かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【書評】改憲をめぐる言説を読み解く研究者の会『メディアで見聞きする改憲の論理 Q&A』(かもがわ出版、2016年)

2017年05月06日 | 読書

 

 正直に言えば(そして私の記憶が確かであればだが)、Q&A本を隅から隅まできちんと読んだのはこの本が初めてである。Q&A本というのは知識の穴を埋めるために、必要な項目を拾い読みすればこと足りると思っていたし、私の本棚にもそのような種類の本は見当たらない(そんなにたくさんの本を持っているわけではないが)。
 この本を隅々まで読んだことには、もちろん理由がある。一つは私自身の問題である。私は1945年8月15日を母親の胎内で迎えたので、まるまる太平洋戦争後の時間を生きてきた。子どものころから憲法の話は聞いたし、それなりに本も読んだ。そして、憲法を改めたいという反動的な動きに反対してきたつもりである。つまり、日本国憲法についてそこそこ知っていると思っていた。それが最近怪しくなってきた。自公政権が国会で3分の2以上を占め、改憲の動きが急になってきたことばかりではなく、憲法成立時の過程についても新しい事実が明らかにされてきたこともある。もう一度くらいは、憲法をめぐる私の認識の点検をしておく必要があると考えている時期でもあった。
 もう一つの理由はこの本自体にある。本書はQ&A本には違いないが、メディア・リテラシーについての本でもあって、とても興味深い構成になっている。まず、憲法に関するメディアの言説(談話)が取り上げられ、それを見聞きした一般の国民(私のように憲法やメディア・リテラシーに関して専門的な知識を持たない)が抱くであろう疑問や反応を設定し、それに答えるという形になっている。特徴的なことは、一つのメディア言説に1~3の質問(疑問)が誘起され、さらにそれぞれのQに必ず異なった論者による二つの回答(A)が与えられていることである。
 一つのメディアの言説への人々の反応、受け止め方は多様であるだろうし、そこから生まれた疑問への回答もまた単一ということはないだろう。この本書の工夫は、読者に親切なちょっとしたアイデアのように見えるが、私には知に関するたいせつな見識が盛り込まれているように思える。
 真実は唯一つという信憑が一個だけの正解が求められる試験制度へ強く依存する学歴格差社会、競争主義社会で培われてきたということはしばしば耳にする指摘である。そのような受験システムを持つ日本や韓国にありがちな考え方だとする説もあるが、ことはそれほど簡単ではない。
 世界(社会、自然)のもろもろの物象(事象)にはそれに照応するイデーが存在するというプラトン流の考え方は、デカルトに始まる近代的自我の時代にも連綿と受け継がれてきた。しかも、その真実または真理は、ヒューマニズム(人文主義、人間主義、正しくは人間中心主義)によって偏光された視線によって形作られてきた。
 ポストモダンの思想家たちは、いわゆる〈脱構築〉的思考法によって絶対的価値、絶対的真理の相対化を図った。それは、判断停止や思考停止をもたらす俗流相対主義を生み出す元ともなったが、真実の多義性や歴史的・社会的構造性を指摘する豊かな思想の始まりだったと私は考えている。ヒューマニズム(人間中心主義)批判もポストモダン以降の思想の主要な課題であることは、ジョルジョ・アガンベンやジャック・デリダの仕事などからも窺える。

 そのようなポストモダン以降の思想の展開は、ウォーラーステインが語る〈1968年世界革命〉と照応する。世界同時的に発生した〈1968年世界革命〉は、少なくても「大きな物語」の終焉としての「革命論の革命」であったことは間違いない。正統派マルクス主義が標榜していた「一国社会主義革命」は乗り越えられ、複雑な資本主義世界システムのなかの位置取りに応じた多様な民主主義革命、つまりは古典的な発展段階論ではない各国家の世界システムにおける位置、地域社会の歴史・経済の固有性に依存する多様な革命論が追求されるようになった。
 こうした事柄は、けっして真実は曖昧であるとか多様性によって真実が失われたということではなく、真実は構造的多様性を持つものだという考えなのだと私は受け止めている。真実は多面体であって、真実を求める複数の主体が向ける眼差しには複数の面が顕われ、それぞれの面は構造的に切り離しえないものだ。「真実は一つ」というより「真実は多様な一体」とでも例えればよいのではなかろうか。
 本書のような一つのQに複数のAという思考の進め方を教育の現場(それは学校であり家庭でもあるが、柳田国男の言う〈世間〉そのものと言った方がよいかもしれない)でごくごく普通に行うことができたら、私たちの「知」の展開はもう少し異なるものになるだろう。ガチガチに練られた方法論ではなく、本書のようにさりげなく普段着のように取り入れられるのが理想だろう。大げさだが、それこそがポストモダン以降の思想的営みの現実的な効用と言えるのではないか。本書を読みながら、そんなふうなことを考えた。

 メディア・リテラシーと憲法論の融合した本書の執筆陣は、当然のことながら石川裕一郎、稲正樹、木部尚志、中村安菜の憲法学、政治学を専門とする4氏と、神田靖子、名嶋義直、野呂香代子の言語学の3氏である。構成は、「憲法改正ということについて」、「自民党改憲草案(2005、2012)をめぐって」、「改憲勢力各党の提案」の3章から成っている。
 例えば、「自民党改憲草案(2005、2012)をめぐって」のなかに次のような言説が示されている。

言説11】
 憲法9条の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という規定は自衛隊を軍として明確に位置づけていない。これに関連して、自衛権についても抑制的に解釈され、防衛政策や防衛力の充実は制限されてきた。しかし、自衛隊の存在をあいまいにしておいては自衛隊員が気の毒だし、防衛費は「国民の生命を守るための予算」である。自衛隊の存在を憲法に明記し、隊員の名誉を保証する必要がある。 (p. 58)

 この言説を基にして、二つの疑問(質問)が挙げられている。

Q1 日本の防衛費はかなり高いと聞いたことがありますし、年に何回もハワイやタイなど外国に行ってアメリカ•韓国をはじめ諸外国と一緒に大規模な軍事演習にも参加しているとニュ—スで報じていました。「防衛政策や防衛力の充実は制限されてきた」というのは本当ですか。 (p. 58)

Q2 自衛隊員は「自衛隊は軍隊ではない」ということを知って自ら志願して自衛隊に入るのですから、何が「気の毒」なのかよくわかりません。軍隊でないと「名誉」ではないのですか。 (p. 60)

 ここでは、後者のQ2に対する二つの回答を例示しておく。

A1 名誉・不名誉という感情を根拠にして改憲を主張することは危険
 ここでいう「名誉」には2つの意味があると思います。1つは自衛隊が軍隊でないという「不名誉」です。新聞記事の中で、「海外の軍隊と共同訓練をしているときに自衛隊が軍ではないことに引け目を感じる」という自衛官の発言を読んだことがあります。自衛隊関係者の中には、軍隊ではないことを誇りに思うのではなく、中途半端で不じゅうぶんであるという劣等感のような感情があるようです。
 もう1つはいわゆる「名誉の戦死」的なものです。これも数年前に聞いた国会中継の中で元自衛隊員の議員が、自衛官が海外でPKO活動という重要な任務に就くのだから死んだときにはそれ相応の処遇が必要であると述べ、弔慰金の増加を求めていました。2016年11月6日の新聞報道によると南スーダンのPKO派遣に関して政府は弔慰金の引き上げは行わないものの、新たな手当を付与するようです。
 自衛隊が軍隊でないことを不名誉と感じたり、その職務上の負傷や死を名誉と感じるかどうかは個人的にさまざまな受け取り方があってよいと思います。しかし、個人的に差がある情緒的な想いを根拠にして改憲が必要だと主張することは非常に危ういことです。気の毒とか名誉とかいつた情緒面ではなく、しっかりとした根拠をもとに議論すべきです。 (pp. 60-1)

A2 自衛隊員の名誉と命が天秤にかけられ、憲法改正に利用されそう
 広辞苑によると、名誉とは「よい評判をえること」や「人格の高さに対する自覚、道徳的尊厳が、他人に承認・尊敬・賞賛せられること」です。自衛隊で働くことに関する自衛隊員の方たちの考えはわかりません。しかし、自衛隊を憲法で明記することが彼らの名誉とどのようにつながるのでしようか。憲法は、議会制民主主義を前提としつつも、政党について規定していませんが、政党に属する国会議員は名誉を守られていないのでしょうか。東日本大震災などに際し、自衛隊は災害援助活動にも携わってきました。つまり、自衛隊は、災害援助活動を通して名誉を得ていると考えられます。
 外国の軍隊に対して自衛官が劣等感を覚えるということもあるでしょう(A1参照)。しかし湾岸戦争のように、9条の存在によって自衛隊が戦闘地域への派遣を免れた事例もあります。また、安保法制や周辺事態法成立に際し、多くの人が自衛隊員の生命が危険に晒されることを危惧して反対しました。
 自衛隊が国防軍となり、軍事活動を活発化させることが可能になれば、自衛隊員の生命が危険に晒される可能性も増えるでしよう。生命と名誉は引き換えにできるものではありません。9条改正の理由として自衛隊員の名誉の問題をもち出してくることは、自衛隊員の生命を軽視することにもつながる危険性を有しています。 (pp. 61-2)

 A1A2もその要諦は、文末に記されている。A1では「個人的に差がある情緒的な想いを根拠にして改憲が必要だと主張することは非常に危ういことです。気の毒とか名誉とかいつた情緒面ではなく、しっかりとした根拠をもとに議論すべき」とあって、言説11が持つポピュリズム的な語りを批判している。
 大衆の情緒、感情に訴える政治的主張は、とくに保守的(または右翼)政治家に重用されてきた。ヒットラーのナチスを例に出すまでもなく、現代日本においても片言隻句(つまり論を尽くさない)で票を大量に集めた小泉純一郎はそれほど古い話ではないし、なによりも「民主主義は感情統治」と断言して憚らなかった政治家がいる。橋下徹である。想田和弘は、橋下の手法を次のように述べている。

橋下氏は、人々の「感情を統治」するためにこそ、言葉を発しているのではないか。そして、橋下氏を支持する人々は、彼の言葉を自ら進んで輪唱することによって、「感情を統治」されているのではないか。
 そう考えると、橋下氏がしばしば論理的にめちゃくちゃなことを述べたり、発言内容がコロコ口変わったりしても、ほとんど政治的なダメージを受けない(支持者が離れない)ことにも納得がいきます。そうした論理的ほころびは、彼を支持しない者(感情を統治されていない者)にとっては重大な瑕疵に見えますが、感情を支配された人々にとっては、大して問題になりません。なぜなら、いくら論理的には矛盾しても、感情的な流れにおいては完璧につじつまが合っているからです。 [1]

 もちろん、感情統治は民主主義ではない。おそらく、橋下は感情統治によって多数派を形成し、多数決で政治的決定を行うことは民主主義だと言いたいのだろう。しかし、多数決が民主主義だという理解も、小学校に入学したばかりの6歳児が初めてクラスで挙手の多数決採決を行ったとき「これが民主主義です」と言う教師の言をもって民主主義を理解した程度のレベルでしかない。私が小学校に入学した60年も前の民主主義理解である。
 橋下流のポピュリズム、「感情統治」が一定の成功をおさめた結果として現在の極右政権の誕生につながっている。「感情統治」という政治の流れの中で、情緒から憲法を語ること、改憲を主張することがどれほどの過誤をもたらすかは言うをまたない。
 A2も文末の「9条改正の理由として自衛隊員の名誉の問題をもち出してくることは、自衛隊員の生命を軽視することにもつながる危険性を有して」いるという文言にその要諦がある。つまり、生命を軽視することになりかねない憲法改正の言説を倫理的立場から批判している。つまり、A1は政治的手法の視点から、A2は倫理上の問題から言説11を批判している。独立した観点からの批判であるが、すぐれて補完的である。
 もう一例、興味深いQ&Aを引用しておこう。

【言説19】
 改憲草案92条1項は、「地方自治は…住民に身近な行政を自主的、自立的かつ総合的に実施することを旨として行う」と規定。同93条3項では「国及び地方自治体は、法律の定める役割分担を踏まえ、協力」するとしました。しかし、地方自治が果たす役割を「身近な行政」と割り切ることは、立憲・民主・平和・社会保障という地方自治の広範な理念を著しく切り縮めるものです。

Q1 ここでは地方自治の役割を「身近な行政」と言っていますが、そもそも「地方自治」(地方政府)は中央政府に対して、どのような関係にあるべきものでしょうか。

A1 憲法の理念が形骸化し国と地方自治体との対等協力関係が脅かされている
 現行憲法は国と地方自治体とを平等な関係で捉えています。その関係を保障するため95条は「ある地方公共団体にのみ適用される特別法を定める手続きにおいては、その地方公共団体の住民の投票で過半数の同意が必要で、それがなければ国会で制定できない」と述べ地方自治体の意向を重視しています。しかし実際には国の事務を地方自治体に委任するという機関委任事務制度が導入されており、国予知法との関係は上下支配関係となっていました。
 この機関委任事務制度は1999年の地方分権改革で廃止され、国と地方との関係は対等協力関係になりました。今その対等協力関係が脅かされています。1つは国が沖縄県を訴えた裁判です。これは国が沖縄県の行った地方行政行為を違法だと訴えたもので、7月に裁判所は国の言い分を認め、国が地方自治体よりも上に立ち支配するという以前の形を認めるかのような判決を出しました。2つ目は自民党改憲草案です。草案は「国及び地方自治体は、法律の定める役割分担を踏まえ、協力しなければならない」と書いています。その分担を決め割り振るのは国でしよう。国が地方自治体を支配する形です。憲法の理念が再び形骸化する危機にあります。

A2 「充実した地方自治」の体制のもとでの、地方政府と中央政府の闋係は?
 ある有力な憲法学説によれば、人権保障を目的とし、「人民主権」を原理とする国家における、以下のような原則に立つ地方自治のありかたを、「充実した地方自治」の体制と位置づけ、あるべき地方政府と中央政府の関係を指摘しています。
 第1は、充実した住民自治の原則です。地方公共団体の自治事務の処理(政治)は、住民の意思に基づき、住民の利益のために行われなければなりません。
 第2は、充実した団体自治の原則です。地方公共団体が法人格をもち、その自治事務をその地方公共団体の利益のために中央政府から独立して処理する権利を求めるものです。

 第3は、地方公共団体優先の事務配分の原則(市町村最優先、都道府県優先の事務配分の原則)です。「補完性または近接性の原則」とも言われます。国民の生活に一番近い地方公共団体が公的事務を優先的に分担し、国民生活から距離をもつより包括的な地方公共団体はより近接的な地方公共団体が効果的に処理できない公的事項を補完的に分担し、中央政府は地方公共団体では効果的に処理できない全国民的な性質.性格の事務と中央政府の存立に関する事務のみを分担するという事務配分の原則です。
 第4は、上記の事務配分の原則にみあった自主財源配分の原則です。
 第5は、「地方政府」としての地方公共団体です。以上のような地方自治の体制では、地方公共団体は、たんなる行政団体ではなく、統治団体・地方政府となります。

  (杉原泰雄『地方自治の憲法論〔補訂版〕』(勁草書房、2008年)51-54頁) (pp. 92-94)

 A1は、国と地方自治体が対等な関係であるとする地方分権の趣旨を踏みにじる政府・行政のありようをそのまま是認してしまおうとする改憲の意図を、事実経過を明らかにすることで批判している。一方、A2は、地方自治についての理念的な考察から憲法改悪の意図を批判している。「現実の政治的流れ」と「立法理念」はまったく異なった視点だが、一つのQに対する回答としての補完関係は理想形に近いだろう(私個人としては、いつも一方の手中に憲法理念、理念的な立法意思をおさめておくことを好もしいと思っている)。

 本書の中で、読み過ごしてしばらく後で「あれっ」と思って立ち戻った一文があった。

しかし終戦後、GHQは日本の国民感情を考えて天皇を断罪せず、「象徴」という形で天皇制を存続させる「日本国憲法」を作りました。 (p. 25)

 この文の主語である「GHQは」の述語は「断罪せず」と「作りました」の二つである。つまり、私は「GHQは「日本国憲法」を作りました」という構文として読み過ぎたのである。しかし、この文が含まれるQ&Aより前に「GHQ草案に多くの日本人の手が加わり、普遍的理念を持つ憲法に」と題する次のような回答文が記述されている。

 現行憲法が日本がGHQの支配下にあった時代に作られたのは確かです。GHQから新憲法を作るように指示された当時の日本政府は、国民主権の草案を構想できず、戦前の明治憲法とあまり変わらない案しか作れなかったため、GHQが作った草案を「押し付け」られたわけです。しかし、そのGHQ草案自体、フランス人権宣言やアメリカ独立宣言などに現れた近代憲法原理に影響され、それを参照して研究した日本人の鈴木安蔵らの「憲法研究会」が作った案を参考にしたのです。ですから、GHQ草案には国境を超えて自由と平等を求める普遍的な理念が流れているうえ、日本の実情に合うよう日本政府によって何度も改訂が加えられており、ほぼ原形を留めていないといっても過言ではありません。こうして作られた「日本国憲法」は当時の国民に歓迎され、戦後長い間守られてきました。時代の変化には、憲法解釈の発展と最高法規である憲法を具体化する諸法令によって対応してきました。翻訳調でおかしいと言われますが、法律とはほぼすベて独特の法律用語で書かれています。文体自体は法律の内容の問題点ではないので、それを改憲の根拠にするのはおかしいでしょう。 (pp. 12-3)

 この文章ばかりではなく、最近はいろいろな文献が発見されて、憲法創設に多くの日本人が関わっていたことが知られるようになっていた。にもかかわらず、私は、「GHQは「日本国憲法」を作りました」に違和を感じないまま読み進んでしまったのである。
 それは、私自身が長い間「GHQが日本国憲法を作った」と思っていたからである。戦勝国であるアメリカが全権を持つGHQを通じて敗戦国日本をいわば強権的に統治していたのであるから、たとえ日本の国会の圧倒的賛同のもとで成立したといっても「GHQが作った」という表現に私はまったく違和感を持たずに生きてきたということだ。1946年生まれの私が育つころ、周囲の大人たちは新しい憲法を喜んでおり、民主主義を自分たちの生きている場所でどう生かしていくのかに夢中になっていた。誰が憲法を作ったかなどということを問題にしている雰囲気なんてまったく感じられなかったのである。
 「アメリカに押し付けられた憲法」と主張する人間たちがいても、だれが作ったかは問題ではない、優れた憲法はそれ自体として大切であると考えていた。戦後民主主義の盛り上がりの時期に成長した世代として私はそう考えていた。だから、「GHQが日本国憲法を作った」という文章にほとんど違和を感じなかったのである。本書を読み終えた今は、次のように読み替えておくことにする。

立憲主体である日本国国民の一般意思が日本国憲法を作りました。

 この読み替え文に「GHQの承認のもとで」とか「GHQの草案をベースにして」という条件を付けくわえても何の問題もないが、どんな干渉もなく純粋に「立憲主体である日本国国民の一般意思」が現在の日本国憲法を作ったのなら、私は今よりもずっと日本人を誇らしく思っていただろう。

[1] 想田和弘『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波書店、2013年) pp. 19-20。


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【書評】植村邦彦『ローザの子供たち、あるいは資本主義の不可能性――世界システムの思想史』(平凡社、2016年)

2017年04月05日 | 読書

 

 それともご存じかしら? わたしは自分がほんとうは人間ではなくて、なにかの鳥か動物かが出来損ないの人間の姿をとっているのじゃないかと、感じることがよくあるのです。心のうちでは、ここのようなささやかな庭とか、マルハナバチにかこまれて野原にいるときのほうが、はるかに自分の本来の居場所にいる気がする――党大会なんかに出ているときよりも。あなたになら、なにを言っても大丈夫ですね、すぐさまそこに社会主義への裏切りを嗅ぎつけたりなさいませんものね。にもかかわらずわたしは、あなたも知るとおり、自分の持ち場で死にたいと願っています。市街戦で、あるいは監獄で。けれども心のいちばん奥底でのわたしは、「同志」たちよりずっとシジュウカラたちの仲間なのです。
   ローザ・ルクセンブルグ『獄中からの手紙――ゾフィー・リープクネヒトへ』 [1]

 闘いの先頭に立つ女性を敬愛する気持ちを込めて「ジャンヌ・ダルク」と呼称する例はしばしば見聞きする。道浦母都子の短歌を評するさいに彼女をジャンヌ・ダルクになぞらえている文章を読んだ記憶もある。道浦母都子は、福島泰樹と同じようにいわゆる日本の〈1968年〉を闘いつつ生き抜いて、闘いと闘いのその後を唱いつづけている歌人である。二人と同じ時代を生きてきた私はまた、彼らの短歌にずっと惹かれつづけている。
 しかし、〈1968年〉当時、よく聞かれたヒロインの名はジャンヌ・ダルクではなく、ローザ・ルクセンブルグであった。私の周囲にはいなかったが、どこそこの大学に「○○のローザ」と呼ばれる女性がいる、という話を聞くことがあった。おそらく、多くの大学に「○○のローザ」、「△△のローザ」と呼ばれる女性闘士がいたことだろう。
 学生時代の知り合いの女性に35年ぶりに会ったとき、そのころに読んでいたルクセンブルグの『獄中からの手紙』にたまたま話が及んだ。その人が東京暮らしをしていたころシェアハウスしていた女性がかつて「○○のローザ」と呼ばれていたらしいと話してくれた。全共闘世代にとって、闘いのヒロインはやはりローザ・ルクセンブルグだったのである。

 この本は、『資本蓄積論』や『経済学入門』において示された一国にとどまることのない資本主義の世界性(「資本主義世界経済」)というルクセンブルグの主張が、「正当マルクス主義」者から否定され、無視されつづけられていながら、アンドレ・グンダー・フランク、サミール・アミン、イマニュエル・ウォーラーステイン、ジョヴァンニ・アリギなど、著者が「ローザの子供たち」と呼ぶ思想家たちによって受け継がれ、第2次世界大戦後の資本主義の世界的展開の理解へ向かう理論的基盤となったことの思想史的叙述である。
 じつは、本書の出発点である『資本蓄積論』や『経済学入門』などのルクセンブルグの主要な著作を私は読んでいないのである。それなのに、ここで述べられている資本の「本源的蓄積」のプロセスから「資本主義の不可能性」にいたるルクセンブルグの理路は、ずっと若いころからそれなりに理解していたように思えるのだ。今では定かではないが、おそらくは〈1968年〉あたりで読んだルクセンブルグに関する評論などからの寄せ集めの知識だったのだろう。若いときは、今よりもいっそう、難しい原典よりも易しい解説という安易な方法に頼りがちであっただろうとは思う。
 しかし、そのような知識であっても、第二次大戦後、アメリカが中南米や中東で政治的、軍事的に行ってきた(いる)ことをノーム・チョムスキーの『覇権か生存か――アメリカの世界戦略と人類の未来』 [2] やナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン [3] を通じて知った時、資本蓄積の世界的プロセスとして理解することに役立っているのである。

 本書を読んでいてすぐに気づくことだが、ローザの子供たちの主要な仕事が〈1968年〉前後から始まっていることである。〈1968年〉当時の大学構内には「反帝反スタ」の標語があふれていた。ローザの帝国主義論としての資本主義の世界性という思想は、「正統派マルクス主義」の単純な一国発展段階論とは相いれず、「反帝反スタ」という標語にしっくりするのだった。
 ローザの子供たちの研究対象地域は、フランクの南米、アミン、ウォーラーステイン、アリギのアフリカのように、第二次大戦後、植民地として、あるいは後進開発国として、先進資本主義国家による資本蓄積のための搾取対象となる国々だった。彼らは先進資本主義国家群(中央)と後進開発国群(周辺)が織りなす資本主義の世界的構造を明らかにすることで、「正統派マルクス主義」の国家ごとの発展段階論を明確に否定し、「ローザの子供たち」となるのである。そうして、〈1968年〉前後、彼らも「反帝反スタ」と呼べるような思想的位置に確立していたと、私には思えるのだ。
 しかし、ローザの子供たちと〈1968年〉で活動した若者たちとのあいだに思想的交流や影響関係があったという事実は知らない。例えば、絓秀美編著の『1968』 [4] やアラン・バディウなどによる『1968年の世界史 [5] などにもそのような記述はなかったように思う。〈1968年〉の若者たちもローザの子供たちも時代のもつ必然に鼓舞されてそれぞれ動き出したのであろう。
 ニーチェの「神は死んだ」ではないけれども、〈1968年〉前後は、「マルクス主義」が信仰の段階を脱した時代と言っていいのではなかろうか。ポストモダニズムふうの比喩としていえば、それは「大きな物語」の死でもあった。

 本書は、ハンナ・アーレントのきわめて高いローザ評価を記述する序章に始まり、ローザの帝国主義論と資本主義の不可能性を論じ、「正統派マルクス主義」(レーニン)と自由主義世界(ロストウ)の対照的な国家の発展段階論を紹介する前段的な章から、ローザの子供たちのそれぞれの仕事を論じる章に続き、最後に「資本主義の終わりの始まり」という論考を収めている。
 資本の「本源的蓄積」を資本主義の発展段階の初期に位置付けたマルクスに対して、ルクセンブルグは資本主義の成熟段階となっても非資本主義的な地域や国を巻き込んで「資本蓄積」は続いていると主張した。マルクスは一国レベルでの資本主義の発展過程を論じたのに対して、ルクセンブルグは国境を越えて展開する資本主義の現実を「資本主義世界経済」として描いて見せたのである。こうした主張はマルクス主義に反するとして「正統派マルクス主義」者から批判されたが、著者は『経済学批判』の記述からマルクス自身も「世界市場」の構造と意味を明らかにする意図を持っていたことを指摘している。果たされなかったマルクスの理論的仕事の領域にルクセンブルグは踏み込んでいたのだと、著者は暗に指摘しているようである。
 ルクセンブルグは、「資本主義世界経済」の構造、資本蓄積のプロセスを次のように述べている。

資本主義的生産は、初めから、その運動形態および運動法則において、生産諸力の宝庫としての地球全体を計算にいれている。搾取の目的で生産諸力を取得しようとする熱望からして、資本は全世界を捜しまわり、地球のすみずみから生産手段を調達し、あらゆる文化段階および社会形態からこれを強奪し、または獲得する。〔……〕実現された剰余価値を生産的に使用するためには、資本が、その生産手段を量的にも質的にも無制限に選択しうるために、たえずますます全地球を自由にしうることが必要である。(ルクセンブルグ『資本蓄積論 下』(青木文庫) p.420) (p. 34)

資本主義と単純商品経済との闘争の一般的結果は、資本が自然経済にかえて商品経済をおいたのち、資本みずからが単純商品経済にとってかわるということである。だからもし資本主義が非資本主義的な構造によって生活しているとすれば、資本主義は、より厳密に云えば、これらの構造の没落によって生活しているのであり、また、もし資本主義が蓄積のために非資本主義的環境を無条件的に必要とするとすれば、資本主義は、それを犠牲としそれを吸収することによって蓄積が行われる培養上として、それを必要とする。歴史的にとらえれば、資本蓄積は、資本主義的生産様式と先資本主義的生産様式とのあいだに行われる質料変換の過程である。先資本主義的生産様式なしには資本の蓄積は行われえないが、しかし蓄積なるものは、この面から考えれば、先資本主義的生産様式の咀嚼であり消化である。したがって資本蓄積は、非資本主義的構造が資本蓄積と併存しえないと同じく、非資本主義的構造なしには実存しえない。非資本主義的構造のたえざる前進的粉砕のうちにこそ、資本蓄積の定在条件が与えられているのである。 (同上、p. 500) (pp. 37-8)

資本主義は、普及力をもった最初の経済形態であり、世界に拡がって他のすべての経済形態を駆逐する傾向をもった、他の経済形態の併存を許さない、一形態である。だが同時にそれは、独りでは、その環境およびその培養土としての他の経済形態なしには、実存しえない最初の形態である。すなわちそれは、世界形態たろうとする経口をもつと同時に、その内部的不可能性のゆえに生産の世界形態たりえない最初の形態である。それは、それ自身において一個の生きた歴史的矛盾であり、その蓄積運動は、矛盾の表現であり、矛盾のたえざる解決であると同時に強大化である。ある特定の発展高度に達すれば、この矛盾は、社会主義の原理の充用によるほかには解決されえない。(同上、pp. 568-9) (p. 39)

 資本主義は、本質的に矛盾したシステムである。「ルクセンブルクは、このような矛盾そのものが「資本蓄積の定在条件」だと言う」(p. 37)。世界中から資本蓄積を行いつづけ、搾取しつくしてしまえば資本主義は世界システムとして「不可能」になる。
 世界的規模で資本蓄積が続くということは、先進的資本主義国家は非資本主義的な国家・地域・社会を征服的に手中におさめたいという欲望によって「帝国主義」に向かうのである。このルクセンブルグの「帝国主義論」をハンナ・アーレントは高く評価する。

