かわたれどきの頁繰り

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【書評】ジャン=リュック・ナンシー(渡名喜庸哲訳)『フクシマの後で』(以文社、2012年)

2013年07月24日 | 読書

           

 本書は、「第一章 破局の等価性――フクシマの後で」、「第二章 集積について」、「第三章 民主主義の実相」という独立した論考から成り、それぞれ2012年、2011年、2008年の発表年と逆順に掲載されている。私としては、第一章の「フクシマの後で」が主たる関心でこの本を手にしたのである。
 「序にかえて」のなかでナンシーは、「後で」の時間性についてこう述べている。

よりいっそう広い、一世紀や二世紀以上の広がりをもった「後で」があるのです。一つの文明が道を逸れたり、砕け散ったりするには、少なくともこのような期間が必要なのですし、また、それが新たな選択をすることによって――暗いものであれ、別の仕方で照らされたものであれ――新たな時代に入っていくにはこうした期間が必要なのです。 (p. 8)

 この時間性は、ナンシーの説く民主主義の本質(「来たるべき民主主義」というべきか)と深く関連していて、「民主主義の実相」は「破局の等価性――フクシマの後で」を読み解くうえでも重要で、実際に興味深く読むことができた。
 ここでは本の構成とは逆に、「民主主義の実相」と「破局の等価性――フクシマの後で」を発表順に従って取り上げてみる。

 フランスの哲学者らしく、ナンシーは〈68年〉の意味を問うことから民主主義について語り始める。そして、それは〈68年〉という時にあるのではなく、〈68年〉の「その後」の40年にあるのだという。

……六八年の「遺産」について語る理由などないということだ。遺産などないし、死去があったわけでもない。その精神は絶えず息吹き続けていたのだ。 (p. 117)

 第2次大戦の後、ファシズムやスターリニズム(全体主義)の攻撃にさらさられて、人々は民主主義を再考するようになった。民主主義を考えるうえで〈68年〉の時代的意味は次のような点にある。

 われわれは民主主義が攻撃を受けているということは見ていたのだが、しかし、われわれは、この民主主義はこうした攻撃に対し自ら身をさらけ出していたということ、そしてこの民主主義はそのものとして擁護されることと同じくらい新たに創案されることを要求していたということ、このことは見ていなかつたのである。六八年は、このような創案の要請の最初の噴出であった。 (p. 124)

脱植民地主義の深い振動のただなかにあって――あるときには革命的社会主義の、あるときには共和的社会主義のモデルの拡張をともなって――、また、思想や表象の構造的な変異のただなかにあって、レヴィ=ストロース、フーコー、ドゥルーズないしデリダが非常に早くから診断を下していたように、われわれは「〈歴史〉」の時代から抜け出ようとしていたのだ。 (p. 126-8)

 「〈歴史〉」の時代から抜け出すということは、「コンセプション」の体制から抜け出すということで、「それとは別の思考の体制」が開かれようとしたのだ。それは、けっして別の「〈歴史〉」的与件を形作ることではない。

〔それは〕原理的に自らを乗り越えるようなかたちで、目的そのもの(「人間」ないし「人間主義」、「共同体」ないし「コミュニズム」、「意味」ないし「実現」)を提示するということである。すなわち、現勢的(en acte)な無限を働かせるがゆえに、なんらかの予見でもっては組みつくすことができないようにすることである。 (p.129)

 そうした民主主義の核心にあるのは、パスカルの「人間は無限に人間を超えている」という人間「主体」であり、ルソーの共同体の統治原理を産み出しうる知性ある人間存在である。そして、ここでいう「コミュニズム」とは、「はじめにまず、われわれは共にあるのであり、次いで、われわれは、われわれが現にあるところのものにならなければならない」という与件のことである。「この与件とは、要請としての与件であり、そしてこの要請は無限のもの」 (p.129) なのである。

 民主主義がなんらかの意味を持つとすれば、皆が共に皆各々が共に存在するということの真の可能性が表出され承認されるという欲望――意志、期待、思想――の場ないし跳躍以外に基づいているとみなしうる権威はどれも活用しない、というのがそれである。 (p. 134)

