鎮守の森の学校(京都北山細野の神主)

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

諸口あきらの思い出

2017年09月12日 | 家族

諸口あきらさんが一昨日の未明に亡くなりました。昨日11日がお通夜で今日午後2時から新幹線京都駅

の近くの公益社南ブライトホール告別式がありました。


昨日のお通夜には私の長男が参列しました。(長男は結婚式の司会をしてもらったりお世話になったので)

私は今日告別式に出てお見送りをしてきました。昨夜の通夜も沢山な人がさんれつされたようです。

今日の告別式も300席ほどの椅子が殆ど埋まっていたました。

この際ですので諸口あきらさんの思い出を少し書いてみたいと思います。

最初の出会いは草野球の対戦相手としてでした。昭和48年に河原町四条下ルに3店目の登山専門店を出しました。

昭和50年頃に店員やお客さんの野球好きが集まってチームを作り新京極や寺町界隈の草野球リーグ(立誠リーグ)

に入れてもらいました。6〜7チームあった中にKBS京都放送局のスタッフのチームも入っていました。

そのチームは「ビッグホース」と言って諸口あきらさんが率いていました。私も諸口さんも30代なかばでした。

そんな関係で当時すでに有名だった諸口さんと親しくなり「もろぐち亭」のライブなどに行くようになりました。

その後我が社もラジオのコマーシャルなどで諸口さんにナレーションをお願いしたりしてより付き合いが深くなり

40年ほど前に今も住んでいる京都北山の一角に囲炉のある北山丸太(シボ巻の)小屋を建て頻繁に人が集まるようになり

その中心は何時も諸口さんでした。

囲炉裏でバーベキュウ中

諸口さんの希望は何時も地鶏鍋でした。我が家から一山越えたところに地鶏を飼っている人がいて電話しておくと潰しておいてくれるので

夕方にとりに行き、まだ温かみが残る潰したての地鶏で夜遅くまで飲み食いをして語り合ってそのまま寝袋の中に潜り込むような生活を頻繁にしていました。

その後ゴルフの女子プロの中村悦子さんと結婚されました。その頃山とスキーの専門店の他に総合スポーツの店も出しゴルフ用品も扱うようになり店主催の

ゴルフコンペも開催するようになり諸口あきら・中村悦子のお二人が中心になり定期的にお客様に楽しんでもらいました。

私はゴルフは性に合わないのでやりませんので試合後の食事会と表彰式にだけ主催者として出ていました。(お二人には失礼なことをしたと今になっては思いますが)

諸口あきらさんの思い出は沢山ありますが年齢詐称について、訃報ニュースの中で年齢81歳、生年は1944年と矛盾した記事があったでしょう。

30才なかばで付き合い始めた頃は1944年生まれを私も信じていました。ちょうど上の写真の頃でしょう。諸口あきらの一番輝いていた頃です。

1944年生まれなら1938年生まれの私より6才下です。亡くなったからバラしますが81才は正しいと思います。私より1才ほど上ですから。

これがバレたのは中村悦子さんと結婚された時です。私の後輩の宮司(諸口さんの子分)から電話があり「絶対黙っていてくださいよ。バレたら殺されるかもしれませんから」

と断った上で「頼まれて結婚届けに必要な戸籍謄本を取りに行かされたらお兄さん(彼は私の弟の同級生なので)より一つ年上ですやん」

これより私も諸口あきらを年長者として尊敬するようにしました。(人の秘密をバラすのはお互いに良くないが後輩もショックだったようです。人に言わずにはいれなかったのでしょう。)

北九州にお住いのご両親と妹さんも30年余前に京都北山の我が家においでになりました。その後送っていただいた「生きたエビ」の美味しかったことを今も覚えています。

話は長くなりますがもう一つ。

私の長男が1992年6月に結婚しました。結婚式の司会を諸口さんに頼みました。

以前に親戚筋の結婚式(地元政治家の子供の)に出席した時に延々4時間半にわたって出席者の退屈な話(出席者も政治家が多く)でウンザリしたことがあるので2時間半で終わるように頼みました。

しかし、終わってみれば4時間を経過していました。諸口さんの巧みな司会で披露宴に出席してくださった250人は満足しきって帰ってくださいました。

式後、新郎である長男はボヤいていました。「結婚式では司会者は新郎や新郎の父親のことはホメるのに諸口さんは俺もお父さんもボロクソや」だから出席者には好評だったのでしょう。

誰かが言っていたと「新郎と新郎の父親と司会者の共通点は非行少年だった」と、司会者が言うことか?

なにしろ思い出したらきりが無いほど魅力的な人でした諸口あきらは、その証拠に今日の告別式の最後で霊柩車が出発し始めたらお見送りの人々から自然に拍手が起こりました。

遺骸を積んだ霊柩車の出発を拍手で送るのを見たのは初めてです。このことだけでも諸口さんが判ったように思いました。良い人をまた一人失いました。

追伸

以前諸口さんと約束しました。私の通夜で私の一番好きな「ホーボーズララバイ」を生で歌ってくれることを果たさぬままに逝ってしまわれました。

 

コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 元気に傘寿の誕生日を迎えら... | トップ | 山小屋の冬仕舞い・2泊3日... »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
拝読しました。 (佳代)
2018-06-01 11:47:47
ありがとうございます。
とてもいい記事ですね。
嬉しいです。
保存させて頂きます。
返信する
Unknown (マンディ)
2022-11-27 22:46:06
はじめまして
gooブログと有ります
私は、書き込めるのでしょうか?
ログイン「会員専用かな」
今流行りのメルカリとやらで、私の持ち物を断捨離していて、諸口あきら氏の水墨画の本が出てきました
この本は、諸口さんが、お亡くなりになったニュースを聞き、いてもたってもいられなくなり、Amazonで、買いました
私は、60歳。ヤンタンなどの毎日放送のラジオ。イブニングレーダーなどを聞いてました
本当か? 嘘か? やや誇張してるのか?
たまに飛び出す旅の話「放浪」を楽しんでました
お亡くなった日。本棚を整理中の日

久々に諸口あきら兄ィを思い出し、熱くなってます
返信する
コメントありがとうございます (ブログ主)
2023-03-28 12:32:19
諸口あきらさんを慕う人たち今もいますね。
何かイベント(追悼コンサートのようなもの)を小規模でも良いからやりたいねと先日も話し合っていました。
お持ちの水墨画集の中に私の事も出ています。
返信する

コメントを投稿

家族」カテゴリの最新記事