 帝国主義時代の序曲となった深刻な恐慌と不況の時期が産業資本家たちに教えたことは、今後は「剰余価値の実現は第一条件として、資本主義社会以外の購買者の一団を必要とする」ということだった。需要と供給が一国の範囲内で調整され得たのは、資本生義制度が住民のすべての階層を支配するに至らないうち、つまり資本主義制度がその全生産能力を発揮し切らないうちのことだった。資本主義が自国の経済生活・社会生活の全組織に滲透し、住民の全階層が資本主義によって決められた生産と消費のシステムの中に組み込まれてしまったとき初めて、「資本主義的生産は最初から、その運動形態および連動法則において、生産諸力の宝庫としての全地球を計算に入れて」いたこと、そして、停止すれば全体制の崩壊となるほかはない蓄積の運動は、未だ資本主義に組み込まれていない領土、それ故に原料と品市場と労働市場の資本主義化の過程を進め得る新しい領土を絶えず必要とすることが、明らかとなった。(アーレント『全体主義の起源2』(みすず書房)、pp. 43-4) (p. 10)

帝国主義に関する書物のうちでは、ローザ・ルクセンブルクの労作ほどの卓越した歴史感覚に導かれたものはおそらく例がない。彼女は研究を進めるうちにマルクス主義とはその正統派・修正派のいずれを問わず一致し得ない成果に到達したのだが、彼女は身につけたマルクス主義の武器を捨て切れなかったために、彼女の著作は断片の寄せ集めのままに終っている。そして彼女の著作はマルクス主義者もその反対者もどちらも満足させることができなかったため、ほとんど注目を浴びぬままになっている(同上、p. 45) (p. 11)

 もちろん、「ほとんど注目を浴びぬまま」だったのは「正統派マルクス主義」の祖であるレーニンによって否定されたことが最大の原因だが、少数反対派は常に存在するのであって、日本では「正統派」共産党に反旗を翻す学生組織が現れ、新しい党派を形成しつつ〈1968年〉に向かっていったし、「ローザの子供たち」も次々と論文を発表するようになった。私にはなかなか実感がわかないが、ウォーラーステインが「一九六八年革命」と呼んでいることは、革命の思想という点では首肯できる。

一九六八年の世界革命は、地政文化(ジェオカルチャー)に与えた影響という点では、一八四八年の革命に匹敵する役割を果たしたのであった。一九六八年の世界革命は、一八四八年の世界革命がフランス革命の精神の極致と変化をあらわしていたのとちょうど同じようにロシア革命の精神の極致と変化との劇的な結合をあらわしていた。しかしそれは反対の方向への変化であった。というのも、一八四八年の世界革命が世界システムの地政文化の基礎を補強するためにリベラリズムを配置したのに対して、一九六八年の世界革命はまさにリベラリズムのその役割を廃棄したからである。
 一例をあげれば、一九六八年の反乱への参加者は、レーニン主義者が社会民主主義者に批判的であったのと同様に、レーニン主義者がリベラリズムの化身となってしまったことに批判的であった。さらにかれらは、地政文化におけるリベラリズムの支配的な役割を明らかにその標的としてとりあげ、あらゆる方法で無理にでもリベラリズムをこの立場から引き離そうと努めた。一九六八年の革命は、一八四八年の革命とちょうど同じように、二つの時間枠によって、つまり直接的な出来事とその結果および長期間の影響という時間枠で分析されるべきである。  [6]

 〈1968年〉が真に世界革命であったかどうかを議論できるほど私には世界を俯瞰する力はないが、いずれにせよ、〈1968年〉を前後して「正統派マルクス主義」を明確に批判しながら(とりもなさず、ルクセンブルグの仕事を高く評価しながら)ローザの子供たちの仕事は展開していくのである。
 当時、東西世界のそれぞれに対照的な一国発展段階論があって、どちらも大いに喧伝されていた。「一国社会主義」論を唱えるソ連マルクス主義、つまりは「正統派マルクス主義」は、すべての国は例外なく「原始家父長制」、「奴隷制」、「農奴制」、「資本主義」、「社会主義」と5段階の発展過程を進むと主張した。一方、「西側」自由主義経済圏では、アメリカの経済学者ジャック・ロストウが提示した「近代化論」としての発展段階論が唱えられていた。それは、「伝統的社会」、「離陸(ティク・オフ)のための先行条件期(=中央集権国家)」、「離陸(ティク・オフ)(=資本主義の確立)」、「成熟への前進期(=資本主義が支配的な社会)」、「高度大衆消費社会」という概念規定のきわめて曖昧な5段階発展論で、アメリカ社会が最終発展段階に相当すると主張する。

 現在からみれば、どちらの発展段階論もあまりにも単純すぎるのだが、社会主義圏の崩壊に助けられたとはいえ、概念規定があいまいなゆえに融通無碍に使えるロストウの「近代化論」は未だ命脈を保っている。つまり、アメリカ的社会を国家モデルとする後進資本主義国家があまりにも多いのである。
 しかし、資本主義世界経済のなかですべての国が資本蓄積を行う側になることは不可能である。ローザの子供たちは、資本主義の複雑な世界構造が資本蓄積を行う先進資本主義国家群(中央)と収奪を受ける後進資本主義または非資本主義国家群(周辺)とから構成されるとして理解しようとする。その先達は、アルゼンチンの経済学者ラウル・プレビッシュである。

 プレビッシュは一九六三年に『ラテンアメリカの動態的発展政策を目指して』という報告書を発表している。そこで彼が提示したのが、世界経済を「中心部centre」と「周辺部periphery」との不均等な関係として見る認識だつた。彼はこう述べている。
  〔中略〕
抑制された言い方だが、これは明確な近代化論批判である。「中心部」の「間違った主張」をそのまま「周辺部」に適用することはできない。「現実の事態」そのものが違うからだ。彼は「中心部諸国と周辺部諸国の差異」について、次のように指摘する。近代化論が主張するような、自由貿易を通した「技術進歩と技術移転による生産性の増加」という「議論は、すべての国が発展の同じ段階に到達した世界においては認められるかもしれない。しかし、大中心部〔the great centres〕と周辺部諸国〔peripheral countries〕との間に現在明白に存在する不均衡が依然として存続する間は、そうではない」。  (pp. 80-1)

 「周辺部」は、一次産品輸出の伸び悩みと「中心部」からの工業製品の輸入超過という経済的な不均衡、「経済的従属関係」に置かれている。

これはルクセンブルクが「資本主義世界経済」における「経済的従属関係」の第三の型として分類したものに近い。第一章第4節で見たように、ルクセンブルクは、そのような輸入超過の差額を支払うためにトルコや中国がヨーロッパの銀行から借人をし、その利子の返済を通して「富裕な大資本家的な西ヨーロッパとそれによって吸い取られる貧しくて遅れている東洋とのあいだの独特な関係」(ルクセンブルグ『経済学入門』(岩波文庫)p. 60)が形成されることを指摘していた。これとほぼ同じ関係がラテンアメリカにも存在する、ということである。 (p. 83)

 プレビッシュの問題提起を受けたアンドレ・グンダー・フランクは「近代化論」ばかりではなく、正統派マルクス主義の段階発展論も強く批判して、「中枢諸国の「経済発展」と周辺衛星諸国の「低開発」の持続は、発展段階の違いなどではなく、同時に進行する相互規定的な過程だ」(p. 89) と主張した。

経済発展と低開発は同じコインの背中合わせの両面である。両者は世界資本主義システム〔the world capitalist system〕の内部矛盾の必然的結果であり現代的表現である。
 〔中略〕
この中枢—周辺衛星部という矛盾した関係は、最上層の中枢国の世界的中心地から、あらゆる国家、地方、地域、企業の中心地を通じて、連鎖状をなして世界資本主義システム全体を貫いている。(フランク『世界資本主義と低開発』(柘植書房)p. 36) 。 (pp. 89-90)

フランクによれば、世界資本主義システムの「中枢—周辺衛星」関係を前提とする限り、周辺衛星部諸国の自立的発展はありえない。周辺衛星部に位置する国家自体がさらに国内の中心地と国内の周辺衛星部に枝分かれし、国内中心地は、国外の世界的中枢に従属しながら国内周辺衛星部の経済余剰を収奪する、という複雑な利害対立が重層的に積み重ねられているからである。 (p. 90)

 中枢—周辺衛星部の資本蓄積、搾取が「不等価交換」という仕組みで行われることを明らかにしたのがサミール・アミンである。プレビッシュやフランクが中南米の周辺国家の分析から論を立てたのに対して、エジプトとフランスの血を受け継ぐアミンは、エジプト、フランス、セネガルで仕事をした。

彼は「低開発」社会の「構造上の特徴」として「(1) 部門間生産の不均等、(2) 経済システムの非接合性、(3) 外部からの支配」 (アミン『世界的規模における資本蓄積』①(柘植書房)p. 33) の三点を挙げ、それを次のように具体的に説明している。
 周辺部には、一定の軽工業部門を有するような「低開発諸国のなかでもっとも発展した国」も存在するが、そのような国でさえも「基礎産業をもたないため、最終消費財を供給するこれら軽工業は、設備と半製品を供給する外部世界にまったく依存している」。したがって、工業化はそれ自体では国民経済の「「統合」効果をもたない」。そして、このような「非接合性」は、「外国経済につぎ足された経済の第三次産業部門(輸送金融業)にも同じようにあてはまる」(同上、p. 35)
 このような構造上の特徴から考えれば、「「低開発諸国」を「開発諸国」の発展途上の初期段階と同一視する」 (同上①、p. 24)  近代化論が間違っていることは明らかである。したがって、発展の「遅れ」を意味する「低開発」や、「第一世界」や「第二世界」との関係を隠してしまう「第三世界」などの「間違った概念」は放棄されるべきであり、周辺部に位置して資本主義的中心部に支配される独自の社会構成体、を意味する「周辺資本主義構成体という概念」 (同上①、p. 41) に置き換えられるべきなのである。 (pp.110-1)

 現実の周辺諸国は、「近代化論」やロシア・マルクス主義の段階発展論のどれにも該当しないのは明白で、「周辺資本主義構成体」と呼ぶべき存在形態であるとアミンは主張する。
 アミンは、中枢と周辺部の「不等価交換」は「賃金労働者の国際的な非可動性」によって実現されているとする。そのうえで、周辺から中枢への移民は賃金労働者の可動や賃金の平均化を意味するわけではなく、「周辺部から中心部への隠れた価値移転」にすぎない (p. 125) と考えるのである。

 アミンはこのように、周辺部から中心部への「価値の移転」と並行して、「大陸間移民が開く世界労働市場」が萌芽的に形成されつつあると見ていた。ただし、それによって生じるのは、中心部と周辺部との賃金格差が縮小して均衡価格が成立することではない。むしろ逆に、「開発世界に移民した労働者の不平等な地位の現実的経験がきわめて広範に示しているように、文化的・民族的差別が資本によって開拓されうる」ことである。つまり、「究極において労働力のこの大量移動は、今日の外部植民地化と反対に,「国内植民地化」を創出する危険がある」。中心部に定着した移民労働者は、名前や肌の色、言葉や宗教によって差別され、中心部の社会生活に統合されることなく、低賃金労働を割り当てられる。それは、「不等価交換」が「「開発」社会に内在化」することにほかならない (同上③、p. 266) (p. 126)

 ルクセンブルグは資本主義の世界性を「資本主義世界経済」と名付けたが、イマニュエル・ウォーラーステインは近代世界システムを資本主義の世界システムと捉え、さらに精緻にその構造を分析するために国家群を3層構造として捉える。

このように、「近代世界システム」は単一の資本主義「世界経済」と複数の国家からなるのだが、「世界経済」(世界的規模での分業体制)の中での各地域の経済的位置づけそのものが、その地域に成立する国家の構造を変化させることになる。ウォーラースティンはそれをプレビッシュ以来の「中心部/周辺部」という二分法ではなく、「中核core/半周辺semi-periphery/周辺periphery」の三つに区分した。 (pp. 142-3)

 アミンは中核国家が移民労働者を「国内植民地化」政策によって不等価交換の内在化を果たすとしたが、ウォーラーステインはそれを「労働力のエスニック化」と名付ける。そのようなエスニック集団も階級も資本主義世界システムが必然的にもたらす階層分化であるとして、人種差別も性差別も資本主義における「労働の階層化」だと断言する。

史的システムとしての資本主義は、以前にはまったく存在しなかった差別(oppressive humiliation)のためのイデオロギー装置を発展させた。すなわち、今日いうところの性差別と人種差別にかんするイデオロギーの枠組が成立したのである。(ウォーラーステイン『史的システムとしての資本主義』(岩波現代選書)p. 102)  (p. 151)

人種差別とは、資本主義というひとつの経済構造のなかで、労働者のいろいろな集団が相互に関係をもたざるをえなくなってゆく場合の、その関係のあり方そのもののことであった。要するに人種差別とは、労働者の階層化ときわめて不公平な分配とを正当化するためのイデオロギー装置であった。(同上、p. 108)  (p. 150)

 したがって、大戦後、国連が人種差別や性差別を単なる倫理問題として積極的に啓発運動を進めてもいっこうに状況が進展しないことは、現在の世界システムが資本主義であることに抜きがたく由来する。ただし、著者は、エティエンヌ・バリバールの批判を取り上げて、人種主義はナショナリズムと相俟って支配階級と労働者とに共通なイデオロギーとして形成される側面があることを示唆している。バリバールとウォーラーステインには『人権・国民・階級』という共著があって、この辺りの議論が展開されているらしい。
 ウォーラーステインは、イデオロギーとしての性差別について『ユートピスティクス』(著者は参照していないが)で次のように述べている。

 性差別主義もまた、包摂と排除という構図の一部分をなしていた。性差別主義が明白なイデオロギーとしてもたらしたものは、主婦(ハウスワイフ)という概念を創造し、それを聖化したことであった。女性はつねに働いてきたが、たいていの世帯は歴史的には家父長制であった。しかし一九世紀に生じたことは新しいことであった。それは所得を生み出す労働として任意に規定されるようなものから女性を締め出す重大な試みを意味していた。主婦は単一の賃金に依存する家族内で、男性の稼ぎ手と協力すべきものとされた。その結果、女性がより多く、あるいはより激しく働くようになったのではなく、その労働の価値が組織的に切り下げられたのであった。 [7]

 アントニオ・ネグリが逮捕、起訴されることになった「アウトノミア運動」に関与していたジョヴァンニ・アリギは、1969年までローデシアとタンザニアで研究をしていた。
 彼の理論で特徴的な点は、資本主義の歴史をある種の循環として捉えたことである。

 この本〔『長い二十世紀』〕でアリギがまず論じたのは、資本主義世界システムの歴史の中で反復される「蓄積のシステム的サイクルsystemic cycle of accumulation」という現象だった。この概念はアリギ独自のものである。彼によれば、「世界システムとしての歴史的資本主義の反復的パターン」は、「生産拡大期」と「金融再生・拡大期」が交互に生じることにある。
 〔中略〕
 アリギによれば、資本主義世界システムの歴史には「四つの蓄積システム・サイクル」が存在するが、「それぞれのサイクルで、世界的規模の資本蓄積過程の中心的主体と構造が基本的に一貫している」という。「四つのサイクル」とは、一五世紀のオランダ独立戦争から一七世紀前半の三〇年戦争までの「ジェノヴァ・サイクル」、一六世紀後半から一九世紀初頭のナポレオン戦争期までの「オランダ・サイクル」、一八世紀後半から二〇世紀初頭の第一次世界大戦までの「イギリス・サイクル」、そして一九世紀後半から二〇世紀末の金融拡大局面に至るまでの「アメリカ・サイクル」である(アリギ『長い二十世紀』(作品社)p. 36) (pp. 171-2)

 各サイクルにおいては資本主義世界システムにおけるヘゲモニー国家が同時に世界経済を主導する立場に立つが、ジェノヴァ・サイクルだけは都市国家ジェノヴァが金融システムを支配しながら政治的(領土的)ヘゲモニーはハプスブルグ朝スペイン帝国が握るという変則システムだった。
 現在の「アメリカ・サイクル」はすでに衰退に向かっているとアリギは考える。

 アリギは、一九九四年には、アメリカが「武力、欺瞞、説得によって、新たな中心地〔東アジア〕に蓄積されている余剰資本を収奪し、そうすることで、真に地球的な世界帝国を形成して、資本主義の歴史に終止符を打つかもしれない」 (Arrighi [2010] p. 537) と述べていた。しかし、二〇〇七年にはその可能性がほぼなくなったと判断したことになる。
 アリギによれば、アメリカのへゲモニーの衰退が始まるきっかけは、一九六〇年代から本格化し一九七五年に敗北で終わったヴェトナム戦争だった。「その結果、アメリカはグローバルな警察官としての政治的信用をほとんど失い、そして冷戦政策が抑制していたナショナリスト革命勢力と社会革命勢力を大胆にさせた。軍事機構の政治的な信用の大半と同時に、アメリカは世界の貨幣システムのコントロールもまた失った」 (Arrighi [2007] p. 221)。アメリカはヴエトナム戦争中の一九七一年に金とドルとの交換を停止し、各国通货の為替レートは変動相場制に移行するが、一九七〇年代のドルの急速な下落は、北アメリカが、グローバル政治経済のなかでの中心的位置を維持する国家的能力を、相対的かつ絶対的に失いつつあることの現れ」 (ibid. p. 203) に移行するが、一九七〇年代のドルの急速な下落は、北アメリカが、グローバル政治経済のなかでの中心的位置を維持する国家的能力を、相対的かつ絶対的に失いつつあることの現れ」 (ibid. p. 286) だった (pp. 182-3)

 アメリカのへゲモニー喪失過程として、アリギが最も重視しているのは、アメリカがもはや独力では戦争遂行の費用を調達できなくなったことである。すでに一九九一年の湾岸戦争の際に、ブッシュ政権はサウジアラビア、クウェート、アラブ首長国連邦、ドイツ、日本などから合計五四一億ドルに上る財政援助を引き出した。特に、日本の拠出金は一三〇億ドルに上った (ibid. p. 363)しかし、イラク戦争中の二〇〇三年一〇月にマドリードで招集された「資金供与国会議」では、集められた援助額は目標額の三六〇億ドルの八分の一以下、アメリカの約束額であった二〇〇億ドルの四分の一よりも相当下回っていた」 (ibid. p. 366)ドイツとサウジァラビアは事実上何も出さず、日本の寄付も一五億ドルにとどまった。 (p. 183)

 資本主義を世界システムとして理解する「ローザの子供たち」は、当然ながら資本主義が発展的に資本蓄積を続けるための資本主義の外部(半周辺国家、周辺国家)を喰い尽くして本源的蓄積が終了すれば、自己否定的に資本主義世界システムも完了せざるを得ない、と考える。
 そして、当然のことながら、彼らの誰一人として、資本主義の崩壊を待つとか、次の世界システムは発展段階として自動的に社会主義となるなどというかつて語られたような能天気なシナリオを口にすることはない。フランクは、中枢国に対する反帝闘争よりラテンアメリカにおける階級闘争が優先すると語る。そうでなければ資本主義低開発が続くだけだとするフランクに対して、フランクと同じくラテンアメリカの従属経済を分析したフェルナンド・エンリケ・カルドーゾは民衆の複雑な階層構造を指摘したうえで変革は容易ではないとしながらも、著書の中で次のような〈希望〉を述べている。

 歴史がたどる具体的な道は、所与のさまざまな条件によって制約されているとはいえ、歴史的に実現可能な目標に向かって行動しようとする人々の大胆さにかかるところが人きい。したがって、将来起こることの道筋を理論的に予測しようと、無益な考えは捨てることにしよう。それは、理論的予測よりも、政治的意思につき動かされた集合的行動にかかっている。構造的には可能性にすぎないことを現実に変えるのは、そうした集合的行動なのである。 (カルドーゾ『ラテンアメリカにおける従属と発展』(東京外国語大学出版会)p. 268)  (pp. 102-4)

 アミンは、社会主義もまた世界システムとして存在するしかないのであるから個々の社会主義国家というものは形容矛盾だと主張する。

 そのような周辺部の人々にとって、残されている選択肢は、「従属的発展か,それとも、今日の発達諸国に比較して必然的の独創的な自立的発展か」の二者択一しかない。しかも、アミンによれば、「諸文明の不均等発展の法則を改めてみると、周辺部は、資本主義のモデルに追いつくことはできず、それを杜越えることを強いられている」 (アミン『不均等発展』(東洋経済新報社)p. 369)。
 〔中略〕
 こうして、『不均等発展』は次のような課題を設定する。

世界的規模での移行は、周辺部の解放に始まって切り拓かれる。〔……〕諸国家間の不均等という今日の条件の下でたんに低開発の発展ではないような発展は、その置かれている世界的な条件によって、同時に国民的〔national〕で、民衆的=民主主義的〔populaire-démocratique〕で、社会主義的なものとなろう。資本主義はすでに事実上地球的規模のものとなり、この枠内で生産諸関係を組織している以上、社会主義は、全地球規模でしか構想されえない。それゆえ、世界的な社会主義的目標と、依然として国民的な移行の枠組みとの間に、移行期に特有な一連の矛盾が必然的に派生する。しかし社会主義的意識の熟成および発展という目標が、いかなる段階においてであれ、経済進歩という目標の犠牲にされないかぎりでのみ、ある戦略は、移行の戦略と呼ばれるに値する。(同上、p. 397)  (p. 135)

 ウォーラーステインの認識は、資本主義世界システムはすでに終末期に入っているということだ。しかし、その先には発展段階として約束された世界システムがあるわけではない。

わたしたちは、たとえば二〇五〇年頃に、史的資本主義からある非常に不平等で階層的な新しいシステム(あるいは多様なシステム)を持ったものへと、過渡期から抜け出すかもしれないし、大部分が民主主義的で平等主義的なシステムを持ったものへと抜け出すかもしれない。それは、後者の結果を好む人々が、政治変化に関する意義ある戦略を組み立てる能力があるかどうかにかかっている。 (ウォーラーステイン『アフター・リベラリズム』(藤原書店) p. 372頁)  (p. 164)

 もしわたしたちが次の五〇年間に根本的な歴史的選択をするとすれば、それは何と何の間における選択なのだろうか。明らかに、わたしたちの選択は、あるものがそれ以外のものより決定的に大きな特権を持つような(何らかの基本点において現在のシステムに類似の)システムと、相対的に民主的で平等主義的なシステムとの間においてなされるということである。既存のすべての史的諸システムは、事実上――その程度に差はあっても――今日まで前者の種類のシステムであった。それどころか、現存のシステムは、明らかにその長所と考えられていることのせいで――つまり価値生産の途方もない拡張のせいで――最大の両極化をもたらしたという点で、ことによると最悪のものだと言えるのではなかろうか。多くの、あるいは更に多くの価値が生産されることで、現存のシステムの上部層とそれ以外の層との差異は、――たとえ現在のシステムの上部層が、先行する史的シ/ステムの上部層よりもシステムの全人口のより大きな割合を占めているとしても――それ以外の史的諸システムよりははるかに大きくなり得るし、大きくなってきたのである [8]

 アリギは、現在のヘゲモニー国家であるアメリカに替わって中国がヘゲモニーを執る未来の可能性を論じ、もっとも理想的なシナリオとして「現在の中国政府自体の革命的転換」によって「もはや資本主義的ではない、もっとエコロジー的で民主的な別の世界システム」 (pp. 187-8) へ移行する可能性があるとした。しかし、一方で、中国が現在の国家資本主義的政策を続行して(政策転換に失敗して)世界が経済破綻するシナリオや、アメリカと中国のヘゲモニー争いが第三次世界大戦としての帝国主義戦争に陥ってしまうシナリオで「今度こそ、核兵器保有国同士の熱核戦争によって本当に人類が「焼き尽くされてしまう」かもしれない、という可能性」 (p. 189) もありうるとしている。アリギの語る未来予測のなかで最も期待したい中国の「政策転換」は、現在の中国を見る限りもっとも期待薄のように思える。
 それぞれの世界システムの改革への語り口はきわめて苦渋に満ちているけれども、一方でネグリとハートによるマルチチュードの叛乱というシナリオもある。このシナリオは、かなり楽観的に思えるが、アラブの春やオキュパイ運動などにその兆しが見えるとすれば、必ずしも否定的だと断言する必要もないだろう。

 著者は、「資本主義の終わりの始まり」と題した最終章で、「資本主義世界経済の構造的危機」はすでに始まっており、資本主義世界システムの「終わりの始まり」が実際に始まっていることを論証している。ウォーラーステインの言う「一九六八年世界革命」では世界各国で若者たちの叛乱が同期して発生したように、この「終わりの始まり」の時代に若者ばかりではなく、プロレタリアート、半プロレタリアート、エスニック集団、つまりはマルチチュードが世界各地で同期して一斉に叛乱を起こす契機はありうるだろう。「ありうる」というものの、その具体的なイメージは私にはまだないが………。
 しかし、カルドーゾの言を繰り返せば「将来起こることの道筋を理論的に予測しようと、無益な考えは捨てることにしよう。それは、理論的予測よりも、政治的意思につき動かされた集合的行動にかかっている」ということである。政治的意思に突き動かされたあくなき行動がいずれ有効な集団化を果たし、さらには世界的な集団行動へ発展する契機は必ず存在する(と信ずることにしよう)。
 

[1] ローザ・ルクセンブルグ(大島かおり編・訳)『獄中からの手紙――ゾフィー・リープクネヒトへ』(みすず書房、2011年)p. 52。
[2] ノーム・チョムスキー(鈴木主税訳)『覇権か、生存か――アメリカの世界戦略と人類の未来』(集英社、2004年)。
[3] ナオミ・クライン(幾島幸子、村上裕見子訳)『ショック・ドクトリン』(岩波書店、2011年)
[4] 絓秀美編著『1968』(作品社、2005年)。
[5] アラン・バディウ他『1068年の世界史』(藤原書店、2009年)。 
[6] イマニュエル・ウォーラーステイン(松岡利通訳)『ユートピスティクス――21世紀の歴史的選択』(藤原書店、1999年)pp. 52-3。[7] 同上、p. 44。
[8] 同上、pp. 118-9。



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【書評】ジョルジョ・アガンベン(高桑和巳訳)『スタシス――政治的パラダイムとしての内戦』(青土社、2016年)

2017年02月13日 | 読書


 本書は、「スタシス」と「リヴァイアサンとビヒモス」という二つの章から成っていて、前者はギリシア民主制における内戦(スタシス)を論じ、後者はトマス・ホッブズの『リヴァイアサン』を取り上げ、人民、国家、群がり(マルチチュード)の機制のなかに内戦を位置づける論考となっている。

 アガンベンは、第二次世界大戦以降、世界中で勃発している争いが国家間戦争と呼べる争いではなく「世界的内戦」であると指摘するハンナ・アーレントやカール・シュミットを引用しながらも、それらは「内戦のように政治システムの制御と変容へと向かうようには思われず、無秩序の最大化へと向かうように思われるような戦争」であり、その理論的探究は「内戦理論ではなく、ただ国内紛争のマネジメント、つまりはその運営、操作、国際化でしか」(p. 12) ないと指摘する。
 内戦理論に関する論考が少ないもう一つの理由として、革命概念の時代的「人気」によるのだろうと推測しながらも、ここでもアーレントの「古代は〔内戦による〕政治的変化を、また変化にともなう暴力をよく知ってはいたが、それらはいずれも、何かまったく新しいものをもたらすものと見えていたわけではない」(『革命について』)という言葉を引用しつつ、内戦と革命はその概念において明確に異なると述べている。
 アガンベンは、内戦についてのそのような理論的状況を踏まえたうえで、本書に対するモチベーションを次のように記している。

 しかじかの内戦理論を提起するということは、本テクストのありうべき目標のなかにはない。私はむしろ、内戦理論が西洋の政治思想において、その歴史の二つの瞬間においてどのような姿を呈するかを検討するにとどめることにする。二つの瞬間においてとはつまり、古典ギリシアの哲学者たち、歴史家たちの証言において、そしてまたホッブズの思想においてである。この二つの例は出まかせに選ばれたものではない。私が示唆したいのは、これらがいわば同一の政治的パラダイムの表裏二面を表象しているということ、それが一方では内戦の必然性の断言において、他方では内戦の排除の必然性において表明されているということである。このパラダイムが現実には単一のものだということが意味するのは、内戦の必然性と内戦の排除の必然性という、互いに対立している二つの必然性が秘かな連帯を保ち続けているということである。この秘かな連帯をこそ理解しなければならない。  (pp. 14-5)

