鎮守の森の学校(京都北山細野の神主)

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

夏越の大祓いとお宮参り

2008年06月30日 | 信仰(宗教)

30日は細野の春日神社で夏越の大祓いとこの神社の総代の藤原さんのお孫さんのお宮参りをしました。

夏越の祓(なごしのはらえ)とは

6月の三十日に神社の鳥居の下や拝殿の前(写真)などに茅を紙で包み束ねて大きな輪を作ったものを設けて、宮司に続き一般参拝者をくぐらせ穢れや災いを祓う。これは「備後風土記」にみられる、蘇民将来が茅の輪を悪疫除去のしるしとした伝承に由来する(神道事典より)

私が宮司を引き受けている細野地区の三社のお宮さんで五年ほど前から二メートルの鉄輪を作って各神社の総代さんたちがそれに茅を巻き付けてチノ輪を作ってもらっています。

夏越の祓いは暑くなり疫病が流行るこの時期に、正月から半年の間に積ったケガレを祓い、後の半年をさわやかな心と体で過ごすためのお祭りです。

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ササユリの香り(薮原で)

2008年06月30日 | 自然
28日の昼ごろに薮原の山小屋の二階でくつろいでいるとどこからともなく良い匂いが漂ってきました。何気なく窓の外のカラマツ林の中を見ると写真のササユリが咲いているのが見えました。早速デジカメを持って写してきました。一本の軸に二輪の花が咲いて良い香りを周囲にはなっていました。以前に小屋の上の方で群生していたところを思い出して見に行きましたが一輪の花も見つけることができませんでした。そのあと敷地内を見て歩いたら三株だけ見つけることができました。ササユリは匂いが強烈(決していやな臭いではなく良い香り)で存在が見つかり易く、球根はイノシシなどの好物のようで、この辺りも農作物なども被害にあっているようです。京都北山の我が家のあたりも30年ほど前に引っ越してきた頃は家の周囲にも沢山咲いていて散歩のたびに香りを楽しんでいましたが、何時の頃からか全く姿が見えなくなってしまいました。今年の秋には市販の球根を買って庭に植えてみたいと思いました。
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藪原(木祖村)の山小屋へ行く

2008年06月30日 | その他

28日朝5時に京都を出発し、薮原の山小屋に向かう。南インターから名神に入り中央高速中津川で出て木曽路を薮原に9時半ごろに山小屋につきました。3月のスキーに来て以来です。

この小屋も建築以来20年ほど経つがまだ立派に耐えている。特に最近は雪質が変わって湿った雪が降ることがあり屋根の雪が滑り落ちずに1メートルほど積もることがある。3階建てのために屋根に上がって雪下ろしが出来ないのでよく耐えていると思います。

この季節周囲の木々も青々としてとても冬の景色は想像できません。

午後2時前に金田さん達7名の京都野鳥の会のメンバーが到着される。

故伊藤正美会長の7年祭は5時から開始、話がはずんでいる内に準備が遅れてしまい、故会長が痺れを切らしたのか催促の雨がポツリポツリと降りだす。小屋の外に祭壇をしつらえて私が執り行いました。

終わって6時から近くの民宿「大屋」で直会をしました。山菜料理が出て故伊藤会長の思い出を語り合い、小屋に戻って遅くまで話が弾みました。

29日は昨夜からの雨がきつく降り出し鳥の声も聞こえず、京都野鳥の会のメンバーは先に2台の車で出発され、私は戸締りをして民宿「たかみ」によって先年亡くなったおじさんの仏壇にお参りして、いつものように食事をいただきました。

土砂降りの雨の中帰路につき竜王インターで降りて琵琶湖大橋を渡り途中峠を越えて大原から静原に持ち越し峠を越えて杉坂に出て周山街道から自宅に帰ったのが午後3時ごろサウナに入ってブログも書かずに早めに寝床に入ってしまいました。充実した2日間でした。

写真は故伊藤会長の写真と7年祭祭壇です。

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畑の防獣柵が完成

2008年06月27日 | カントリーライフ

だいぶ植える時期が遅れましたがやっと柵が完成し(ユルユルノ部分があるが)空中庭園で育てていた、きゅうり、エンドウ豆、枝豆、カボチャ、スイカの苗を畑に移すことができました。