 だから、民主主義はナンシー的な概念としてのコミュニズムが必要であったし、何よりも、民主主義は制度や体制であることに先立つ「精神」そのもの、現実的で具体的な「差し迫った必要性」 (p. 135) なのである。

……六八年という時は、クロノスというよりもカイロスであった。すなわち、持続や契機というよりも機会や出会い、出来することなき、確立することなき到来(advenue)、諸々の可能なものの現前および共現前として現在を捉えることの行き来(venue et allée)であった。この可能なものとは、権利としてではなく潜勢力として規定されてきたものである。つまり、「実行可能性」という点においてではなく、存在の開けないし拡張という点において評価されるべき潜在性である。この潜在性とは、物象化とは言わずとも、無条件の現実化には従属することなく、潜勢力として、この存在の開けをもたらすものだからだ。無条件と言ったが、無条件的なものは、逆に、この営為の作品化(mise en œuvre)を受け容れるものとして、その絶対的な「実現不可能」性のうちにとどまるものであることも必要なのだ。 (p. 138)

 民主主義は、私(たち)が思いなしてきたように政治形態のひとつなのではない。あえて言えば「意味の体制の名」 (p. 165) なのである。

 民主主義は形象化できるものではない。もっと言えば、それは、本質上、形象的なものではない。……民主主義は、……われわれの欲望がとりうる諸々の声明をできるかぎり増殖させることができるような共通の空問を形成すること、これが民主主義によって課されることなのである。 (p. 154)

 民主主義は人間を(ふたたび)産み出す――ルソーはそう宣言した。民主主義が新たに開くのは、人間の行き先〔=使命(destination)〕であり、そしてそれとともに世界の行き先である。 (p.164)

 民主主義は、現在的に実現すべきものでありながら「未来への開け」であり、「世界の行き先」である。いわば、現在から未来へ張られた共に在る時空の中で次々と実現してゆくべき希求(欲望)の体制のことだ。だからこそ、民主主義は実現しつつあると同時に常に「来たるべき民主主義」であり続けるのだ。
 だから、ナンシーはフランシス・フクヤマとは対極にある。民主主義が完成し、「歴史の終焉」が来るなどということでは決してないのだ。したがって、ナンシーは、ジャック・デリダの次のような言葉と共鳴している。

 ……共産主義はつねに亡霊的であったし、今後も亡霊的であり続けるだろう。それはいつまでも来たるべきものであり続け、そして民主主義そのものと同様に、自己への現前なる充実としての、自己自身に実際に同一な現前性の全体としての、いかなる生き生きとした現在からも区別されるのである。 [1]

 共産主義の亡霊とは、ナンシーの語る「コミュニズム」と似たような概念であろう。ともに、古典的なマルクス主義(レーニン主義、スターリン主義、マオイズム)の党や政治体制ばかりでなく、アラン・バディウの言うような「古典的な闘争という図式でもって把握された政治活動によって正当化するべき政治的な仮説として押し出されるべき」 (p. 129) コミュニズムですらない。
 民主主義は、永久革命としての民主主義なのだ、と私は理解する。もちろん、これはトロツキーの永続革命とは何の関係もない。革命の手段、方法ではなく、未来へと張られた民主主義の本質的な時制によるのである。

 第三章で語られたナンシーの「コミュニズム」を基底とする「民主主義」は、「第一章 破局の等価性――フクシマの後で」の結語に結びついていく。「破局の等価性」の論考は、次のような言葉で締め括られている

 ……「民主主義」を思考するためには、通約不可能なものたちの平等性から出発しなければならないのだ。つまり、ほかのものに還元できない絶対的に特異なものたちの平等性である。それは個人でも社会集団でもなく、諸々の出現すること、到来し出立するもの、声、音である――ここでいま、その都度。
 明日のために平等性を要請すること、それはまず、今日それを肯定することであり、同じ身振りでもって破局的な等価性を告発することである。それは、共通の平等性、共に通訳不可能な平等性を肯定すること、非等価性のコミュニズムを肯定することである。 (p. 70-71)