 私(たち)は、ある国において二分(ときとして四分五裂)した国民が武器を持って相争うというイメージで内戦を理解している。それは革命という新しい社会像をめざすものではけっしてなく、単なる覇権を争うものにすぎないと考え、理念的には排除されるべきものと考えてきた。しかし、本書が明らかにしようとしているのは、「内戦の必然性」と「内戦の排除の必然性」という背理的な二面性であるというのである。
 「古典ギリシアにおける内戦――もしくはスタシス――という問題の分析は。ニコル・ロローの諸研究によってこそ始まる」 (p. 15) と断じるアガンベンはロローの内戦論の検討から始める。ロローは、内戦を「オイコス(家族もしくは家)」と「ポリス(都市ないしは都市国家)」の関係の場に置く。しかし、それは一般に流布されている「都市のなかへと家族が乗り越えられ、公的なもののなかへと私的なものが乗り越えられ、一般的なもののなかへと個別的なものが乗り越えられる」 (p. 18) と考える階層的なパラダイムへの疑義として考えられている。
 内戦(スタシス)は家族の紛争として起きるが、家族(オイコス)そのものがポリスとの関係で両義性を持つ。「血族内のスタシス」は、「血族として、血族であることで、その閉域のなかで考えられた都市が、都市自体と保つ血なまぐさい関係」(ロロー)を表している。

内戦が家族と本性をともにしている――つまり、内戦が「家の戦争(oikeios polemos)」である――かぎり、そのかぎりにおいて内戦は都巿と本性をともにしており、ギリシア人の政治生活の欠かせぬ構成部分となっている――これがロローの示唆していると思われるテーゼである。 (p. 22)

 ロローは、紀元前三世紀のギリシアの小都市ナネコにおいて、スタシスの後、血縁による家族を無効化し、市民を5人組の「籤による兄弟」とする和解を組織したことを例示した。これは、血族内の内戦からポリスを開放すると同時に、ポリスに政治的な親族関係を再構成するものだ。

〔……〕スタシスの本来の場はオイコスであり、内戦は「家の戦争(oikeios polemos)」である。オイコスには――そしてそれと本性をともにするスタシスには――本質的な両義性が内属している。オイコスは都市の破壊を起因するものであるとともに、都巿を統一されたものとして再構成することのパラダイムでもある、という両義性である。 (pp. 30-1)

 ロローの理路は、「スタシスはオイコスの内部に位置づけられ、そこにおいて生成する」という仮説から出発しているが、アガンベンはその仮説を修正する必要があると主張する。

しかし、プラトンの対話編でアテナイ人の提案している法の文言から結果として生じてくるのは、スタシスとオイコスのあいだの連関であるというより、兄弟と敵、内と外、家と都巿を内戦が一つのものとして同化し、互いに区別不可能なものにするという事実である。スタシスにおいては、最も内奥なものの殺害が最も疎遠なものの殺害と区別されない。だが、このことが意味するのは、スタシスの場が家の内部にあるのではなく、その場がむしろオイコスとポリスの違い、血の親族関係と巿民性の違いがなくなる境界線を構成しているということである (p. 33)

スタシスはオイコスのなかにもポリスのなかにも、家族のなかにも都市のなかにも位置づけられない――これが私たちの仮説である。スタシスは家族という非政治的空間と都市という政治的空間のあいだの違いがなくなる地帯を構成している。この境界線を越えることでオイコスは政治化され、その逆にポリスは「家政化」される。つまり、それによってポリスはオイコスへと縮減される。このことが意味しているのはギリシア政治のシステムにおいては内戦は政治化と非政治化の一境界線として機能しておりそこを通ることで家は都巿へと超出し巿は家族へと脱政治化されるということである (pp. 35-6)

 こうしてアガンベンは、スタシス(内線)をオイコス(家庭)固有のものから、オイコスとポリスの境界に位置するところで生起するという仮定を設定する。そして、プルタルコスやキケロ、アリストテレスまでもが言及しているにもかかわらず、近代の政治史において見過ごされている「特異な資料」を挙げて、スタシス(内線)が政治化と非政治化の境界線として位置付ける仮説を強く支持していると述べている。

それは、内戦において両派のいずれのためにも闘わなかった巿民をアティミア(つまり市民権喪失)で処罰したソロンの法のことである(アリストテレスが次のようにあからさまに言っているとおりである。「都市が内戦状態〔stasiazousēs tēs poleōs〕にあるときに、両派のいずれのためにも武器を取らない〔me thētai ta hopla、文字どおりには「盾を置かない」〕者は汚名を着せられ〔atimon einai 〔アティミアを科され〕〕、政治から排除される〔tēs poleōs mē methechein〕ものとする」。キケロはこの「atimon einai 〔アティミアを科され〕」を「capite sanxit 〔頭の制裁を受け〕」と翻訳し、ギリシアのアティミアに〔ローマ法において〕呼応する「capitis diminutio 〔市民権喪失を意味するが、文字どおりには「頭減らし」〕」をちょうどうまい具合に喚起している)。 (pp. 36-7)

 内戦においてどちらにも与しなかったものは市民性をはく奪されて政治(ポリス)から放逐される。スタシスはオイコスから生起してくるにも関わらず、「巿民性から出て私的なものという非政治的条件へと縮減される」機制を有している。つまり、「スタシスは、極端な事例において政治的要素を啓示する試薬のように、これこれの存在が政治的なものであるか、非政治的なものであるかをそれ自体で規定する政治化の境界線のように働く」(p. 37) のである。
 ギリシア民主制においては、内戦が起きたときにどちらの勢力にも与しない立場、いわゆる〈中立〉は認められないのである。〈中立〉であることは、政治に関与する市民に値しないということだ。現代においても〈中立性〉は問題のある概念だ。〈公正〉と同じように〈中立〉は、ポジティブな価値を与えられている一方で、その欺瞞性をあわせて指摘され続けている。例えば、解釈改憲から実際の改憲へ向かう道筋で自公政権は、ほとんどの憲法学者が憲法違反だと判断するような安保法制(戦争法制)を成立させた。それに対して、多くの国民が反対運動のために公共施設で集会を持とうとしたとき、それらの公共機関が〈中立性〉を理由に施設の使用を認めなかった。明らかに政治権力の側に立ちながら、〈中立〉を標榜する典型的な欺瞞性を顕在化させていたのである。
 ギリシア民主制における内戦を現代の政治的対立と見なすと、選挙権を行使しない成人あるいは支持政党なしと称しながらマスコミに誘導されるままに投票行動をする(敵、味方を行ったり来たりする)成人は、「政治から排除されるもの」に相当するだろう。有権者の過半数がそれに相当することは残念なことだが、もちろん現代では「政治から排除する」ことは制度的には認めがたい。しかし、公共社会という視点からは、政治に責任を有する個人、主権を構成する一員として「政治から排除されるもの」とならないことが強く求められている。政治権力は「物言わぬ国民」を期待するが、国家理念は常に「物を言う国民」を必要としているのである。

 スタシス(内戦)は、どちらにも与しなかった者の政治的権利の剥奪という点でのみ政治的意味を持つのではない。内戦がどちらの勝利に終わるにせよ、終戦処理のなかにきわめて重要な政治的意味が生まれる。それは、〈大赦〉である。敗北した側は、徹底した〈大赦〉によって許される。ひるがえって言えば、このことは、〈中立〉であることは〈敵〉であることよりも政治的には許されないことと考えられていたことを意味している。

法権利の観点からすると、スタシスは二つの禁止によって次のように定義づけられるが、その二つの禁止は互いのあいだで完璧に一貫性をもつものである。すなわち一方では、両派のいずれにも与しないことは政治的に言って有罪であり、他方では、内戦が終わったならば内戦を忘れることは政治的な義務である。  (p. 43)

アテナイの「大赦〔amnēstia〕」は単なる忘却や過去の抑圧ではない。それは、記憶の悪用をしないようにという誘いなのである。スタシスは、非政治的なもの(オイコス)が政治的なものへと生成することを、また政治的なもの(ポリス)が非政治的なものへと生成することをしるしづける、都市と本質をともにする政治的パラダイムを構成する。そのかぎりにおいて、スタシスは忘れられたり抑圧されたりすることのできるような何かではない。それは、都巿においてつねに可能的であるにとどまるべき、しかしながら訴訟や怨恨を通じて想起されてはならない、忘れられないものである。つまりそれは、近代人にとって内戦がそうであると思われる当のものの正反対のものである。近代人にとって内戦とは、いかなる対価を払っても不可能にしようとしなければならない何か、訴訟や法的訴追によってつねに想起させられなければならない何かなのである。 (pp. 44-5)

 本書で語られる内戦(スタシス)は、明らかに現代の世界的内戦あるいは私たちがイメージする内戦とは異なるが、政治的対立として内戦をとらえるならば、政治的私人としてしかこの社会に存在できない私たちにとってきわめて示唆的であると言える。
 アガンベンは「スタシス」の章を、現代の内戦について次のような言葉で締め括っている。

 今日、世界史において内戦が引き受けた形式はテロリズムである。近代政治は生政治であるとするフーコーの診断が正しく、またそれを神学的-オイコノミア的なパラダイムへと導く系譜学も正しいとすれば、世界的テロリズムは生としての生が政治の賭け金となっているときに内戦が引き受ける形式である。人々を安心させるオイコスという形象――「ヨーロッパという家」、もしくはグローバルな経済的管理の絶対的空間としての世界――においてポリスが提示されるとき、スタシスはオイコスとポリスのあいだの境界線に位置づけられることはもはやできず、あらゆる紛争のパラダイムとなり、恐怖政治の形象へと入りこむ。テロリズムは、地球上の空間のこれこれの地帯、しかじかの地帯をかわるがわる攻囲する「世界的内戦」である。「恐怖政治」が、生としての生――国民、つまり誕生――が主権の原則となった瞬問と一致したというのも偶然ではない。生としての生が政治化されうる唯一の形式は、死への無条件な露出、つまり剥き出しの生なのである。 (pp. 48-9)

 かくしてアガンベンは、スタシスをめぐる主題が自らの『ホモ・サケル』や『アウシュヴィッツの残りのもの』、『到来する共同体』、『開かれ』の主題に接合していることを示しているのである。

  
トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』初版の扉絵 (p. 55) 。

 後章の「リヴァイアサンとビヒモス」は、トマス・ホッブズの『リヴァイアサン』に収められた扉絵の「哲学的図像学」 (p. 54) による解読から始まる。リヴァイアサンとビヒモスは、ともに聖書の終末論的な逸話に現れ、リヴァイアサンは海の、ビヒモスは陸の怪物(動物)である。
 口絵のリヴァイアサンは国家主権を表徴する人物として丘の向こうの海の上に立ち(浮かび)、人々は主権を構成する人民としてリヴァイアサンの体の一部となっている。前景の丘は都市へと続いているが、その都市(国家)には住人が描かれていない。アガンベンは、リヴァイアサンが都市(国家)内ではなく、海に立脚していることに注目する。

このエンブレムが読者に対して立てる謎は、住民のいない空虚な都市という謎、地理的境界の外に位置する国家という謎である。ホッブズの政治思想において、この一見した難問に対応しうるのは何か? (pp. 77-8)

 この謎を解くために著者はホッブズの『市民論』を援用する。

 彼は『巿民論』で次のように書いている。「人民とは一である何か〔unum quid〕である。それは一つの意志をもち、それには一つの行動を割りあてることができる。群がり(マルチチュード)についてはこのようなことは何も言うことができない。人民はあらゆる都巿において君臨している〔populus in omni civitate regnat〕つまり君主制においても人民が命令している。というのは、人民は一人の人間の意志を通じて意志するからである。群がり(マルチチュード)とは市民たち、つまり臣民たちのことである。民主制や貴族制においては、市民たちは群がり(マルチチュード)であるが、議会が人民である〔curia est populus〕。君主制においては、臣民たちもは群がり(マルチチュード)であり、これは逆説ではあるが〔quamquam paradoxum sit〕、王が人民である〔rex   est populus〕庶民や、このことがわからないその他の者たちは、多数の人間についてそれがまるで人民であるというかのように、つまりそれが都巿〔civitas〕であるというかのようにつねに語り、都市が王に対して反抗したなどと言うが、それは不可能なことである。あるいはまた彼らは、ぶつぶつ言う不穏な臣民たちが意志したりしなかったりしている当のものを、人民が意志したりしなかったりしているなどと言う。彼らは人民という口実を使って、市民たちに都巿に対して、つまり群がり(マルチチュード)に人民に対して反乱するよう吹きこむ」。  (pp. 78-9)

 逆説的な表現であるが、ここでは人民は、王、つまり国家主権(政治体)と同等のものとして記述され、群がり(マルチチュード)と峻別されている。しかし、人民は群がり(マルチチュード)と別々に存在しているわけではない。王が選ばれる(国家主権が成立する)と「人民はもはや一つの人格ではなく、解体された群がり(マルチチュード)である。なぜならば、人民が一つの人格だったのはただ主権的権力の力によるが、それを人民は自分から王へと移してしまったからである」(『市民論』)。例えば、民主制においては王を議会に置き換えればよい。
 アガンベンは、さらに群がり(マルチチュード)にはホッブズの言う解体された群がり(マルチチュード)と統一されていない群がり(マルチチュード)があると考える。その二つの群がり(マルチチュード)を隔てるのは内戦である。つまり、次のような循環図式を考えているのである。統一されていない群がり(マルチチュード)は、主権形成の一瞬において人民となる。主権形成に成功すれば、人民は解体された群がり(マルチチュード)になる。解体された群がり(マルチチュード)がふたたび統一されていない群がり(マルチチュード)として新しい主権形成の人民となるためには機制は「内戦」だとアガンベンは考えるのである。

 解体された群がり(マルチチュード)が――人民がではなく――都巿における唯一の人間の現前であり、群がり(マルチチュード)が内戦の主体であるとするならば、そのことが意味するのは、内戦がつねに国家において可能的なままだということである。ホッブズはこのことを、『リヴァイアサン』第二十九章「公共体(コモン-ウェルス)を弱化させる、もしくは解体へと向かわせるものについて」においてあけすけに認めている。その章の結論で、彼は次のように書いている。「最後に、戦争(対外戦争であれ国内戦争であれ)において敵が最終的勝利を収め、(公共体(コモン-ウェルス)の諸力が戦場をもはや保持せず)忠誠を尽くす臣民がもはや保護されなくなったとき、公共体(コモン-ウェルス)は解体されている。各人は、自分の裁量の示唆する道にしたがって自分を保護する自由をもっている」。このことは、内戦が進行中で、群がり(マルチチュード)と主権者のあいだの闘争の命運がまだ決定されていないあいだは、国家の解体はないということを含意している。内戦と公共体、ビヒモスとリヴァイアサンは共存している。ちょうど、解体された群がり(マルチチュード)が主権者と共存しているのと同じようにである。国內戦争が群がり(マルチチュード)の勝利で終わってはじめて、公共体から自然状態への回帰、解体された群がり(マルチチュード)から統一されていない群がり(マルチチュード)への回帰が起こる。 (pp. 96-7)

 人民は主権者の人格のなかへ移されてしまえば都市から消えてしまう。解体された群がり(マルチチュード)も統一されていない群がり(マルチチュード)も政治的意味を持たないので、政治の場である都市に描かれることはない。それが、『リヴァイアサン」の扉絵に都市の住民が描かれない理由である。
 それでは、主権者としての王/国家ないしは公共体(コモンウェルズ)がリヴァイアサンによって表象されるのはなぜなのか。「公共体(コモンウェルズ)の理論を提供しようと意図していたホッブズがなぜ、少なくともキリスト教の伝統では魔的な共示を引き受けてしまっていた怪物の名で当の公共体(コモンウェルズ)を呼んだのか?」 (p. 98) と著者は問う。シュミットはそれを「イギリス的ユーモア」だと評している。アガンベンはその著書『開かれ』でリヴァイアサンに関して次のように記述している。

 ミラノのアンブロジアーナ図書館には、貴重な細密画を含む一三世紀のヘプライ語聖書が一冊保管されている。第三写本の最後の二頁全面に描き出されているのは、神秘的かつメシア的な霊感に充ちた情景である。(……)最後の頁(136r)は、二つの部分に分かれ、上部には「三匹の太古の動物たち」が置かれている。(……)
 しかし、とりわけわれわれの興味を惹くのは、写本を閉じるという意味でも、人類の歴史を締めくくるという意味でも、最後のものとなる情景である。そこには、最後の審判の日における義人たちのメシア的な宴が描かれているのである。二人の楽人の音楽に活気づいた楽園の木陰で、冠をつけた義人たちは、豪華な御馳走を並べた食卓についている。メシアの世において、トーラーの淀を一生涯遵守した義人たちが、適正な方法に則って屠られたかどうかを一切気にすることなく、レヴィヤタンやべへモー卜の肉の御馳走にありつける、という考えは、ラビ伝承ではきわめておなじみのものである。 [1]

 「レヴィヤタン」はリヴァイアサン、「べへモー卜」はビヒモスである。リヴァイアサンもビヒモスも世界の終末、メシアの時には相争って二頭とも死に、義人たちがそれを食するというのである。そして、ホッブズは、世界に終末が訪れるとき、キリストが再臨し、「神の王国」が成立するのだと説くのである。神の王国における絶対的な主権と比較すれば、人間(人民)から主権を移された王/公共体は、権力は絶大であってもリヴァイアサンの巨獣の暴力のごときものにすぎないという暗喩であると私は理解した。しかし、ホッブズは「神の王国」は暗喩ではないと説いているのである。

 神の王国は隠喩的にではなく文字どおりに了解されなければならないとするホッブズの断言を私たちが真面目に受け取るとすれば、このことが意味するのは、地上の時間の終わりになればリヴァイアサンの頭部的虚構は抹消されうるだろうということ、また人民が自分の身体をあらためて見いだすことができるだろうということである。一方の政治体(ボディ・ポリティカル)――リヴァイアサンの光学的虚構においてのみ可視的であり、事実上は非現実的なもの――と、他方の、現実的であるが政治的には不可視である群がり(マルチチュード)とを分割している断絶は、最終的に、完璧な教会において埋められることになる。だがこのことはまた、それまではいかなる現実的統一性も、いかなる政治体も真には可能ではないということをも意味している。政治体(ボディ・ポリティカル)はただ群がり(マルチチュード)へと解体されうるだけであり、リヴァイアサンはただ最後までビヒモスと、つまり内戦の可能性と共存しうるだけである。  (pp. 115-6)

 残念ながら、私(たち)は神の王国を見ることはない。リヴァイアサンの国で、ビヒモス(内戦の可能性)と共存したままである。本書で語られている内戦は、アーレントの語る「世界的内戦」とは必ずしも同じものではない。しかも、内戦は革命ではない。私たちは、現在、明らかに厳しい政治的対立に直面している。沖縄の辺野古における反基地闘争は人民の非暴力と国家の暴力装置との直接的対決になっている。
 訳者である高桑和巳は、日本の政治的状況を「訳者解説」のなかで、次のように述べている。

二〇一一年三月十一日(東日本大震災および福島第一原子力発電所事故)というかなり特殊な出来事があるとはいえ、日本の今日の文脈もまた、皮肉にもすでに世界的な水準に到達して久しい。安倍晋三政権が二〇一五年九月に成立させた新安保法制が違憲だというのはまず間違いのないところだが、これもまた、行政が立法を凌駕するという国際標準の流れを模倣するものにすぎない。二〇一六年二月に調印されたTPP (環太平洋戦略的経済連携協定)も、同じく二〇一六年に自民党が企図を具体化している憲法改正(とくに緊急事態条項の追加)も、行政に白紙委任せよとの意志がわかりやすい形で現れたものでしかない。政権がいわば小さな自己クーデタの数々をたたみかけるように企て、それによって生ずる無秩序によって逆説的に統治を遂行する、というのはこの時代の統治の卑しむべき常道だと言つてもよい。
 法的に言って正統性を失った(と少なくない人々によって見なされる)体制が一方にあり、他方にはその体制を転覆させるべく集まる人々がいる。なるほど、ここには火器や暴力は見られない。衝突による殺害は両派のいずれにも依然として確認されない。おこなわれているのは街路での非暴力的なデモや集会や署名運動、あるいは大学その他での穏やかなシンポジウムや研究会である。しかし、これを内戦以外の何と呼べばよいのか? 私は蜂起を呼びかけているわけでもない。人々はすでに蜂起している。内戦はいま、ここにある。  (pp. 144-5)

 たとえ、国家権力が暴力装置の暴力そのものを駆使しても、私たちは非暴力的内戦を戦っている。そして、それは「何かまったく新しいものをもたらすもの」(アーレント)としての革命ではない。解体されたマルチチュードから統一されないマルチチュードへの変態のプロセスのなかで、民主的システムの階梯を一つだけでも上げていこうとする戦いだ。
 この内戦は、どちらにも与しない者たち、かといって政治の場からは決して排除することができない者たちの壁で苦しんでいる。政治的無関心、欺瞞的〈中立〉にどう対応するのか、効果的な道筋がはっきりと見えているようには思えない。3・11以来、国会前に自発的に集まるマルチチュードの行動形態に希望を見出す人々もいる(私もそうだが)が、その先行きはまだ決していない。


[1] ジョルジョ・アガンベン(岡田温司、多賀健太郎訳)『開かれ――人間と動物』(平凡社、2011年) p. 11。



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【書評】アレッサンドラ・マウロ編『MARIO GIACOMELLI――黒と白の往還の果てに』(青幻社、2009年)

2016年10月17日 | 読書

現代では、ゆくりなく見えるすべてのことは〈ゆくりなく見えるようにつくられた〉ものにすぎないのであり、それに気づかないふりをするしか、〈ゆくりなく見えるようにつくられたもの〉を楽しむすべはない。そこには驚きも感動もない。映像はたんなる確認行為でしかないのである
            (辺見庸『私とマリオ・ジャコメッリ』p. 77)

 


アレッサンドラ・マウロ編
『MARIO GIACOMELLI――黒と白の往還の果てに』
(青幻社、2009年)


辺見庸
『私とマリオ・ジャコメッリ――〈生〉と〈死〉のあわいを見つめて』
(日本放送出版協会、2009年)

 

 図書館の書架の間を行きつ戻りつし、読みたい本を探しあぐねていたとき、写真に関する本でもいいかと思いついた。人並みに一眼レフで写真を撮るのだが、最近、もう少しいい写真が撮れないかと考えることもあったからだ。
 写真の分類の書架に「辺見庸」の名前を見つけて思わず手にしたのが『私とマリオ・ジャコメッリ』という本である。マリオ・ジャコメッリという人物を全く知らなかったのだが、「生と死のあわいを見つめて」という副題そのものは、辺見庸という作家がずっと主題としていたことに思えて、なんでこのコーナーにあるのかと訝りながら手にしたのだった。この本は写真家ジャコメッリに作家辺見庸が共鳴しえたもろもろが書き記されているらしいので、「ジャコメッリ」で検索して『MARIO GIACOMELLI――黒と白の往還の果てに』という大判の写真集を見つけ、辺見庸本と一緒に借りだした。
 まず辺見庸の『私とマリオ・ジャコメッリ』を読み、作家の言葉をたよりに写真集を眺めたのである。私は、写真芸術(ないしは芸術写真)という領野にほとんどなじみがない。だから、この2冊を並べて読み、眺める機会が得られたというのは、私にとってとてもいい偶然、幸運な偶然だった。
 まず、辺見庸の次のような言葉を肝に銘じつつ、写真を開く(以下、『私とマリオ・ジャコメッリ』からの引用は『私と……』とページ、『MARIO GIACOMELLI』は単にページのみを記す)。

フォトグラフ(photograph)という外国語に「写真」という訳語をあてたのは、日本人にとって不幸なことであった。写真とはすなわち〈真を写す〉の謂だが、これほど政冶的であり、また罠でもあるような名辞もないだろう。なぜなら、映像(写真)提示されればただちに、「これは現実に存在するものを写したのにちがいない」という思いこみがわれわれに生じるという仕掛けが、写真という名辞と装置のなかにあらかじめ組みこまれているからである。 (『私と……』、p. 18)


《自然についての認識》1977-2000年、マルケの野(p. 51)。


《自然についての認識》1977-2000年、マルケの野(p. 56)。

 写真集は、ジャコメッリの風景写真で始まる。《自然についての認識》や《大地の物語》という農地のシリーズと、《わが物語の海》という海浜のシリーズである。前者は耕された農地の畝が幾何学的な印象を与える写真がほとんどで、後者は海水浴場や小さなボートの浮かぶ海岸縁を上空からまっすぐ下に見下ろした写真で、いわゆる風景がというよりは風景を用いた「コンポジション」と称される抽象絵画のような効果を与えている写真群である。
 これらの作品には自然そのものと言えるような風景はない。人間によって耕された大地であり、小屋や海水浴客のパラソルが並ぶ砂浜がジャコメッリの自然ということのようだ。言ってしまえば、ジャコメッリは人間が深く関与した自然をどう表現するかに腐心したように見えるのだ。自然といい風景といいながら、ジャコメッリはそこに写し込まれた人間の存在を抽出しようとしているのではないか。たしかに、これらの写真群は、自然が持つ抽象絵画的な美を切り取って見せてはいるが、その美には人間が関わっているということが主題から外せないのではなかろうか、そう思う。

どこが抽象だというのか! 私が愛するジャコメッリのなかには、私がもっとも偉大だと思えるジャコメッリのなかには、悲劇的夢想性は現実の責め苦を礎とし、彼のリアリズムは視覚の威力の申し子なのだ  (p. 163)

 私は「抽象」という言葉を使ったが、フェルディナンド・シャンナは上のように力説している。いくぶん、日本語としての(訳文の)構造が分かりにくいが、ジャコメッリにおける「視覚の威力」に異論をはさむつもりは毛頭ない。シャンナの言う「リアリズム」は目に見えたままを写し取るリアリズムではなく、主題の実相のリアリティの強度について言っている。
 辺見庸は「視覚の威力」をジャコメッリの「眼=カメラ」として、現実から主題を抽象するジャコメッリの創作方法について述べている。

かれはカメラにも、ましてそのメカニズムにもさほどの興味を示さない。なぜなら、かれにとってのカメラはかれ自身の眼だからである。その眼=カメラによって、自分の主観に映ずるなにものかのイメージを現実空間からすくいあげて画像として抽象してゆく。ジャコメッリは撮るのでなく、眼で描くのだ。それがジャコメッリの創作方法である。 (『私と……』、p. 100)


《庭師の妻》1956年(p. 76)。


《ロレート》1958年(p. 92)。

 辺見庸は、ジャコメッリを「写真家」とカテゴライズすることに異を唱え、「映像作家、映像作品と呼ぶべき」(『私と……』、p. 19) と主張する。実際、ジャコメッリは主題表現のため様々な手法を駆使している。それは、例えば、自分の写真を「フォトショップ」で加工することすら「リアリズム」の棄損とためらってしまうような凡庸な私(たち)の写真のまったく異なった極にある。
 「われわれが分析しているイメージはかなりの確率で複合プリント、二つの異なるネガから得られたフォトモンタージュ」(p. 82) とパオロ・モレッロは指摘するが、決してその技法ばかりではない。

たとえばかれは、重ね撮りや意図的な手振れなどの技法はもちろん、映像上にものも貼りつければ、絵筆で絵や模様まで描いた。自分の眼をカメラだと考えていたかれは、自身の眼にとりこんだ、あるいは自身の眼に浮かんだイメージを〈表現〉するためには、なんでも平気でやったのである。古典的な、もしくはナイーブな写真芸術家なら、ジヤコメッリの映像を〈写真〉とはおそらく認めないだろう (『私と……』、p. 93)

 しかし、私のような「古典的な、もしくはナイーブな」一観者にすぎない者にとっても〈写真〉と名指しうる作品もある。それは、上の《庭師の妻》であり《ロレート》シリーズに含まれる作品などである。
 《庭師の妻》はジャコメッリの母親であるというが、使い込まれて先端が光り輝く象徴的な鋤、それと並ぶ農婦の表情、そして手前に置かれた太く力強い右手のそれぞれの存在感が圧倒的なリアリズムとしてある。一方で、この作品はきわめて主情的な表現主義のようにも思える。この写真は、ジャン・フォートリエの初期作品である《管理人の肖像》に描かれた老嬢の前に組まれた手を思い出させる。それは小柄な婦人像に似つかわしくないほどの大きく強調された手であった。
 「時間」と「死」がジャコメッリの写真に通底するものだと語るのは、辺見庸ばかりではなく、表現は違っても『MARIO GIACOMELLI』に抄録された評者たちも同様である。母親の手も、古い鋤の先端の輝きと不均等な磨滅の様子、農作業で鍛えられつつも荒れていく手、すべてが凝縮された時間としてピン止めされている。
 《ロレート》シリーズはおそらく「ロレートの聖母」で知られる巡礼地での撮影だと思われる。グエルチーノの絵画《ロレートの聖母を礼拝するシエナの聖ベルナルディーノと聖フランチェスコ》では二人の聖人が礼拝しているが、カラヴァッジョの《ロレートの聖母》では貧しい身なりの巡礼の男女が描かれている。ジャコメッリの写真はそれぞれに人生を抱えた巡礼の人々が疲れた体を休めている情景で、いわばカラヴァッジョの「ロレートの聖母」から聖母子像と巡礼者の祈りの姿をあえて外すことで、現代の人生の疲労と苦悩を浮き彫りにするようなリアリズムを獲得している。中央に並んで座っている二人の婦人の眼差しに捕らえられて目が離せないのである。


