ヒーメロス通信


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『「自己への配慮」と詩人像』(十三)『ヒーメロス』21号2012年7月20日発行より

2012年10月10日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの

長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(十三)
小林稔


41 前回までの総括

 十二回にわたって試行錯誤を繰り返しながら考察してきた私のエセーも、前回(第十二回)においてようやくボードレールを登場させることができた。この論考は現代詩との関連が見えにくいという非難に応えるべく入り口に辿りついたことになる。「主体と真理」という問題を一貫して論じるフーコーの、「いかなる歴史的形態において、西洋ではこの二つの要素の諸関係が取り結ばれてきたか」という問いの範疇に、「哲学と霊性」の考察がある。哲学が霊性を封じ込め、認識を重視してきた歴史の中で、十九世紀の哲学、とりわけヘーゲル、ニーチェなどにおいて霊性が噴出してき たというフーコーの主張に私は促され書き進めた。
前回取り上げたように、「当時の学問の歴史的状況に対して自分を顧みる」デカルトに対して、「現在のなかの一体何が、現在、哲学の考察にとって意味あるものであるか」を問うカントによって提出された問題、「哲学が自らの言説の現在性を問題化する」こと、「己の帰属性」を問うことは、現代哲学が今なお問いつづけている問題であるとフーコーは述べる。さらにこの「現在性」からボードレールが詩の概念として強烈に打ち出した「現代性」(モデルニテ)を論じ、ボードレールは、たんに古代を否定し「移り逝くもの」だけに関心を示したのではなく、むしろ古代から現在までの継承を感じ、失われたものとしての古代を、現在との対比において「移ろい逝くもの」に古代の影を映して愛着を持ちつづけたのであった。フーコーいわく、現代性とは「現在を永遠化する一つの意思」である。ボードレールから現代詩が始まったとするなら、その先端に位置し詩を書きつづける私たちは、彼から何を賦与されているのかを考えなければならないのであるが、この連載エセーの後半に十分に論じることになるだろう。
 なぜ「自己への配慮」が問題になるのか。主体がいかに知の対象となるのかという主体についての真理の
言説の考察を、主体が自己について語る真理の言説の考察に移したとき、フーコーにとって「自己への配慮」というテーマが浮上してくる。フーコーは主体が真理を語るとき、いかに権力のメカニズムが存在するのか
を考察することを中断し、古代ギリシア、ヘレニズム期ローマへと降りていき、「個々人が自分を性の主体として認識するようになる場合に用いられるもろもろの様式を研究すること」、つまり「主体の解釈学」を考察するようになった。そこで、フーコーがまず初めに取り上げたのが「自己への配慮」という観念である。
 デルフォイの神託「汝自身を知れ」こそが「真理と主体の関係の問題を創設した定式」とフーコーはいう。この神託の意味するところは諸説あるが、本来自己認識の原則ではなかった。自分の力を神の力と対決させてはならないという「中庸」を促すものであった。そこから自分に配慮せよというテーマを哲学的な俎上に初めて置いたのがプラトンであった。『ソクラテスの弁明』では、「君たちが気にかけているのは、財産や評判など山のようにある。なのに君たちは、自分自身のことは気にかけない」と「自己へ配慮」を、市民であろうがその他の人々であろうが触れ回るソクラテスが描かれている。それは神から授けられた使命であり、「最初の覚醒の契機」とソクラテスによって考えられていた。
 この「自己への配慮」という概念は紀元前五世紀から紀元五世紀の千年間、ギリシア、ヘレニズム、ローマ、そしてキリスト教の始まりまでを通して見られるものであり、「近代的主体という我々の存在様式も、その影響を受けている」とフーコーはいう。「自己に専念せよ」という呼びかけが厳格な道徳を生んだのであって、それはストア派や犬儒派に帰すべきであるが、逆説的にキリスト教道徳や非キリスト教的な近代の道徳に、つまりキリスト教の自己放棄と他者に対する義務という近代的な形式の、非・自己中心主義的道徳のなかに、厳格な規則が再び見られるようになったとフーコーは指摘するのである。
