かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

『ジャコメッティ展』 国立新美術館

2017年06月30日 | 展覧会

2017/6/30

 15日ほど前からこのブログの訪問者が、普段の2倍から3倍に増えているのに気づいた。そのほとんどが、5年前に書いた「『ジャコメッティ展』(図録) (現代彫刻センター、1983年)」という記事への訪問だった。
 やっと東京へ行く機会ができて、東京で開催されている美術展をネットで調べて得心がいった。「ジャコメッティ展」が開催されているのである。たぶん、今回の「ジャコメッティ展」のことを検索していて、間違って私のブログにたどり着いた人が多かったということだろう。
 思えばあのブログは、たぶん生きている間にジャコメッティ展を見るチャンスはもうないだろうと考え、30年近くも前の展覧会の図録で我慢しようと思い立って書いたものだった。ただ、ジャコメッティの彫刻に惹かれていたものの、なぜあのような針金のような人物像なのか、なぜ私がその形に惹かれるのかよくわからなくて、サルトルとジャン・ジュネと矢内原伊作の本の助けを借りてかろうじて書いたブログ記事だった。
 しかし、私なりに言葉を尽くしたからといって、その芸術作品が感受出来るというものではないし、理解できるというものでもない。結局は作品を見て味わうことしかないのだ、そう思い定めて新幹線に乗って東京に向かったのである。


《裸婦小立像》1946年頃、石膏、8.9×3.7×2.3cm、
神奈川県立近代美術館(宇佐美英治旧蔵) (図録 [1]、p. 58)。

 見る前には、ジャコメッティがどのような過程を経て、あの形態の彫刻にたどり着いたのか、そんなことに興味があった。芸術家がその人独自の表現にたどり着くまでの個人的歴史そのものが興味深いし、ましてやその変遷の必然性のようなものが理解出来たら作品鑑賞がどんなにか深まることだろう。たとえば「ジャン・フォートリエ展」では、フォートリエが過酷なまでのリアリズムに溢れた人物像から「アンフォルメル(不定形)」と呼ばれる抽象画へと変遷していく様子はとても興味深いものだった。
 「ジャコメッティ展」の展示も、期待通りに18歳の時の油彩の肖像画や16歳の時の人物(頭部)の彫刻などから始まり、キュビズム、シュールレアリスムの時代の彫刻へと展示は続いていた。
 しかし、2番目の「小像」というコーナーまで来たとき、私の当初の興味はどこかに行ってしまった。あまりにも小さくて、細部がほとんどわからない数センチメートルから20センチメートルくらいの細身の人間立像が展示されていた。ジャコメッティの超細身の人間立像は、細いばかりではなくとてつもなく小さい像として始まったのだ。このことに驚いてしまって、その前のキュビズムやシュールレアリスムのことはまったく気にならなくなってしまったのである。図録に次のような解説があった。

18-19歳のジャコメッティを襲ったとされる、よく知られた「洋梨のデッサン」のエピソードで語られるのは、「普通の距離」に置いた洋梨を、父の求めに応じて「梨がある通りに、見える通りに」描こうとすると、決まって父が描くような「実物大」にならず、避け難く小さくなってしまうという、自身が対象と向き合ったときに生じる「見えるものを見えるままに描く」ことの困難であった。 (図録、p. 34)

 描こうとする対象がどんどん小さくなってしまう、というのはジャコメッティの対象存在の本質的な認識のありようだったらしい。だとすれば、特定のモデルや対象を必ずしも必要としない20歳代から30歳前半におけるキュビズムやシュールレアリスム作品がごく〈普通〉であること、ふたたびモデルを描こうとしたとき「小像」化が生じたことはそれなりに理解できよう。
 「洋梨のデッサン」の時代から「小像」の時代へと、ジャコメッティ自身の中での時間発展としては直接つながっていたと考えることができる。そういえば、ジャコメッティ自身はキュビズムやシュールレアリスムの時代を否定的に語っているという趣旨の記述を読んだことがある(残念ながら記憶が不確かで出典を明示できないのだが)。