 論考の出発は、「破局の等価性」の意味から始まる。まず、「破局はどれも、規模の点でも帰結という点でも、等価ではない」し、「原子力の破局」は、「たいていの場合とり返しのつかないもの」 (p. 21) だが、タイトルの「破局」はそれを指していない。世界の「等価性」というシステムが破局的だという意味である。

 マルクスは貨幣を「一般的等価物」と名づけた。われわれがここで語りたいのもこの等価性についてである。ただし、これをそれ自体として考察するためではなく、一般的等価性という体制が、いまや潜在的に、貨幣や金融の領域をはるかに超えて、しかしこの領域のおかげで、またその領域をめざして、人間たちの存在領域、さらには存在するものすべての領域の全体を吸収しているということを考察するためである。
 この吸収は、資本主義と、われわれが見知っている技術発展との緊密な連関を経由する。これこそがまさしく、諸々の力、生産物、作用者ないし行為者、意味ないし価値の無際限の交換可能性と等価性との連関である――というのも、あらゆる価値は等価性を価値とするからである。 (p. 25-6)

 そして、グローバリゼーションを通じて高度資本主義は、世界のあらゆる事象を「一般的等価性」に吸収しつくし、それらは相互に密接に連関し、依存しあっている。それゆえ、フクシマの破局は一般等価性を通じて世界の事象へ重大な影響を与える。ナンシーは、「結局、この等価性が破局的なのだ」 (p. 26) として、一般等価性そのものがシステムとして不当な行き過ぎで、すでに破局的であり、克服されるべきものと考えている。それが、いわば論考の結語にいたる前提である。
 フクシマそのものは、フクシマ自体の破局性によって、「一般等価性の破局」を顕わに示したと言える。そういった意味では、フクシマは破局的な事象の範例として扱われていて、なにがしかフクシマを特別視する(したい)私(たち)にとっては、いくぶん肩透かしの印象もないではない。

 フクシマという出来事は、おそるべきかたちで範例的となった。というのもそれは、大地震、密集した人口、(管理の不十分な)原子力施設、公権力と私的な施設管理の複合的な関係――ここからさらに広がる他の諸々の関係について述べることはよそう――のあいだの緊密かつ粗雑な連関をさらけ出すものだからである。 (p. 54)

〔一般等価性のもとで〕コミュニケーション(communication)は感染(contamination)となり、伝達(transmission)は伝染(contagion)となるのである。
 この点でこそ、フクシマは範例的である。地震とそれによって生み出された津波は技術的な破局(カタストロフ)となり、こうした破局自体が社会的、経済的、政治的、そして哲学的な震動となり、同時に、これらの一連の震動が、金融的な破局、そのとりわけヨーロッパへの影響、さらには世界的ネットワーク全体に対するその余波といったものと絡みあい、交錯するのである。 (p. 59)

 ナンシーはもちろん個別的な破局も取り上げている。「文明全体のとも言うべきある変異に呼応した二つの名」 (p. 32) であるアウシュヴィッツとヒロシマである。

 その一つは、体系的に練り上げられた技術的合理性を有したさまざまな手段でもって、諸々の民族、諸々の人間集団を絶滅させるという企てであり、もう一つは、そこにいる人々のすべてを絶滅させ、その子孫までも削ごうとするくわだてである。 (p. 30-1)

 アウシュヴィッツとヒロシマという二つの名に共通するのは、境界を越えたということである。それも、道徳、政治の境界ではなく、あるいは人間の尊厳の感情という意味での人間性の境界でもない。そうではなく、存在することの境界、人間が存在している世界の境界である。言いかえれば、人間があえて意味(サンス)を素描し、意味を開始するような世界の境界である。……
 だからこそ、アウシュヴィッツとヒロシマという名は、諸々の名の極限における名となった(p. 34)

 アウシュヴィッツとヒロシマは軍事、戦争の極限としてあったが、さて、それでは原子力の平和的利用の果ての結末としてのフクシマはどうなのか。ナンシーは西谷修の「敵なき戦争」という言葉を引用し (p. 41)、原子力の「平和」利用が提起する問題はわれわれ自身に対するに戦争という究極の「敵なき戦争」だという。

