京都北山細野の神主

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

京北猟友会の射撃大会・当たらん、何時もの事ながら

2015年10月30日 | 狩猟

恒例の猟期前の射撃大会が京北総合射撃場で9時から開催されました。

年々参加者が少なくなって来ています。今年は10人を割りました。(以前は一日中かかったのが今日は閉会式も入れて12時までに終わってしまいました。)

クレー射撃(トラップ)を2ラウンド、50メートルの標的射撃を5発ずつ2回で合計点を争うのですがほとんどの会員は鳥撃ちはやりません。

シカとイノシシ猟だけです。最近は免許書更新講習時にもクレー射撃があるのでトラップもやるのです。会員の中には「鹿やイノシシは空を飛ばん」とぼやいている人も居ます。と言っても標的にも当たらんので単なる言い訳ですが。

参加者が少ないと言っても鉄砲猟免許(第1種銃猟狩猟者)は全員参加していますのでこれきりしか居ないのです。

ここではほとんど私も含めて銃猟とワナ猟の両方の免許を持っています。しかし、以前のような銃猟をすることはほとんど不可能になってしまいました。

ワナや檻にかかった獲物を仕留めるために銃を使っているのが現状です。射撃の腕はドンドン落ちています。

以前のように犬に追わして待ち場でドキドキしながら獲物の現れるのを待つ気持ちを体験する事も無くなって来ました。

それに害獣駆除期間がほとんど年中あるので(11月8日まで)11月15日から始まる猟期も以前のような期待感もありません。

地元の狩猟者は早い話が「害獣駆除要員」です、ハンテングと言うような高尚な趣味の世界では無くなってしまいました。

猟師自体が絶滅危惧種が現状です。獲った獲物の処理も高齢の猟師にはキツいモノがあります。

と、つい愚痴が出てしまいましたが午後に檻の見回りに行ったらまた先日のような3段の角があるシカが入っていました。

早速解体の助っ人を頼んだら明日午後2時に大阪から来てくれる事になり一安心です。到着するまで檻には近づかないでソットしておきます。

射撃大会では最近1位2位3位までは表彰状だけで賞品は出なくなりました。全員同じ参加賞。

今年の参加賞折りたたみイス

待ち場で立っているのが疲れるからイスに座って獲物の出るのを待てと言う事か?

それとも狩猟なんかやめて日なたでイスに座ってウツラウツラしていろと言うのか?

日本ではスポーツとしてのハンテイングはもう終わってしまいました。

もう一度あのトキメキを味わうために新しい仲間を集めたいと思ってはいます。しかし、今の日本では困難ですね。

丸太小屋で鉄砲の手入れをした後の愛銃

 

 

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お伊勢さん・水屋神社にお参り・高見トンネルを越えて奈良に

2015年10月19日 | その他

私のフライフィシングの師匠の古本君の誘いでお伊勢さんに連れて行ってもらう事になりました。

東寺の西にある山田モータース前に3時半に来るように言われて昨夜は八時に眠りました、2時に合わした目覚ましで起きて朝風呂(夜中風呂?)に入って即、出かけました。

国道162号線に出てたかおまで10数キロですがすれ違う車は3台だけでした。待ち合わせ場所にはもう古本君の車が待っていてくれ助手席に乗せてもらって南インターから名神に、新名神から伊勢自動車道に、外宮さんに着いてもまだ暗く摂社2社も詣りして内宮に向かいました。

外宮参拝後もまだ暗く

内宮参拝後ヤット日の出

神宮参拝後松阪市飯高町水屋神社に

水屋神社の大楠

久保憲一宮司が亡くなって初めての参拝です。お墓参りもさせてもらいたいと思ったのですが神社の隣の宮司宅は留守で雨戸も閉まっているので次回にと、お宮さんのお参りだけして櫛田川沿うて奈良方面に、高見トンネルを通って宇陀から榛原、針から青葉仁会のハーブクラブで久しぶりにランチを注文する。

懐かしい職員やここで働く利用者にあいました。私が居た頃のメンバーはもう半分も居ませんでしたが。

食事の後、田原の米粉のパン工房「バード・ビレッジ・ベーカリー」に寄って、同じ経営の「スマイル」に行き先日横浜の孫に送ってもらった米粉パンの支払いをして出発点の東寺の西の山田モータースでコーヒーをごちそうになり車を乗り換えて北山山中の我が家に帰る。午後4時。