「デカルト的契機」とフーコーがいう論考で、デルフォイの神託「汝自身を知れ」が、それまでの「自己への配慮」(プラトン的契機)という観点から、「自己認識」の形式に移動したことを指摘する。「主体が真理に到達するために必要な条件」が「霊性」から「認識」に移行したことを意味する。十三世紀のトマス・アキナスの神学から十七世紀のデカルトまで、キリスト教との衝突を理解しなければならないとフーコーはいう。ここでフーコーは哲学におけるそれまでの「霊性」の重要性を力説する。「霊性」はフーコーの哲学自体を裏付けるものであるといってよいだろう。フーコーにとって「霊性」とは「探求、実践および経験の総体」であり、「真理への道を開くために支払う代価」である。真理を主体が得るには、主体をエロス(愛)の運動や修練の辛苦のなかで、現在の条件から引き離し、自己を変形させなければならないのである。認識行為は真理への道を開くことはない。「自己への配慮」こそが「霊性」によって真理を開く条件になったのである。つまりかつては、「哲学の問題」と「霊性の問題」が合致していたとフーコーはいう。(ただしグノーシス派とアリストテレスという例外を除いて)。これらを否定し、認識のみが真理を開く条件であるとするようになった日が「近代」の始まりの日であるといい、それ以降、「真理は主体を救うことができなくなるが、真理はそのままで主体を変容させることができる」とフーコーはいう。しかし「霊性」は「認識」に隠蔽されながらも生きながらえていた。先述したように十九世紀の哲学に再び現われ、それとともに「自己への配慮」が問題にされたのである。マルクス主義やラカンなどの精神分析においても「真理に到達することで主体において変化しうるものは何かという問題」は「霊性」に特徴的なものだとフーコーは指摘する。
「汝自身を知れ」から「自己への配慮」という観点において理論として始めて登場したテクストは、プラトンの『アルキビアデスⅠ』であることはすでに述べた。アルキビアデスがしなくてはならないことは、「身分上の特権、身分上の優位を、他者の統治に転化させること」であるとソクラテスはアルキビアデスに説く。「自己へ配慮する」ことは他者を統治すること(権力の行使)の条件として考えられている。プラトンのテクストでは、「自己への配慮」は政治的野心をもつ青年とその師との間の、愛に結びついた活動であった。師(ソクラテス)は相手に無知を気づかせる。「統治の目標」とは何かがわからないアルキビアデスに、「自己への配慮」を勧めるが、配慮すべき「自己とは何か」を考えさせる。つまり「統治しなければならない他者に適切に配慮することができるために〈私〉が配慮しなければならないようなこの自己とは、いったい何なのだろうか」という問いである。フーコーが「主体の問題」へと論を進める「主体とは何か」という問題である。『アルキビアデスⅠ』は「自己への配慮」を哲学的テーマとして最初に登場しただけでなく、プラトンの書物の中でも、それに関する理論を唯一、全体的にまとめたものである。しかし、プラトン以前にも「真理に到達するためには自己の技術は存在していた」とフーコーは指摘する。神々と接するときの自己の浄化や退却の技術、それは「人がそのおかれた世界から自らを切り離し、自らを引き上げる」ことである。後世のセネカの実践的哲学において重要な意味を付与している。ピュタゴラス思想の痕跡を、プラトンのみならず、ヘレニズム、ローマ期まで残しているとフーコーはいう。
 「私自身とは何か」の答えがテクストでは「私の魂である」という結論に達することになる。師であるソクラテスがアルキビアデスに言葉を使って導いているのは魂である。「身体的、道具的、言語的なあらゆる行動の主体とは魂である」。「主体としての魂」が自己に配慮することになる。したがってソクラテスはアルキビアデスの魂に配慮しているといえよう。それではソクラテス自身は自分に配慮しているのだろうか。それに答えるには、「師の占めるべき位置」を考えなければならないとフーコーいう。「自己への配慮とはつねに別の人(師)との関係を通る必要がある」。「師とは、主体が自分について行なう配慮を配慮する者であり、弟子にたいする愛のなかに、弟子が自分について行なう配慮を配慮する可能性を見いだす者」であり、「想念に対する無私の愛によって、師は少年が主体としての自分自身に行なうべき配慮の原理となり、モデルとなる」とフーコーは述べている。