これから間に合う作物を次々植えて行く予定です。昨年大げさに百姓に成るぞー!と宣言して農地確保に努力したが地元百姓の意地悪で諦めかけていたのを再度チャレンジすることができました。来年こそ他のあそびを制限(卒業)して農業に取り組みます。今年はホンノ試みです。しかし急がないと先の短い余生で体験だけで終わってしまいそうですから。

百姓は難しいという農業を素人がどこまでやれるか頑張ります。

自宅の空中菜園は日当たりも良く毎日昼にいろいろな菜っ葉を間引いてマヨネーズとドレシングをかけていただいています。これなら無農薬でも少しぐらい虫と分け合っても十分頂けます。虫の穴を見ながら無農薬を確認できます。今日の昼は間引き菜にしては少し大きくなりすぎた

物とピーマンが4つほど食べごろになったので野菜炒めにしていただきました。

今夜は市内の母のところに泊まり明日早朝から信州木祖村薮原高原の山小屋に行き、夕方から元京都野鳥の会会長の故伊藤正美さんの7年祭を私が祭主で行います。夜は参列者の京都野鳥の会メンバーと故伊藤会長を偲びます。故伊藤正美会長は私にとっては人生の師でありました。参謀本部で東條英樹の直属の部下だったことを誇りにされていました。薮原の山小屋の周辺は今はカラマツの新緑が一番美しい時です。小屋の二階から雨にけぶるカラマツ林の景色を見ていると心が休まります。(何時でも休んでいるような人生ですが)

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6月23日をあなたは知っていますか?

2008年06月23日 | 社会問題

21日(土)護王神社護王会館で「沖縄を考える京都の集い」が開催されたので出席しました。

昭和20年6月23日は、大東亜戦争敗戦間際に軍民合わせて約19万人の犠牲者を出して戦われた沖縄戦終息の日です。

昭和27年4月にわが国が主権を回復した後も沖縄県のみは占領下にあって昭和47年5月、やっと日本復帰を果たしました。復帰後も米軍基地の多くが沖縄県にあり、様々な問題を抱へて今日に至っております。

私共が大東亜戦争や戦後のわが国の在り様を考へるにつけ、先ず沖縄県民の犠牲を真摯に受け止める必要があると考へ、この集いが開催されました。

私はまだ沖縄に入ったことが無く一度沖縄県の宗教施設を1週間ほどかけてめぐってみたいと思っています。マスコミの偏った報道では知りえないことを学びたいと思いこの集いに参加しました。

来賓挨拶に今春から我々「新しい歴史教科書を考える会・京都支部」の会長になられた国枝会長が(社)沖縄京都の塔奉賛会前理事長として出ておられました。

その後、沖縄戦ビデオ上映。

太田實海軍少将電文奉読の後・黙祷

講演に移り

「沖縄の真情」 沖縄県護国神社宮司 伊藤陽夫氏

「沖縄集団自決冤罪訴訟報告」 黒田秀高氏

「沖縄戦かく戦へり」 訴訟原告 梅澤 裕氏

がありました、各講師の話はそれぞれ実のあるものでしたが最後の梅澤氏は大正5年生まれで91歳になられる超高齢者です。

とっても立って2時間近くも連続話をされるとは思ってもいませんでした。正しい事実を語り継がなければならないという使命感か?100歳になるまでホントのことを語り継いでいただきたいと思いました。

それにしても被告の岩波書店や大江健三郎はどんな気持ちで嘘八百が並べられるのか理解に苦しむ、これ以上にでたらめな大阪地裁の裁判官の脳味噌の腐りぐわい、日本の構造はどうなってしまったのか?

やはり本当に変えていかなければならない時になったようです。

写真は91歳の元陸軍少佐 梅澤 裕氏の講演の姿です。

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久し振りに青葉仁会に行く

2008年06月22日 | 社会問題

20日(金)小泉君運転の車で遠位型ミオパチー患者の会代表の中岡さんを乗せて西大路八条の若一神社に迎えに来てもらい、お昼を若新で食べて奈良の社会福祉法人青葉仁会に向かう。目的は遠位型ミオパチーを難病指定してもらうために患者の会や支援者が経験者などにアドバイスを求めているので、適切な助言をしてくれるように福祉関係の経験者である青葉仁会の榊原理事長に紹介し、あわせてこの施設を見学してもらうために案内しました。青葉仁会については私が説明するよりまず、ホームページ http://www.aohani.com/ を見てください。

