hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

甚内神社・鳥越神社(東京都台東区)

2014-07-22 05:00:00 | 日記
『高坂』という名前で歴史上の有名人を探してみると戦国時代武田信玄の配下の武将『高坂弾正昌信』がよく挙げられる。小説風林火山にも登場し、武士の中で最も勇気のいる隊列の最後部である『しんがり』を務めることができる勇将で『逃げ弾正』と言われて尊敬された人物、今の長野県長野市松代町にある海津城の城代として上杉氏に対する抑えとして活躍したと言われている。

そして今回のブログに関係あるのが『高坂甚内』彼は江戸時代(?~1613)の人で、高坂昌信の子とも孫ともいう説がある。元は戦国時代最末期に北条氏の残党が治安を悪くしていた際に徳川氏の要請を受けた闇世界に詳しい甚内が関東の治安回復の責任者として立ち回った。


しかし、その後は関東一円の盗賊らと糾合し巨大な組織を作り上げた。そこで幕府は陣内と手を切り、追討を行った。その後は10年に渡り逃亡を続けたが、マラリア(瘧)にかかり動けないところを捕縛され、市中引き回しの上浅草鳥越の刑場で磔となり刑死した。死に際に『瘧にかからなければ捕まることはなかったのに。瘧に苦しむものはわれに念じれば癒してやろう』と言い残したと言われる。そのため甚内神社は瘧に御利益がある神社と言われている。


同じ高坂繋がりなので折角だからお参りしてみようと浅草橋に行った際に少し足を伸ばしてみた。場所は蔵前橋通りの鳥越神社からあるいて3分くらいの場所、甚内神社とはいうが殆ど祠のような誠に小さな神社である。それでも小さいながら鳥居もあり、石の碑や小さな提灯などかかっている。考えてみれば幕府に逆らった大泥棒を神格化して祀るというのもおもしろい。それでも病の治癒に御利益があることから彼の命日である8月12日には多くの人で賑わうと案内板には記してあった。自分の先祖かどうかは疑わしいが同じ苗字の縁もあり、お参りをした。



せっかくここまで来たのだからと鳥越神社にも足を伸ばす。この周辺は昔ながらの家屋や店も多数残っており、情緒のあるところ。こんな古い家屋は使ってないだろうと思うと問屋さんだったりする。


鳥越神社からみるとついでは甚内神社と言いたくなるほど立派な神社。なにしろ縁起は651年日本武尊を祀って白鳥神社としたことと言われ、前九年の役の折、源義家がこの地を訪れ、鳥越大明神に改めたとのことである。江戸時代は2万坪の社領を有していたが幕府に取り上げられ今の姿になった。そして取り上げられた土地には大名や旗本の屋敷となったようである。有名なのは例大祭で6月9日あたりに模様され、都内の神輿の中で最も大きいものらしい。お参りに来る人も後を立たず、流石に有名な神社であると感心した。それにしても下町にはいくつものこうした寺社がありぜひ今後も巡ってみたい。