京都北山細野の神主

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

私の産土の神様にお参り・父も先祖も奉職していた松尾大社

2020年11月11日 | 信仰(宗教)

コロナ騒ぎ以来信仰の対象として静けさを取り戻した松尾大社、今日もお昼過ぎは参拝者のみ、以前のような観光客は姿を見せず。

なぜか心が落ち着く産土の神様、やはり時々お参りに来なくては、神棚に祀って毎朝お参りはしているけれど。

先祖も代々松尾大社に社家として奉職し、父も國學院大學を卒業して支那事変で出征するまでは奉職していました。

松尾大社

今日は高槻に毎月の月次祭のお祭りに行きました。終わっていつものように岩田重義さんとレストランでごちそうになりました。

最近は尊敬する私より年配の方は岩田さんだけになってなってしまった。殆どの方が亡くなってしまったからです。

私は子供の頃から年長の人たちといさかいをするのを好む生意気な子供でしたが私を理解してくれる目上の人とはよく話をしました。

歳を取った今も好意を持ってくれる人とそうでない人にはっきり別れて付き合っています。

人生には限りがあります。誰とでも付き合っている暇はありません。ますます交際範囲は狭まってゆきますが私はそれで満足しています。

その中でも年上の人たちで私に好意を持って接してくれる人は大切にしてゆきたいと思っていました。

学生時代、山岳部時代、商売をしている頃、先生方や山岳部の先輩方、商売の仲間や問屋、メーカーの人たち。

好意を持ってくださった人たちはどんどん亡くなってゆきました。この年になったら年下の人たちの中にも尊敬する人たちは出てきました。

しかし、好意を持って下さって私が信頼できる年上の方はもはや一人だけになってしまいました。私がそれだけ歳をとってしまったのですね。

 


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