平成7年12月12日「日本野あそび協会」設立の時に相馬大先生から頂いた一文です。この考え方を活動の基本としています。長くなりますが野あそびの基本を理解してもらうために書きます。
日本野あそび協会設立に際して 相馬大
「趣意」
人々は、何によって生きていることを、心から実感するのでしょう。子供から、高齢者まで、さまざまな価値観にささえられて生きています。けれでも、生きている実感、それは年齢差ではありません。
「いのちの 全けむ人は たたみこも 平群の山の 熊樫が葉を
髻にさせ その子」 古事記 倭建命
緑の野山は、虫を育て、鳥や動物たちを、はぐくんできました。みんな、生き生きしています。ふるさとに帰られる健康な者たちよ、ふるさとの山の熊樫の葉を、髪にさして、いつまでも元気でいてほしいと、古代人は祈ったのです。 人間も、自然の一員と考え、自然の生命力に、あやかろうとしていたのです。「自然を守ろう」などという、不遜なことを言いません。日本人は、ながく、自然暦によって生きてきました。山にコブシの花が咲くと、田打ち桜が咲いたから、田を耕そうと、鍬を手にしてきました。夕焼けのカラスに、子どもたちが、うたいかけていると、明日は天気だから、仕事のだんどりを、今夜のうちに、決めようとして、大人たちは帰っていったのです。このように、日本人は、自然から、多くの事を学んできたのです。いまどこへ行っても、大都会化の波が寄せてきています。それは、文明と呼ぶ、科学万能主義です。この自然とともにある心、その文化は、文明の波に押し流されそうにしています。その悲鳴が、耳にはっきりと聞こえてきます。私たちは、その声に耳を傾け、この「自然のなかに、日本の姿が見えて来る」ひいては、地球の姿が、世界の人類の姿がみえてくる、祈りをもって設立したのが、「日本野あそび協会」なのです。よろしく、ご支援、ご賛同のほど、おねがいします。
「野あそびの定義と種類」
あるがままに。それは、自然ではありません、桜の枝に、病原菌がとりついて、天狗巣ができます。人間も、樹木を利用するために伐採します。そして、植林をします。自然は、いつも動いています。その自然の姿を、はっきりとみつめ、その自然が素材となる遊びをし、観察したりして、自然の一員であることを確かめていきます。そして、人間の歴史を学び、新しい歴史をつくっていきます。そのために、野あそびは、古来からの伝承あそびと、観察研究によって得られたことをとおしての創作あそびとに大別されます。観察あそび、草花あそび、、、、、その他
「目的」
自然の一員であるために、自然の姿を観察し、手に触れることにより、自然と一体化したいのです。そのために、自然が素材となる伝承あそびの採集と研究、新しいあそびの創作と研究、一般への指導普及をはかることを目的とします。
早朝に犬と散歩に出かけたら、家から100メートルほどのせせらぎの側にナデシコの花を見つけました。この土地に引っ越してモハヤ30年近くなりますが季節の花が何時ぐらいに咲くのか全く関心がないので、と言うか覚えが悪いだけかもしれませんが、今年は早いのか遅いのかも関心はないのですが、とりあえず今朝は18度くらいでTシャツでは寒かった。
野あそびについて(1) まず野あそび協会を作ったいきさつから
以前運動具屋をやっていた時に子供たちを集めてキャンプ教室やスキー教室を開催したり、KBS京都や産経新聞社、日清食品などのアウトドアイベントを請け負ったり、RV車全盛のころの三菱自動車のキャンプフェスティバル(スターグランドフェスティバル)などでも子供たちに昔からの野外での遊びなども教えていました。その現場で気がついたことは今の子供たち(10数年前ですが)のドン臭さ、不器用さは目に余るものがあり、われわれの子供時代では障害者レベルがほとんどでした。まず、ナイフが使えない、われわれ子供時代は鉛筆を削ることから始まりました。切り出しナイフ、肥後の守、カミソリなどで勉強が始まる前には芯をとんがらしたりして用意したものです。ところが刃物は人を傷つけるものと決め付けてしまい、教室に鉛筆削り機が入ってきました。もう50年以上前のことと思いますが。この頃より子供たちが刃物を使えなく(使わなく)なってきたのではないでしょうか。