ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

詩ー榛(はしばみ)の繁みで(五)闇・小林稔詩誌「ヒーメロス」より

2016年04月14日 | ヒーメロス作品


榛(はしばみ)の繁みで(五)
小林稔  

   
 五、闇

もしもし、ぼくの声が聞こえますか。

ぼくの幼少年期に不意に現われ、知らない間にいなくなった子供たち!
ある朝、教室に初めて姿を見せて周囲を沈黙させたり、夜半、近所に引っ越し
てきたりした子供たちだ。

小学校二年生の一学期が始まっていく日か過ぎたころ、担任の女の先生の背中
に張りつくようにして現われたきみ! 親の事情で転校してきたことを先生が
告げた。それだけできみはぼくの手のとどかない遠い世界からやってきた人に
なった。友だちになりたいという思いが胸の奥からこみ上げ、針で刺されたよ
うな痛みを覚えたが、生来話しかけるのが苦手なぼくには絶望的なことだった。

一度だけぼくの家に遊びに来たことがある。母屋の庭にいるぼくの耳から伸び
た絹糸が、開け放たれた引戸をいくつも通り抜け、ずっと先の、( ぼくの父は
駄菓子屋と玩具屋を営んでいた)いくつも並んだガラスのケースの前で突っ立
っているきみの耳もとに繋がっている。

もしもし、聞こえてるよ。
耳たぶをくすぐるようにきみの声がぼくにとどいた。

体育の時間のことだ。相撲の勝ち抜き戦があった。ひとり、またひとりと相手
を砂の上に倒していくきみは、ぼくの体に体当たりしたが、運動の苦手なぼく
に、いとも簡単に身を崩してしまった。負けてくれたのだと、そのときぼくは
とっさに思った。そんなきみはいつの間にか教室からいなくなった。

きみがいつどこへ行ってしまったのかがまったくぼくの記憶にないのはなぜ? 

もう何十年も過ぎ去ってしまったというのに、少年の姿のまま消息を絶ったき
みを、ぼくがいまになって気にかけてしまうのはどうして?

ぼくの視界に突如として現われ、気づく間もなく退場してしまった子供たち! 
きっと彼らは、雲のように移りゆくぼくの人生の「まろうと」と呼ぶべき人た
ちだ。彼らは土地土地で歓待を待つ人たち、人生という想念の旅に足跡を深く
残していく人たちである。眼前から姿を消すことによって私たちの脳裡に刻印
される旅人だろう。やがて彼らは、私たちの人生が一瞬の出来事であり無に過
ぎないことを教えてくれるに違いない。

(もしもし、ぼくの声が聞こえていますか。)



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