 そんなことがあって、今回の私の「ジャコメッティ展」は、「小像」から始まった。その「小像」作品群のなかでも、《裸婦小立像》という石膏像に惹かれた。惹かれたというよりも、この肖像を小さなわが二階家の階段の途中の窓の下枠に置いて、階段の上り下りのときに上から、下から、そして真横から眺められたらどんなにかいいだろう、そんな思いに捉われてしまった。鑑賞でもなんでもなく、そんな日々の暮らしのイメージに捉われたということだ。
 細部が判然としない、言ってしまえばやや抽象化された裸婦の立像が豊かな余剰としての想像を与えてくれそうな気がした。上から見下ろしたとき、下から見上げたとき、あるいは真横から間近に眺めたとき、それぞれのときはそれぞれの人間像を現前させてくれるだろうと思ったのだった。



《3人の男のグループI(3人の歩く男たちI)》1948/49年、
ブロンズ、72×32×31.5cm、マルグリット&エメ・マーグ財団美術館、
サン=ポール・ド・ヴァンス (図録、p. 75)。


《森、広場、7人の人物とひとつの頭部》1950年、ブロンズ、57×46×58cm、
マルグリット&エメ・マーグ財団美術館、サン=ポール・ド・ヴァンス (図録、p. 78)。

 「群像」というコーナーでは、《3人の男のグループI(3人の歩く男たちI)》と題する彫刻が目を惹いた。3人の男がそれぞれ異なった方向にすれ違って歩き去るように構成された作品である。代表作の《歩く男》と比べれば、一人一人の歩く姿は単純化されているが、同じ時刻の同じ街角ですれ違う人間たちの関係(距離)へのジャコメッティのイメージを想起させる作品である。
 複数の人間のイメージとしては、《森、広場、7人の人物とひとつの頭部》の作品もいっそう興味深い。7人の立像の大きさはバラバラである。かといって、子どもとか大人とかの属性によって大きさが異なるわけではない。まったく相似の人間像にもかかわらず大きさが異なる。同じ方向を向いて立つ立像は、それぞれ独立(孤立)しているように見える。ましてや、そのなかにひとつの胸像があって奇妙さは際立っている。
 直感的に言ってしまえば、それぞれの人物はそれぞれ固有の時空に存在しているのだが、その時空のサイズのまま、ある特異な空間で共立しているのである。図録解説に次のように記されている。

《広場、3人の人物とひとつの頭部》を制作したジャコメッティは、その硬さを克服しようと試行錯誤していた。そしてその過程で、アトリエの床の上に偶然置かれていた彫刻がふたつのグループを形づくっているのに気づき、それらを台の上に置いたという。こうしてできた《林間の空地、広場、9人の人物》と《森、広場、7人の人物とひとつの頭部》は、今度はジャコメッティの記憶と結びついた新たなイメージをまとうことになる。もともとすべて「市の広場」と題されていたこれらの作品の完成後に、「林間の空地」や「森」という、それぞれにふさわしい主題が見出されたのである。 (図録、p. 72)

 もともと独立していた彫刻がアトリエで出会うと、そこに「林間の空地」とか「森の中の広場」が(想像として)生まれたのだ。空地も広場も、林や森の中にありながら林や森そのものではない。林や森に内包されつつもそれぞれ特異な空間である。いわば、森や林という時空の特異点である。異なった時空に存在する人物がある特異な空間で出会ったという私の勝手な想像もあながち荒唐無稽とも思えないのである。異なった時空が一点に会するという場所は、世界の特異点に違いないのである。


【左】《タートルネックを着たディエゴの頭部》1954年頃、ブロンズ、34×13.5×13cm、
マルグリット&エメ・マーグ財団美術館、サン=ポール・ド・ヴァンス (図録、p. 95)。
【中】《男の胸像》1950年、ブロンズ、57×15.5×16.5cm、マルグリット&エメ・マーグ
財団美術館、サン=ポール・ド・ヴァンス (図録、p. 98)。
【右】《ディアーヌ・バタイユの胸像》1964/80年、ブロンズ、48.5×13.5×12.5cm、
マルグリット&エメ・マーグ財団美術館、サン=ポール・ド・ヴァンス (図録、p. 99)。