鉛筆削りがナイフを使う原点と思います。はじめは大胆に大きく削り、最後は芯に触れるか触れないぐらいに細心の注意を払って削ります。これが手加減の原点であったと思います。指先を動かすことで脳の発達を促します。指は第二の頭脳と言われます。「子どもは手から偉くなる」をキャッチフレーズに平成7年12月12日に豊中市・千里の氏神・上新田天神社で有志が集まり「日本野あそび協会」を立ち上げました。名前はデッカイ方がインパクトがあるということでつけました。開催場所によって名前が違うのですが、神社の境内で開催するときは「鎮守の杜の学校」と言うノボリをたて、その他の場所では「野遊び村」というノボリを掲げています。鎮守の杜の学校は今のところ毎月恒例で開催しています。 原則無料。予約無用です。
第2土曜日千里・上新田天神社。午後1時~3時
第4日曜日堺市・開口神社(大寺さん)。午後1時から3時
長くなりましたから続きは次の機会に書きます。
子供たちの40日余りの夏休みが始まりました。私の子供のころは朝から桂川に泳ぎに行き、お昼からは踏水会で夕方まで泳ぎ、日が暮れるまで岡崎のインクラインで泳いでいました。裏も表も真っ黒に日焼けして夏休みの終わりには熱射病でひっくり返るのが恒例で宿題帳などまったく書かず、夏休み中一度も見ないのでどこにやったか判らんこともありました。こんなこと自慢にはなりませんが。せめてもの罪滅ぼしに今の子供たちに宿題の工作の手伝いにでもと言うわけではありませんが、夏休みに開催する野あそび教室をお知らせします。
7月25日(水)伊丹市中央公民館「子どもと遊ぶサポーター養成講座」 講義 子どもと遊ぶ技術と心」 実習「自然クラフト」
7月27日(金)伊丹市中央公民館 ふれあい夏祭り 水鉄砲あそび おもちゃ作り
7月28日(土)亀岡市地球環境子ども村 川ガキ大将復活プロジェクト
8月2日(水)伊丹市中央公民館 「子どもと遊ぶサポーター養成講座」伝承あそび、リサイクル工作
8月11日(土)豊中市千里 上新田天神社 鎮守の杜の学校
8月11日(土) 豊中市 千中パル 夏休み親子工作教室 木端細工木絵アート 水鉄砲作り 針金細工
8月12日(日) 豊中市 千中パル 夏休み親子工作教室 木端細工木絵アート 水鉄砲作り 針金細工
8月26日(日) 名谷駅南側 須磨パティオ 夏休み親子工作教室 木端細工 木絵アート 水鉄砲作り ピーナツ人形作り
8月26日(日) 堺市 開口神社(大寺さん) 鎮守の杜の学校
台風一過の晴天になるかと市内にミミズを買いに走るが、朝から時々しぐれていたが夕方4時に家を出て、15分ほど走って保津川源流の大森キャンプ場の上流に入る。何時もは雨のあとは良く釣れるのだが今日は連日の大雨で水量が多く沢通しにはなかなか進めず、最近釣り人も入らないのか両岸には草が生い茂って岸沿いにも釣り上がれない。釣りも5月の木祖村の岩魚釣り大会以来、野球もツキ指で休んでいたので運動もしていないせいか、足がもたついて転倒してパンツまでグチョグチョになってしまう。釣れるのはドンバイばかりでアマゴは気配もなし。沢通しに上がれないので岸から狙っていたら、突然草むらを踏み外して3メートルあまり真下に落ちてしまった。咄嗟に竿は折れないように頭上に差し上げて無事足から着地する。スベッテ濡れた上に転落までしたのでこれ以上ドジを踏まないように今日のところはあきらめて帰る。逃げ足の速いのは私の特徴でまた明日がある。帰ってすぐに風呂に入ると背中がやけに痛いので見てもらうと15センチほどの擦り傷が4本背中についていた。落ちた時は気が付かなかったがやはり背中をコスっていたのだ。先週も3日早朝野球が雨で流れた。今朝のも昨夜から中止が決まってしまい、明日は8時から一乗寺グランドである、まだ小指のツキ指が触ると痛いがファーストぐらいなら守れるので参加する。写真は草を踏みぬいた保津川源流の現場です。釣れなかったのでアマゴの写真はありませんので。ここしばらく遊んでいないので頭も体も回らないのでブログをサボっていましたが、これからはしっかり書いてゆくつもり。「人は遊ぶことをやめた時から老いて行く」私のモットーです。