本来なら自分で運転すると400キロ近いのでもうヘトヘトのはずですが古本君の運転なので楽でした。(彼は元タクシードライバーですから運転はプロです)

やはり運転してもらうのは楽ですね。ただ、朝が早かったのでも眠くて考えがまとまりません。それにしばらくブログを書くのをサボっていましたのでまとまりません。明日からマジメに書いて行きたいと思います。

 

 

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年老いて健康である事の大切さをつくづく感じる

2015年10月09日 | 健康

いくら日本人の寿命がのびた、男の平均寿命も80歳を越えたと言われても現実には私の同級生の男達はほとんど亡くなっています。

50代の頃からボチボチ始まり60代70代と、今、喜寿を迎えて気が付けば男達はほとんど居なくなってしまっています。

最近同級生の葬式が無いな?

そりゃ無いはずです。みんな亡くなってしまっていたからです。

特に子供の頃から長く付き合っていた友達は皆マジメに働いていました。経営者であったり、大きな会社の部長や重役になったり、それこそ仕事一筋の人生を送って来た人達でした。

若い頃に比べて役職が進むに従って精神的にも肉体的にも過酷になってきます。それをコナシて来たから地位が確保出来たのです。

年齢を重ねるほどに仕事が増え、体力は衰え、それをカバーするために栄養ドリンクや酒でごまかし、自分の体調不良は医者に任せっきりでクスリ漬けの人生を送って来たのではないでしょうか?

肥満や糖尿病の診断を受けてから運動不足や食い過ぎを悔いてももう遅いのです。(本当は遅くはないのですが惰性を打破出来ない事が手遅れの原因です)

自分の体調を自分で把握する習慣を若い頃から持つ事が大切です。どうしたら自分の体調を自分で知る事が出来るのか?

他人から見たら私の健康法などはバカバカしいかも知れませんがマジメに遊ぶ事に人生を掛けて来た私の健康法を書いてみます。

まず最初に私は病院が嫌いです。「病院に行けば病気がウツル」と思っています。その上子供の頃から注射が大嫌いでした、今でも。

健康診断も今は受けていません。もちろん人間ドックなどは入ったことがありません。何処も自覚症状が無いのに無理に隠れた症状を掘り起こす事は無いと思っています。

と言っても医者には絶対行かないと言う事はありません。最近歯が痛くなったので歯医者には行きました。

目が見難くなったり、耳が遠くなったのは歳のせいだと思っていますが諦めたわけではありません。自分で良くする方法を試みています。

身体の変化に敏感になれば自分で治す方法はあるモノです。悪くならないように日頃から心がける事が一番大切な健康法です。

これから冬場にかけて脚や手の皮膚が痒くなってきます。そのためにビワの葉を煎じて風呂に入れて薬草風呂を楽しんでいます。

朝晩、このビワの葉風呂に入って身体を温めています。ナカナカ治らなかった足の爪の水虫もスッキリ治っています。

一時は医者で治療してもらっていましたが治らなかったモノがビワの葉風呂に入っているうちに無くなっていました。

ビワの葉を刻んでナベに

庭でカマドで枯れ枝や枯れ葉を燃やして

今じゃ自然療法(民間療法)をいろいろ試みて成果が出ているので病院のクスリ漬けになる事はありません。

酒やタバコ、外食で飲み放題、食い放題で運動不足、ストレスまで医者とクスリに頼りっきりで健康などはあり得ません。

自分で試みて成果の出たモノを病気で悩んでいる人にも勧めるのですがマトモに言う通りには試みてくれません。

健康維持には節制が肝心です、節制出来なかったから病気になったのですから仕方が無いと言えば仕方が無いか。

政治もしかり、経済もしかり、健康もしかり、原因を他人のせいにしても解決できません。

空気が悪い、温暖化だ、と騒いでいるより空気のきれいな高原に住めば解決出来る事です。

自分で解決出来る事は自分でやる。健康もその通りなのです。

死ぬまで健康に生きる、これが人生の一番仕合せな事だと思っていました。

金が入れば幸せになれると言う錯覚が戦後の日本人を不幸にして来た原因だと思います。

日本人は神様の子供として幸せに生きるために生まれて来たのです。

 

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