《ルルド》1957年(p. 89)。


《死がやって来ておまえの目を奪うだろう》1954-1968年、セニガッリアのホスピスでの撮影(p. 101)。


《死がやって来ておまえの目を奪うだろう》1954-1968年、セニガッリアのホスピスでの撮影(pp. 102-3)。

 《ロレート》シリーズもそうだが、病や身体的障害の恢復の奇蹟を信じて巡礼する人々を写し取った《ルルド》シリーズや、セニガッリアのホスピス施設を撮影場所とした《死がやって来ておまえの目を奪うだろう》シリーズに(私にとっての)ジャコメッリらしさがよく顕われているように思う。
 ルルドもまた巡礼地なのだが、巡礼路の周辺の情報を一切消し去って、奇蹟を信じて集まってくる人々の列のみを写しとって(映しだして)いる。《ルルド》シリーズには病める人の肖像のような写真もあるが、どちらかと言えば、集まった巡礼者の集団の映像に主眼が置かれているように思える。ベッドに横たわる人も含めた巡礼者の大集団が祈りを捧げている光景を写した1枚は端から端までびっしりと人ばかりで、その地の情報は何も与えられていない。主題は「人間」であり、その「生」と「死」である。
 《死がやって来ておまえの目を奪うだろう》というシリーズの作品は、どれも私には衝撃的なものだった。私は102歳で死んだ母親を看取り、今は112歳と高齢の妻の母と暮らしている。しかし、肉親や身近な老人を私(たち)が見つめることとジャコメッリのホスピスの住人へ向ける凝視とは大いに異なっているようだ。
 もともとジャコメッリの母親がこのホスピスで洗濯婦として働いていて、少年時代から出入りを続けていることでこのシリーズの撮影が可能になったとされている。しかし、「時間」を紡ぐことすら覚束ないほどに「死」が目前にある人びとを対象としてこのような「時間」と「死」をイメージとして形作るのは、決してそのような撮影条件によるのではなく、ジャコメッリの過酷なまでに凝視する眼の力であるに違いない。
 死の床にある老女とその場所から立ち去るかのごとく配置された黒ずくめ(または黒い影だけ)の人で構成された1枚は、「ホスピスの生活」の写真のなかでも「もっとも名高いもの」とパウロ・モレッロは評して次のような解説を与えている。

中央下に年老いた女性の顔を、そしてそのまわりをぐるりと取り囲んだほかの女たちの、何人かは座り、ほかはゆっくりと遠ざかってゆく黒い影を見せる。前景の女性は頭をハンカチでおおい、目を蘇り、唇は力なく開かれている。その顔のトーンは蠟のようで、血の気がない。もちろん女性はまだ生きている、が、伝わってくる想念は、最後の息をひきとる瞬間は遠くないだろうというものだ。ジヤコメッリはこの程なき旅立ちの、すでに無形化しつつある、薄れゆく軽さの――そしてすなわち、魂の表現の――想念を、技術的には多重露出によって表している。 (p. 81)

 辺見庸は自らの臨死体験を踏まえて、写真家は死にゆく者たちを見ているが、死にゆく者はまたこちらをよく見ているのだと語る。そして、ジャコメッリのこれらの作品群は、ジャコメッリ自身が死にゆく者たちの側から見ているのではないかと言うのである。

「死にゆく人間の意識の側から撮っている」と私が感じたあの一枚は、おそらく、〈見る—見られる〉の相互的関係、あるいはその弁証法にかれが気づいていたことの証ではなかろうか。

かれは被写体であるおばあちゃんの意識の側から撮った。少なくとも、そのように撮ろうとした。そして結果的に、生と死のあわいを、「生に依存した死、死に依存した生」という神秘を埋めこんだ映像をつくりあげたのである。 (『私と……』、pp. 66-7)


《スカンノ》1957年、アブルツッォ州スカンノでの撮影(pp. 146-7)。


《スカンノ》1959年、アブルツッォ州スカンノでの撮影(pp. 148-9)。


《スカンノ》1957年、アブルツッォ州スカンノでの撮影(pp. 146-7)。


《スカンノ》1957年、アブルツッォ州スカンノでの撮影(p. 157)。

 辺見庸の評言の中で私が最も感銘を受けたのは、ジャコメッリの創造する世界は「識閾」と呼ばれるべき領野で展開しているというものである。

私はジャコメッリのほとんどの映像に知覚心理学などでいう識閾のような心的領域を見ている。識閾とは、なにかに気づくかどうかの意識の境目であり、人間の意識が生起し、あるいは逆に消失していく境界でもある。そこでは意識は薄く、きれぎれでありともすればすぐにもとぎれそうになっている。そこはまた、はしなくも潜在意識や記憶の驚くべき古層がかいまみえたりもするところであり、映像芸術にとっては淡水と海水がまじわるがゆえにさまざまの魚たちがあつまってくる汽水域のように謎めいた〈意識の秘境〉だ。そんな識閾をだれよりも感じさせるジャコメッリの映像に、私はいやおうなく惹きつけられる。 (『私と……』、p. 30)

 ジャコメッリの「潜在意識や記憶の驚くべき古層」は私たちのそれと通底しているだろう。だから、それは、誰にでもある「時間」と「死」を通じて形成された識閾となっていて、スティグレールが語る「象徴」[1] と同じように私たちの共感の根拠となっている(スティグレールの象徴よりももっと意識の深い領野にも思えるが)。
 《スカンノ》のシリーズは、古い習慣や風俗を残している小さな村スカンノの人々を写したものである。それぞれに重ね撮りやモンタージュの技法が施されている写真は、明らかに異様な(視覚的に違和のある)映像でありながら、デジャブのような懐かしさも醸成している。辺見庸は、中央の少年だけに焦点があっている一枚を、これは〈異界〉の映像であり、「いまだ知らぬあの世のデジャヴ」を見ているのだと評している。

「スカンノの少年」の映像は、ジヤコメッリによってとらえられた〈あの世〉であり〈これから見る夢〉であり、〈まぼろし〉なのである。 (『私と……』、p. 9)

 村の石畳の坂道を上る牛と数人の人はどこか茫洋としていて、振り返った少女の顔だけに焦点があっている一枚には、こんな夢をどこで見たことがあると思わせる効果がある。見知らぬ背景も登場人物もぼんやりとしているが、たった一人の人の顔だけがありありと思い出せるほど鮮明な夢、そんな夢を本当に見たかどうかじつは記憶にはないのだが、よく見る夢のように思えてしまう。これこそが「識閾」の象徴的共有性なのではないか。


《良き大地》1964-1966年、マルケの野 (pp. 176-7)。

 辺見庸は、ジャコメッリの作品にはあまりキリスト教の影響を感じないという趣旨のことを述べているが、私は《良き大地》というシリーズ名そのものにキリスト教を感じた。写真集の最初に集められていた写真シリーズの「自然」は耕された農地のことであり、《良き大地》で描かれる世界も農地とそこで働き、暮らす人々を描いている。この大地は、聖書で語られる豊穣の大地、惠みの大地のイメージである。
 ジャコメッリ自身は、キリスト教的精神性を写真表現に明示的には持ち込んでいないのはたしかだと思うが、イタリアの地に根付くように続いたキリスト教文化は意識されざるままに「識閾」の中の背景をなしているのではないかと思われる。しかし、辺見庸がジャコメッリの写真に見る「聖性」は、個別的な宗教を越えてすべての人間において同等である「死」を通じて獲得されたものに違いない。

映像から読みとるかぎりにおいて、ジャコメッリの死生観は、そこに立ち会った人間でなければわからないようなおそろしさを秘めていると私は感じる。それは、人間的とか非人間的とかいう問題ではない。そのような、いってみればありきたりのヒューマニズムではない。そのような次元を突きぬけたところにしか、かれは関心をもっていなかったとおもわれる。ジャコメッリが惹かれたのは、死にゆく人間がつかの間放射する〈聖性〉のようなものだったのかもしれない。

いまわの際にある者の聖性。ジャコメッリはたしかに死にゆく者の幾人かを聖人のように撮った。 (『私と……』、pp. 68-9)

 誰にでも例外なく訪れる「死」によって生まれる共有性こそが、私たちが芸術作品を通じて共鳴しうる根拠なのかもしれない。そして、じつは私(たち)の貧しさが無意識的に「死」を避けてしまう日常的頽落に基づいているだろうことも確かなことのように思われる。

 [1] ベルナール・スティグレール『象徴の貧困』(新評論、2006年)



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【書評】ギュンター・アンダース(青木隆嘉訳)『核の脅威――原子力時代についての徹底的考察』(法政大学出版会、2016年)

2016年10月10日 | 読書

一九四五年八月六日、あの広島原爆の日に新しい時代が始まった。いつ何時あらゆる場所が、いや世界全体がヒロシマと化してしまうかもしれない時代が始まったのだ。あの日からわれわれは負号つきの全能者になったのである。しかし、いつ何時抹殺されるか分からない以上、これは、あの日からわれわれは全く無力な存在になったことにほかならない。この時代がいかに永く、たとえ永遠に続いても、この時代に続く次の時代はない。われわれが自らの手で自分自身を抹殺することがこの時代の特質だが、その特質は――終末そのもので終わるのでないかぎり――終わることがないからである。 (p. 127)

 


ギュンター・アンダース(青木隆嘉訳)
『核の脅威――原子力時代についての徹底的考察』
(法政大学出版会、2016年)

 人類は核兵器を発明したことによって人類を殲滅させることができる「負の全能」を手に入れた。それと同時に、殲滅されうる人類として完全に無力な存在となってしまった。核による世界の終末、アポカリプスは私たち人類の想像力を超えているため、危機を乗り越える知恵や力が沸き立ってくるには大いなる困難がある。もうわれわれには時間がなく、後世の人々にも時間はないが、「終末の時代と時の終わりとの闘いに勝利すること」が私たちの課題である。
 結論から言えば、これが本書によってアンダースが語りたかったことである。

 『脱原発の哲学』 [1] の中に〈反核〉の思想の系譜に重要な位置を占める哲学者として、モンテスキューやジャン・リュック・ナンシーと一緒にその思想が紹介されていることでギュンター・アンダースの名前を知った。記憶にない名前で、調べてみたら、最初の結婚相手がハンナ・アーレントだったことに少し驚いた。アーレントの著作はそれなりに読んでいるつもりだし、その伝記的な部分も少しは知っている。ハイデガーとのことも結婚のことも読んだ記憶があるのに、ギュンター・アンダースの名前を覚えていなかったのである。
 もともとアンダースの著作として読もうと思って探した本は、「核兵器とアポカリブス不感症の根源」という論考が収められている『時代遅れの人間』 [2] の上巻だった。それを検索していたら、この『核の脅威』が今年の新刊として発行されていることを知った。『時代遅れの人間』では原爆、原発に関する論考が「核兵器とアポカリブス不感症の根源」に限られているのに対して、『核の脅威』はタイトル通りに核が現代社会にもたらした脅威についての論考ばかりが収録されている。
 『時代遅れの人間』は、すでに古典と呼ばれてもいいような時代の著作だし、今年の新刊の『核の脅威』と言えども、原論文が執筆されてからだいぶ時間がたっている。核の年代から言えば、ヒロシマ・ナガサキからスリーマイル島事故まであたりと考えてよい(アンダースにはチェルノブイリ事故への発言もあるが、本書には含まれていない)。しかし、核に関する脅威という点において、ギュンター・アンダースの著作が古びていくことは時代状況が許してはいないはずだ。

 フクシマ事故以来、私たちは原発に関する情報の大海の中に放り込まれている。もちろん、情報というものは見ようとしない者にとってはまったく見えないものだが、少なくともヒロシマとナガサキにフクシマを重ねることができる人間には、情報の海を泳ぎ切ることはとても重要なことだ。
 フクシマ事故は、原発に反対する側と擁護し推進したい側のあいだに、原発や放射線の危険性(安全性)についてのかまびすしいまでの議論を巻き起こした。それは、情報隠蔽と情報の掘り起こしの闘いという様相も呈している。原発の細部にわたっての安全性の議論や実際に起き始めている人体障害への放射線の影響についての果てしのない議論は、かつて大学院まで原子力工学を学び、第一種放射線取扱主任者の資格を持って職場の放射線作業の安全管理業務をしていたことのある私にとってすらかなりうんざりするものである。しかも、その一方の側(原発を擁護し推進する側)は、一方的に情報を管理しうる政府・行政権力であることを考えれば、その議論の場で手を抜くことはもちろん許されない。
 しかし、そうした氾濫状態の情報、あるいは偏頗な合理性に執着して論理性を放棄したような権力的な言説の中で強くなっていく思いは、いわばメタ的な位置からもう少し根源的に「核と人間」とか「科学と核技術」、あるいは「原発と人類」、「放射能と人類生存」のようなテーマを考えてみたい。私に考える力量がなければ、何か(誰か)の知恵によって知りたいということだった。そうすることが情報の流量に負けて押し流されないように身を守ることになるのではないか、と思うのである。

 核に関するアンダースの思想を理解するのに必要な概念はいくつかあるが、中でも「プロメテウス的落差」と「アポカリプス不感症」は重要な概念となっている。前者はギリシャ神話、後者は新約聖書の「マタイの黙示録」に由来するので、観念的にはともかく、直感的には(クリスチャンではない日本人としての私には)理解しにくい。
「プロメテウス的落差」については、『時代遅れの人間』に「自分が造った製品の世界と人間との間の非-同調性が日々増加している事実、両者の距りが日毎に大きくなる事実」と規定して、次のように述べている。

水素爆弾を製造することはできるが、自分が製造したもののもたらす結果をまざまざと思い描く力はない。――同様に感情も行為におくれをとっており、何十万回も爆弾で破壊することはできても、死者を悼んだり後悔したりすることはできない。――そして、最後の黒幕か恥をかいた落伍者のように、民俗学の対象になりそうなぼろをまとって、先のものから完全におくれて、――あらゆるもののはるか後方をノロノロと歩いているのが人間の身体だ。 (『時代遅れの人間・上』 pp. 17-8)

 技術ないしはその技術による生産物そのものが、技術を駆使し、生産物を利用する人間の想像を超えてしまった。そのもっとも典型的かつ象徴的な生産物こそ、原爆また水爆である。今や核兵器は、地球の人類を何度にもわたって絶滅するほどの数に達している。
 核が人類に与えているものは、アポカリプス、黙示録に言う世界の終末である。もちろん、そこでは黙示録的世界のような神が関与する天国や地獄はない。純粋に私たち人類の消滅だけがある世界の終末である。しかし、私たち人類は、「プロメテウス的落差」によって世界の終末を想像することができない。「アポカリブス不感症」なのである。
 人類が核兵器を所有したことによって、人類はどんな時代に突入したのか。核兵器は、人類を「絶対的なものへの激変」をもたらした。

 「絶対的なものへの激変」という新しい言い方で何を言おうとしているのか。
 言おうとしているのは、われわれが神に似た状態に達した事実、すなわち「核兵器」を所有して全能を獲得したという事実である。新たな激変が、強大な力を有する状態から全能を有する状態への激変だからである。
 言うまでもなく、われわれの状態は神学的な意味での完全な「神のような状態」ではない。われわれの状態には、創造する全能は明らかに含まれていない。それでも、人類(おそらく地上のあらゆる生命)の存続か死滅かを決める黙示録的な力をわれわれが有するかぎり――これだけでも十分不気味だが――、少なくともネガティヴな意味で「全能」が問題になる。 (p. 23)

 現代人の意識の中に、絶対的なものもしくは無限なものという意味を有するものがあるとすれば、それは、もはや神の力でも自然の力でもない。まして、いわゆる道徳とか文化の力などではない。それは、われわれの力なのだ。全能を示す無からの創造(creatio ex nihilo)の代わりに、反対の力である絶滅の力(potestas annihiliationis)、無への還元(reductio ad nihil)が――われわれ自身のうちにある力として――登場しているのである。長い間プロメテウスのように求められてきた全能の力は、求めずして、現実にわれわれのものとなったのだ。互いに終わらせるだけの力を持っているからには、われわれはアポカリプスの主人なのだ。無限なる者とはわれわれのことだ (『時代遅れの人間・上』p. 251)

 核によって人類(私たち)ができることは人類の絶滅だけである。このアポカリプスには「天国」も「地獄」もない。「負の万能」には、「救済」はなく「虚無」だけが齎される。
 アンダースは、核による無限の能力、人類殲滅に至る全能を有した政治に全体主義そのものをみる。「全体主義と核による全能とが対をなしているところにその根拠があるのだ。核による全能は、全体主義国家の内政上の恐怖政治の外交上の片割れである」と断じている。

 ヒトラーの全体主義はまだ不完全であった。核を独占すればそのとき初めてナチス国家は絶頂に達したことだろう。すなわち内政と外交とが完全に一致しシンクロして、グローバルな規模の恐怖政治となったことだろう。 (pp. 30-1)

 ヒロシマのウラニウム原爆とナガサキのプルトニウム原爆の2発から始まった核時代は、急激に拡大、拡散していった。核兵器は、「使用」から「所有」に移行したかのように見える。しかし、その全体主義としての恐怖政治そのものは何も変わらない。人類殲滅が可能である(殲滅される恐怖を人類に与え続けている)のに、殲滅しない(核兵器を使用しない)からといってそれが「道徳的に積極的な政治」であるはずがない。そこにも、人種殲滅を実際に行ったナチズムに通底するものがある。

――無論、核兵器を現実に武器としながら、「理想的」使用を行なわず、ただ恐喝手段として投入した人々は、理想的に行動したと独善的に信じている。殺されたかもしれないが結局殺されなかった人々のことを、「救われた人々」と呼ぶというヒトラーが始めた慣習は、今日も依然として流行している。生命を「まだ殺されていない存在」と呼ぶ強制収容所に由来する定義が今日でもなくなっていないとすれば、それは殺さないことを自慢するこういう独善家のせいである。 (『時代遅れの人間・上』p. 270)

保有と使用との区別は他の場合には明確だが、核の力が本質的に保有(habere)と使用(adhihere)との区別を無効にして、その代わりに保有=使用という等式を正しいものとする事実を思いださねばならない。これはたとえば核兵器を保有するものは、保有した後に使用する、つまり核爆弾を投下したり発射したりするということではない。(…中略…)「非保有国」の視点から見れば、この等式が正しいことは歴然としている。非保有国はどこかの国が核兵器を保有していることを知るだけで十分であって、それだけでもう恐喝されていると感じ、そのように振る舞うことになる、つまり非保有国は有効に恐喝され無力化されるものとなっているのである。保有国が現実には核攻撃によって脅して恐喝しようと思っていない場合でもそうである。保有国が望むか否かと無関系に、原爆の保有だけで恐喝者になっている事実を覆す力は保有国にはない。保有しているという事実によって、欲するか否かと無関係に、全能の道具をすでに稼働させている。保有することによって使用しているのだ(Habendo adhibent)。  (pp. 237-8)

 核はたしかに世界の終末、アポカリプスへ向かう時代を生み出したが、アウシュビッツもまた凄惨な人種殲滅という手段を通じて、人類が精神もろともにいっさんに破滅に向かう可能性を示した。テオドール・アドルノは、「アウシュヴィッツの後」の世界を「アウシュヴィッツが可能であった世界」 [3] と評した。かつて人々は、人間の本性、その倫理性に鑑みてアウシュヴィッツのような出来事を想像すらできなかったし、絶対的に不可能だと考えていた。ナチスによってアウシュヴィッツが可能になった時代に人類は突入したことに人々は驚愕し、打ちのめされた。それが「アウシュヴィッツが可能であった世界」という思想的認識の意味であって、事実問題からいえば、さらにpossibleからprobableへと一変したと言うべきだろうと私は考える。
 さらに、ジャン=リュック・ナンシーもまた、アウシュヴィッツとヒロシマの差異と等価性を論じて、政治と人類生存における世界の本質的な「激変」についてアンダースとほぼ同様な結論を述べている。

……アウシュヴィッツとヒロシマが――膨大な差異とともに――文明全体のとも言うべきある変異に呼応した二つの名であることにかわりはない。すなわち、そのいずれも、それまでめざされてきた一切の目的とはもはや通約不可能な目的のために技術的合理性を作動させるにいたったのだ。というのも、こうした目的は、単に非人間的な破壊ばかりではなく(非人間的な残酷さは人類の歴史のなかでも古くから知られている)、完全に絶滅という尺度にあわせて考案され計算された破壊をも必然的なものとして統合したからである。こうした尺度は、これまで諸々の民族が、競合、敵対、憎しみ、復讐などを通じて知っているようなあらゆるかたちの殺人的な暴力に比して、尺度を超えたもの(démesure)、超過(excés)として考えられねばならない。この超過とは、単に度合いが変わったということではなく、それとともに、そして何よりもまず、本性(ナチュール)が変わったということである。はじめて、抹消されるのが単に敵だけではなくなったのである。集団的な規模での人間の生が、戦闘をはるかに超えたところにある目的の名のもとで絶やされることになり(しかも、犠牲者は戦闘員ではない)、これによって、多数の者の生のみならず諸々の民族の配置そのものをも自らの権力のもとに従属させるような支配が肯定されることになるのである。 [4]

 人類は、いわば、ソフトウエアとしての人種殲滅のナチズムという思想と人類殲滅のハードウエアとしての原水爆(そして原発)をそろえて手にしてしまった(思想的・技術的合理性を作動させてしまった)。アウシュヴィッツとヒロシマの後、私たちは、人類が「完全に絶滅」するアポカリプスの時代を生きることになった。
 たとえば、仮に、アウシュヴィッツ(ナチズムないしは全体主義)を徹底的に批判し、核兵器を完全に廃棄することができたとしても、私たちの生きる時代の「本性」は変わらない。人類絶滅はpossibleどころかprobableのままであることは変わらない。アウシュヴィッツを知ったものは、知らなかった時代に戻ることはできない。原水爆を作ることを知った人類は、核分裂を知らなかった人類に戻ることはできない。私たち人類が人類殲滅の思想と技術を手にしてしまった事実は覆せないのである。

……先ほどわたしは、間違ったオプティミズムを未然に防ぐために、既存の核兵器を破壊しても核に対する安全の保証にならないことを特に強調した。それでは核に対する安全が保証されないのは、先にも述べたように、われわれの破壊力を妨げるものがあるからだ。すなわち、「われわれの能力はわれわれ自身の能力によって制限されている」からである。――これは、われわれが破壊力を破壊しても、潜在的な製造である「ノウハウ」は同時に破壊されるわけではなく、製造方法に関する知識は無傷のまま残るからである。 (pp. 208-9)

廃絶の祈り続けむ二発から一万六千に増ゆ核兵器 
                            斉藤千秋 [5] 

 現実の世界では、核廃絶は夢のまた夢、政治家の美辞麗句に繰り込まれた虚言の片言にすぎない。世界は、核を保有することによって他国を全体主義的に脅迫している国家群と一方的に脅迫され続けている核を保有しない国に二分されている。つまり、国家の「境目は、「保有国」と「非保有国」とのあいだにある」(p. 238) のだ 。
 核保有国と非保有国の関係は、先進的資本主義国家が新自由主義に基づくグローバリゼーションによって経済後進(中進)国家群を周辺国化していく関係とみごとに対応している。世界を経済的(かつ軍事的)に支配する先進的資本主義国家群をネグリ&ハートは〈帝国〉と名付けた [6]。軍事的・経済的弱小国家群を核によって脅迫、支配している核保有国群は、〈帝国〉を構成する国家群とほぼ(完全ではないが)重なってしまう。
 しかし、核の問題に限って言えば、核保有国といえども安定的に存続しうるわけではない。核保有国家は、核を保有することによって「いっそう不安定」とならざるを得ない。

要するに、「核保有諸国(haves)」の無力さは、「非保有諸国」の無力さと少なくとも同じくらい危険である以上、現実に切り分けることなど問題外であるほど人類全体に等しく分け与えられているのだ。 (p. 239)

戦争が始まったときには、Aがミサイルを発射すればBの迎撃ミサイルが発射される(その逆のケースもある)から、技術的に考えれば、AのミサイルとBの迎撃ミサイル、Bの迎撃ミサイル、BのミサイルとAの迎撃ミサイルがワンセットの機構となるわけである。(…中略…)そのとき勃発するいわゆる戦争は、二つの敵のあいだの戦争ではなく、(…中略…)機構と機構のあいだの戦争でもなくて、――むしろそこで起こっているのは結合された機構による出来事であり、そこではそのつど二つの対立する部分(つまりAという党派とBという党派とのセット)が結合された全体となっている。こういう事実によって、二者対立という原則は意味を失うだろう。(…中略…)起こり得る戦争、思いのまま(ad libitum)迎撃ミサイルや迎撃ミサイルに対する迎撃ミサイルを駆使できる戦争は、もはや戦争ではなくむしろ融合した出来事であろう (pp. 261-2)

 アンダースは、けっして世界の終末の預言者として語っているわけではない。世界の終末が来るから備えよ、などという話ではない。私たちが生きているヒロシマ以後の世界の歴史的本質を語ろうとしているのである。

 われわれがすでに時の終わりに達しているかどうかは明確ではない。それに対して、われわれが終末の時代に、しかも最後に生きているのは確かである、つまりわれわれの生きている世界が危うくなっているのは確かである。
 「終末の時代に」と言うのは、われわれは毎日、終末を引き起こすことができる時代に生きていることを意味している。――そして「最後に」と言うのは、われわれに時間として残されているものは「終末の時代」であることを意味する。なぜなら、この時代はもはや他の時代に取り替えることはできず、それに取って代わるものとしては終末があるだけだからである (p. 285)

 私たちは、世界の終末がpossibleな時代を生きているということだが、チェルノブイリからフクシマという核事故を経験した現在、私にはそれがprobableへと次元が引き上げられたしか思えない。いずれにしても、核の時代は、勝利国もなく、敗戦国もなく、世界の終末として人類の終焉として終わることになる。終焉が必ず訪れるかどうかにかかわらず、私たちは終焉に向かう時代そのものを生きている。

 核兵器はアポカリプスをもたらしたが、原子力の平和利用として推進された原子力発電所もまたスリーマイル島、チェルノヴィリ、フクシマと続いた過酷事故によって核兵器に劣らぬ殺傷力をもつ「道具」であることがはっきりした。この「道具」を用いるようになった人類は、平和利用と人類殲滅の「プロメテウス的落差」に気づいているようには見えない。
 原発は、たしかに一瞬の殺傷能力は核兵器に遠く及ばないが、核兵器よりずっと大量の放射性物質(死の灰)を広範にまき散らすことによってじわじわと人類の生存を棄損していく。たとえば、チェルノブイリ事故による将来にわたる死者は98万5000人に達するというニューヨーク科学学会の評価 [7] がある。低レベルの放射線であっても、晩発性障害と遺伝性障害を通じて(長時間にわたって)私たちの生存を脅かす。
 フクシマの事故は、現時点での死者数はチェルノブイリよりはるかに少ないが、事故後まだ5年しかたっていない。晩発性障害はこれから顕在化してくるが、政府はさまざまな情報を隠蔽、歪曲しながらあたかも放射線の影響はほとんどないかのように喧伝している。国民がアポカリプス不感症を克服してしまえば権力にきわめて困難な政治経営を強いることは明らかだからである。
 原発もまた核兵器と本質的には同じであることは、次のようなアンダースの文章の「核実験」を「原発事故」に置き換えてもそのまま成り立っていることからも明らかである。

実際の核攻撃は言うまでもありませんが、たとえば核実験によっても、地球上のあらゆる生物を襲いかねない以上、どういう核実験をやっても、それはわたしたちに襲いかかります。地球は村になったのです。こことあそこという区別は消えています。次世代の人々も同時代人なのです。――空間について言えることは、時間についても言えます。核実験や核戦争は同時代の人々だけでなく、未来の世代にも襲いかかるからです。 (p. 101)

 私たちは、世界の終末をもたらす核の脅威にさらされていることをおそらくは理としては理解できる。それにもかかわらず、いわば安穏として暮らしている。不安や恐怖に襲われている人間を見ることはほとんどない。この「アポカリプス不感症の根源」はどんなものか。それは何よりも、世界の終末そのものを想像できないことにある。出来事が「閾を超えている」からだとアンダースは語る。私たちが経験しうる、あるいは人類がこれまで経験した危険による「周知の刺激」よりはるかに大きすぎて想像することができないのだ。「脅威は大きすぎるにもかかわらず見えないのではなくて、あまりにも大きすぎるから見えない」 (p. 152) ことがアポカリプス不感症を生み出す。

