hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

リュックバーガーズ〜日本橋ランチグルメ

2020-03-12 05:00:00 | グルメ


事務所の近くにビストロがあったのだが、先月よりハンバーガーレストランが居抜きでオープンしたため、取り敢えず行ってみた。店の名前は『リュクスバーガーズ』という。


入口の雨除けはまだトリコロールとハンバーガーとはややマッチしない気もしたが、うなぎの寝床のような細長い店の奥にあるカウンターに座る。


メニューはオーソドックスなリュクスストレートバーガー(ランチは飲み物付きで1200円)のほか4種類のサービスバーガーがあるが、説明を聞いてもピンとこないため、ストレートバーガーにしてみる。


カウンターに置いてある説明には『ラム肉100%のパティをトマト、オニオン、レタス、2種類のオリジナルソースで包んでおり、ハラール付。またポテトも付いている)とある。厨房には2名、シェフはキビキビと動くがもう1人はまだ慣れていないのか、シェフに怒られている。手元を見ても鈍臭い、こういう奴は雇うと大変そうだ。シェフももう1人も浅黒く、西南アジア風。


それでも8分ほどでバーガーは到着。真ん中に串がさしてあるが、厚みのあるパティである。袋に入れて、潰して頂く。溢れる肉汁、ラムは旨い。




牛肉よりクセが少なく、脂もやや少ない。ケチャップとフレンチマスタードを加えてかぶりつくがかなりの厚み。女性はナイフとフォークでないときっと食べられない。


味はしっかり、クリームチーズとBBQソースの味。フレンチのシェフがやっている店とのことだが、味は間違いない。あとはオペレーション次第だなあと感じた。ご馳走さまでした。


リュックバーガーズ
中央区日本橋小舟町6ー13
05054566077



急行『大和』と急行『フェニックス』

2020-03-11 05:00:00 | 鉄道


『鉄道シリーズ』その242。先日、1964年9月号の時刻表の話題を書いたがその第2弾。今回は面白い急行にスポットを当てたい。当時は東海道本線だけでも特急・急行、また昼行・夜行、さまざまな列車が走っていた。


東京駅・朝7時発第一こだま(当時は〇〇号ではなく、第一〇〇という列車名である)、ひびき、第一富士と特急が続き、急行六甲、特急第一つばめ、急行桜島、急行第一宮島、急行いこま、急行なにわ、急行霧島と11時までに優等列車は10本出る。


夜行の寝台付列車も1635発のさくら(長崎行)から始まり、みずほ(熊本・大分行)、あさかぜ(博多行)、はやぶさ(西鹿児島行)、急行出雲(浜田行)、急行那智・伊勢(鳥羽、新宮行)、急行能登(名古屋回り金沢行)、急行安芸(広島行)、急行銀河(大阪行)、急行すばる(大阪行)、急行瀬戸(宇野行)、急行明星(大阪行)、急行筑紫・ぶんご(博多、大分行)、急行彗星(大阪行)、急行あかつき(大阪行)、急行月光(大阪行)、急行金星(大阪行)、急行大和(湊町、和歌山市行)と2245発まで17本も出ていたのである。


これだけあれば変わった運行形態もあるはずとよく見ると最後に出る『大和』はかなり個性的。編成を見ると14両つないでいるが、うち5両は名古屋止まり、6号車は和歌山市行、7〜14号車は湊町行なのである


東京を2245に出て、名古屋には0545に到着、先頭の5両を切り離す。ここで逆編成(先頭が逆になる)となり、関西本線に入る。王寺駅で再び切り離し作業を行い、7両が天王寺経由で湊町(現在のJR難波)に0916に到着する。


一方、1両だけ切り離れされた2等寝台車は普通列車の519レに繋がれて和歌山市を目指す。(和歌山線内は普通列車)和歌山線内は殆どの駅を停車、1127に和歌山市駅に到着、東京を出てから約12時間掛かるのである。因みに和歌山市〜東京の直通運転は1962年3月から1968年9月までの6年間だけであった。ただ、B寝台車1両のみの寝台急行、これは是非一度見たかった。


