ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

「オベリスク」小林稔詩集「夏の氾濫」1999年天使舎刊

2016年04月07日 | 小林稔第4詩集『夏の氾濫』

オベリスク  
小林稔

すっぽりえぐられた私の胸の入江に夕陽が落ち
魂をかすめていった君の幻影がたゆたって
いくつもの帆船を浮かべてみたが無残であった。
海水にもつれあった神経の糸が見え隠れして
私を海上の道に連れ出さない。
その一本が君の心臓に弱電を送りつづけている。
可能な限り遠くへ旅立つ君の瞳に 砕けた私の破片が見えているのだろうか。

教会でモーツアルトのレクイエムを聴く。
垂れ込めた鉛色の空のした
ふたりの脳髄を声が昇りつめるが、
サンミシェル広場に向けてサンジェルマン通りを急がなければならない。
カルチュラタンの路地を散策し
リュクサンブル公園に行くと 噴水のある泉に舟を浮かべている男の子がいる。
サンミッシェル通りを外れまで歩くと
地下鉄ポートロワイアル駅の近くに昔泊まった安ホテルがある。
水晶のようにきらめいている君の瞳に私の心は弾む。
コンコルド広場のオベリスクに辿り着こうと
交差点に立つ君と私が見えるが、
いつのまにか君は梅田の陸橋を渡って人混みにのまれ消えてしまった。

  空までつづいた坂道をぼくは歩いて行くんだ。
  粉々になった兄を拾いに、
  記憶を火で焚きながら、かつて喜び勇んだぼくが、
  今は不安でぼろぼろになった身体を引きずり
  坂の反対の斜面を登ってくる男に逢いに行くんだ。

初めって逢った日の君の微笑む顔がいくども私に向けられ
向けられるたびに優しく、向けられるたびに強く
私の心に烏口が引かれるので痛い痛い。
君に逢うまでの私の過去は消えてしまった。
たぐり寄せる糸がどんな時の流れに漂うのか。
砕けた夕陽が水面に揺れている。

いっそ夕陽になって揺れてみようか。
  
             小林稔第四詩集『夏の氾濫』1999年6月30日発行より。


小林稔詩「榛(はしばみ)の繁みで」詩誌「ヒーメロス」19号(2011年)より

2016年04月07日 | ヒーメロス作品

榛(はしばみ)の繁みで

小林 稔

 

   一、死

 

榛(はしばみ)の繁みで身を隠しているものたち! 真昼時、通り抜けるたびにどこかで

子供たちの真鍮(しんちゅう)を打ち叩く音、火事を報せる消防車の遠くから響く警報に似た

それを耳にしているような思いがしてならなかったが、繁みに見出すのは淀ん

だ闇だけであったし、ずいぶん長く会っていない人たちの気配がそこから立ち

昇ってくるのであった。いやそれはぼくの思い違いでぼくのどこか頭の片隅か

らやってくるのかもしれない。それにしてもそこから立ち現われてくるのは、

不慮の事故や病気で亡くなったと知らされている友だちだ。もっともぼくが知

らないだけで、遠くで近くでもう死んでしまっている友だちがもっといるのか

もしれないのだ。

 

裸足で庭を駆けてきて縁側で西瓜を頬張(ほおば)っているのは誰? 

 

満水の川岸に辿りきれず溺れ死んだのは誰? 

 

別れて何十年も経ち、ぼくの記憶に居場所を落ち着けてしまった人たちには時

間が止められていて、ぼくだけが老いてしまっているから会うことが億劫(おっくう)にな

る。ある時ある場所を共有していたことは事実だから記憶は永遠に生きつづけ

ることになる。永遠だって? どんなに長く生きてもぼく自身があと三十年あ

るいは二十年しか生きられないというのに。それならむしろ書きとめるべきで

はないのか。しかし記述は再現でなく記述する時間を言葉で生きることになる

ので、新しい生が始まるともいえるのだ。

 

そうであるならば、ぼくの命あるかぎり亡者たちを(そのなかには生存者も

いるかもしれない!)登場させようではないか? 書物に永遠に(とりあえず

は)記されることになる。ぼくのこれまでの時間の鍵が解き明かされるかもし

れない。ぼくの経験から、犇(ひし)めき合っているたくさんの他者たちの声を救い出

し、新しい命の出産に立ち会おうじゃないか。

 

 

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