 われわれが経験しているアポカリブスの脅威が絶頂に達するのは、われわれには破局を思い描く用意ができていないからであり、その能力がないためである。(愛する者の死のような)消滅を想像するのさえ容易なことではないが、アポカリブスの到来を意識している者の課題と比べれば、それは児戯に類する。というのも、われわれの課題は、存在し持続すると思われる世界の範囲にある特定のものの消滅を想像することではなくて、その範囲そのもの、つまり世界そのもの、少なくとも人間の世界が消滅するのを想像することにほかならないからである。(思考力ないし想像力として、われわれの絶滅能力に対応できる)「完全消滅を想像する能力」は、われわれの自然な想像力を超えている。それは虚無の彼方なのだ。しかしわれわれは工作人としてそういう能力を有し、完全な虚無を造りだし得る以上、能力の有限性とか「限界」と言うべきではない。少なくとも虚無をも想像することを試みなければならない。 (p. 132)

 そして、終末における死はすべての人間に等しく訪れる死である。誰でも例外なく死ぬ。「みんながくたばる」のである。この普遍的な死は、個別例外的な危険でないためにあたかもその辺にいつでも転がっているようなささやかな危険のように意味を薄められてしまい、「脅威を意識する能力をほとんど例外なく奪われ」(p. 92) ることになってしまう。
 もう一つ、アポカリプス不感症の根源となっているのは、核を手にした〈帝国〉的権力による危険の矮小化があるが、一方、私たち自身による頽落的認識能力による日常的で無意識の矮小化が作用していることもあるだろう。

核の危険を矮小化するのに最もよく使われる手口は、分類を偽ることである。まず最初に、――「兵器」という言い方がすでにこういう誤魔化しのひとつなのだが――核「兵器」という言い方そのものが偽りの分類である。核「兵器」がもたらす恐ろしい結果を見れば、もう「兵器」というのは論外だからである。特に好んで使われるのが核を「砲弾」の部類に入れることだ――こういう分類をすると、「核兵器」の質的な違いが単に量的な違いに変えられてしまう。――同じことは「きたない」核兵器と「きれいな」核兵器という言い方についても言える。 (pp. 170-1)

 兵器は敵を殺すが、核は敵も味方も殺す。したがって、核は兵器のカテゴリーを逸脱しているということだ。
 アンダースは、「交通事故による死亡者数のほうが核実験による死亡者数より多い」(p. 175) と主張する矮小化の例も取り上げている。フクシマの事故においても、自動車事故による死者の方が多いという程度の低い欺瞞的言説がしばしば経済人などからなされている。事故の結果としての死者数で比較するなら、まず何十年も将来にわたって顕在化する死者数を取り上げる必要がある。先に挙げたチェルノブイリの推定死者数98万5000人のような数字を用いなければならない。
 ここで、原発事故と自動車事故の正しい比較をしておこう。フクシマ事故の死者数は政府や東京電力の隠ぺいがあって正しい数値を得ることが難しいが、いくつかの報道では事故関連死を1,000~3,000人とされている。ここでは、2016年3月6日付けの東京新聞による1,368人という低い値をあえて採用しておくことにする。
 2015年度の4輪自動車の総数は7,740万台(日本自動車工業会)、車の死亡事故は4,028件、死亡者は4,117人(交通事故総合分析センター)である。車の1台当たりの年間事故率は、0.0052%である。1事故当たり死者数は、1.022人である。
 日本の原発総数は54基である。そのうち、東京電力福島第一発電所の4基が事故を起こした。「道具(機械)」の事故率は7.4%である。1事故当たりの死者数は342人である。
 フクシマ事故による将来の死者を数えなくても、1事故当たりの死者数は圧倒的に原発の方が多い。ただし、事故率はこのままでは比較できない。原発による最初の発電は1963年であるから、2015年までの52年間で4基の事故なので、年間に直せば0.14%となる。それでも自動車事故の27倍の事故率である。これから将来にわたって明らかになるフクシマ事故の死者数を数えることになれば、車と原発の危険性を比較するなどということが、何の意味もないことは明らかだ。
 「自動車より原発が安全」などという愚昧な言説に付き合うのは本当にばかばかしいが、こうした言説が政府や経済界の要人から発せられていることは無視できない。彼らは死者数を間違った方法で比較し、間違った結論を導いているが、それにしても、10数万人が避難して故郷に戻れなくなるという自動車事故が歴史上あったかどうかも比較してみたらいいのである。
 腹立ちまぎれに無駄な寄り道をしてしまったが、本題に戻ろう。核の絶対的脅威の矮小化の方法には、まったく逆の方法があるとアンダースは指摘している。

……「控えめな言い方(understatement-idiom)」に劣らず矮小化する欺瞞のやり方は、いわば正反対に「誇張した言い方(overstatement)」である。すなわち、怖ろしいものを「厳かに語る」手口である。この手口も直接に噓をつこうとしているわけではない。「控えめに言う手口」と同じように、この厳かに語る手口も、恐ろしさを包み隠さず真実を述べることができる。怖ろしいものを美しいものを表す言葉に翻訳して、すなわち怖ろしいものをその(気高いという意味での)素晴らしさを強調して崇高なものとして語り、悪の極致を神学的なもの、「地獄的なもの」として語るからである。厳かに語る者がジェノサイドを語るときには、途方もなく怖ろしいものも低俗なものも見事な物悲しい光に包まれる。 (pp. 172-3)

 崇高化、聖性化による、事態の矮小化は事例が多い。靖国神社がその典型的な象徴である。愚劣な戦争の犠牲者を英雄と聖性化し、厳かに祀る。強制された自死に過ぎない特攻を「永遠のゼロ」などと美化する。それでいて、周辺国化された地の人々による〈帝国〉への絶望的な抵抗としての自爆テロを悪魔の所業のように罵る。言説が単なるご都合主義なのである。
 もう一つ、恐るべき矮小化の例をアンダースは挙げている。

 皆さんはみな「メガトン(megaton)」という言葉をご存じです。これはTNT火薬一〇〇万トンに相当する爆破力を表します。想像力のない連中はこう考えるわけです――、破壊の結果である一〇〇万人の死者に、破壊の手段のための用語に似た用語を使ってならないのはなぜか、と。とにかく使ってみようというわけです。つまり「メガトン」という言葉に似せて、一〇〇万の死体を表す「メガコープス」という言葉を造ったのです。
 ロンドンや東京のような数百万人も住んでいる巨大都市を攻撃すれば、五、六個の「大死体」、五つか六つかが出ると予想されますが、――それはそう酷いことではないわけです。それは計算機だけでなく、わたしたちのうちの誰でも、いずれ大死体に繰り入れられる人々でも、楽に処理できるからです。五つか六つなら、十分責任を果たせるように思われます。
 騙されないようにしましょう。ここで露わになっているのは、想像力の欠如だけではありません。想像力の意図的な破壊が露わになっているのです。自分自身の想像力の破壊だけでなく、他の人々の想像力の破壊も起こっています。こういう言葉を振り回す人々はおそらく、自分たちが畏れることなく準備している法外な事柄について勝手な想像をして、自分たちの活動力が萎えてしまうのを恐れているのでしょう、そうならないように、かれらはその下劣なものを、規模が見渡せるものに、つまり自分たちが親しんでいる小桁の掛け算表の数字に変えるのでしょう。 (pp. 109-10)

 こうして、私たちの精神は核による世界の終末という危機からどんどん遠ざけられ、感性が磨滅させられていくのである。

……われわれは逆転したユートピアンなのだ。ユートピアンは自分が想像するものを製造できないが、それに対して、われわれは自分が製造するものを想像することができない。  (p. 133)

 ヒロシマ以後の時代は、ヘーゲル-コジェーブ的な歴史の終焉などではなく、世界そのものの終焉を未来に持つ時代として続いているが、私たちが「アポカリプス不感症」であると気づいた人々はいる。実際に、反核運動も反原発運動も、そして反アウシュヴィッツとしての反人種差別運動も生起し、続いている。しかし、アンダースはこう言う。

 われわれの後ろには、数百万あるいは数十億の「反核ゲリラ」が肩を並べて並んでいるなどということはあり得ない。それどころか反核運動に加わっているわれわれは惨めな少数派であり、――いや、われわれはばらばらになっていて、まとまることがないため、ごく小さな集団というものでさえない。 (p. 149)

 それでは、私たちの闘いの相手は誰だろう。私たちが核の被害者だとしても、加害者である〈帝国〉的権力を維持する人間たちもまた同時に私たちとともに「殺されるべき存在」に過ぎないのである。

 幻想をいだくのは止めよう。間を置くわけにはいかないのだ。人類が「自分で自分を脅迫している」とか「人類の自殺」などという言い方は誤りであることは明らかであり、こういう言葉を使って期待をいくらかでもつなごうとするのは止めねばならない。時の終わりは別として、われわれの世界の終末という状況には、加害者と被害者という二種類の人間が含まれている。したがって反対運動を行う場合も、われわれはこのことを念頭においておかねばならない――われわれの仕事は「闘争」なのである。 (pp. 235-6)

 アウシュヴィッツにおける人種殲滅を人間が行いうる所業として知ってしまった人類、核という人類殲滅の道具を手にしてしまった人類は、何も知らなかった人類に戻ることはできない。出来ることは、終末のpossbilityを可能な限り下げ続ける闘いを続けることだけである。

 アンダースの警告の書は、次のような文章で終わっている。

 しかし唯一確実なのは、終末の時代と時の終わりとの闘いに勝利することが、今日のわれわれに、そしてわれわれの後に登場する人々に課されている課題であり、われわれにはこの課題を先送りにする時間はなく、後世の人々にとっても時間はないということである。なぜなら、(古いものだが、今日になってようやく完全に真実となったテキストに記されているように)「世界の終末には、これまでの時代よりも速く時代は過ぎ、季節も歳月も慌ただしく移りゆく」からである。
 つまり、われわれが昔の時代の人々よりも速く、その時代の時の流れ以上に速く走って、現代の時の流れを追い抜き、時の流れそのものがその場に達する前に、明日における時の流れの場所をあらかじめ確保しておかなければならないのは確かである。 (p. 286)

 

[1] 佐藤嘉幸、田口卓臣『脱原発の哲学』(人文書院、2016年)。
[2] ギュンター・アンダース(青木隆嘉訳)『時代遅れの人間 上・下』(法政大学出版会、1994年)。
[3] 渡名喜庸哲による引用、ジャン=リュック・ナンシー(渡名喜庸哲訳)『フクシマの後で――破局・技術・民主主義』(以文社、2012年)p. 176。
[4] ジャン=リュック・ナンシー(渡名喜庸哲訳)『フクシマの後で』(以文社、2012年) pp. 32-33。
[5] 斉藤千秋『朝日歌壇・俳壇』(2016年9月5日付朝日新聞)。
[6] アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート(水嶋一憲監、酒井隆史、浜邦彦、よした俊実訳)『〈帝国〉――グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』(以文社、2003年)。
[7] 佐藤嘉幸、田口卓臣『脱原発の哲学』(人文書院、2016年) p. 34。



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【書評】ジョルジョ・アガンベン(上村忠男訳)『到来する共同体』(月曜社、2012/2015年) その2

2015年12月14日 | 読書

 

【続き】


 もうすこし、形而上学的なアガンベンの理路を辿っておこう。

  アリストテレスによると、あらゆる可能態は二つの様相に分節されるという。これら二つの様相のうち、いまの場合に決定的なのは、彼が《存在しないことの可 能性(dymamis mē einai)》、あるいは無能力(adynamia)と呼んでいるものである。なぜなら、なんであれかまわない存在がつねに可能態としての性格をもってい るというのが真実であるなら、しかしまた、それがあれやこれやの特殊的な行為をなす能力があるにすぎないのでもなければ、能力を欠いていて、単純に何もで きないのでもなく、いわんや、全能であってどんなものでも無差別になしうるというのではないことも、同様に確実であるからである。存在しないでいることが できる存在、自ら無能力であることができる存在こそ、本来、なんであれかまわない存在なのである。 (pp. 49-50)

  「なんであれかまわない存在」は、無能力なのではない。あくまで「無能力であることができる存在」なのである。「存在していること」、「能力があることは なにがしかの行為を対象として持っている。しかし、「存在しないでいること」、「無能力であることができること」は、そのような能力を持つということ自体 が対象になっている。アガンベンは、それをpotentia potentiae〔能力の能力〕と呼んだうえで、「能力でもあれば無能力でもありうるような能力のみが至上の能力である」(p. 51) とする。
  このような「なんであれかまわない存在」のアンチノミー、不条理性を、アガンベンはメルヴィルの『バートルビー』の主人公の存在に見るのである。バートル ビーは、法律事務所に雇われた有能な書記なのだが、ある時から《書かないでいることのほうを好む》、《しないでいることのほうを好む》(I would prefer not to)と語り、仕事を拒むようになる。

  完全な書記行為は書くことの能力からやってくるのではなく、無能力が自分自身へと向かい、このようにして(アリストテレスが能動知性と呼んでいる)純粋の 行為として自らに到来することからやってくる。このため、アラブの伝統のなかでは、能動知性はクァラム〔Qualam〕つまり「ペン」という名をもち、計り知れない可能態を居場所とする天使の姿をしているのである。バートルビー、すなわち、ただ書くことを止めず、しかしまた《書かないでいることのほうを好 む》筆生は、自らの書かないでいる能力以外のものは書かないこの天使の極端な像にほかならない。 (p. 53)

  このように「なんであれかまわない存在」の本質についての議論がさらにいくつかの章を通じてなされているが、それは「なんであれかまわない」ところの個 体、個物それ自体の本性の追求であって、「他なるもの」や「他者」との関係性については必ずしも明確ではない。そういう点では、「外」と題する3ページに 満たない章は、きわめて示唆的に個体とその外部との関係を論じている。

 なんであれかまわないものは純粋の個物がとる形象である。なんであれかまわない個物は自己同一性をもたず、ある概念との閧連で限定をほどこされることもないが、しかしまたたんに無限定なものでもない。むしろ、それはあるイデア、 すなわち、その可能性の総体との関連をつうじてのみ、限定をほどこされる。この〔イデアとの〕関連をつうじて、個物は――カントが言うように――可能なも のすべてと隣接することとなるのであり、こうして、そのomnimoda determinatio 〔あらゆる様態における限定〕をある特定の概念やなにがしかの現実的特性(赤いとか、イタリア人であるとか、共産主義者であるとかいった)に参与すること からではなく、もっぱらこのように〔可能なものすべてと〕隣接しているということをつうじて受けとるのである。それはあるひとつの全体に所属するが、この所属はなんらかの在的な条件によって表象されることはありえない。 (pp. 85-6)

  可能なものすべてと隣接するとはどういうことだろう。「なんであれかまわない」こと自体が、「純粋の外在性、純粋の露呈状態以外の何物でもない」形ですべてに開かれていることを意味しており、そのまま「外部のできごと」なのである。その状態で、外部と接触する敷居=閾(Grenze(境界))があるとい う。

  ここで重要なのは、《外〔fuori〕》という概念が、ヨーロッパの多くの言語において、《戸口で》を意味する語によって表現されているということである (ラテン語の「フォレス〔fores〕」は「家の戸口」、ギリシア語の「テュラテン〔thyrathen〕」は文字どおり《敷居で》を意味する)。はある特定の空間の向こう側にある別の空間ではない。そうではなくて、通路であり、その別の空間に出入りするための門扉である。一言でいうなら、その空間の顔、その空間のエイドス〔eidos〕なのだ。
 この意味では敷居=閾は限界と別のものではない。それは、こう言ってよければ、限界そのものの経験、外の内にあるということである。このようなエク-スタシス〔ek-stasis:脱我の状態に入りこむこと〕こそ、個々の単独が人類の空っぽの手から受けとる贈り物にほかならない。 (p. 87)

 「なんであれかまわない存在」は、外部である「他なるもの」の時空と交流する。
  こんなふうに、「なんであれかまわない」ことの哲学的な概念が次第に明確になってくる。これまでは、まだ形而上学的な議論にとどまっているのだが、終章に 近づくにつれて、アガンベンの論述は観念上の論理世界から現代の地上における「なんであれかまわない単独者の共同体」の議論へと降り立ってくる。
 20世紀に入って、資本主義的商品化、消費の時代が進展するにともなって人間の肉体は広告のメディアに組み込まれる。それはある意味で、何千年もの間、宗教的スティグマ、神学的モデルからの人間の肉体の開放でもあった。

いまや人間の肉体は、類的なものでもなければ個的なものでもなく、神を象ったものでもなければ動物の容姿をしたものでもなく、ほんとうになんであれかまわないものに転化するのだった。 (p. 64)

 この消費社会にはもはや社会階級は存在しないとアガンベンは主張する。つまり、「惑星的なプチ・ブルジョワジー〔una piccolo bourghesis planearia〕存在するだけ」(p. 80) とする。

  だが、このことはまさしくファシズムとナチズムもまたつかみ取っていたことであった。それどころか、旧来の社会的主体が取り戻しようもなく没落してしまっ たことを明確に見てとっていたことこそ、それらが乗りこえようもなく近代に刻印されていることを証し立てている。(厳密に政治的な観点から見た場合には、 ファシズムとナチズムは乗りこえられてはおらず、わたしたちはなおもそれらの印のもとで生きているのだ)。しかしまた、それらが代表していたのはなおもま がいものの人民的アイデンティティにしがみついた一国的なプチ・ブルジョワジーであって、その人民的アイデンティティに依拠したところでブルジョワ的偉大 さの夢が作動していたのだった。これにたいして、惑星的なプチ・ブルジョワジーはこれらの夢からはすでに解き放たれており、それと認知しうるどんな社会的 アイデンティティをも放棄しょうとするプロレタリアートの傾向を自分のものにしてしまっている。存在するものいっさいをプチ・ブルジョワは仕草そのものの なかで無化し、頑固としてその無化された状態に執着しようとしているように見える。彼は非本来的なものと真正でないものしか認めない。そして本来的な言葉 という観念までをも拒否している。 (pp. 80-1)

  一国の閾を超えてグローバルに(惑星的に)広がったプチ・ブルジョワの世界。プチ・ブルジョワジーは、ネグリ&ハートのマルチチュードにイメージと、ス ティグレールの貧しい象徴しか持たない大衆にイメージを重ね合わせた存在のように見える。「プチ・ブルジョワの生活のばかばかしさ」は、「絶対に非本来的 で無意味なものに転化してしまっているアイデンティティをなにがなんでも自分のものにしようとして譲らないでいる」(p. 82) ことに由来する。そのうえで、アガンベンは、プチ・ブルジョワジーの否定性を、次のように積極的な肯定性に転倒させようとする。

こ のことは、惑星的プチ・ブルジョワジーとはたぶん人類が自らの破壊に向かって歩んでいくさいにとる形態であろうということを意味している。だが、このこと はまた、それは人類史上未曾有の機会を表象しているということ、この機会はなんとしても見過ごすわけにはいかないということも意味している。なぜなら、も し人間たちがなおも自らの本来的なアイデンティティなるものをすでに非本来的でばかげたものになってしまった個性のかたちで探し求めるのではなく、この非 本来性をあるがままに受けいれるとしよう。そのような自らのあるがままのありようを自己同一性とか個人の特性とかにするのではなく、自己同一性なき単独 性、だれにも共通で絶対的に万人の目に曝された単独性にすることに成功するとしよう。すなわち、もし人問たちがあれやこれやの個々人の伝記的な自己同 一性のうちにあってそんなふうに存在しているのではなく、無条件にそんなふうに存在しているにすぎず、それぞれが独自の外面性と顔つきをもっているにすぎ ないというようなことがありうるとしよう。そのときには、人類は初めてもろもろの前提や主体をもたない共同体、もはや伝達不可能なものを知らないコミュニ ケーションへと入りこんでいくだろうからである。
  新しい惑星的な人類のなかでその生存を可能にするそれらの性格を選り分けること、メディアをつうじてなされる悪しき宣伝広告活動をただひとり外部性のみ伝 達する完全な外部性から切り離している、薄い隔壁を除去すること――これがわたしたちの世代に託された政治的任務である。 (pp. 83-4)

  かくして、プチ・ブルジョワは、グローバルな広がりをもつ惑星の各地に存在する「なんであれかまわない単独者」たちとなる。いわば、マルチチュードと呼ば れる人々のさまざまなアイデンティティを縮約したような存在として立ち現れる。いや、マルチチュードのそれぞれのアイデンティティを捨象したうえで、すべ てのアイデンティティに開かれている存在と言うべきか。つまり、なんであれかまわないのである。

  最終形態における資本主義は――こうドゥボールは、当時愚かにもなおざりにされていた商品の物神性にかんするマルクスの分析をさらに徹底させて論じている ――もろもろのイメージの莫大な蓄積というかたちで立ち現われる。そしてそこでは、かつては直接に生きられていたもののいっさいが表象へと遠ざけられてし まう。しかしまた、スペクタクルは単純にイメージの領域、あるいはわたしたちが今日メディアと呼んでいるものと合致するわけではない。それは《イメージに よって媒介された人格間の社会関係》であり、人間的社会性自体の収奪と疎外にほかならない。あるいは、碑文休の定式で表現するなら、《スペクタクルとはイ メージに転化するほどまでの蓄積段階に達した資本にほかならない》。しかし、まさにそれゆえに、スペクタクルは分離の純粋形態以外のものではない。 (pp. 99-100)

  現代資本主義を語る思想家は多いが、アガンベンは、1968年を象徴するようなギー・ドゥボールの『スペクタクルの社会』に言及する。現代資本主義の生産 全体を「変造」してしまったスペクタクルは、スティグレールのハイパーインダストリアル時代におけるハイパーシンクロニゼーションと同じように「いまや集 合的な知覚を操作し、社会的な記憶とコミュニケーションを独り占めにして、それらを単一のスペクタクル商品に変貌させてしまう」(p. 100) のである。巨大資本(マスコミ)によるハイパーシンクロニゼーションが「われわれ」の共有する象徴を奪ってしまうように、私たちの「〈共通のもの〉の収奪 の極端な形態がスペクタクルにほかならない」として、アガンベンは、資本主義が生産活動ばかりではなく、私たちの言語活動や人間のコミュニケーション的本 性をも阻害するという点において「マルクスの分析には補充が施されなければならない」(p. 101) と主張する。

し かし、このことはまた、スペクタクルにおいてはわたしたちの言語的本性そのものが反転したかたちでわたしたちのもとに立ち戻ってくるということをも言おう としている。このために(まさに共通善の可能性そのものが収奪されようとしているために)スペクタクルの暴力はこんなにも破壊的なのである。しかし、同じ 理由から、スペクタクルはなにかそれへの対抗策として使用することのできる積極的な可能性のようなものを内包してもいるのである。 (pp. 101-2)

  アガンベンは、スペクタクル社会における言語活動の疎外を、ユダヤ教の聖典『タルムード』の中の寓話を引用して《シェキナーの孤立》に喩える。「シェキ ナー」とは神の10の属性の一つで「神の顕現の最も完成された形態」である「認識と言葉」を意味する。スペクトル社会が言語(活動とコミュニケーション) を疎外することは、あたかも神の属性の中からシェキナーを分離し、孤立させてしまったことに相当しよう。そして、ある意味では、孤立することでそのほかの 神によって「啓示されるものから〔言語活動を〕を分離し、自立した存立を獲得してしまっている」(p. 103) ことになる。

〔……〕 スペクタクルの社会においては、このコミュニケーション的本質そのもの、この漠然とした一般的本質そのもの(すなわち言語活動)が他から切り離されて自立 した領域を形成するようになる。コミュニケーションを妨害しているのは、コミュニケーション能力そのものである。人間たちは人問たちをひとつに結びつけて いるものから切り離されるのだ。ジャーナリストとメディアクラットがこの人間の言語的本性からの疎外の新しい僧侶である。 (pp. 103-4)

  「この惑星のいたるところで伝統と信念、イデオロギーと宗教、アイデンティティと共同性を解体し空っぽ」になり、言語活動はそれらから切り離されて孤立し ているスペクトル社会は、きわめて逆説的なことだが、孤立しているからこそ純粋な「言語活動そのもの」、「人が語るという事実そのものを経験することが初 めて可能になった時代」(p. 100) なのである。

  それ〔いっさいを荒廃させてしまう言語活動の経験〕を徹底的に遂行して、啓示する者がそれの啓示する無のなかに隠蔽されたままとどまっていることをゆるさ ず、言語活動そのものを言語活動にもたらすことに成功する者たちだけが、もろもろの前提も国家ももたず、共通のものを無化し運命づける力が鎮静化され、 シェキナーが自らの孤立した状態の邪悪な乳を吸うことを止めるような共同体の最初の市民であるだろう。 (p. 105)

 私たちの言語にかかわる諸々が荒廃されてしまった中から、孤立した言語活動を純粋な単独者の言語活動として反転させて立ち上げたものが「なんであれかまわない単独者」としての共同体を形成するだろう。そうアガンベンは言うのである。
 なんであれかまわない単独者の政治とはいかなるものか、アガンベンはその答えを最終章で天安門事件からくみ上げる。

  じっさいにも、中国の一九八九年五月のデモにおいて最も衝撃的なのは、特定の要求内容が比較的不在であったことである(民主化と自由は衝突の実際的な対象 を構成するにはあまりにも漠然としていてつかみどころのないスローガンである。そして唯一の具体的な要求であつた胡耀邦の名誉回復は速やかに讓歩されてい た)。それだけに国家権力による反動の暴力は説明しがたいように見える。それでもたぶん、釣り合いがとれないように見えるのはあくまでも外見上のことで あって、中国の指導者たちは、彼らなりの観点になったところから、もろもろの論点をもっぱら民主主義と共産主義の対立というますます説得性を失いつつある 対立にもっていこうと腐心している西洋の傍観者たちよりもはるかに大きな明晰さをもって行動しているのだった。 (pp. 107-8)

  もうすでに現在の政治闘争は国家主権の奪取のようなものではなく、「国家と非国家(人類)のあいだの闘争、なんであれかまわない単独者たちと国家組織との 埋めることのない分離になる」(p. 108)という。なんであれかまわない単独者たちは国家に要求すべきアイデンティティを持たない。国家に承認させるべき所属のきずなももたない。

し かし、複数の単独者が寄り集まってアイデンティティなるものを要求することのない共同体をつくること、複数の人間が表象しうる所属の条件を(たんなる前提 のかたちにおいてであれ)もつことなく共に所有する〔co-appartenere〕こと――これこそは国家がどんな場合にも許容することのできないもの なのだ。というのも、国家の基礎をなしているのは――バディウが明らかにしたように――それが体現しているという社会的なきずなではなく、そのきずなの解 体であるからであって、これを国家は禁ずるのである。国家にとっては、重要なのは断じて単独者そのものではなく、あくまでもその単独者がなんであれかまわ ないがひとつのアイデンティティのうちに包含されていることであるにすぎない(しかしまた、そのなんであれかまわないもの自体がアイデンティティをもつことなく取り戻されること――これこそは国家が折り合いをつけるにいたる気にはなれない脅威なのだ)。 (p. 109)

  たぶん、アガンベンが結論付けようとしているのは、「なんであれかまわない単独者」たちの共同体こそ、反国家的存在そのもの、反権力的存在そのものだとい うことだろう。存在自体を国家(政治権力)が許容できない「到来する(すべき)共同体」なのであって、冒頭に引用した結語に述べられているようにそのよう な共同体を恐れる政治権力は、「遅かれ早かれ戦車」を送り出すのである。
 「なんであれかまわない単独者」たちの共同体が存在することが、すでに政治闘争そのものなのである。

 

 

 

[1] ジグムント・バウマン『《非常事態》を生きる ――金融危機後の社会学』(作品社、2012年)
[2] ベルナール・スティグレール『象徴の貧困』(新評論、2006年)
[3] アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート(水嶋一憲、清水知子訳)『反逆』(NHK出版、2013年)
[4] ベルナール・スティグレール(ガブリエル・メランベルジェ、メランベルジェ眞紀訳)『愛するということ―「自分」を、そして「われわれ」を』(新評論、2007年)
[5] アルフォンソ・リンギス(野谷啓二訳)『何も共有していない者たちの共同体』(洛北出版、2006年)
[6] アマルティア・セン(大門毅、東郷えりか訳)『アイデンティティと暴力』(勁草書房、2011年)
[7] ギー・ドゥボール(木下誠訳)『スペクタクルの社会』(ちくま学芸文庫、2003年)。

 


 


 

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【書評】ジョルジョ・アガンベン(上村忠男訳)『到来する共同体』(月曜社、2012/2015年) その1

2015年12月14日 | 読書

 

 到来する存在はなんであれかまわない存在〔essere qualunque〕である。 (p. 8)