もう一つ個性的な急行は九州を走っていた『フェニックス』。元々は1961年に博多〜西鹿児島(鹿児島本線回り)の気動車(キハ26)急行として運行を開始。これが1962年に日豊本線宮崎まで延長された
時刻表によると西鹿児島発0848、宮崎行だが日豊本線ではなく、鹿児島本線を走り、まず熊本に1212到着。博多には1415、小倉1518、日豊本線に入り、大分1750、宮崎には2131と12時間弱をかけて到着する。もちろん、西鹿児島〜宮崎は急行ひかりなどが走っていて西鹿児島発0859、宮崎着1110だから2時間11分で行くことができた。


ただ、フェニックスの凄いところはそれだけではない、鹿児島→熊本→福岡→大分→宮崎と九州7県のうち5県の県庁所在地を回っていることである。ひがな、こんな急行に九州周遊券で乗ることができたらさぞや楽しかっただろう。



私は古い時刻表をこんなふうに見はじめると時間はいくらでも使えてしまうのである。



ヒカンザクラとカンヒザクラ

2020-03-10 05:00:00 | 日記


いよいよ、桜前線がニュースになる季節到来。今年はコロナウィルスの影響でお花見の自粛などという寂しい話も出てはいるが、やはりソメイヨシノが満開に咲く姿を見るとなんとなくウキウキするのは誰しも同じである。



ところでソメイヨシノはまだ来週くらいだが、すでに早咲きの桜はあちこちで花をつけている。もう半月以上前には河津桜が満開になり、思わず花見をしてしまいそうになった。

また、日本橋名物オカメザクラはもう盛りが過ぎてしまい、一部散り始めている。この二つのサクラはいずれも花びらがピンク色をしていて背も低く可愛らしい。

最近咲き始めたのが、カンヒザクラ(寒緋桜)。紛らわしいのがヒカンザクラ(緋寒桜)は同じ植物だが、ヒガンザクラ(彼岸桜)は全く違う種類のサクラである。寒緋桜の特徴は花が釣鐘状になっていて下を向いたまま咲くところ。さらに花びらの色はオカメザクラなどよりさらに濃い色である。

私の花ごよみではウメ→オカメザクラ→ハクモクレン→カンヒザクラ→ソメイヨシノ→ハナカイドウ→ハナミズキとなっているが、皆様の花ごよみ如何でしょうか。


身延山久遠寺に参拝②〜本栖湖の富士山

2020-03-09 05:00:00 | 旅行


身延山ロープウェイを降りるとそのまま久遠寺本堂裏までほぼ平坦な道を歩く。左手に斜行エレベーターを見ながら歩くと、本堂、さらには五重塔が見えてくる。


五重塔は2009年5月、134年ぶりに復活した宝塔で初代は400年前に作られたもの。渋い赤一色である。


本堂からは他の伽藍、祖師堂、報恩閣、新客殿、客殿、仏殿と渡り廊下で繋がっている。まず、1985年に落慶した巨大な本堂に入ると正面に御本尊の日蓮聖人真筆大曼陀羅本尊を木造形式にした立体曼陀羅があり、日蓮聖人坐像は大変迫力のあるお顔をされていた。仏像のみでなく、天井画に書かれた加山又造作の龍はどこから見ても睨まれているような八方睨みである。




お隣の祖師堂は日蓮聖人像が安置されているが開帳はされていなかった。報恩閣で御朱印を頂くが待つ間にお坊さんに色々と教えていただく。




その先の仏殿では若い僧がお務めの最中、外を見ると枝垂れ桜がここ、かしこにあり、桜の頃にはさぞや美しいだろうなと思う。


境内を周り、斜行エレベーターで駐車場に戻る。何度も火事にあい、建物はみな新しいものばかりではあるが、さすがに日蓮が修行に励み、また墓所と決めただけあってその規模、荘厳さには圧倒された。