 フーコーによる一九八二年のコレージュ・ド・フランス講義『主体の解釈学』の後半から、彼はパレーシア(率直な語り、リベルタース)概念を考察し始める。パレーシアとは「自己への配慮」に関する師と弟子の間になされる対話において、師に求められる行為(エートス)である。師は「言表行為の主体とみずからの行為の主体の一致として、現存しているのである。」しかしキリスト教では、魂を導かれるものの方に真実の語りは求められた。フーコーは亡くなる三ヶ月前までなされた最後のコレージュ・ド・フランスの講義『真理の勇気』までパレーシアを考えつづけたのである。最近(2012年二月二十五日刊)日本語への翻訳本が出版されたが、ソクラテスの死を賭けつらぬいたパレーシアの真理への探求に、自らの死を目前にしたフーコーの哲学的エートスに私は心をうたれたのである。この講義録では、他にキュニコス派の実存を述べ、哲学のある本質を突出させ、後のストア派の「実存の美学」や、キリスト教の修徳にも多大に影響を与えるものであり、ソクラテスとの比較において論じている。政治的パレーシアから哲学的パレーシアへの移行はフーコー批判を生じさせた。しかし、現在の政治を考えても容易に理解されるように、哲学は政治を内包した真理への道を拓いているといえよう。
「性行動は、そのさまざまな活動とそれにかかわる快楽は、どんな理由によって道徳上のつよい関心の対象になっているのか」。これはフーコーの最大の関心事の一つであったといってよい。古代ギリシアやローマにおいてはさまざまなテクストからもわかるように、「強制も禁止もない場合でさえも道徳上の関心がつよい」のである。つまりタブーと道徳は別のものなのに、性活動がいかなる道徳上の形式を構成してきたのかにフーコーは関心を抱いた。それは「ある実践の総体」と結びついた《生存の技法》と解さなければならないという。禁止事項からなる道徳の歴史ではなく「自己の実践をもとにして書かれる倫理的問題構成の歴史」から、どのような思考が生み出されたかをフーコーは考察したのである。
 ひとが主体について真実の言説を企てたのはなぜなのか、どのような代償を払って行なわれたのかをフーコーは考えるとき、三つの形式を取り上げた。すなわちプラトン主義的モデル、ヘレニズム的モデル、そしてキリスト教的モデルである。プラトン主義的モデルとは、要約すれば自己への配慮に向かわせるものは無知の発見から「自分自身を知ること」へと辿る。この「自己の認識は魂が自分自身の存在を把握するというかたちをとる」。「自己への配慮と自己の認識の接点にあるのが想起」ということになる。「魂が自分の存在を発見するのは、自分が見たものを思い出すことによって」である。
 次のヘレニズム主義的モデルとは何か。このヘレニズム・ローマ期に厳粛な道徳が作られた。キリスト教はこの道徳を利用し取り込んだとフーコーはいう。ヘレニズム的モデルは、自己の認識が「自己への立ち返り」という主題の中に場を見いだし、自然を知るためのひとつの手段であったとフーコーは述べる。ストア派は道徳、論理学、自然学の三つを体系におさめ、宇宙論や世界の秩序に関する思弁全体に結びつけ、認識という企てに実践を結びつけているとフーコーはいう。「一方では、すべての知を{生の技法}に従って組織し、自己に視線を向け直すことが必要だとだと主張」し、他方では「視線を自己に向け直す(立ち返り)ことを、世界の秩序、すなわち世界の一般的・内的な組織全体を踏破すること」に主眼を置いているとフーコーは、セネカの『自然研究』を考察する。世界の原因と秘密を探求する「私」は老人である。「人生が完成する地点」に急がなければならない。セネカは時間の浪費(時間の流失)に責めたてられている。「理想的な老い」を求め、「歴史的な知」(歴史的な認識)は遠ざけるべきだ、「人間の真の偉大さ」とは「自己を支配するという個人的な形式でしかありえない」。