 これが本書における文頭の文である。そして、様々な知見、論証を経めぐったのち、巻末に置かれた結論(ないしは宣言、または予言)は次のようなものである。

 所属そのもの、自らが言語活動のうちにあること自体を自分のものにしようとしており、このためにあらゆるアイデンティティ、あらゆる所属の条件を拒否する、なんであれかまわない単独者こそは、国家の主要な敵である。これらの単独者たちが彼らの共通の存在を平和裡に示威するところではどこでも天安門が存在することだろう。そして遅かれ早かれ戦車が姿を現わすだろう。 (pp. 110-11)

 そして、「訳者あとがき」には、岡田温司が著書『アガンベン読解』のなかで、この最後の言葉を取り上げたうえで「《われわれは少なからず戸惑いを覚えないではいられない》と率直な疑問が呈されている」と記されている。この「戸惑い」は何に由来するのだろう。『アガンベン読解』を読んでいないのでこれは単なる憶測に堕するかもしれないが、次のようなことではないだろうか。
 現代の私たちの望ましい(とアガンベンが考えた)存在のありようとして「なんであれかまわない単独者」たちの共同体こそ政治権力に正しく向き合うことのできる「われわれ」(スティグレールが言うところの)であればこそ、それを怖れる政治権力は天安門事件のように戦車によって弾圧を試みるだろう。いわば、天安門事件のような不幸な結末を予言するようなアガンベンの言葉に「戸惑い」を覚えたと思われる。
 しかし、アガンベンがここで強調したかったのは、「戦車が姿を現わす」と象徴的に表現するほどに、政治権力は「なんであれかまわない単独者」たちの共同行動を怖れているということにほかならない。権力が真に怖れない存在などに変革が期待できるはずもない。アガンベンの力点はその点にあると私は考える。

 『リキッド・モダン』(ジグムント・バウマン)[1] と呼ばれる流動的な時代において、『象徴の貧困』(ベルナール・スティグレール)[2] と名指されるほどに人々は共有すべき価値を喪失している。人々は、政治権力(資本)に対抗しうるとみなされてきた労働者(プロレタリアート)というアイデンティティもほぼ失ってしまった。そんな時代において、ネグリ&ハートは、マルチチュードという多数多様性を本質とする新しい階級による『反逆』[3] を語る。スティグレールは、私たちの差異をことごとく排除しようとする資本によるハイパーシンクロニゼーションに対抗するには集団的個体化によって形成された「私」と「われわれ」が新しい象徴を「創り出すinventer」ことが闘いであり、ラディカルな批判になると『愛するということ』で主張する [4]
 マルチチュードは、それ以上に縮減できない多数多様な人々、単純な共同性を見ることができないほどの多様性を特徴とする。こうした人々が形成する共同体に『何も共有していない者たちの共同体』(アルフォンソ・リンギス)[5] を重ね合わせることができよう。「何も共有していない者たちの共同体」は、スティグレールの豊かな象徴を共有する「われわれ」とは一見異なるように見えるが、それは深度の差に過ぎないだろう。スティグレールは、哲学や社会学、あるいは政治学や経済学が対象、ないしはフィールドとしてきた合理的言説によって維持される共同体を前提としているが、リンギスは国家や地域コミュニティを超えた人間そのもの、あるいは類としての「根源的なもの」を共有する共同体を想定している。二つの共同体は(理念的には)互いに包含すべき概念を有しているのである。

 アガンベンは、政治権力へ立ち向かうべき「到来する共同体」の一人ひとりの本質をさらに存在論的にいっそうラディカルに定義し、「なんであれかまわない単独者」たちをその共同体の成員として措定するのである。
 上に引用した巻頭と巻末の文の間で、著者は「なんであれかまわない」こととは何かを論じている。全体で19章のそれぞれの章は比較的短くまとめられ、時としてアフォリズムのようでさえあって、そのため私には理路が見えにくくなることもないではなかった。
 その19章の中で参照されるのは、アガンベンらしい該博な知識によって、ギリシア哲学からスコラ哲学、スピノザ、ニーチェ、ハイデガー、ベンヤミン、ギー・ドゥボールに及び、さらには旧約聖書やタルムード(キリスト教神学やユダヤ教神学)やアラブ学者の説、文学ではカフカ、メルヴィル、ヘルダーリン、ローベルト・ヴァルザー(私は読んだことがないスイスの作家)などである。
 冒頭の「到来する存在はなんであれかまわない存在である」は次のような文章に続く。

 スコラ学において超越概念が列挙されるとき(quodlibet ens est unum, verum, bonum seu perfectum:なんであれ存在するものは一であるか、真であるか、善であるか、それとも完全であるかのいずれかである〔カント『純粋理性批判』B114参照〕)、それぞれのうちにあっては思考されないままにとどまっていながらも、他のすべてのものの意味を条件づけている語は、quodlibetという形容詞である。このラテン語の形容詞は《なんであるかは関係がない》という意味に訳されるのが普通であるが、これはたしかに正確な訳である。だが形式においては、そのラテン語は厳密には正反対のことを言っている。quodlibet ensと/いうのは《なんであるかは関係がない存在》ではなくて、《なんであれ関係があるような存在》のことである。すなわち、そこにはすでにつねに望ましい(libet)ということへの送付が含意されているのであって、望ましい存在は願望と本源的な関係を有しているのである。 (p. 8)

 じつは、私の「戸惑い」は冒頭の「なんであれかまわない存在」というフレーズそのものにあった。「なんであれかまわない」という言葉に、主体の放棄や絶望のニュアンスを感じたのだったが、「なんであれ関係があるような」と等価な「なんであるかは関係がない」という意味で「なんであれかまわない」のであれば、そこに無限定の可能性を想定できそうで、その「戸惑い」はすぐに解消した。(それにしても形而上学である。若いころ、形而上学的な議論を軽蔑し、軽視する(唯物論の立場から)ような風潮のなかで生きてきたので、あまり真剣に形而上学を読んだり学んだりしなかったのである。実験物理学という職業がそれに拍車をかけて、いま本を読みながら苦しんでいるのである。)
 さて、「なんであれかまわない」ということは「なんであってもいい」ということではない。そうでなくてはならないと思うのだが、それではいっそう概念の具体性が薄れてしまう。そうした疑念に応えるように、「なんであれかまわない存在」とはどういう存在か、という論述が本書の大部をなしている。

じっさいにも、ここで問題になっている〈なんであれかまわないもの〉は、個物ないし単独の存在をある共通の特性(たとえば、赤いものであるとか、フランス人であるとか、ムスリムであるとかといったような概念)にたいして無関心なかたちで受けとるわけではなく、それがそのように存在しているままに〔ありのままに〕受けとるにすぎない。このことによって、個物ないし単独の存在は認識に個別的なものの言表不可能性と普遍的なものの可知性のいずれかを選択することを余儀なくさせる偽りのディレンマから解き放たれる。可知的なものとは、ゲルソニデスのみごとな表現によれば、普遍的なものでもなければ、ある系のなかに包含された個別的なものでもなく、《それがどんなものであれ単独の存在であるかぎりでの単独の存在》であるからである。 (p. 9)
〔訳注〕――ゲルソニデスは本名レヴィ・ベン-ゲルション(Gersonides; Levi ben-Gershon, 1288-1344)。アリストテレス哲学とユダヤ神学の批判的総合をくわだてた中世フランスの哲学者・聖書解釈学者で、数学者・自然学者でもあった。主著はMilamot Adonai (『主の戦い』一三二九年)。 (p. 11)

愛は〔事物を品質づける〕述語のすべてを余すところなく具えた事物を欲する。事物がそのように存在するままに存在することを欲する。愛が何ものかを欲するのは、それがそのように存在するままに存在するかぎりにおいてのことである。これが愛に特有のフェティシズムである。こうして、なんであれかまわない単独の存在(〈愛する価値のあるもの〉)は、けっして何ものか、あれやこれやの性質ないし本質を知っているわけではなく、あくまでも知る可能性があるということを知っているにすぎない。 (pp. 10-1)

 「なんであれかまわない存在」の具体的イメージとして最初に参照されるのは、キリスト教(カソリック)世界で想定されているリンボ(孩所、辺獄)で生きる死せる赤ん坊である。洗礼を受けずに死んだ幼児は原罪以外の罪を持たないのだが、「もっぱら何ものかが奪い去られてしまっているという罰、すなわち、いつまで経っても神のヴィジョンをもつことができないでいるという罰」(p. 12) のみを受けることになる。しかし、それ以外にどんな苦しみもない。彼らは神に見捨てられたのだが、彼ら自身も神を見失って(忘れて)いる。いわば、彼らは道を失っているのだが、生まれたそのまま(死者だが)に自然に孩所で生きることになる。「彼らはいつまで経っても売り捌き先を見つけられない幸福感で満たされている」(p. 14) のである。
 また、ヴァルザーやカフカの小説も参照される。ヴァルザー作品の登場人物たちは、自分が取るに足らない人間であることを自慢するのだが、それは「なによりも彼らが救済にたいして中立の立場をとっていることの証しであり、救済の観念そのものにたいしてこれまで申し立てられてきた最もラディカルな異議」(p. 14) である。

 処刑するはずであった機械が壊れたために生き延びて解放されたカフ力の『流刑地にて』の罪人のように、彼らは罪と裁きの世界に背を向けたまま放置されている。彼らの額に降り注ぐ光は、最後の審判の日に続いてやってくる夜明けの――取り返しのつかない――—光である。だが、最後の日のあとに地上で始まる生は、単純に人間の生なのだ。 (p. 15)

 神を忘れてしまった者、神が忘れてしまった者、救済されるべきものを何一つもたない者に対しては、「そうした生にたいしてはキリスト教的オイコノミア〔統治〕の重厚な神学機械も難破せざるをえない」(p. 14) のである。彼らはすでに(キリスト教社会にあっては)「なんであれかまわない存在」となっている。 
 アガンベンは、「なんであれかまわない存在」は個別的な存在であるとともに、普遍的な存在でもあると考えている。

 普遍的なものと個別的なもののアンチノミーを逃れているひとつの概念がずっと前からわたしたちによく知られていた。見本〔esempio〕という概念がそれである。見本がその力を発揮するどんな領域においても、見本の特徴をなしているのは、それが同一のジャンルのすべてのケースに妥当するものであると同時にそれ自体それらのケースのなかに含まれているという事実である。見本は、それ自体が個物のなかのひとつの個物でありながら、他の個物のそれぞれを代表する立場にあって、すべてに妥当する。 (p. 17)

赤い存在ではなくて赤いと名指される存在、ヤコブという存在ではなくてヤコブと名指される存在が、見本を定義する。 (p. 18)

それは〈最も共通のもの〉であって、およそあらゆる現実の共通性を切断してしまうのだ。ここから、なんであれかまわない存在の無力な汎妥当性が出てくる。ただし、それを無感動と取り違えてもならないし、ごたまぜ状態ないし唯々諾々と取り違えてもならない。これらの純粋の単独者は、あくまでも見本の空虚な空間のなかで、なんらの共通の特性、なんらの自己同一性によっても結びつけられることがないままに交信しあう。それらの単独者は所属そのもの、記号∊を自らのものにするためのあらゆる自己同一性を剝奪されてしまっている。トリックスタ-ないし無為の徒、助手ないしカートゥーンとして、彼らは到来する共同体の見本にほかならない。 (p. 19)

 なんであれかまわないものであることは個物ないし単独の存在を知るための基本要素であって、これがなくては存在も個体化も考えることができない」(p. 27) とアガンベンは述べたうえで、スコラ哲学における個体化を考察する。ドゥンス・スコトゥスは、共通の性質があらかじめ実在していて、それに《究極にあるもの》、「このもの性」が付けくわえられることで個体化が成されるとして、共通の性質と「このもの性」に本質的な差異はないと考えるのだが、それでは個物のなんであれかまわないことに言及することができない。そこで、アガンベンはスピノザを参照する。

しかしまた(『エチカ』第2/部定理37によれば)共通なものはけっして個物の本質を構成しない。ここで決定的なのは、非本来的な共通性という観念、なんら本質にはかかわらない一致という観念である。もろもろの個物が延長という属性において生起しこれをつうじて交信しあうことはそれらを本質〔essentia〕において結合するのではなくてそれらを現実存在〔existentia〕という形態において散種することとなるのである
 もろもろの個物にたいする共通の性質の無関心ではなくて、共通のものと独自のもの、類と種、本質と偶有的なものの無差別が、なんであれかまわないものを構成するなんであれかまわないものとは、すべての特性を具えながらも、そのうちのどれひとつとして差異を構成することのないもののことである。もろもろの特性にたいして無差別であることが、もろもろの個物を個物として識別させ散種させるのでありそれらを愛する価値のあるもの(quodlibetなもの)にするのである。 (pp. 29-30)

 こうして個別的なものと共通なものは無差別なものとなって、可能体から現実体へ、あるいは現実体から可能体へと「役割を交換しあい、相手のなかに侵入していく」ことになる。このような移行のプロセスで「産み出される存在がなんであれかまわない存在」(p. 32) なのである。
 中世の論理学の言葉であるマネリエス〔maneries; maniera〕は、個物の存在に関係するのだが、その語源や意味が明確にされていない。いくつかの参照の後、アガンベンはマネリエスの語義を次のように結論する。

すなわち、マネリエスは類でも個でもない。それはひとつの見本、つまりはなんであれかまわない個物なのだ。だとすれば、たぶん"maneries"という術語はmanere 〔とどまりつづける〕から派生したものでもなければ(存在の住処そのもの、プロティノスの言うモネー〔monē,とどまるもの〕を表現するさいには、中世の人々はmanentiaとかmansioと言っていた)、(近代の文献学者たちがそう想定したがっているように)manus 〔手〕から派生したものでもなく、 manare 〔発する〕から派生したものなのだろう。すなわち、発生状態にある存在を指しているのだろう。これは、西洋の存在論を支配している区分法にしたがって言うなら、本質でもなければ現実存在〔実存〕でもなく、発生の様式である。あれやこれやの様式において存在している存在ではなく、その存在の様式そのものであるような存在、それゆえ、単一的で無差別ではないものでありつづけながらも、数多的ですべてに妥当するような存在である。 (pp. 40-1)

自分自身の下にとどまりつづけているのではない存在。隠れた本質として自らに前提されているのではない存在、偶然や運命がそのあとで品質づけの責め苦へと追いやるのではなくて、それらの品質づけのなかで自らを曝す存在。余すところなくあるがままの姿をしている存在。そのような存在は偶然的でも必然的でもなく、いわば、自分自身の様式から不断に産み出されるのである。 (p. 41)

 だが、発生の様式はなんであれかまわない個物の住まう場所でもある。そして、その個体化の原理でもある。じっさいにも、自分自身の様式にほかならない存在にとっては、このような発生の様式はその存在に本来具わっていてそれを本質として規定し同定するようなものではなく、むしろ、その存在にとって非本来的なものである。しかしまた、この非本来的なものがそれの唯一無二の存在と見なされて自分のものにされるということが、それを見本的な存在にしているのである。(pp. 42-3)

 「なんであれかまわない存在」は、その存在自体が持つ様々なアイデンティティが何であれかまわないのである。それは、例えばアマルティア・センが『アイデンティティと暴力』[6] において、個人には多様なアイデンティティがあり、そのどれをもその主体から外すことはできないと主張したことと隔たりがあるように見える。
 しかし、センは、一人の人間を一つのアイデンティティに押し込めてしまうことが暴力を生み出す機制を明らかにしようとしたのであって、いわば、きわめて具体的、現実的な社会そのものに沿った議論をしているのである。形而上学的な議論の段階では、アガンベンとセンの主張を比較するのはまだ早いようである。

 

[1] ジグムント・バウマン『《非常事態》を生きる ――金融危機後の社会学』(作品社、2012年)
[2] ベルナール・スティグレール『象徴の貧困』(新評論、2006年)
[3] アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート(水嶋一憲、清水知子訳)『反逆』(NHK出版、2013年)
[4] ベルナール・スティグレール(ガブリエル・メランベルジェ、メランベルジェ眞紀訳)『愛するということ―「自分」を、そして「われわれ」を』(新評論、2007年)
[5] アルフォンソ・リンギス(野谷啓二訳)『何も共有していない者たちの共同体』(洛北出版、2006年)
[6] アマルティア・セン(大門毅、東郷えりか訳)『アイデンティティと暴力』(勁草書房、2011年)
[7] ギー・ドゥボール(木下誠訳)『スペクタクルの社会』(ちくま学芸文庫、2003年)。

【続く】



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【書評】ベルナール・スティグレール『愛するということ―「自分」を、そして「われわれ」を』

2015年12月07日 | 読書


ベルナール・スティグレール
(ガブリエル・メランベルジェ、メランベルジェ眞紀訳)
愛するということ―「自分」を、そして「われわれ」を
(新評論、2007年)

 

 書架にスティグレールの名前を見つけて手を伸ばしかけたとき、「愛するということ」というタイトルに一瞬手が止まった。恋愛教本や宗教入門書の類かと一瞬思ったのだが、もちろんそんなことはない。『象徴の貧困』『現勢化―哲学という使命』と部分的には内容が重なっているが、講演をもとにしているためスティグレール哲学が比較的理解しやすい文章で語られている(もともと、フランスの哲学者としてはスティグレールの語り口は理解しやすいのだが)。
 『象徴の貧困』では2002年のフランス大統領選挙で極右のジャン=マリー・ルペンが第2位の票を獲得したこと、『現勢化』では自らの5年からの獄中での生活というように、現実に生じた事件や経験をベースに哲学が語られるのだが、本書もまた、現実の事件を契機として紡がれている。

この本のもとになった講演を構想したのは、社会が三つの事件のショックからまだ醒めやらぬ時期(二〇〇二年春)でした。それらの事件とは、二〇〇一年九月一一日のテロ、二〇〇二年四月二一日のフランス大統領選第一回目投票で、極右政党である国民戦線の党首が二位に付けたこと、そしてその直前の同年三月二六日に、リシャール・デュルンという青年がパリ郊外のナンテールで引き起こした市議会襲撃事件です。絶望し、逆上した人たちによって引き起こされた二つの悲劇(これらは数多の事件の三つの際立った例であるにすぎないのですが)は、個別の事情はともあれ、根幹においては互いに無関係ではないように私には思われたのです。 (pp. 2-3)

 本書では特に、リシャール・デュルン事件を参照しつつ、「愛するということ」、「自己愛」について語り始めている。訳注によれば、リシャール・デュルンが引き起こした事件は次のようなものであった。

 二〇〇二年三月二六日、フランスの青年リシャール・デュルン(三三歳)はパリ郊外のナンテール市議会で銃を乱射し、市議会員八名を殺害し一九人を負傷させた。彼は逮捕されたが二日後投身自殺する。 (p. 21)

 デュルンは、「生きている実感」を持てずにいて、「人生でせめて一度、生きていると実感するために、悪事を働かねばならない」と日記に記していたという。

 リシャール・デュルンが苦しんでいたのは、本源的な(基盤となる、原型としての)ナルシシズムの能力が構造的に剝奪されていたからです。ここで「本源的なナルシシズム」と私が呼んでいるのは。プシュケpsychè 〔人間の生命原理としての魂、心。「姿見=鏡」をも示す〕の機能に欠かせない構造としての自己愛のことです。この自己愛は時には病的に過剰になることもありますが、しかしそれがなければいかなる形での愛も不可能になってしまう基本なのです。  (pp. 21-2)

 本源的ナルシシズムは、もちろん「私」を愛するのだが、その「私」は本来的には「われわれ」と深く結びついている。つまり、「われわれ」のナルシシズムというものもあるとスティグレールは言う。デュルンは、自分のナルシシズムを作り上げることができず、したがって「われわれ」に参加することができない。「市議会という本来は「われわれ」の代表であるものの内に……自分を苦しめるだけの「他」という現実を見てしま」ったがゆえに「その「他」を破壊した(pp. 22-3)のである。

 しかしながらわれわれ現代人は、大変特殊な意味においてナルシシズムの苦悩に直面しています。その特殊性とは、現代人がとりわけ「われわれ」のナルシシズムの点で、いわば「われわれというものの病によって苦しんでいるということです。私が「」になれるのは、ある「われわれ」に属しているからこそなのです。「」も「われわれ」も個となっていくプロセスなのですが、そうである以上、「」そして「われわれ」というものはある歴史を有しています。それぞれの「われわれ」が異なる歴史を持っているという意味だけではありません。大事なのは、「われわれ」というものの個体化の条件が、人類の歴史の中で変化するということなのです。 (p. 25)

 スーパーインダストリアル時代としての現代は、資本の支配を通じた消費や情報のシステムによって「私」や「われわれ」の個となっていくプロセスを妨げるという「われわれ」というものの病が生まれる機制を論じたのが『象徴の貧困』であった。
 私たちは、集団的個体化というプロセスを通じて「私」と「われわれ」を確立していくが、それはシンクロニゼーション〔共時化、一体化〕とディアクロニゼーション〔個別化、固有化〕という正反対の作用の協調的な組み合いによってもたらされる。
 シンクロニゼーションは、過去から現在に至る歴史や文化を人々と同時的に共有化するプロセスで、そのとき、いかに豊かに「象徴(シンボル)」を共有しうるかが優れて「われわれ」たりうるかを決定する。一方、ディアクロニゼーションは、「われわれ」が共有する象徴から「私」固有の象徴(スティグレールはそれをディアボルという造語で呼ぶ)を分離し、「われわれ」の中で自立する「私」を形成することを意味する。
 シンクロニゼーションとディアクロニゼーションは、社会の一成員として生きる「われわれ」のなかの一人としての「私」の意味を与えるプロセスである。ハイデガー風に言えば、世界内存在としての現存在の意味を与えるということだ。こうした「われわれ」と「私」の集団的個体化がうまくできなければ私たちは自己愛としての対象としての「われわれ」と「私」を持つことができない。このことが、デュルンの犯罪の根源にあったとスティグレールは見ているのである。

自分たちのことを「われわれ」と言えるためには、同じ暦と地図のシステムを共有していなければなりません。同じカレンダーを参照することができなければ、つまり共通の時間を共有していなければ、そして共通の空間的表象を有しそこで方角の配置を共有していなければ――たとえば通りの名や地図や交通標識を読めないとしたら――、互いによそ者だということでしょう。ある「われわれ」が自分にとって親しみ深いものとなるのは、このようなものを共有しているからなのです。ところが今日では、暦や地図のシステムはグローバル化した文化産業によってコントロールされるものとなってしまいました。 (p. 42)

 「われわれ」が共有すべき「同じ暦と地図のシステム」については、きわめて重要な政治的な意味があるとおもう。つまり、同じ暦と地図のシステムを破壊してしまえば「われわれ」という意識(を持つ集団)は瓦解し、ばらばらに孤立した人々はたやすく政治支配の網にとらえられることになる。
 「同じ暦」としての歴史を修正・歪曲しようとする政治的企図には(自覚的であれ無自覚であれ)そういう悪意ある政治的意図が含まれる。情報(マスコミ・ジャーナリズム)の政治支配は、地図システムの参照を困難にするだろうし、場合によっては権力による地図の書き換えを許してしまうだろう。
 スティグレールはこのような政治的意味を明示的には述べていないが、9・11や極右の台頭、若者の政治的犯罪に対抗しうるものは私たちに本来的に備わっているべき「われわれ」と「私」なのだが、スーパーインダストリアル時代の消費社会が「われわれ」と「私」を著しく損ねていると主張しているのである。

消費活動とは〔……〕、「」と「われわれ」を混同させ、両者の違いを消し去り、そうすることでまさに両者を「みんな」に変えてしまうという傾向をもちます。そしてこの消費活動を組織化するということは、「たちシンクロさせようとすることなのです。そもそも私が「」であると言えるのは「」がディアクロニーである、つまり「」の時間が「あなた」の時間と異なるからこそなのですが、だからこそ消費の組織化は「」たちの差異がもうなくなるほど「」たちをシンクロさせようとするのです。そうなると、自分自身を愛する気持ちつまり自己愛は失われていってしまいます。なぜなら、私の行動すなわち消費活動が他者の行動すなわち消費活動とシンクロすることで〔……〕私の特異性が消し去られていけば、「」は次第に抹消されていき、私の「」らしさがこうして徐々に消えていけば、私はもう自分を愛せなくなってしまうのです。そして自分のことが愛せなくなると、他者のことももう愛することができません。 (pp. 27-8)

 そして今日――これは現代の特徴、それも悲惨なまでに貧しい特徴なのですが――、「」と「われわれ」の連結は、消費という様態であらたなものを取り入れよというヘゲモニー的な至上命令に従属してしまっているのです。 (p. 37)

 本来、シンクロニゼーションとディアクロニゼーションの組み合いで「私」と「われわれ」が形成されるのだが、ハイパーインダストリアル時代では情報や消費における資本主義的活動が私たちに過剰なシンクロニゼーションを強いる。そのため、私たちは個性を失い、「みんな」という言葉で括られるような集団の中の非個性的で孤立したばらばらな一人になってしまう。それは「個性的なあなたに!」などという何とも皮肉なCMによって誘因される消費行動という形で現れてくる。

〔……〕文化産業の発展はハイパーシンクロニゼーションをもたらすことでディアクロニゼーションを排除し、しかも逆説的なことに、ハイパーディアクロニゼーシヨンを生み出してしまうのです。ハイペーディアクロニゼーションとはつまり、象徴に関する領域から切り離され、個人と集団の時間が分離してしまうことであり、ディアクロニックなものとシンクロニックなものが分-解dé-compositionしてしまうということです。 (p. 56)

 私たちが社会(世界と言ってもいいが)を認知するとき、3つの過程を経ている。いまここの時間の流れの中で、見たり聞いたりして認知することを第一次過去把持と呼ぶ。第一次過去把持で獲得した記憶をあとで思い出すプロセスを第二次過去把持と呼び、これが私たちの「意識の過去を構成して」(p. 90)いる。
 人間は自分自身の記憶ばかりではなく、第三の記憶として、本、録音、映画、ビデオなど(歴史的に発明されてきた道具類も含めて)による第三次過去把持を利用する(スティグレールはこの第3の記憶を「後成系統発生的(エピフィロジェネティック)épiphylogénétiqueな記憶」(p. 110)と名付けている)。
 この近代産業によって肥大した第3次過去把持が私たち一人ひとりの記憶である第1次と第2次過去把持をコントロールするようになる。

 一千万の人々が同じ番組――同じオーディオビジュアルの時間的商品――を見るとき、その人たちの時間の流れはシンクロします。もちろん、その人たちの過去把持における選別の基準はそれぞれ異なっていて、したがって同じ現象を知覚するというわけではありません。見ているものについて全員が同じことを考えたりはしないのです。しかし第一次過去把持の選別の基準を作り上げていくのが第二次過去把持だとしたら、人々が毎日同じ番組を見ていれば、彼らの「意識」は当然ますます同じ第二次過去把持を共有することになり、したがって同じ第一次過去把持を選別するようになるでしょう。それらの意識はあまりにシンクロした結果、自分のディアクロニーすなわち特異性を失うことになります。それはつまり自由を失うことであり、そして自由とは何かといえば、それはつねに思考の自由なのです。 (p. 73)

 ディアクロニーを失い、「われわれ」のなかの「私」でなくなってしまうことは、言葉や記号操作一搬が機能しなくなってしまうことも意味している。そのため、言葉や記号によって付与されていた「意味」をも失ってしまう。「私」に意味を見いだせなければ「私」を愛することも不可能となり、本源的ナルシシズムを喪失することになる。
 「私」が崩壊すれば「われわれ」も崩壊されることになり、それは、私たちが「付和雷同的群衆である「みんなon」と化してしまうことであり、まさにその「みんな」という大衆こそが、二〇世紀のあらゆる政治的厄災を引き起こ」(p. 74)すことになったのである。

リシャール・デュルンがぶつかっていたのはまさに非-意味a-signifianceと呼ぶベき壁であり、それは単なる無意味insignifianceをはるかに超えた、意味生成signiflanceの限界であり、その限界があまりに耐え難いものであったがゆえに、彼は殺戮行為を引き起こすに至ったのです。これは意味をなすものが破壊されることによって至る象徴の貧困の結果です。そしてこの貧困からは、実は誰も逃れることはできません。象徴の貧困はいつも重くのしかかり、幽霊のようにうろついていて、たとえばせっかく夕食を共にしても、ほとんどの場合はもう、ろくに話すことがないといったありさまなのです。 (p. 75)

 私たちは「われわれ」の形成を支える共有すべき象徴を失いつつあり、象徴の生産という創造的な行為も阻まれている。「この象徴を創り上げるというその創造性は個体化の条件」(p. 77)なのである。つまり、記憶の個体化や言葉の個別的な差異化は、集団の個体化に反映され「われわれ」の内実が更新されることになるのだが、スーパーインダストリアル時代の巨大資本、巨大マスコミ(ルロワ・グーランはそれを「超大民族集団」と呼ぶ)によってその集団的個体化が脅かされている。象徴の創造が巨大資本、巨大マスコミに委ねられてしまって、過剰なシンクロニゼーション(ハイパーシンクロニゼーション)が進行してしまうのである。