再び門前町を抜けて、一路本栖湖を目指す。冬晴れの中、途中道の駅富士川で昼食。その後、甲州いろは坂と名付けられた国道300号のヘヤピンカーブを何とか登りきり、中之倉トンネルを抜けると驚くほど大きい富士山。


雲一つない5000円札にも描かれた美しい富士山そのものを見ることができた。さすが、富士山(2月23日)の日である。もう言うこともなし。






天松〜東急東横店グルメ

2020-03-08 05:00:00 | グルメ


渋谷の東急百貨店東横店もいよいよ地上部は3月末で閉店となる。歴史は古く、1934年創業、開業時から地下鉄銀座線が建物内を貫通しているという特殊な形態のビルであった。


もうわずか1か月に迫る閉店を前に9階のレストラン街を訪ねる。店のラインナップもかなり変わってきたが、饂飩四国や旭鮨総本店、渋谷松川など老舗も多い。そのなかで日本橋に本店がある天松にお邪魔した。




天松は日本橋の交差点かどに本店があるが、創業は1936年渋谷道玄坂で、東急東横店への出店も古い。店はモダンな造り、夕方6時半というのにそれほど混んでいない。
メニューは色々と悩んだが天重(1380円)に決定。ちなみにこの店は天丼(2200円)の方が高い。


少し経って天重が運ばれてきたが、お盆には味噌碗とおしんこも付いている。この蓋を取るのが楽しみである。


ご飯の上にはナス、ピーマン、さいまき海老2本、海老と貝柱のかき揚げが乗り、江戸前らしく黒っぽいタレがかかっている。まずはナスから頂くが、揚げたてでかなり中は熱い。やや濃い目ながら甘くないタレがいい。さいまき海老はその身の甘さを感じながら尻尾まで頂く。


やはり一番好きなのはかき揚げ、小柱と小海老がたっぷり入っていてご飯が進む。味噌碗も赤だしでこちらもさすが。量的にはあまり多くはないが、油がいいのか全くもたれず頂きました。ご馳走さまでした。


天松東急東横店
東急百貨店東横店8階



身延山久遠寺に参拝①〜奥の院へ

2020-03-07 05:00:00 | 旅行


下部温泉まで来たらやはり身延山久遠寺に行かねばと車を走らせる。車で9kmだからすぐなのだが、その前に身延線身延駅に立ち寄りスタンプを押印。勉強不足のため、久遠寺自体の周り方がよく分からない。


走っていくうちに道は総門という立派な門をくぐり、宿坊や土産物、数珠など仏具を商う店などが増えてくる。町営駐車場はあるが、まだまだ坂は続く。途中からうねりながら走り、門の前に来るが駐車場がない。まあしょうがないと奥の院を結ぶロープウェイの駅まで行くとようやく駐車場がある。


無事に車を停めてロープウェイ駅を目指すが、ここまで行くにもかなり階段を登らなくてはならない。



ロープウェイは毎時00から20分おきに出ている。9時20分のロープウェイに乗り、7分の空中散歩を楽しむが、頂上駅近くで右側に頭だけ出す富士山を発見する。




山頂は1000mあるだけにかなり気温が下がる。まずは東側展望台に行き、正面に見える富士山を拝む、天気も良く、富士山の日(2月23日)だからか、雲一つない。


続いて奥の院に向かう。久遠寺奥の院は日蓮上人が故郷安房小湊を思い出し、追慕したことから思親閣と名付けられている。


階段の脇には日蓮上人が植えたとされる樹齢700年以上の大きな杉が生えており、その先の祖師堂を目指す。この4本の杉にはそれぞれ名前がつけられていて、まるで生きている様である。




さすがにまだあちこちに雪が残り、山の寒さに震える。信者は山の下からここまで2時間以上掛けて登るのだという。私は修行が足りないからロープウェイがなければ決して来ないだろう。奥の院に参拝をして御朱印を頂くが、若いお坊さんに丁寧書いて頂く。その奥の釈迦像を見て、奥にある北展望台に行く。




