かわたれどきの頁繰り

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『ホイッスラー展』 横浜美術館

2015年01月27日 | 展覧会

【2015年1月27日】

 1834年、アメリカ合州国に生まれたジェームズ・マクニール・ホイッスラーを、図録解説は、画家として次のようにじつに簡明に紹介している。

 ホイッスラーは、1855年にパリに渡り、1859年にロンドンに移住するが、その後英仏海峡を往来する「クロス・チャンネルの画家」として活動し、英国とフランス両国のアヴァンギャルドとの交流により、独創的な作風を確立した。レアリズム、古典主義、シンボリズム、ラファエル前派、ジャポニスムの要素を取り入れて結合させ、1870年代に入ると、唯美主義者として独自のスタイルを築き上げた…… [1]

 ラファエル前派や印象派、後期印象派の画家たちと同じ時代にあった画家として、おそらく私は、幾つかの美術展でその絵に接していたと思う。だが、ホイッスラーの名前は確かに記憶にあるものの、その画家が描いた絵を思い出せない。まったくの初見と同じである。「初めて」という気分で美術館に出かけるのは、期待値が高くて楽しい。


《煙草を吸う老人》1859年頃、油彩・カンヴァス、41×33cm、オルセー美術館
 (図録、p. 21)。

 「主題の選択にクールベのレアリズムへの傾倒が表れている」と作品解説(図録、p. 21)が付されている《煙草を吸う老人》の画力を凄いとは思ったものの、ホイッスラー絵画の固有性を見つけるのは私には難しい。クールベのレアリズムを同伴しつつ、バルビゾン派や印象派が隆盛を極めた時代のことを思えば、ホイッスラーもその方向へ傾くのかと考えてしまった(もちろん、それは違ったのだが)。


【左】《ジョー》1861年、ドライポイント・紙、画寸22.7×15cm、紙寸37.9×27.7cm、
ニューヨーク公共図書館 (図録、p. 35)。

【右】《小さな赤い帽子》1892-96年頃、油彩・カンヴァス、73×49.8cm、
グラスゴー大学付属ハンテリアン美術館(図録、p. 51)。

 いくつか人物画の力作が展示されていたが、私は《ジョー》という作品に惹かれた。ドライポイントの小品でありながら、ジョーという女性の存在感の厚みに強く心惹かれたのだ。ジョーことジョアンナ・ヒファーナンは、6年ほどで別れたというホイッスラーのモデルでもあり愛人でもあったという。
 モデルへの強い愛、そのような画家の感情が絵画に描かれる人物の存在感を左右するものかどうか私には分からないけれども、対象を見つめ始めた瞬間からの心性を考えれば、それはあり得ることだ。しかし、対象への愛情が深ければ優れた絵が描けるなどというのは単純に過ぎるだろう。必要かもしれないが、少なくともそれだけでは十分ではない。

 《煙草を吸う老人》を描いた同じ画家が《小さな赤い帽子》を描いたことをその絵の前で知ったとき、期待は大きく膨らんだのである。クールベのレアリズムには圧倒されるが、レアリズムだけでは絵画の世界は狭すぎるだろうと思う。レアリズムについて、哲学者のレヴィナスが次のように語っていた。

美的規範としてはこきおろされたが、レアリズム〔現実主義〕はその名声をいささかも失ってはいない。事実、レアリズムはより上級のレアリズムの名においてのみ否認されるのだから。 [2]

 もちろん、私はレアリズムを美的規範としてはこきおろしたりはしていない。レヴィナスは、シュールレアリズムを上位のレアリズムと見なしていたが、シュールレアリズム自体はレアリズムの土台なしでは成立しないのである。レアリズムこそは現実界の出発点であり、象徴界の到着点であろう。そのパスこそが芸術の豊かさだろうと思うのである。


【左】《石灰製造業者》(『16点のテムズ川の風景エッチング集』(「テムズ・セット」)より)1859年、
エッチング・紙、画寸25.1×17.7cm、紙寸36.2×26.7cm、大英博物館 (図録、p. 92)。
【右】《サンタ・マルゲリータ広場の鐘楼》1879-80年頃、チョーク、パステル・紙、30.2×18.7cm、
アディソン美術館(図録、p. 108)。

