2泊3日で高知市見学(観光)をする。親父の介護のついでに足を少し伸ばす。
いつもは岡山から松山行き特急列車「しおかぜ」に乗るのだが、きょうは特急「南風」に乗る。車両が3両編成と短い。高知駅につくと、日曜日のためか駅前で龍馬の催し物をしていた。今年の3月から1年間「龍馬ふるさと博」が開かれていて、その上、11月15日は龍馬の誕生日、死亡日なので、いろいろと賑やかに観光客を呼び込むための催事があるようだ。
高知市内のYH(ユースホステル)に2泊し、市内見物をする予定。
きょうは14時すぎに駅についたので、高知城と寺田寅彦記念館を訪ねる。
高知城に通ずる道路は日曜市が開催されていたが、もう店じまいをする時間帯だったので、人出もそんなに多くなくゆっくり見物ができた。地元の野菜、魚類の干物がメインだが骨董品や刃物等もある。連れ合いに、布で作った手作りの財布を半額(500円)で土産に買った。高知城のすぐ下の大きな木の木陰で10数台の将棋盤で縁台将棋をしていたのが珍しかった。
高知城にはかの有名な山内一豊の細君、お千代の銅像があった。天守閣に登ると市内が一望できた。山内一豊の生まれ出身が尾張だったことを始めて知る。かれは秀吉、信長、家康と仕え、最後に土佐藩の藩主になる。性格の異なる3人に使えるという、主君と付かず離れずの関係を保った戦国時代にあって、珍しい人物だと思う。
高知城から西の方へ降りて、城のすぐ近くにある寺田寅彦記念館へ。なんとここが入場料無料だった。係の女性が一人いた。ここでも面白いことしる。生まれは東京だったが、4-5歳で高知に帰り、中学までここで育った。親父が40歳を過ぎで生まれた子供だったので、父親からはすごく嘱望されたようだ。高校へ行く時に通常なら三高(京都)へ行くのだが、父親の希望で五高(熊本)へ行く。そこで漱石先生と知り合いになったのだ。こんな話を係の女性から聞く。
このあとYHまで20分くらい歩く。ここのYHは昔の酒蔵を改造したようで、家の中の棟木などは大きくて立派でまるで、古民家のようだった。夕食を18:30から食べ、20時過ぎには寝る。
日曜市 高知城 寺田寅彦記念館 高知ユースホステル
いつもは岡山から松山行き特急列車「しおかぜ」に乗るのだが、きょうは特急「南風」に乗る。車両が3両編成と短い。高知駅につくと、日曜日のためか駅前で龍馬の催し物をしていた。今年の3月から1年間「龍馬ふるさと博」が開かれていて、その上、11月15日は龍馬の誕生日、死亡日なので、いろいろと賑やかに観光客を呼び込むための催事があるようだ。
高知市内のYH(ユースホステル)に2泊し、市内見物をする予定。
きょうは14時すぎに駅についたので、高知城と寺田寅彦記念館を訪ねる。
高知城に通ずる道路は日曜市が開催されていたが、もう店じまいをする時間帯だったので、人出もそんなに多くなくゆっくり見物ができた。地元の野菜、魚類の干物がメインだが骨董品や刃物等もある。連れ合いに、布で作った手作りの財布を半額(500円)で土産に買った。高知城のすぐ下の大きな木の木陰で10数台の将棋盤で縁台将棋をしていたのが珍しかった。
高知城にはかの有名な山内一豊の細君、お千代の銅像があった。天守閣に登ると市内が一望できた。山内一豊の生まれ出身が尾張だったことを始めて知る。かれは秀吉、信長、家康と仕え、最後に土佐藩の藩主になる。性格の異なる3人に使えるという、主君と付かず離れずの関係を保った戦国時代にあって、珍しい人物だと思う。
高知城から西の方へ降りて、城のすぐ近くにある寺田寅彦記念館へ。なんとここが入場料無料だった。係の女性が一人いた。ここでも面白いことしる。生まれは東京だったが、4-5歳で高知に帰り、中学までここで育った。親父が40歳を過ぎで生まれた子供だったので、父親からはすごく嘱望されたようだ。高校へ行く時に通常なら三高(京都)へ行くのだが、父親の希望で五高(熊本)へ行く。そこで漱石先生と知り合いになったのだ。こんな話を係の女性から聞く。
このあとYHまで20分くらい歩く。ここのYHは昔の酒蔵を改造したようで、家の中の棟木などは大きくて立派でまるで、古民家のようだった。夕食を18:30から食べ、20時過ぎには寝る。
日曜市 高知城 寺田寅彦記念館 高知ユースホステル
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