風が強い分、遠くまで見渡せて南アルプスの山などが一望(北岳付近は雲があったが、前岳、中岳、悪沢岳はよく見えた)することができた。さらに七面山展望台にも足を伸ばす。

さらに南展望台からは再び富士山を眺めるが、ここからの富士山、そして富士川の流れも素晴らしく、一台スタートを遅らせてロープウェイで降りたのである。(以下、次回)







下部ホテルに泊まる

2020-03-06 05:00:00 | 旅行


骨休めの一泊旅行は山梨県にある下部温泉・下部ホテルに宿を取る。甲府から中部横断道が開通したため、高速道路で僅か4kmのところまで来ることができる。




このホテルはJR身延線下部温泉駅の目の前にあり、鉄道でも車でも実に便利な場所にある。ただ、到着時は生憎の雨、早めに到着して自慢の温泉にゆったりと浸かる。下部温泉は鉱泉で温度は低く、冷泉と言われていた。しかし、2006年に高温の源泉、『しもべ奥の湯高温源泉』が噴出、このアルカリ性単純泉に加えてホテルの庭から湧き出る硫黄泉もあり、複数の種類の湯がある。この湯に浸かりゆっくりした後、夕食に行く。


『山のかまど』と名付けられた食堂には入口に囲炉裏があり、そこでヤマメを串焼きにしている光景が見える。


席に座り、まずはビールで乾杯、前菜は地元産の野菜がメインで公魚の唐揚げが添えてある。特に味噌のかかったフキノトウの天ぷら、これほどカリッと揚げたものは初めてである。


ホタテのすり身のお碗の次はお造り盛り合わせ。ここで日本酒、山梨県といえば七賢である。純米吟醸と純米大吟醸の飲み比べ、いずれも美味い。店の人に教えてもらった蘊蓄を一つ。七賢は信濃国高遠の酒造り職人が甲州(現在の北杜市)に泊まった際にあまりの名水に感動し、そこで酒造りを始めたのが発祥。酒の名前は泊まった部屋に竹林の七賢人の絵があったことからつけたのだそうだ。


マグロや鰤、鯛、ボタンエビ。これを醤油と塩ポン酢で頂くのだが、脂の乗った鰤に塩ポン酢、初めてだが、新たな発見。これがベストマッチ。


いよいよ、ヤマメの炭火焼。小ぶりだがしっかりと味の乗ったヤマメ、頭からいける。


するとサービスでほうとうが振る舞われ、私はかぼちゃ嫌いのため一口連れ合いのを食べたが、中々の味、食わず嫌いかも。
メインのヒレステーキ、ここで赤のグラスワイン。もちろん、勝沼の錦城酒造の錦城ルージュ、美味い。


さらに釜飯と水菓子を頂いたのだが、十分満足。温泉ホテルの食事は多すぎることが多いが、ちょうどの量。若い人には少ないかも知れないが。




ホテルは内装をリニューアルしていて元の建物は古いが、機能的で清潔感溢れる部屋。サービスも素晴らしく、十分な骨休めになったことは間違いない。
下部ホテル
山梨県身延町上之平1900
0556360311


梅もと 溝の口店〜溝の口モーニンググルメ

2020-03-05 05:00:00 | グルメ


以前にもこのブログで取り上げたのだが、初めて食べた立食いそば店は『梅もと』というチェーンで以前は神保町や虎ノ門、茗荷谷など結構あったのだが、最近殆ど見かけなくなった。


このチェーンの特徴はそば・うどんに加えていなり寿司や巻き寿司などを売っていたのだが、これも見かけなくなってしまった。ふと、東急田園都市線溝の口駅を降りるとパン屋と並んで小綺麗な梅もとがあるではないか。

朝飯をしっかり食べていなかったこともあり、メニューを見るとまだありました『朝そば』(320円)。たぬきそばにワカメが乗ってこの値段である。


券売機で食券を買い、カウンターのおばさんに渡すと手際良く器を温めてから茹で蕎麦を温める。器に蕎麦を入れ、ワカメとネギを入れ、出汁を入れてから揚げ玉を入れてくれる。

