平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い1418 対等外交のための核開発

2019-02-15 10:10:59 | 日記
    平和への希い1418 戦後74年 
  対等外交のための核開発  2019.2.15.

去年の今頃は、北朝鮮の核開発・ミサイル発射を巡って、米朝トップが威嚇・恫喝・ののしり合っていました。
昨年6月、米朝トップ会談で、急転開。
今月2回目のトップ会談が、双方それぞれの「思わく」を胸に開催される予定。
昨年のトップ会談以降、問題の「核兵器・ミサイル」開発停止・廃棄については、余り進展していない
北朝鮮にとっては、「核兵器・ミサイル」が、「対等に話し合う」ためのキーポイントであり、アメリカの核攻撃抑止のためにも、アメリカが余程の譲歩をしない限り、手放すつもりはないようだ
フランスの核開発も、状況は違うけれど、核開発を米国との「対等外交」のために行われた。
ド・ゴール大統領時代、第二次世界大戦後の第一次インドシナ戦争(1954年)、スエズ動乱(1956年)
で、軍事力の貧弱さのため、米軍頼りとなり、対米追従の外交を余儀なくされ、何とか対米追従を脱却したいと、
核開発を進めたのである。
59年前の1960年2月13に、フランスは、サハラ砂漠で、原爆実験に成功した。
当時、米英ソの核保有国中心に、部分的核実験禁止条約を結んでいたが、フランス、中国などは、批准していな
かった。フランスは、1960年~1996年までに、210回の核実験をした。

そして米英ソに次ぐ4番目の核保有国となり、1996年に核実験を止め、包括的核実験禁止条約に調印。
現在、350個の核兵器を保有しているようで、米ロに次ぐ3番目。
1964年に、5番目の核保有国になった中国も、外交上の「対等」と、米ソ等に対する「戦争抑止力」のため
だった。
現在、地球上に人類を7回死滅させることが出来る核爆弾が、15000個ある。
核兵器の膨大な開発費・制作費を福祉に回せれば、人類の平和と幸福にどれほど貢献できることか。(タメ息)
ウォーキング中に出会った花。

2月15日、「今日は何の日カレンダー」より
春一番名付けの日、お菓子の日(毎月)
▲元明天皇、新京造営の詔(708)▲清原夏野ら養老律令注釈書「令義解」完成(833)▲藤原清衡が平泉に中尊寺
建立(1105)▲猿若(中村)勘三郎が猿若座(のちの中村座)を興し、歌舞伎興行(江戸歌舞伎の始め)(1624)
▲オーストリアとプロシアの7年戦争終結(1763)▲西郷隆盛が挙兵し鹿児島を出発。西南戦争始まる(1877)
▲徳富蘇峰が「国民之友」を創刊(1887)▲全日本スキー連盟創立(1925)▲日本軍がシンガポールを占領、
ジャワ攻略作戦、開始(1942)▲世界最初の真空管電子計算機の完成式(1946)▲婦人警官、誕生(1947)
▲初の人間国宝指定(1955)▲東京・日劇ミュージックホールのさよなら公演。半世紀の歴史を閉じる(1981)
▲国際科学技術財団が創設した顕彰事業、第1回日本国際賞、決定(1985)▲フィリピン大統領選挙開票結果に
50万人抗議(1986)▲長野冬季五輪、ジャンプ・ラージヒル 船木「金」 原田「銅」。スピード男子千 清水2個目
のメダル「銅」(1998)

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