 ジャコメッティの彫刻は、存在の非本質的な部分を徹底的にそぎ落とし、そぎ落とし、その果てに残った実存そのもの、あるいは、ジャコメッティのオブジェが占めた場所は虚無の空間そのもの、あるいは、ジャコメッティの彫刻は虚無の空間に非在を生み出し、その非在は空虚の中に存在に充実を生み出そうとする、などなど、様々な評言に悩まされつつ、彫刻群を見ていく。ふらふらとする精神には、多すぎることのない観客はありがたいのだった。

 「モデルを前にした制作」というコーナーを歩いているとき、ささやかな発見をしたような気分になった。かつて、ジャコメッティはモデルを前にして制作していたとき、どんどん作品が小さくなってしまうことに困惑し、眼前からモデルを遠ざけて記憶のイメージで作品を制作するようになったという。
 それでも、身近な存在、親しい存在をモデルにして彫刻を作成したのだろう。そのような作品が並んでいて、そこから《タートルネックを着たディエゴの頭部》、《男の胸像》、《ディアーヌ・バタイユの胸像》を比べてみた。
 一見してわかることは、ジャコメッティの弟「ディエゴ」やジョルジュ・バタイユの妻「ディアーヌ」の胸像は、ジャコメッティ作品としては肉厚があって存在への写実性が高い。一方、「男」とのみ名指された胸像はその多くをそぎ落とされたジャコメッティ特有の人物像となっている。これはどういうことだろうか。
 人間存在の様々な属性をそぎ落とすように、ジャコメッティは人物の肉体をそぎ落としていく。仔細に一つ一つの彫刻にあたったわけではないが、「人物」とのみ名指されるまで属性をそぎ落とされた彫刻は、文字通り「線」のように細い。「女性像」とか「男」のように、「性」の属性が残された彫刻は、微妙に厚みを増している。
 人間の属性の中で、その人物の「名前」は、じつにさまざまな人間の属性を象徴している。人間一般という抽象ではなく、その人物の個別性を強調する。家族や一族、コミュニティや国家(社会)をも引きずっているだろう。そのような人物像からたとえ多くの属性をそぎ落としても、その人物の個別性はそぎ落とせない。それが、「ディエゴ」や「ディアーヌ」という名を持つ人物の胸像が肉厚で写実性がより高い理由ではないか。そんなことを思ったのである。「男」とのみ名指された《男の胸像》と比べれば、その差は圧倒的だ。
 人間の本質的でない属性を次々にそぎ落としていった先には、「実存」と「虚無」しかないのだ。サルトル流に言えば、そういうことだろうか。しかし、一方で、ジャコメッティは近しい(親しい)人たちをしっかりと象っておきたいと率直に願っただけではないか、と思うことで、凡庸な私としては自分を安心させたがってもいるのである。


《歩く男I》1960年、ブロンズ、183×26×95.5cm、マルグリット&エメ・マーグ
財団美術館、サン=ポール・ド・ヴァンス (図録、p. 177)。

 図録に収録されている《歩く男I》は、マーグ財団美術館の中庭に置かれた彫刻の写真らしい。美術館に展示された作品を眺めるのとは趣が大きく異なって、なぜか味わい深い感じがする。
 《歩く男》は2バージョン制作され、1983年の「ジャコメッティ展」図録に掲載されていたのは、《歩く男II》となっていた。《歩く男I》は、《歩く男II》よりいくぶん歩幅が狭くなっているが、上半身の傾斜はやや大きく、動的なイメージが強くなっている。
 直立する女性像や男性像と比べれば、《歩く男》の魅力は圧倒的だ。あらゆる属性をそぎ落とされて単に「男」としか呼べない存在が「歩く」のである。「歩く」ことによって回復された人間の属性とはなにか。人間存在に「歩く」ことを賦与することで人間のドラマはどんなふうに始まるのか。そんな思いが沸き立って、ワクワクするのである。

 
[1] 『ジャコメッティ展』(以下、図録)(TBSテレビ、2017年)。


 

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