知的障害者のための福祉施設もここまで出来ると言う見本のような施設です。福祉に関心がある人はぜひ見学に行ってください。

榊原理事長とは彼が学生時代からの知り合いで私の長男の仲人でもあり、私も5年ほど理事を引き受けていたことがあります。今でも釣り仲間です。

日本で一番のアウトドア用品メーカーであるモンベルの辰野社長も現在理事を引き受けて施設の中のモンベルルームで商品の販売や加工など積極的に支援してもらっています。

福祉関係の授産所は暗いイメージが多いなか青葉仁会は明るく豪華で悲壮感は感じられません。知的障害者入所更生施設 「萌あおはに」の個室は下手なビジネスホテルより立派です。もちろん我が家の私の部屋よりも。

いろいろ有益なアドバイスをしてもらい、今後も相談に乗ってもらえる約束をし、少し離れた青葉仁会経営のレストラン、ハーブクラブでコーヒーと自家製ケーキや米を使ったパンなどをごちそうになり土砂降りの雨の中8時に西大路八条につき、急いで自分の車で我が家を目指し、9時に公民館での常会に滑り込みましたが丁度終わったとこでした。

月に一度20日夜8時からの常会(戸主が集まる町内会)はサボると100円の罰金を払わなければなりません。今日は間に合ったのか休んだことになるのか判りませんが年度末に清算があります。

 

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久し振りの完投勝利

2008年06月19日 | 野球

小雨が降り出した8時から岡崎グランドで今季初めて6対4で完投勝利。

今日は抑えのエース(?)石田ジュニアが休みなので始めから完投を心がけてじっくり投げる。1イニング1点以上取られなかったのでかろうじて勝てたものの最終回7回裏は1死満塁で1打同点かサヨナラの危機。リリーフが居ればここで代えられ、打たれて負けになるところですが、幸い今日は投げるのは私だけで監督も我慢して投げさせてくれました。

後続2人をビシッと打ち取って(?)ヒヤヒヤの4勝目、今季これまで12試合中4勝6敗、昨年はシーズンで4勝しかしていないのでこの調子なら今期は8勝、もしかしたら10勝は稼げるかもしれない。(アツカマシイカ?)

打撃では1死1塁でセンター前に痛烈なヒット、と思ったが1塁ランナーが私同様鈍足で2塁フォースアウト、1塁に転送で私もアウト。センター前でゲッツー。今日も情けない野球をやってしまった。

日頃歳は取りたくないとは思はないのですが、足の遅さを痛感したときだけは「アア!歳は取りたくないナー」と思います。

それにしても最近買った600グラムの超軽量バットは振りきれて満足しています。次回こそ連続ヒットを生んでくれるだろう。次回は明後日朱雀グランドで6時から、雨かも知れませんが。

 

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今どきの若い者は!

2008年06月18日 | 社会問題

何時の時代も若者の不甲斐なさを「いまどきの若い奴らは!」とナジル言葉を吐くのが常でした。確かに定職にもつかず親に寄生している姿や就職してもすぐに尻を割る若者の姿をマスコミはサモ今の社会の風潮のように大げさに報道してきました。写真は昨日の京都新聞です、先日から署名運動をブログでも呼びかけてきました遠位型ミオパチーの難病指定を国にお願いするための署名運動を狩猟仲間の小泉君が経営するフリースクール・イクイプの講師の京大生たちや子供たちが中心になって全国の大学生に呼びかけて署名運動を始めました。全国40校の大学生が応えてくれて各大学や街頭で署名運動を展開することになりました。このフリースクールに通う子供たちも小中学校で署名運動をやると言うことです。弱い人に手を貸すだけでなく積極的に関わろうとする若者が全国に居ると言うことは我々年寄りには頼もしい限りです。

「今どきの若者の中にも頼もしい奴がいるもんだ!」

我が国の将来も捨てたものではないようです。戦後の平均的にレベルを下げる教育の中でも社会のリーダーになる若者は育っています。

私からも再度お願いします。遠位型ミオパチーの署名運動にご協力を

遠位型ミオパチー患者会ホームページからも署名ができます

http://enigata.com/index.php

 

