『江戸の坂・東京の坂』その12。今回は九段の坂の2回目。
靖国神社にて英霊のお参りを済ませ、九段坂上に向かう。靖国神社の敷地内には大村益次郎の銅像を仰ぎ見て靖国通りに戻ると九段坂上。九段坂を見下ろす歩道橋を渡り、坂を下りるが、かつてなかなりの急坂であったらしい。
坂の右手には昭和館という昭和をアーカイブできる記念館も見ることができる。
坂の下まで降りて飯田橋方向に歩き、つぎの信号を左折すると『中坂』。この坂はかつては飯田喜兵衛が住んでいたため飯田坂と呼ばれたが、のちに冬青木坂と九段坂の間にあるため中坂と呼ばれるようになった。
坂の途中には築土神社があるが、ビルの中にある不思議な建物。また、坂の上には『硯友社』の後の碑がある。
坂の上まで登り、フィリピン大使館の手前を右折すると『冬青木坂(もちのきさか)』。この坂の横に古いモチノキがあったからではなく、常磐木があったがそれをモチノキと間違えて読んだため、今の名前になったと新編江戸志にある。
また、坂を登り、右に曲がると暁星学園のグラウンドに沿って『二合半坂』という不思議な名前の坂がある。
江戸時代の史料には『日光山が半分に見えるためこの名前になった』とあるが、なぜ日光山が半分みえると二合半になるのか。これに対し、標識には『隣の富士山を10分割して見ると日光山は半分の5分くらいでそれが半分だから二合半』という説、あまりに急坂のため、一合の酒を飲んでも二合半飲んだように酔ってしまうという説などがあるが、不思議な名前である。また、急坂とあるが、其れ程の急坂ではない。
九段の坂は音羽の坂と比較して真っ直ぐで、勾配が緩やかな坂が多い気がする。また、靖国神社を見た上で九段下駅にむかった。