが前提だと教えられて近所に住む元農協職員で今も農業のとりまとめをされている方に相談しました。

とたんに「農業とはソンな簡単なものでは有りません。農業の勉強をしてから言え!」と言うようなお叱りを受けました。

ムカつきました。「そんな難しいものなら今の農家に出来ないはずだ!」

確かにこの集落は総て兼業農家と言うより稲作以外は総て自家使用分だけしか畑は作っていません。それも最近畑を始めた人が居るくらいです。大根一本も市場に出してはいません。休耕田はありますが。

私の家の前は田んぼですから、この集落のどの農家より毎日田んぼを見て暮らしています。

最近のこの辺りの稲作は水の見回り以外みな外注です、春先になるとブルトーザーが入って田んぼを整えます。

田植え時期になると苗まで外注のものを田植機で植えてもらいます。時々外注先の社員らしき人と農家の何人かが立ち会いで調査しているのが見えます。

突然早朝からヘリコプターの爆音がします。それにしても少し爆音が小さいな!と感じて外を見ますとラジコンヘリを操作する人が見えます。この集落の田んぼ全体に農薬を撒いているのです。

不思議にこの田んぼは雑草が生えません。電柵は張ってますが以前のようにイノシシも入りません。

収穫時も稲刈り機が入って実った田んぼから順番に稲刈り、と言うより米だけを摘んで藁はぶつ切りにして田んぼにまかれてしまっています。もはや稲刈り風景と言うようものでは有りません。

稲作では田んぼを持っている人は地主でしか有りません。早い話しが、戦前の不在地主と変わりがないのです。

水呑百姓が農協関係か?外注業者に代わっただけです。何にも農家がする必要がないのです。と言えば、農家が怒ります。唯一農家がやっている仕事が有ります。毎日の水の見回りです。これも総ての農家がやっているわけでは有りません。当番か?一人の人が見回っているだけです。

雨が降れば、川からの水門を閉めます。雨が続くようなら下の水門を開き水を抜き、田んぼに水が溜まらないようにします。「田んぼは天然のダムだ」なんて農協やその御用学者などが言っていたことがありましたね。

雨に関しては田んぼはコンクリートで覆われた都会と変わらないのです。田んぼの底は粘土質で水はあまり浸透しません。浸透するれば水が抜けてしまい、田んぼの役目は果たさなくなってしまいます。畑では無いのです水田は。

田んぼさえ持っていれば農家なのです。このあたりは、農家特権を受けられる。農家は優遇されすぎています。自民党も民主党もこの農家の票を国民の税金で買ってきたのです。

日本国民は高い税を払って、そのうえ、高い農産物を買っています。

だから、国民は農産物に関してはもう一度考え直してみるべきと思います。

職業の自由が保障されている日本国で、特権が、生まれたときから補償されているのでは農業の合理化を進めることの障害になるのです。

食は生きて行く上では一番大切なものです。その食を総て国にその農業政策に丸投げしていては安心して暮らすことは出来ません。

農家は日本の国民の食料生産に関わる大切な職業です。だからもっと職業意識に目覚めてほしいと思います。

都会生活者にとって戦中戦後の食料不足の時の農家の思い上がりは今思い出しても醜いものでした。

将来、来るであろう世界的な食料不足は今の日本政府と農協関係者では解決できません。しかし、日本国民は生きて行かなければなりません。

戦中戦後の食料不足の時にどうして食べ物を確保してきたか?

その時を経験してきた我々年寄りが今、記憶を思い起こし、残して行くべきだと思います。

来春から始める予定の「鎮守の杜の学校」で参加してくれる若い家族と共に試みて行きたいと考えています。