 「感じるためには最小限の参加が必要」だというのに、消費の世界規模での組織化によってハイパーシンクロニゼーション――あらゆるディアクロニーの否定――が生じた結果、今や感受性の鈍化という状態がもたらされています。そこから生じる果てしない苦痛、苦痛の限界にある苦痛、もうほとんど何も感じられないというこのうえなく危険な状態、意味というものの貧困、そして意味を-作り出す、つまりは存在することができなくなるということ、これらが二〇〇二年四月二一日の大統領選の投票、さらには今日世界中の絶望した人たちのあらゆる行動によって示されていることなのです。そのような行動のひとつであったリシャール・デュルンの殺戮行為は、個体化の喪失の極限での個の表現、個となることができないその極限における個の表現だったと言えるでしょう。 (pp. 83-4)

 巨大資本(とマスコミ)の作用を《帝国》の新自由主義的政治・経済支配の勝利による危機と指摘するネグリ&ハートが指摘する四つの被支配者主体の状況とは、スティグレールの指摘する「私」と「われわれ」が破壊された「みんな」のばらばらに孤立した政治的・経済的状況そのものであろう。

新自由主義の勝利とその危機は〔……〕、新たな主体形象を作り上げた。金融と銀行のへゲモニーは「借金を負わされた者」を生みだした。情報とコミュニケ—シヨンのネットワークに対する管理は「メディアに繁ぎとめられた者」を創り出した。セキュリティ体制と例外状態の全般化は、恐れにとりつかれ、保護を切望する形象としての、「セキュリティに縛りつけられた者」を構築した。そして民主主義の腐敗は「代表された者」という奇妙に非政治化された形象を作り出した。 [1]

 このような状況を打破するためにネグリ&ハートは、《マルチチュード》の叛乱を期待するのだが、スティグレールが目指す道筋はそれとは異なる。
 後成系統発生的な記憶は「われわれ」が共有できる第三の記憶であるが、その記憶の保持者を第三者の「彼il」と名付ける。「彼il」は、「私」と「われわれ」が成立するための「条件であり絆である」(p. 110)とスティグレールは指摘する。

 さて「彼il」という第三者としての記憶は、大文字のIl」(大文字の他者)を語る聖書の条件でもあります。聖書とは絶対的な過去を示すものです。記憶の積み重ねによってわれわれはその過去にまで導かれるとされるのですが、その絶対的な過去とはまさに記憶されないものl’immémorialであり、ブランショはそれを「恐ろしいまでに旧いものeffroyablement ancien」と呼んでいました。そして旧約聖書はまさにそれを永遠なる父として示したのです。第三の記憶としての聖書とはしたがつて崇拝culteを支えるもの――パスカルが記したように信仰の支えとなるロザリオとともに――であり、すなわち信créditを支えるものなのです。 (pp. 111-2)

 しかし、ニーチェを待つまでもなく、近代になって大文字の第三者は「神の死」として死ぬことになる。つまり、近代の「産業が、加工されるべき原料となった意識(conscience良心)を奪取したということです。そしてそこで奪われたのは「われわれの」意識(良心)であり、意識というわれわれの「時間」だった」(p. 112)のである。

一九世紀までは、生産者、企業家、物質財の製造者たちの世界と、読み書きが堪能な知識人clercsと呼ばれた人たち――聖職者にせよ世俗の者にせよ――つまり宗教、法律、政治、認識、芸術など「精神的なもの」を引き受ける者の世界は、構造的に分離していました。つまり異なる二つの世界があったのです。しかしやがてムネモテクノロジーが生産の分野に統合されていきます。後者は生産と消費のシンクロニゼーションを保証し、潜在的な時間というものを廃しジャスト・イン・タイムで生産を機能させようとするものでした。こうして二つの世界が融合したのです。「」と「われわれ」を超えたところにあってそれ自身で権威であった「il」という偉大な第三者もそこに統合されていき、内在的なもの(システムに内在するもの)すなわち原則としてディア-ボリックなものと化したのです――それまでは知識人が世俗と分離しているということによって通約不可能なものの超越性が示されるという経験があったのですが、その通約不可能性がすべて廃されてしまったのですから。この通約不可能な第三者を、ラカンの用語を用いて大文字の他者(アリストテレスにおいてすでに、それは欲望の無限の原因とされました)と呼ぶこともできるでしょう。第三者がこうして吸収されてしまったことで、欲望は萎えていくことになりました――それはまた無-意味l’in-signifiantが蔓延することでもあり、それはやがて非-意味l’a-signifiant へと向かっていくのです。 (pp. 118-9)

 現代の巨大資本の技術と私たちの記憶のシステムが統合していくのは避けられない、「抵抗」しても無駄だとスティグレールは断言するが、そのプロセスにはある可能性が開かれているとも語るのである。

 さてこのプロセスは、まず単なる生成として差異をことごとく排除してハイパーシンクロニゼーションという事態をもたらすようにも見えますが、実はそこでこそ、われわれがさまざまな選択をおこない、すなわち差異を生じさせることが求められています。そして差異を生み出すためにはまず、プロセスの中でプロセスそれ自体を死に追いやるようなものを批判する〔判別し、限界を見極める〕ことから始めなければならないのです。  (pp. 121-2)

問題は抵抗することでも適応することでもなく、必要なのはあらたなものを創り出すinventerことです。そのような創出はまさに取っ組み合っての闘いであり、そしてそれはラディカルな批判をすることなのです。 (p. 123)

 きわめて貧しい象徴しか持てない「みんな」は、「われわれ」と「私」が破壊されていることに無自覚であるしかないが、一方で、それを自覚的(批判的)に見つめることができる人々も多く存在する。私たちの中には「プロセスを超過excéderし、さらにはプロセスの中からプロセスの調子を狂わせる――分離によって――ことのできる例外exceptionとなりうる」(pp. 124-5)人たちも存在する(スティグレールはその典型的な範例を芸術家に見ている)。自らが決断し、プロセスに抵抗し、プロセスを問題視できるのは「創出する能力」であって、「この創出する能力というのは「抵抗」する力をはるかに超えるもの」であるとスティグレールは述べている。
 このように、私たちはハイパーシンクロニゼーションを強要してくるシステムに対処しなければならない。同時に、「私」と「われわれ」を見失った(象徴において貧しい)人々にも向き合わなければならない。その対処において私たちが採るべき態度にとって「傾向」という用語で考えることが大事だと指摘する。

〔……〕傾向という用語で思考するとは、逆らって闘うべきものは必要だと考えるということです。したがって、支配的になろうとしているある傾向(実際、あらゆる傾向はある支配に逆らいつつ自分もまた支配に向かおうとするものなのです)に抗って闘い、その傾向に対しある反-傾向contre-tendanceを対立させようとしている人は、自分が逆らって闘っているその相手の傾向が実は自分がその闘いで守ろうとしている傾向にとっての条件なのだということを理解しなければなりません。ということは、いかなる場合も相手の傾向を排除することが問題なのではなく、まさに二つの傾向が組み合うということが重要なのです。この観点から言えば、傾向による思考とは、対立相手adversaireを悪の根源であるような敵と見なしたりしないということなのです。対立相手は悪の根源であるような敵ではありません。言い換えれば、相手は悪ではなく、ただある支配的な傾向に捕われてその傾向の仲介やスポークスマンとなっているのであり、しかもほとんどの場合、悪意を抱いて行動しているつもりは全くないのです。 (pp. 127-8)

 これは、本書の献辞の冒頭に「この講演を、大統領選で国民戦線を支持した人たちに捧げます」(p. 18)と記したことの思想的意味であろう。『象徴の貧困』でも「国民戦線を支持した人たち」について次のように述べている。

私がここで象徴の貧困と名付けたのは、まずこの極右政党に投票した人たちが苦しみ、投票という証言――その証言がどんなに醜悪なものであり、またそう見えたとしても――をしているその貧困のことである。ただし、その政党そのものと私が話し合うということは当然ながらあり得ない。
 しかし、国民戦線との話し合いを拒むからといって、この政党に投票した人たちと話し合わないということでは決してない。それどころか私は誰よりもその人たちに向かって話さなければと考えている。たとえほとんどの場合、とても間接的なかたちでしか向かえないとしても。また私にとって、彼らに向かって話すとは、何よりもまず彼らという証人を憂え配慮し)、彼らが私の声を聞く理解することがまさにできないところでしている証言を憂える(配慮する)ということだとしても。そして、彼らが最悪の事態となる前に彼らに残された唯一の象徴交換の可能性としての投票という手段によって証言している現実がどんなに耐え難いものであろうとも、何よりもまずこうして彼らに向かって話すということが、私の目には絶対に優先すべきことに見えるのだ。 [2]

 巨大資本によって揺るぎなく(そう見える)構築されたハイパーシンクロニゼーションを強いるシステムへ対処すること、それによって共有すべき象徴を見失ってばらばらに孤立する人々(の政治的・思想的状況)に対処することはけっして容易なことではない。プロセスの意図をずらすことにおいてすら芸術家の資質をスティグレールが想定したように、凡庸な私(たち)にはなおいっそう困難な課題であろう。
 困難な時代である現代において、私たちが歩むべき道筋を次のように述べて、スティグレールは(本書のもととなった)講演を終えるのである。

これらすべては、長い困難な道のりの始まりに過ぎないのかもしれません。その道のりにおいて、他のどんな問題をも差しおいてまず闘わなければならないのは、「われわれ」というものが完全に分裂してしまうという差し迫った可能性なのです。その闘いはまず、今日の精神のありようの批評を経なければなりません。ということは、メタ安定性がメタ安定につねに戻れるための条件を分析しなければならないのです。それはつまり、均衡にも不均衡にも陥ることなく(完全な均衡は完全な不均衡をもたらすのですからどちらも結局同じことです)、あらためて運動を生み出していくための条件です。完全な均衡は欲望を失わせ、原子化を招きます。ハイパーシンクロニゼーションはハイパーディアクロニゼーション、つまり社会的なものの分-解dé-compositionを生むのです。それこそまさに「分-裂(ディアボリック)(悪魔的なもの)」なのですが、このことは「悪の枢軸」をなすとされるいわゆるならず者国家をさんざん悪魔扱いすることで、覆い隠されてしまっているのです。
 しかしとは何よりもまず、悪を告発するだけで思考しなくなることであり、「われわれ」というものの未来を憂えるような「われわれ」を「われわれが諦めてしまうこと批判やあらたなものの創出、すなわち取り組んで闘うことを「われわれ」が放棄してしまうことなのです。 (pp. 155-6)

 スティグレールは、新しいタイプの社会へのコミットメント、アンガージュマンの彼なりの在り方を提案しているのである。

 

[1] アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート(水嶋一憲、清水知子訳)『反逆――マルチチュードの民主主義宣言』(NHK出版、2013年) p. 24。
[2] ベルナール・スティグレール(ガブルエル・メランベルジェ、メランベルジェ眞紀訳)『象徴の貧困 1 ハイパーインダストリアル時代』(新評論、2006年) pp. 211-2。

 

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【書評】ジョルジョ・アガンベン(岡田温司、多賀健太郎訳)『開かれ――人間と動物』(平凡社、2011年)

2015年11月10日 | 読書

 

あらゆる眼で生きものは見ている
開かれた世界を。ただ 私たちの眼だけが
まるで逆さまのようだ そしてまったく生きもののまわりに
彼等の自由な外出を囲んで 罠として置かれている
外にあるものを 私たちはただ動物の顔から
知るだけだ なぜなら既に幼な児を
私たちは振り向かせ 無理に背後に向って
物の姿を見させているからだ それは動物の眼のなかで
あんなに深い 死から解放されている 開かれた世界ではない
死を見ているのは私たちだけだ 自由な動物は
その没落をいつも背後にして
まえには神をのぞみ見ている そして彼等が歩むときは
永遠の中へ歩んでゆくのだ ちょうど泉がそうであるように。
私たちはいちどもただの一日(ひとひ)たりとも
花がそのなかへ無限に立ちのぼって開く
純粋な空間をまえにしたことはない あるのはいつも世界
そしていちども否定のない「何処でもないところ(ニルゲンツ)」であることはない
     ライナー・マリア・リルケ「ドゥイノの悲歌 第八の悲歌」より [1]

 

 「開かれ」は、「ドゥイノの悲歌」の第八の悲歌でリルケによって詠われたものをハイデガーが哲学的に転倒してみせた概念である。アガンベンは、世界や環界への存在の「開かれ」のありようで人間と動物のあいだの異同を論じようとしている。
 人間とは何か、人間はいかなる根拠で人間たり得るか、という設問はヒューマニズムのもっとも根源的な主題である。それは、ナイーヴには、人間は他の動物とは違うということを強調することで語られることが多かった主題でもある。『ホモ・サケル』や『アウシュヴィッツの残りのもの』で「人間ならざる人間」の存在を問い続けてきたアガンベンが、本書ではヒューマニズムの系譜で語られてきた人間と動物を同時に俎上に載せている。

 アガンベンが最初に取り上げるのは、きわめて暗示的な「アンブロジアーナ写本の細密画」である。ただし、多賀健太郎による「解題」には、「巻頭と第一九章に挿入された二枚の絵をあらためて眺めてみよう」(p. 181) と記されているものの実際には掲載されてない(第一九章の絵は挿入されている)。残念なことだが、アガンベンの描写から想像するしかない。

 ミラノのアンブロジアーナ図書館には、貴重な細密画を含む一三世紀のヘプライ語聖書が一冊保管されている。第三写本の最後の二頁全面に描き出されているのは、神秘的かつメシア的な霊感に充ちた情景である。(……)最後の頁(136r)は、二つの部分に分かれ、上部には「三匹の太古の動物たち」が置かれている。(……)
 しかし、とりわけわれわれの興味を惹くのは、写本を閉じるという意味でも、人類の歴史を締めくくるという意味でも、最後のものとなる情景である。そこには、最後の審判の日における義人たちのメシア的な宴が描かれているのである。二人の楽人の音楽に活気づいた楽園の木陰で、冠をつけた義人たちは、豪華な御馳走を並べた食卓についている。メシアの世において、トーラーの淀を一生涯遵守した義人たちが、適正な方法に則って屠られたかどうかを一切気にすることなく、レヴィヤタンやべへモー卜の肉の御馳走にありつける、という考えは、ラビ伝承ではきわめておなじみのものである。だが、驚くべきは、今日にいたるまで言及されることがなかった部分にある。細密画家は義人たちを、冠の下に人間の姿としてではなく、見紛いようもない動物の頭部をもった姿で描いていたのである。この絵の右手にいる三人の義人たちには、終末論的な動物たちのなかでも、鷲の獰猛な嘴、牛の赤茶けた顔、獅子の頭部が認められるだけでなく、図中のそれ以外の二人の義人も、一人は驢馬のグロテスクな特徴を、もう一人は、豹のような横顔を見せている。さらに、二人の楽人もまた動物の頭を戴いている――とくに右側の人物がいっそうわかりやすいだろうが、彼は猿のような神妙な面持ちでヴィオールとおぼしき弦楽器を奏でている。 (pp. 11-2)

 最後の審判で生き残るのは「完全な人間性を体現する義人たち」であり、「イスラエルの生存者を代表する人々」(p. 13) である。メシア到来の時、その義人たちが「動物」の頭部を持つ「人間」、動物人(テロモルフォ)として描かれている意味を、アガンベンは「最後の審判の日、動物と人間の関係が新たなかたちへと和解され、人間そのものがその動物的な本性との宥和を告げるだろう、ということだった」(pp. 14-5) と推測している。
 究極の世界で人間と動物が宥和を遂げるという考えは、近代哲学にも存在する。ヘーゲル-コジェーヴ的な歴史の終焉における人間の完結の姿である。歴史が終焉を迎えた後、つまり歴史以後(ポスとストリコ)とは、「ホモ・サピエンス種という動物が人間になるという忍耐強い労働と否定の過程を経て、それがついに完結を迎える暁のこと」(p. 17) で、次のようなコジェーヴの一文を引用している。

歴史の終焉における〈人間〉の消滅は、全宇宙的な終末(カタストロフ)ではない。すなわち、自然界は永遠に値するものでありつづけるのである。それは生物学的な終末ですらない。すなわち、〈人間〉は、〈自然〉や所与の〈存在〉と一致する動物として生きつづけるのである。消滅するものとは何かといえば、それは、本来の意味での〈人間〉、すなわち所与を否定する〈活動〉であり〈誤謬〉であり、総じていうなら、客体に対立する主体なのである。実際、人間的〈時間〉の終焉、もしくは〈歴史〉の終焉、つまり、本来的な意味での〈人間〉、もしくは自由かつ歴史的な〈個人〉の決定的な根絶は、端的にいえば、語の強い意味における〈活動〉の廃棄を意味している。このことが実質的に示しているのは、血腥い戦争や革命の消滅である。さらにまた、それは〈哲学〉の消滅でもある。〈人間〉がもはや本質的な仕方で自分自身を変革しなくなるや否や、〈世界〉と〈人間〉自身の認識の基底にある(真の)諸原理を変革する動機もなくなってしまう。だが、それ以外のものすべて、いいかえれば、芸術、愛、遊びなど、要するに人間を幸福にするものすべては,際限なく継続してゆくのである。 (Kojéve [2]、p.18)

 この主張に対し、コジェーヴの年長の弟子であり、象徴的な誌名の『アセファル(無頭人)』という雑誌を発行していたジョルジュ・バタイユは、「芸術、愛、遊びなど」が「ただたんに動物的実践へと送り返されてしまった」(p. 20) ということが受け入れられず、「用途なき否定性」として人間は存続すると反論する。それはあたかも、アンブロジアーナ写本の細密画に描かれたメシア到来後の世界を生きる動物人に対応するような、歴史の終焉以後を生きる無頭の人間「アセファル」を措定しているかのようである。
 しかし、動物人(テロモルフォ)や無頭人(アセファル)には人間と動物の存在論的な象徴的関係性ないしは魅力的なアレゴリーが含意されているように思うものの、私自身はメシアの到来や歴史の終焉にどのようなリアリティも感じることがない。
 さて、おそらくほとんどの人間はいつもナイーヴに自己の中に動物性を見ている。

 ビシャによれば、あらゆる高等的な有機体において、あたかも二匹の「動物」、すなわち内部に存在する動物外部に生きる動物が同居しているかのようである。前者、つまり、内部に存在する動物の生――ビシャの定義では「器質的(オルガーニュ)な生」――は、いわば盲目で意識を欠いた一連の諸機能の反復(血液、呼吸、消化、排泄などの循環)にほかならない。かたや後者、つまり、外部に生きる動物の生――ビシャにとって「動物的な生」という名称に値する唯一の生――は、外部世界との関係を介して規定される。この二匹の動物は人間のなかに同居してはいるが、一致してはいない。内部の動物の器質的な生は、胎児にあっては、動物的な生に先立って始まり、老化や臨終の際にあっては、外部の動物の死後まで生きつづける。 (pp. 34-5)

 意識を欠いた諸機能の反復としての「器質的な生」は、植物的な生の機能を担っている。近代医学は、この器質的な生を人間から分節化できることをよりどころとしていたし、近代国家の生政治はこの植物的な生を統治すべき人間に置き換えてしまったのである。

かくして、植物における生と関係からなる生、器質的な生と動物的な生、動物的な生と人間的な生の分割線(チェズーラ)は、動く境界線として、とりもなおさず生きた人間の内部に移動するのであり、このような内的な分割線を欠くならば、人間的なものと人間的でないものとを決定するということ自体、おそらく不可能になろう。 (p. 36)

 人間の内部に動物と人間の分割線があるとすれば、「新たな仕方で提起されねばならないのは、まさに人間――そして「ユマニスム」――という問題」(p. 36) だとアガンベンは言う。

もし万が一にでも、動物的な生と人間的な生とが完全に重なり合うとすれば、人間も動物も――そして、おそらくは神でさえも――もはや考察されえないだろう。だからこそ、歴史以後(ポストストーリア)に到達するということは、人間と動物の境界線が画定されていた、歴史以前(プレイストリコ)の閾をふたたびアクチュアルなものにする、ということを必然的に意味しているのである。  (p. 44)

 アクチュアルな歴史以前の認識論に立ち至ることに、私はもちろん賛成する。そして、アガンベンはまず手始めとして、トマス・アクィナスの「人間たちが動物を必要としたのは、おのれの本性から経験的認識を導き出すためだった」という認識を強く批判する。

おそらく強制収容所や絶滅収容所もまた、この種の経験=実験、すなわち、人間か間かを決定しようとする極端かつ途轍もない企てといえるだろう。そして、この企ては、最後には、人間と間とを弁別する可能性そのものを破局へと巻き込んでいくのである。 (p. 46)

 動物から人間を弁別する思考・概念を、アガンベンは、人間を生み出す装置と見なして「人類学器械」と呼ぶ。たとえば、近代生物学における分類学の泰斗リンネのそれは、「人間の持つ種としての特性は、ただおのれを認識できるということだけである」(p. 52) という考えである。

人類(ホモ)とは、「人間の形をした(アオントロポモルフォ)」(リンネが『自然の体系』第一〇版まで一貫して使用した用語にしたがうならば、「人間に類似する」)ものとして構成された動物であり、この動物が人間的たりうるためには、人間ならざるもののうちにみずからを認識しなければならないのである。  (p. 54)

 生物学に対して、人文主義(ユマニスム)もまた人類学器械となる。しかし、「人文主義のマニフェスト」(p. 56) と呼ばれるピコ・デッラ・ミランドラの演説が示したものは、人類を動物と人間の間に宙づりにしたままであった。

汝自身のいわば自由意志を具えた誉れ高き造形者にして形成者として、汝は、汝が望むような姿で汝自身を模(かたど)ることができる。汝は、下位の存在にある獣へと頽落することもできるだろうし、また心がけしだいでは、上位に存する神的なもの、と転生することもできるだろう。 (Pico della Mirandola [3]、p. 58)

 人類が宙づりのまま、動物と人間の端境に置かれていることを明確に述べたミランドラの文言をジグムント・バウマンも引用している。神は人間をどのように仕立てたかを、ミランドラは次のように語る。

〔神は人間を〕明かされていない自然の創造者に仕立て、人間を宇宙の真ん中に据え、人間にこう告げた。「お前には、既定の場所もお前だけの形も特別な機能も与えていない。おお、アダムよ。そういうわけだから、自分の欲望と判断にしたがって、お前が望むどの場所でも、どの形でも、どの機能でも持つがよい。何の制約も受けないお前は、自分自身の性格を自分で決めるがよい……」。 (Pico della Mirandola [4])

 つまり、ユマニスムという人類学器械が生み出したものとは、「人間そのものの不在の発見なのであり、人間の尊厳=序列(ディグニタース)の取り返しようのない欠如の発見」(p. 54) だったのである。ここでは、人間と動物は宥和することもなく、分割線を隔てて隣接する存在同志でもない。人間は、「動物」と「ヴァーチャルな人間存在」とに引き裂かれた時空に「何ものでもなく」吊り下げられているだけだ。
 次なる「人類学器械」は、人類学そのものである。「人間と動物を隔てるものは、人間が言葉を持っていることだ」という言説は、いまや巷にありふれている。しかし、言葉を人類学器械に導入しても、アポリアは残される。
 進化論的には人間は言葉を獲得した猿であるが、進化系列の途中で人間が発生するが、そのとき言語の発生と機を一にしていたとは考えにくい。

 人間と動物を区分するのは言語である。しかし、言語は人間の心的構造のなかに先天的に具わる自然的な所与ではない。それどころか、言語は歴史の産物なのである。したがって、そういうものとしては本来、言語は動物にも人間にもあてがうことはできない。もしこの要素を捨象するならば、話さない人間――まさしく言葉をもたない人(ホモ・アラルス)――を想定しないかぎり、人間と動物の差異は無効になってしまう。ここでいう話さない人(ホモ・アラルス)は、動物から人間への橋渡しの役割を果たすはずであろう。しかしながら、言葉をもたない人が、たんに言語の投射する影、言葉を話す人間にとっての前提条件にすぎないことは明白である。われわれはむしろ、言葉を話す人間を介して、つねに人間の動物化(ヘッケルの猿人のような動物人)か、動物の人間化(人猿)かのいずれか一方だけを抽出してくるのである。動物人と人獣は、それらのいずれによっても埋めることのできない同じ断絶の二つの顔なのである。 (pp. 67-8)

 なぜ人間だけが言葉を獲得し、動物は言葉を獲得しなかったのか、その答はない。この答がなければ、いつ、どうして動物から人間が始まったかにも応えられない。
 こうしてみると、人間が歴史的に駆使してきた「人類学器械」そのものを問題にするしかない。人間と動物、あるいは人間と人間ならざるものという対立する二項によって人類学器械を作動させるかぎり、それは常に排除と包摂に寄って機能するしかないとアガンベンは主張する。

 おそらくこれは、近代人の人類学機械だろう。人類学機械は――これまで見てきたように――すでに人間であるものを(いまだ)人間ならざるものとして自己から排除することによって作動している。つまり、人間を動物化し、人間のうちから非人間的なもの、すなわちホモ・アラルス、あるいは猿人を分離することによって作動しているのである。また、われわれの研究領域を数十年先にずらしてみるだけでいい。そうすればわれわれは、こうした無害な古生物学の発掘資料の代わりに、ユダヤ人を、いいかえるならば、人間のうちに生み出された間を、あるいは新死体(ネオモール)や過剰昏睡状態を、すなわち、同一の人体のうちで分離された動物を手にすることだろう。  (p. 70)

 この近代の人類学器械は、「人間ならざるものが人間を動物化」するように作動しているのに対して、古代の人類学器械では、人猿や獣人のように「人間ならざるものは動物の人間化によって獲得される」(p. 70) のである。古代と近代の二つの人類学器械は、ともに人間と人間ならざるものの間に「まったくの空洞」である未確定の領域を設定している。その領域に「真に人間的なもの」を作り上げては更新し続けているのである。

したがって、いずれにせよ、獲得されるべきものは、動物的な生でも人間的な生でもなく、ただ自己自身から分断され排除された生――剥き出しの生――だけなのである。
 剥き出しの生という、人間と人間ならざるもののこの極端な形象を前にすると、双方の機械(あるいは、同一の機械の二つの異種)のうちのどちらのほうが良くていっそう有効なのか――あるいはむしろ、どちらのほうがより血腥くなく穏当なのか――と問うことなど、どうでもいいことである。むしろ重要なのは、それらの機械がどのように機能しているのかを把握し、いざとなったら、それらの機械を停止できるようにしておくことなのだ。 (p. 71)

 人類学器械を理解したうえで停止できるように準備しておくこと、それが人類の中から人類を排除するという悲劇を止める手立てを生み出すだろう、というのが本書の前半におけるきわめて重要なアガンベンの主張である。

 本書の後半はタイトルの「開かれ」を主題として、いわば哲学におけるもっとも近代的な人類学器械としてハイデガーの「形而上学の根本概念――世界・有限性・孤独」[5] という講義録を取り上げている。動物学者ヤコブ・フォン・ユクスキュルの「環世界(ウムベルト)」という概念に基づく存在論的動物論を踏まえて、人間の「倦怠」から人間と動物の異同を説き起こすハイデガーの理路をアガンベンは追うのだが、どことなく一度どこかで見た(読んだ)ことがあるのだった。数年前に読んだ国分功一郎『暇と退屈の倫理学』[6] の中で、そのハイデガーの論述が詳細に議論されていたことを思い出した。
 全二〇章からなる本書のうちで五章(前提となるユクスキュルの環世界論を含めれば七章)でハイデガーを論じているが、その最後に近いところでアガンベンのハイデガー評が述べられていて、ありていに言えば、私にはそれがもっとも興味深い記述なのであった。

 ハイデガーは、ポリス――隠匿性と非隠匿性、人問の動物性(アニマリタス)と人間性(フマニタス)のあいだの葛藤を統べる天蓋(ポロス)が、いまだなお実践可能な場であると、善意から信じることのできた、おそらくは最後の哲学者だった。ポリスという危険な場に身を置くことで、いまだなお人々――ひとつの人民(ポポロ)〔民族〕――は、みずからの歴史的な宿命を見出すことができるというわけだ。つまり、疑念や齟齬もないわけではないが、すくなくともある程度までは、ハイデガーは、人頃学機械が、人間と動物、開かれと開かれざるものとのあいだの闘争をたえず裁決し再編することによって、ひとつの人民にとっての歴史や命運をいまだなお生み出すことができると信じのかもしれない。そして、存在の歴史的企投に応えるような決断など誰にもできないことはわかっていたのではないだろうか。  (pp. 132-3)