 ホイッスラーにはエッチングの仕事がたくさんある。テムズ川の風景を描いたシリーズの中では、川を直接には描いていない《石灰製造業者》がお気に入りになった。前景の構造物から遠景を覗き見るような構図がいい。

 一方、《サンタ・マルゲリータ広場の鐘楼》は色彩の美しさが抜群だ。エッチングやリトグラフ作品で見られるような空白の扱いも絶妙だ。「鐘楼」とタイトルにありながら、鐘楼の上部は判然としないのも、想像力に美を補強させているようで感心した。


《肌色と緑色の黄昏、バルパライソ》1866年、油彩・カンヴァス、58.6×75.9cm、テート美術館
 (図録、p. 105)。

 黄昏を、《肌色と緑色の黄昏、バルパライソ》のような色彩で描いていることに驚いてしまった。モネやブーダンの夕景が素晴らしいと思っている私にはじつに新鮮な印象であった。黄昏が多様なばかりではなく、人間の感受力も多様であるということだろう。


【左】《ノクターン:青と金色―オールド・バターン・ブリッジ》1872-75年頃、油彩・カンヴァス、
68.3×51.2cm、テート美術館 (図録、p. 173)。

【右】《黒と金色のノクターン:落下する花火》1875年、油彩・カンヴァス、73×100cm、
デトロイト美術館 (図録、p. 156)。

 展示には、「ジャポニスム」という大きなコーナーが設けられていた。《ノクターン:青と金色―オールド・バターン・ブリッジ》は、歌川広重の「名所江戸百景」のなかの《京橋竹がし》の影響があると指摘さている。おぼろに霞む遠景はホイッスラーのものであるが、橋の下から遠景を望む構図、橋の下の小舟と船頭という共通点がある。

 《ノクターン:青と金色―オールド・バターン・ブリッジ》にも花火が描かれているが、《黒と金色のノクターン:落下する花火》は花火そのものが主題である。こちらは、広重の《両国花火》との共通性が指摘されているが、広重の絵よりもはるかにレアリズムに近い。
 この絵は、ホイッスラーを破産に追いやったというエピソードが作品解説で語られている。「絵具壺のなかみをぶちまけるだけ」と酷評した批評家との間で名誉毀損の訴訟に発展し、勝訴したものの訴訟費用で破産したというのである。私から見れば、「絵具壺のなかみをぶちまけ」たにしてはおとなし過ぎるように思えるのだ。もうちょっとだけ花火が派手でも、ここに描かれた夜の美しさは保持できるのではないかという素人考えである。


《青と銀色のノクターン》1972-78年、1885年蝶の加筆、油彩・カンヴァス、44.5×61cm、
イェール英国芸術センター (図録、p. 181)。

 ホイッスラーの「ノクターン」のシリーズには、海港や川の絵が多い。そのひとつ、《青と銀色のノクターン》を挙げておく。《ノクターン:青と金色―オールド・バターン・ブリッジ》と同じように、霞むような遠景の描き方は油彩の「ノクターン」シリーズに共通している。
 船頭の乗る艀の配置は、浮世絵を見慣れた私(たち)には絶妙な空間を形成しているように見える。「愛しさ」だろうか、「懐かしさ」だろうか、対岸のかすかな灯火が点々と見える景色に胸が締め付けられるようだ。私の感傷にはちがいない。「感傷」について、アメリカの画家、マーク・ロスコが次のように述べていた。

ある意味で、心情は感傷sentimentalityと密接な関係にあるのだが、定義付けるとすれば、心情とは気分をイリュージョン的に再現したものであると言え、感傷とは心情の過剰な、そしてそれゆえに凡庸な再現に過ぎないと言えよう。 [3] 

 厳しい批判ではあるが、凡庸な私にとっては「感傷」もまた手放し難い絵画受容の重要な通路、パスの一つである。

 

[1] 『ホイッスラー展――James McNeill Whistler Retrospective』図録(以下、『図録』)(NHK、NHKプロモーション、2014年) p. 129。
[2] エマニュエル・レヴィナス「現実とその影」『レヴィナス・コレクション』(筑摩書房、1999年) p. 302。
[3] マーク・ロスコ(クリストファー・ロスコ編、中林和雄訳)『ロスコ 芸術家のリアリティ――美術論集』(みすず書房、2009年) p. 55。



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