これを席に持っていって七味を掛けて食べるのだが、出汁が半端なく熱い。富士そばなどと比べると驚くほど。蕎麦を持ち上げて一口、茹で蕎麦がごわごわしてそんなに旨いものではないが、私はなぜかこのタイプが懐かしくて好きである。


たっぷりと入ったワカメ、シャキッとしている。また、天ぷらを揚げた際に出た揚げ玉、すぐにブヨブヨにならず、また香ばしい。子供の頃に食べたあの蕎麦を思い出すからなのか、満足して頂きました。


最後、麺を完食しても出汁はまだ熱かった。ご馳走さま。因みに期間限定ながら『チキンカツカレー』が380円は安い。

梅もと溝の口店
川崎市高津区溝の口2ー1ー1
0448126933


武田神社に参拝

2020-03-04 05:00:00 | 旅行


甲斐善光寺の参拝を終わり、地場産業振興センター(かいてらす)に寄ったのちに武田神社にお参りすることにした。武田神社は甲府駅から武田通りを真北に登った方向にあり、周辺には武田氏ゆかりの寺や墓所が点在している。




武田信玄は1521年に武田神社背後にある石水寺要害城で生まれた。神社は元々信玄の父である武田信虎が石和より移した躑躅ヶ崎館跡に位置する。ただ、神社の建設は大正4年に始まり、市民の浄財により大正8年に竣工したものである。



祭神は武田信玄であり、甲州信玄祭りが毎年行われている。元は館であったため、神社の周りには堀が巡らされていて神橋を渡り参拝する。武田二十四将の解説板もあるが、その中に我が祖先と言われている『高坂弾正昌信』の名前もあるのが誇らしい。



ニノ鳥居の奥には社殿があり、お宮参りの家族に出会った。境内には新生児の名前を記した紙が奉納され、強く元気な子を願う親たちが祈願に来るのであろう。




また、杯や酒樽なども奉納されていて山梨県人の武田信玄びいきがよくわかる。神社の階段の上からは甲府の街が一望でき、このように信玄は街を見渡し、これを守っていたのであろう。







美華園〜新橋ランチグルメ

2020-03-03 05:00:00 | グルメ


今日はお台場まで急いで行く用事があり、その前に腹ごしらえ。いつもは地下街の直久やうどんのカタソデなどに入るが、今日に限って混んでいる。たまには違う店でとその真ん中にある四川料理の店『美華園』に入る。


サラリーマン御用達の店らしく、麻婆豆腐定食、酸辣湯麺、蟹玉丼、茄子と挽肉のピリ辛丼など定食や丼が多い。その中で見つけたのがあんかけチャーハン(1120円)。


メニューによると『卵チャーハンに酸辣湯の餡をかけた』とある。渋谷の兆楽という店に『ルースチャーハン』という青椒肉絲のピーマン抜きをチャーハンに掛けたメニューはあるが、酸辣湯をかけたのは珍しいと注文。


さすがに少し時間はかかった。チャーハンと餡が別々の皿で登場。カレーのように少しずつ食べる手もあったが、面倒なので全て掛ける。



チャーハンは普通だが、出来立ては嬉しい。まずはチャーハンのみ一口、なかなか美味い。ただ、餡を掛けると途端に熱い。餡は酸辣湯というだけあって『酸っぱ辛い』上に熱いのでレンゲにすくい大口でとはいかない。やむなく少しずつ頂くが今まであまり経験のない味わいである。



酸辣湯だけに筍、椎茸、豚肉などの細切りが入って酢がよく効いており、チャーハンとの相性がいい。味わいながら時間をかけて完食、気がつくと額から汗が出ていた。ほかにも麻婆豆腐チャーハンなどもあり、チャーハンと定食のおかずの組み合わせだけだが、なかなか面白い試みである。ご馳走さまでした。

美華園
港区新橋2東口地下街1号
0335751060