 ハイデガーをもって、ルネサンス以来の長い伝統を持つヨーロッパのヒューマニズム(人文主義、人間中心主義)は終わり、人間を人間ならざるものへ排除する近代的人類学器械も終焉を迎えたということだろう。しかし、西欧の人間中心主義が終わり、人類学器械も正体を暴かれたにせよ、その人類学器械の作動を真に止めることができていると断言することは難しい。いま、人類学器械の作動に関わっているのはもちろん哲学者ではない。政治を消費すべき商品としか受け取らない無数の消費者集団が器械に取り付いている。彼ら(私たち)は、近代「生政治」によって「器質的な生」(植物的な生)を持つだけの統計的存在と見なされていることを無自覚に受容しているのである。
 とまれ、ユクスキュル-ハイデガーの章に戻ろう。さまざまな動物にとって、共通の世界というものはない。ある動物には固有の時間、空間を持つ「環世界(ウムベルト)」があるに過ぎないというのが、ユクスキュルの主張である。たとえば、ダニの環世界は、次のようなものである。

〔ダニの〕環世界は、たった三つの意味の担い手もしくは標識の担い手に還元される。(1) すべての哺乳類の汗に含まれている酪酸の匂い。(2) 哺乳類の血液と同じ三七度の温度。(3) 総じて、体毛を具え毛細血管に覆われている哺乳類に特有の体皮の類型。しかし、ダニはこれら三つの要素と、切っても切れない関係でじかに結びついている。人間の世界が外見上はどんなに豊かに見えようとも、その世界と人間とを結びつけている関係は、おそらくこれほどまで強烈な関係ではありえないだろう。ダニとは、この関係そのものである。そして、ダニが生きるのは、この関係のなかでしかなく、この関係を介してでしかない。  (pp. 83-4)

 そして、「実験室で、一八年ものあいだ、餌もないのに、つまり、環境から完全に隔絶された状態で、一匹のダニが、生きたまま飼われていた」という特異な事実から、時間においても空間においてもダニはわれわれの世界(人間の環世界)とは異なった世界で生きているのである。ユクスキュルは、「生きる主体を抜きにして時間は存在しえない」という帰結を導き出すのである。
 「酪酸の匂い」、「三七度の温度の液体」、「哺乳類特有の体皮」のたった3種の事物だけに反応して生世界を形づくっているダニのような状態を、ハイデガーは「世界の窮乏」と名付ける。3種の存在はダニの活動を「抑止解除」する。
 しかし、ダニは3種の存在を存在として知覚することはない。ただ、3種の刺激に捕われ、刺激によって抑止が解除され、動物として生きるのである。そのときのダニの動物としての反応を「放心」とハイデガーは名付ける。

動物にとって、存在者は、開かれ(アペルト)てはいるが、近づくことができる(アッチエツービレ)ものではない。いいかえるならば、存在者は、接近不可能性(インアッチエツシビリタ)と不透明性のうちに、つまり、いうならば、非関係性のうちに開かれているのだ。人間を特徴づけるのが世界の形成であるとすれば、動物における世界の窮乏を規定するのは、まさに、この露顕なき開示〔apertura senza svelamento〕なのである。動物はたんに世界を欠いているばかりではない。なぜなら、動物は放心のうちで開かれているがゆえに、――石が世界を剥奪されてしまつているのとはちがって――世界を差し引き、世界なしですます(entbehren)ことを余儀なくされるからだ。すなわち、その存在において動物は、窮乏や不足によって規定することができるのである。  (p. 98)

 存在者は動物に「開かれ」てはいない。こうして、ハイデガーはリルケの「開かれ」を転倒する。リルケにおいては、世界は動物だけに開かれている。「ヴェールを剥ぎ取られた存在を名指す開かれを見ることができるのは、人間だけ、いやむしろ、真の思惟の本質的なまなざしだけである。逆に、動物は、この開かれをけっして見ることがない」(p. 102) のである。
 ハイデガーは、「人間は世界を形成する」と言う。しかし、ハイデガーは、人間に深く根ざす「深き倦怠」という根本的気分が動物の放心と共鳴しているとも指摘している。「深き倦怠」という概念も(ハイデガーらしく)やっかいである。倦怠の第1の契機は、「拒まれている存在者に引き渡されて」(p. 113) 空虚のままに残されていること、第2の契機は、「宙づりのまま保持され」(p. 117)、「不活性のまま滞留する」(p. 119) ことである。この第2の構造的契機は、「現存在に特有の可能性、現存在があれこれすることができる可能性」(p. 119) を意味している。

 かくして、深き倦怠の第二の本質的な特徴である宙づりのまま保持されてあることとは、特定の具体的可能性すべてを宙づりにし、奪取するなかで、根源的な可能化(すなわち純粋な可能態=潜在性(ポテンツア))がその真価を露わにしてくるという体験にほかならない。
 可能性の不活性化(Brachliegen)においてはじめてそれ自体として立ち現われてくるものとは、すなわち、可能態=潜在性の起源そのもの――さらには、現存在の、つまり、存在可能性の形式のうちに実存する存在者の起源そのもの――なのである。だが、この根源的な可能態(ポテンツァ)や可能化(ポシビリタツィオーネ)は――まさにそれゆえに――否定の可能態、つまり、無能性を構成する。というのも、できないこと、人為による個々の特定の可能性を不活性化することから出発してのみ、この根源的な可能化は可能だからである。 (p. 121)

 環世界で放心している動物は、その動物特有の抑止解除するものとの関係を宙づりにすることはできないので、純粋な可能性も立ち現れてはこない。ハイデガーの「深き倦怠」は、「世界の窮乏から世界へ、動物環境から人間世界のへの移行が実現される形而上学的操作のように思える」(p. 122) とアガンベンは指摘する。つまり、近代哲学における人類学器械である。そして、アガンベンは断言する。

現存在は、退屈することを習得した動物、自己の放心から自己の放心へと覚醒した動物にすぎない。生物がまさに自分が放心した状態へと覚醒すること、自己を開かれざるものへと――苦しくとも決然と――開くということこそが、人間にほかならないのである。 (p. 126)

 ハイデガーは、人類学器械によって生み出された(ヒューマニズムに適った)人間によって「人民にとっての歴史や命運をなお生み出すことができる」と信じていたとアガンベンは評したが、じつは、「人民の歴史的実存の大いなる震撼の可能性は消えてしまった。神殿も図像も衣装も、人民の鹿史的召命を帯びて、これを新たな使命へと衝き動かすことは、もはやできない」(p. 133) とも語っているのである。

 ヨーロッパの国民国家がもはや歴史的使命を帯びることができず、人民たち自身もいずれは姿を消すべく定められていたということは、ある意味では、第一次世界大戦の終結以来すでに疑いの余地のないことだった。もし二〇世紀の全体主義に、一九世紀の国民国家の最後の大きな使命の継続、つまりはナショナリズムと帝国主義しか認めないとするならば、この大規模な経験の性格は、完全に誤解されることになる。二〇世紀のさまざまな全体主義で賭けられているものは、そういったものとはまったくちがうものなのであり、もっと過激なものだ。なぜなら、そこで問題になっているのは、人民という人為的な存在そのもの、すなわち、結局のところは、人民の剥き出しの生を使命として引き受けることなのだから。こうした視点のもとで、二〇世紀の全体主義諸体制は、へーゲル—コジェーヴ的な観念とはまったく別の相貌を帯びた歴史の終焉をかたちづくることになる。すなわち、人間はその歴史的な目標=結末に到達してしまい、ふたたび動物と化した人類には、家政=管理を無条件に拡張することによって、あるいは、生物学的な生そのものを最高の政治的(あるいはむしろ非政治的)な課題に格上げすることによって、人間社会を脱政治化する以外に、何ひとつ残されていないということである。 (pp. 133-4)

 ハイデガーの人類学器械を批判的に検討することで、20世紀の政治を語り出すアガンベンは、じつにアガンベンらしい口調に達する。

 自己の動物性の統轄をみずからに引き受ける人類が、人間と動物とをそのつどそのつど決定づける=分断することによって人間性(フマニタス)を産出する人類学機械という意味において、なおも人間的であるとしても、人間的であるのか動物的であるのかもはや判然としない生の幸福が、充ち足りたものと感じられるのかどうかは、簡単には断言することはできないし、明確でもない。なるほどたしかに、ハイデガーの見也からすれば、このような人類は、動物の露顕されざるものへと開かれたままに保持されるという形式をもはやもたず、むしろ、あらゆる分野で、開かれざるものを開き、確保しようとしている。また、それとともに人類は、その同じ開示に自閉することで、みずからの人間性を忘却し、存在をもって、人類特有の抑止解除するものへと変貌させている。動物の完全な人間化は、人間の完全な動物化に符合しているのだ。 (pp. 135-6)

 アガンベンは、第一八章でベンヤミンにおける自然と人間の関係、自然と歴史の関係を取り上げているが、「そこでは、人類学器械は、まったく念頭に置かれていないように見える」(p. 140) としている。また第一九章では、ウィーン美術史美術館所蔵のティツィアーノの《ニュンフと牧童》を呈示して「人間と動物の無活動や無為」(p. 151) を論じている。
 しかし、ここでは深入りをせず、次のようなアガンベンの文言を持って、読書のまとめとしたい。

現代の文化にあって、あらゆる他の闘争を左右するような決定的な政治闘争こそ、人間の動物性と人間性のあいだの闘争である。すなわち、西洋の政治学は、その起源からして同時に、生政治学なのである。 (p. 138)

 

[1] ライナー・マリア・リルケ(富士川英郎訳)『リルケ全集 第4巻』(彌生書房、昭和36年) pp. 42-3。
[2] Kojéve, Alexandre, 1979, Introduction à la lecture de Hegel, Gallimard, Paris (la ed. l947) p434-35.〔アレクサンドル・コジェーヴ『ヘーゲル読解入門』上妻精・今野雅方訳,国文社,1987年〕
[3] Pico della Mirandola, Giovanni, 2000 Oratio/Discorso, a cura di Saverio Marchignoli, in Pier Cesare Bori, Pluralitd delle vie. Alle ongini del «Discorso» sulla dignità umana di Pico della Mirandola, Feltrinelli, Milano.〔ジョヴアンニ・ピコ・デッラ•ミランドラ『人間の尊厳について』大出哲,阿部包•伊藤博明訳,国文社,1985年〕。
[4] ジグムント・バウマン(伊藤茂訳)『リキッド化する世界の文化論』(青土社、2014年)p. 86。〔原典:Giovanni Pico delk Mirandola, Oration on the Dignity of Man, trans L. Kuczynski, in Przeglad Tomistyczny vol.5,1995, p.156.〕。
[5] Heidegger, Martin, 1983 Gesamtausgabe, XXIX—XXX: Die Grundbegnffe der Metaphysik. Welt—Enditckkett—Einsamkeit, Klostermann, Frankfurt a.M. (trad. it. I concetti fondamentali della metaftsica. Monde—Finitezza—Solitudine, II Milangolo, Genova 1999). 〔ハイデガー全集第29/30巻,『形而上学の根本諸概念世界有限性孤独』川原栄峰,セヴュリン・ミュラー訳,創文社,1998年〕。
[6] 国分功一郎『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社、2011年)


 

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【書評】ベルナール・スティグレール『現勢化――哲学という使命』(新評論、2007年)

2015年10月16日 | 読書


ベルナール・スティグレール
(ガブリエル・メランベルジェ、メランベルジェ眞紀訳)
『現勢化――哲学という使命』
(新評論、2007年)

 

 「われわれは誰もが皆、哲学に運命づけられている」(p. 10) とスティグレールは語る。わが身のこととして振り返れば途惑ってしまうばかりだが、そこには、まさにスティグレールらしい前提が存在する。

われわれは皆、そしてまさに「われわれ」という集団を作るその限りにおいて、潜在的に(en puissance可能態として)、哲学をするよう定められています。 (p. 10)

 スティグレールの哲学は、私たちが「心的かつ集団的個体化」を成り立たせる「私」と「われわれ」の関係を通じて「生き方そのものに関わる次元」(p. 14) で思考することによって成り立つ。「心的かつ集団的個体化」、「私」、「われわれ」については『象徴の貧困』 [1] でも論じられているが、その概念はスティグレール哲学の鍵となるもので、本書でもその議論から始められている。

  「私」の時間はもちろんそのまま「われわれ」の時間ではないものの、「私」の時間は「われわれ」の時間の中に生起し、また「われわれ」の時間自体はその「われわれ」を作り出す複数の「私」たちの時間によって条件付けられています。シモンドンが個体化と呼ぶものは、社会(ポリス)的動物である人間の時間性のこの二つの次元を緊密に結びつけるものなのです。 (p. 16)

個性化とは個体化の結果であり、個体化とはそれ自体ひとつのプロセスなのです。そのプロセスによって多様一般、つまり「」という多様そして「われわれ」という多様が統合されていき、こうして個の分割-不可能性へ、すなわち自分自身との完全な一致へ向かっていくのです。さて「私」というものは、「われわれ」と自称する集団の個体化(これ以上分割できなくなること)、すなわちその集団がひとつにまとまることに貢献することによってしか、みずからをとすることができません。 (pp. 16-8)

 スティグレールが分割不可能な「私」と「われわれ」と語るのは、たとえば、森達也が坂口安吾を引用しつつ批判するような「私」と「われわれ」の頽落形式を超克するためだと考える方が理解しやすいかもしれない。

〈この戦争をやった者は誰であるか、東京であり軍部であるか。そうでもあるが、然し又、日本を貫く巨大な生物、歴史のぬきさしならぬ意志であったに相違ない。日本人は歴史の前ではただ運命に従順な子供であったにすぎない。政治家によし独創はなくとも、政治は歴史の姿に於て独創をもち、意慾をもち、やむべからざる歩調をもって大海の波の如くに歩いて行く。〉
 安吾が『堕落論』で提示するこのメカニズムは、まさしくアレントが断罪したアイヒマンの「凡庸であるがゆえの罪」でもある。集団や組織と相性が良いからこそ、日本人は個の思考を停止することが頻繁にある。主語が「私」や「僕」などの一人称単数から、「我々」や「我が国」などの強くて大きい代名詞へとスライドする。その帰結として述語が暴走する。ありえないことが起きる。でも主語は常に不特定多数なのだ。だから責任の所在が曖昧になる。自分に絶望しない。その前に目を逸らす。 [2]

 ここでは「私」から逃亡した、あるいは「私」を失った「我々」や「我が国」があり、しかもその複数形自体が集団的個体化のなされていない茫洋としたものに過ぎず、スティグレールが「みんな」と名付けた単なる多数の群れでしかない。スティグレールの「私」は個別化され自立した個体としての「私」であり、共有すべき「象徴」を通じた集団的個体化によって「われわれ」と不可分の「私」である。ここで、共有すべき「象徴」は、言語や文化、倫理などを内包するものである。
 プロセスとしての「心的かつ集団的個体化」には終わりがない。そのプロセスには次のような機制が働く。

私は分かちえないものとしての私自身になろうとし、完全な統一、自己同一性に向かっていくのですが、しかし私はみずからにつねに矛盾し続けるのです。というのも、集団の中でみずからを個体化しつつ(その集団自体も私を通じて集団として個体化していくのですが)、私は私自身moi-mêmeのうちに絶えず他者としての私moi-autreを見出してしまうからです。つまり〔統一に向かうまさにそのプロセスにおいて〕私は絶えず分割されていき、一方集団の方もみずからを異化し分割されていくのです。こういう事態になるのは、個体化のプロセスは構造的に完遂しえないものであるからに他なりません。 (pp. 17-8)

 「私」の中に「他者」を見いだすことは、「われわれ」という分割不可能な個別的集団の形成に貢献する契機そのものである。
 スティグレールは、ソクラテスこそ「私」と「われわれ」を徹底して生き、そして死んだ哲学者として挙げている。

 同じようなプロセス的な枠組みの中で、ソクラテスはあらゆる行為を通じて都市国家の個体化に参加し、そして最後まで、ということは極限まで、彼はみずからの個としての運命を集団の運命に結びつけたのです。死に至るまで彼はそれを貫くのですが、その死は彼の個体化の終焉であると同時に、哲学という「われわれ」の始まりでもありました。ある意味で、ソクラテスは都市同家に死ぬほどまでにみずからを結びつけることで、哲学的態度というものを創始したのであり、それは「私」と「われわれ」の模範的な関係としてあらゆる哲学の基盤となるべきものでした。ですからそういう意味で、この終焉はまた無限化でもあったのです。 (p. 22)

 21世紀の現在、ソクラテスの時代の「われわれ」として語られる「都市国家(Cité シテ)」を現代の国家に置き換えることは困難だろう。『象徴の貧困』で著者が論じたように、「自分たちが社会に属しているとはもう感じていない」人びとが極右政党に票を投じた2002年のフランス大統領選挙のように、「われわれがいかなる共通の感性的体験をも共有していないかのよう」に国民が分裂している状況で「国家」を「われわれ」と見なすことはできない(たとえ、政治権力はそれを願っているにしても)。私たちは、「われわれ」と呼べる人びとの中にいることは間違いないが、その「われわれ」は社会そのもの、国家そのものにはほど遠い。社会そのものが「われわれ」と呼べるようになることが究極的な理想であろうが、私たちはそのプロセスの途次にいるにすぎない。

 ソクラテスによって「創始」された哲学の道を選び、歩んできたスティグレールの思考の道筋を語るというのが、そもそもの本書の主題である。
 人はどのようにきっかけで哲学者になるのか、ある一人が可能態として持つ哲学的潜在力を現実態として「現勢化」する機制はいかなるものか。本書は、ベルナール・スティグレールという若者が、希有な経験の中から哲学者として「現勢化」するプロセスを、自信の哲学を語ることによって明らかにしようとした講演を基としている。

 スティグレールの哲学的現勢化は、牢獄から始まる。その経歴は、訳者解説 (pp. 129-30) によれば次のようなものである。
 一九五二年生まれのベルナール・スティグレールは、六八年に学生運動に巻き込まれ高校を中退し、その後共産党に入党した。農業労働者を始め、さまざまな職を転々とし、七六年に党を脱退した後、トゥールーズにカフェバーを開き、トゥールーズ大学教授の哲学者ジェラール・グラネルと出会う。店の経営の行き詰まりから酒と薬に溺れるようになった彼は、銀行強盗事件を引き起こし、彼は禁固五年の刑に服すことになる。

 その「犯行」それ自体は哲学とは全く無縁のものだったのですが、その後の五年間は哲学の実践、いわば実験的現象学、現象学の限界への移行をおこなった時期でした (p. 41)

 投獄中、グラネルの力添えによって独房で本を手にして哲学に没頭する。独学に加え、服役中にトゥールーズ大学の通信教育で学位を取得する。出所後、グラネルの仲介で知己を得たジャック・デリダの指導のもと博士論文を執筆したのち、多くの哲学者たちと出会い、薫陶を受け、頭角を現した。八八年からはコンピエーニュ工科大学で教鞭を執る傍ら、国立新図書館のアーカイブ構想に携わった、後INA (国立視聴覚研究所)副所長、IRCAM (音響、音楽研究所)所長、二〇〇六年にポンピドゥーセンター文化開発ディレクターに選任され、今日に至る。
 訳者も記しているように、ほとんどのフランスの哲学者が高等師範学校を経て大学教授資格を取得するというエリートコースと辿ることと比べれば、スティグレールの経歴は異様と言ってもよい。「まさに余人を以て代え難い」(p. 130) 才能のみによって、フランス(ヨーロッパ)の現代哲学の世界に確かな存在を顕示しているのである。

 獄の中で哲学書を読みふけり、哲学者としての現勢化していくスティグレールの思索においてきわめて重要な役割を担ったのは「欠如」という感覚であり、概念であったに違いない。
 アリストテレスを読み、ヘーゲルに思考を繋げて、「知的魂」を考える。しかし、独房の中では「水から出た魚のよう」(p. 50) に「知的魂の生活に必須の環境、つまり世界という、さまざまな社会的交わりをサポー卜する組織を作り上げる人為物からなる骨組み」(p. 52) が欠如していることに気付く。その欠けている知的環境ないしは世界との媒体となるものの可能性を「言語」に見いだす。

 やがて私は、その環境とは人為的に作られた物、代補supplément一般からなるものだと考えるようになりました。言語はそのような代補のひとつの次元であり、そこではもっとも日常的にロゴスの経験が生じます。しかしさまざまな「もの」chosesを成り立たせる技術的人為物もまた、代補の別の次元を形成しているのです。 (pp. 51-2)

 世界が欠如しているがゆえに、世界をそこから離れたうえで考えることができる。独房の中で想起する世界は、すみずみまで代補supplémentによって構成されることになる。

 そして私が見出したのは――私はここでプラトンの用語を使いながら、プラトンに反する観点で言うのですが――、そのエレメントとは記号によって支えられた記憶ヒュポムネーシスhypomnéseであり、それこそが内的想起アナムネーシスanamnéseを可能にする(それに場を与える)ものなのだということでした。 (p. 53)

 さらに、人間には根源的な「欠如」があることにも気付いていく。弟エピメテウスが不死ではない生き物として作られた人間に与えるべき長所を忘れてしまったことを埋め合わせるために、プロメテウスが火すなわち技術を盗みに行くという神話を引いて、次のように「起源の欠如」について述べている。

その盗みという犯行は、特性の欠如、言い換えれば根源的欠陥/起源の欠如を補うための「行為への移行」でした(結局それは補えないのですが)。以来この欠陥/欠如という痛手を与えられているのが、死すべき存在les moitelsとしてのわれわれ人間なのです (p. 58)

 私たち人間は、この根源的欠陥を補うためにさまざまな補綴物や技術を生み出してきた。その最大にして最良のものが文字、言語である。哲学の起源である内的想起アナムネーシスの遂行は「世界をいわば理念的に描き出せるようにしてくれるものの仲介(媒介)intermédiaireがあったからこそ可能になった」のであり、その媒体こそ「読んだ本や書かれた言葉のヒュポムネーシス」(p. 66) なのである。
 社会と隔絶された獄舎の日々は、現実世界の欠如ではあったが、その欠如こそが読書を通じての理念世界の形成の駆動力であったと言えるのではないか。スティグレールは、率直に「書物と紙」と「読み書きの技術」に感謝する。それだけがあれば、「誰でも哲学という行為を実行に移すための方策に到達しうる」と語る。そして、牢獄の生活は、スティグレールに「エポケーという判断停止を経験的に実践するという状態から、理論的、方法論的、つまり「必当然的」たらんとする実践へと移行すること」(p. 80) を可能にした。

 さて、世界の中断において、そして世界の必当然的な残滓のうちに、私はまず世界の不在、例の博識な欠乏docte manqueを見出しました。その欠乏はそのような(博識な)ものである限り、むしろ欠如défautであり、それは「足りないil manque」というよりもむしろ「(欠けているがゆえに)必要ななくてはならないil faut」ものであり、何かを与え、生じさせる(donner lieu場を与える)ものなのです。欠乏というのは、世界の不在においてその不在を生きることができず、欠如における博識な必要性を見出すことができないもの、つまりその必要性を創り出すinventerことができないもののことです。世界の不在の不可能性、その耐えられなさという、世界とは呼べない恐ろしい状態im-mondeに限りなく近いところで、私は世界を還元しえない局所性として、しかもそれ自体いかなる状況においても構成された局所性として見出しました。 (pp. 82-3)

 すなわち私はつねに、ある「今」と「ここ」という局所性に属していて、それはどんなことが起ころうと変えることができないということです。たとえ投獄されていようと、私は欠如(デフォルト)というかたちでの局所-local-ité、そして局所-性としての欠陥に属しているのです。なぜなら〔その状況においても〕私は今だに、イディオム的である限りの私の言語やあらゆる過去把持によって構成されているのですから。過去把持とは欠けている(もう-そこに-ないce-n‘est-plus-làのですから)ものの痕跡です。しかし過去把持は、なくてはならないもの、まさに意味をなすものとして、つまりイディオム、局所性、言い換えれば現存在(étre- làそこに-あるもの)として、もうそこにないものを突如、全く違うかたちで提示するのです。そうやって提示される世界とは、曖昧で不完全で生気のない外部ではありません。また事物や存在が物理の法則の単なる合計としてり立つようなそんな世界でもありません。それはまさしく、意味を-なすslgni-fier限りにおいての世界であり、そしてその世界はみずからの局所-性にもとづいてのみ意味をなすことができるのです。 (pp. 88-9)

 「今」、「ここ」にいる「現存在」は、プロメテウスによって「不死ではない生き物」(p. 56) として作られた人間の「私」である。獣でもなく神でもない「私」に、「ラスコーの壁画」を描いた人びとと何かを共有していることを想起させる力こそ局所性としての「死にゆく存在、すなわちわれわれ人間という欲望し意味する存在のエートスとしての人間-性(morta-/lité死にゆく定め)」(pp. 90-1) なのである。
 15,000年も隔てた人びとと「私」は何かを共有しているという実感こそ、心的かつ集団的個体化によって「私」と「われわれ」を構築していくことの意味を確信する(おそらくは)第1歩であったはずだ。つまりは、「われわれ」の想起にとって不可欠なエレメントは「他者」の認識ということだ。 

 さてあらゆるエポケーの目標である「超越論的」主体への接近も、こうして、他というものの外では不可能に思われました。そしてこの「他」それ自体も、意味を生み出す実践の外では、つまり外部というものの外では、到達しえないものでした。したがって内というものはなかったのです。なぜなら、世界の不在においても輝いていたのは、他者の他性なのですから。そして私が私自身の中で保とうとしていた意味を生み出すための独-においても、必須と思われたのは他性ここでもまた欠如というかたちででしたがであり、その他性を私は私自身の中に見おさなければならず、それゆえ私はこれらの実践によって自分を他なるものへと変えていったのです。……
 到達すべきはもはや他我alter egoではなく、我なき他alter sans l’egoでした。それは私に端を発して構成される他者ではなく、「私自身moi-méme」というよりむしろ「他者である私moi-autre」としての私の第一構成要因である他者であり、そのような私に対してこそ、外部というものが生起する場を与える)donner lieuのです。外部とは「すでに-そこにあるもの」le déjà-làの間題でもありますが、それは第三次過去把持、つまり痕跡、ヒュポムネーシス的な提示という形で具体化されているのです。 (pp. 102-3)

 「他者」になっていくというスティグレールの個体化は、今、ここにある個者として「すでに-そこにあるもの」を想起することにほかならず、過去把持的な想起から未来代予持へ展開することで「われわれ」の個体化ともなるものだ。つまり、個体化によって「私」となることは、「我なき他alter sans l’ego(p. 105)を構成することで「われわれ」となるのである。「われわれ」が私と他者を包含する概念であることは、しごく当然のように思われるが、「他者」の概念こそが多くの哲学者、思想家が思念をめぐらしたきわめて重要な対象なのである。
 例えば、アルフォンソ・リンギスは、哲学や社会学、あるいは政治学や経済学が対象、ないしはフィールドとしてきた共同体に重なっているまったく別の共同体、「何も共有していない者たちの共同体」[3] をとりあげ、遠い存在であるその共同体に属する「他者」を考えることで「われわれ」の意味を追求した。
 あるいは、「他者の他者性はあらゆる手がかりの届かぬところに置かれねばならない」と語るエマニュエル・レヴィナスは、他者の外在性を「顔」と表現し、「顔」は「私」を見つめ「私」に関わることで、直ちに「私」は他者に対して責務を負う立場となり、他者に対して有責となると、宗教そのものの如く「他者」と「倫理」を語るのである。
 スティグレールの「私」と「われわれ」は、社会的な人間存在の理念形であるとともに、すぐれて倫理的な哲学の枠組みを呈示しているのだと思う。

 最後に、ごく個人的なことがらに関連してスティグレールの言葉を引用しておく。

 私の鍛錬は実は一連の規律から成り立っていました。
 たとえば私は五年のあいだずっと、一日の始まりにマラルメを読むことにしていました。目覚めると私はすぐに起きあがったものですが、それは朝の夢現のなかで生じる制御できない未来予持を避けるためでした。詩や散文を読んではまた読み返し、原則として三〇分のその読書は、暗記するためではなく聴くためのものでした。 (p. 73)

 私はけっして鍛錬などをしているわけではないが、少なくとも「朝の夢現のなかで生じる制御できない未来予持を避けるため」だけに、ほぼ午前4時頃の朝の目覚め時からしばしの間の読書を20年近く続けている。読書のための読書というよりはどちらかと言えば、緊急避難としての読書である。緊急避難が日常の習いとなってしまった。
 それが、このブログ名「かわたれどきの頁繰り」の由来である。

 

[1] ベルナール・スティグレール(ガブルエル・メランベルジェ、メランベルジェ眞紀訳)『象徴の貧困 1 ハイパーインダストリアル時代』(新評論、2006年)
[2] 森達也「深い絶望とともに考え続けるからこそ現実的な選択ができる」『週間金曜日』1056号(株式会社金曜日、2015年9月18日)pp. 16-7。
[3] アルフォンソ・リンギス(野谷啓二訳)『何も共有していない者たちの共同体』(洛北出版、2006年)
[4] サロモン・マルカ(内田樹訳)『レヴィナスを読む』(国文社、1996年)

 

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