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二死満塁で見逃し三振

2008年06月17日 | 野球

最近は雨で流れない限り週3回の早朝野球を楽しんでいます。と言えばカッコウが良いのですが、終わればもうヘトヘト。特にバットが振りきれず、ボテボテの内野ゴロか、内野フライ、たまには内野をかろうじて越すポテンヒット。今まで使っていたバットも680グラムという軽いものでしたが、それでも振りきれないので先日寺町三条のキョウヤ運動具店(野球仲間)へ行って「一番軽いバット」を注文する、前に使っていた680グラムのミズノのバットと同じもので600グラムと言う驚異的に軽いカーボンファイバーバットがありました。全長84センチ、太さ6.9センチで少し短いが大人用でした。これなら振り切れる。

今朝は二死満塁でまわって来ました、昔ならここで一発良いところを見せなければとシャニムニ振っていましたが、今は野球歴60数年の超ベテランのわたし、余裕を持って打席に入りました。相手はカーブを多投する変化球投手、臭いボールはファールで逃げて2エンド2、次の球は必ず真ん中に来ることを期待して待ったら高めのボール、自信を持って見送ったら、審判のジャッジはストライク三振。「ウソや!」。

満塁で見逃しの三振なんて一番かっこ悪い、ながい野球人生でも恐らく初めての経験だろう。あとで味方からも「あれは高かったで」と言はれても審判のジャッジは絶対。かなりムカついた今日の試合でした。

結果は4対1でまた負けました。ただ、600グラムの軽いバットで振りきれましたから、次の試合(明後日)の打席に期待して我慢するか!

写真は新しいミズノ製のバットです。残念なことにこのミズノのバットは生産国はメードインチャイナなのです。1万2千円もとるのなら日本で作ってもらいたかった。国産なら愛着を持って長く使えるのに(支那嫌いの私としては)。買ってしまってから気がついても遅いのですが、今や純国産のバットってあるのでしょうか?

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警察官の拳銃は何のために?

2008年06月09日 | 社会問題

昨日の秋葉原の殺人事件に関して私の考えを書かしてもらいます。人にはそれぞれ意見がありマスコミやテレビのコメンテーターがそれらしきことを世間の動向を気にしながら、顔色をうかがいながら話しているのは滑稽を通り越して哀れとしか思われません。もちろん私の考えもそれらと変わりなく可笑しいかも知れませんが。

白昼人通りの多い秋葉原で7人もの人を一人の殺人鬼が殺せたという異常性は日本の現状の抑止力の無さを象徴しています。

警察官の腰にぶら下がっているものは拳銃のはずです。拳銃は至近距離から人を殺すことを目的とした銃です。拳銃は狩猟のための銃でも無く、射的あそびのオモチャでもありません。れっきとした人を射殺するための武器なのです。国が警察官に拳銃の所持をさせるのは人を殺すような危害を加える殺人鬼を射殺することを目的に持たしているのです。

だから国民は護身のために武器を所持しなくても、武器を持った殺人鬼には警察官が拳銃で持って射殺し守ってくれるものと信じているのです。ところが訳の分かっていないマスコミやコメンテーターは世間の顔色をうかがいながら犯人の人権こそ守られるべきだというようなバカバカしいコメントをいまだに垂れ流しています。それが正論と勘違いした出世と保身がすべての警察のキャリヤ組や幹部、もっとひどい何も判らずただ木端役人の答だけが頼りの不勉強な政治家たち、特に大臣になってから勉強しますと答えている長年政治屋稼業の方々、公安委員て何やる人?と問いたい。上に立つものが何も知らずに地位だけを占めているのは異常としか言いようが無いでしょう。中に最大の阿呆は死刑執行の指示が出来ない法務大臣など作る政党の方が異常では無いのか?国の祭り事を何と心得ているのか、バカバカしくてこんなこと書くのも嫌になってくる最近の日本国であります。これをもとに直すのはクーデターかテロしかないと国民が思い出しても不思議ではないでしょう。北朝鮮に国民が拉致されても取り返しに行かない自衛隊、市民が殺されても拳銃を使わない警察官、これらはすべて自衛官や警察官が腰抜けでは無いのです。先日の長野県での聖火リレーで暴露されたように国のトップが腑抜けているからです。お願いします、まず警察官に殺人鬼には至近距離から犯人の顔面に拳銃を発射して射殺しろと命令してください。それをマスコミが大々的に報道してくれれば通り魔事件も少しは少なくなり、支那人による強盗殺人事件も無くなるかもしれません。何もしないで悪い方に進むより、少しでも良くなれば儲けものです。

 

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