 フクシマがヒロシマに付け加えるもの、それは、何にも書かれていない黙示録、黙示録自体の否定にしか開かれていない黙示録という脅威が、単に原子力の軍事利用にのみ依存しているわけではなく、またおそらくは原子力の利用全般のみに従属しているのですらないということである。実のところ、こうした利用そのものがより広範な布置のなかに書き込まれているのであり、そこにわれわれの文明の諸々の特徴が深く刻み込まれているのである。 (p. 45)

 いまや黙示録という脅威、負のメシアニズムが歴史的に書き込まれた。それでも、原子力の問題は社会全体の布置の中に組み込まれているのであり、こうしてフクシマは一般等価性の理路に取り込まれる。

 ナンシーは、アウシュヴィッツを取り上げる際に、アドルノの「アウシュヴィッツの後で、詩を書くことは野蛮である」 [2] という有名な言葉に触れている。「人間が存在している世界の境界」、人間が「意味を開始するような世界の境界」を踏み越えてしまった極限での言葉(詩)の不可能性である。
 さらに、「訳者解題」で渡名喜庸哲は、アドルノが「アウシュヴィッツの後」の世界とは「アウシュヴィッツが可能であった世界」であると述べたことを紹介している (p. 176)

 アウシュヴィッツが実際にあったことによって、初めて私たちの生きる時代が「アウシュヴィッツが可能であった時代」であることを知る。そして、知ることを基底として「アウシュヴィッツ」を超克しようとする多くの真摯な思想的営為がヨーロッパを中心になされてきた。それは、いまやきわめて重要な思想的遺産とも呼べるものである。

 私たちはフクシマによって、私たちが生きる時代が「原子炉溶融によって広大な故郷と子孫たちの未来の消滅が可能であった時代」であることを、圧倒的な事実として知る。望むと望まざるとにかかわらず、強制的に知らされた。そして、いま私たちはその時代を超克すべき思想的営為、政治的営為の前に立たされている。
 しかし、未完の近代をぐだぐだと過ごしてきた日本(日本人)の思想的営為に期待できるかどうかは疑わしい。少なくとも、政治的世界のマジョリティ(政治権力を執行する政治家たち)は「南京大虐殺が可能だった時代」とか「従軍慰安婦が可能だった時代」とか「七三一部隊(生体実験)が可能だった時代」という認識を拒否している(そういった意味ではドイツにおける「アウシュヴィッツが可能だった時代」という認識と見事な反対称性を見せている)。あの侵略戦争の時代を乗り超えようという思想的営為を彼らの中に見つけることは難しい。むしろ、そうしたことはなかったことにしたい、あるいは盲目でありたいという欲望に政治が突き動かされてさえいるのである。
 そのように、時代認識を基底にする思想的営為にはじまる政治という習性(経験)を持たない日本の政治家たちは、いまやフクシマも「なかったこと」にしたいらしいのだ。知の始発点であるべき「見ること」を拒否しているのである。であれば、知の営みとしての思想的営為など期待すべくもないのである。

 思想と政治の絶対的乖離というのは、日本の政治土壌の悲劇である。だからこそ、政治家の側から見ればただの一票に過ぎない私(たち)の側からの思想的営為としての政治的行動を立ち上げることが重要なのである。これは国民的不幸なのだが、生まれた土地で「共にある」人々と「共に未来に向かう」ことを望むのであれば避けがたいことだ。

 私たちは、これから「一世紀や二世紀以上の広がりをもった「後で」一つの文明が道を逸れたり、砕け散ったりする」であろうようなフクシマというカイロスに立ち会ってしまったのだ。

 

[1] ジャック・デリダ(増田一夫訳)『マルクスの亡霊たち』(藤原書店、2007年)p. 213。
[2] テオドール・W・アドルノ(渡辺祐邦、三原弟平訳)『プリズメン――文化批判と社会』(ちくま学芸文庫、1996年) p. 36。