「舌の先に自分の魂を持って(死を覚悟して)、この世から立ち去るのを準備することである」とセネカは記す。またフーコーはストア派のもう一人の人物、マルクス・アウレリウスを述べている。マルクスにはセネカの「世界における自分の位置からの退却」はなく、「世界の内部に没入し」、世界の細部を「近視眼的視点」で調べつくす「微分的な視線」があるとフーコーはいう。「精神に現れる想念の対象をつねに定義し記述すること」(『自省録』)を掲げ、対象を裸形において吟味する。そうすることによって、「善の定義、自由の定義、現実的なものの定義」を銘記し、蘇らせるという霊的な「訓練のプログラム」であり、知的方法を定義するデカルトとは逆のものであるとフーコーは述べる。
 最後のキリスト教的モデルとは何か。三世紀から四世紀に確立したもので、「聖書」や「啓示」によって真理を知るためには心を浄化しなければならず、自己の認識によってしか浄化されない。自己を知ることと真理を知ること、そして自己への配慮の関係は循環的であるとフーコーは説明する。キリスト教における「自己認識の技法」では、内的な幻想、誘惑を払拭し、魂に広がる動きを解読する必要がある、つまり自己の釈義が不可欠であり、「自己を知るための釈義の方法」の目的は「自己の放棄」であるとフーコーはいう。これまで述べてきた三つのモデルのほかに、プラトン主義的モデルとキリスト教的モデルの中間にグノーシス的モデルをフーコーは挙げている。プラトン主義的モデルの「想起」のモデルと、キリスト教的モデルの釈義のモデルは最初の数世紀の間、互いに対立していたことをフーコーは指摘する。「存在の認識と自己の認知はおなじもの」であるというプラトン主義的考えと、「自己へ回帰することと真実についての記憶を取り戻すことは一つのこと」であるというグノーシス主義の考えは同一である。「キリスト教の境界地帯においてグノーシス派として現れて発展した」とフーコーは説く。
「自己への配慮」においてはその「諸形式にこそ、自己認識の諸形式の叡知性と分析の原則求めなければならない」。認識の形式は同一ではなく連続した歴史を作ってはならないとフーコーはいう。従って「主体を主体として構成する反省性の諸形式の分析論から始め、それを支える実践の歴史から始めなければならない」とフーコーは主張する。「自分自身を真理の主体として試練にかけるような試練」、「私はほんとうに私が認識している真理の倫理的主体であるのか」という問いをフーコーは取り上げている。ストア派の訓練に、「災悪の予期、死の訓練、そして良心の吟味がある」とフーコーはいう。「災悪の予期」(praemeditatio malorum)をフーコーが『主体の解釈学』で論究するところによると、古代ギリシア、ヘレニズム、ローマの帝政期まで「災悪の予期」の訓練は論議を巻き起こしていた。未来は「精神は未来によってあらかじめ心を奪われている」という否定的に考えられていた。つまり自由を奪うことになる。それに反して過去の思考は肯定的な価値を持っていたという。「記憶についての反省が、同時に未来に対する態度でもあると考えられるようになった」のはずっと後のことである。未来の思考が価値を持たないのは、「未来とは無」であり「未来に対して投影できるものは何ものにも基づかない想像」である。あるいは未来は先在するものであり決定されたものであると考える。自分に専念しない人は未来に心を奪われる。「記憶の訓練が未来の訓練より優越している」というコンテクストにおいて、ストア派は「災悪の予期」という訓練を真の言説を備えるために繰り広げたとフーコーはいう。予期しない出来事が起こったとき、備えがないと大きな苦痛を感じる。従って最もひどい災悪を考慮し、「それが起こりうるはずだと考える」。確率論ではなく予期の訓練によって不幸に対する訓練をしなければならない。「不幸はただちにすぐさま、時を移さずに起きる」という考えは未来に向かう思考ではなく、「未来を封鎖すること」、つまり「現在の思考訓練によって未来を無効にすること」なのであり、むしろ未来を現在としてシュミレートし、実在性を無効にすることであるとフーコーは解釈する。災悪は必ず起こることを覚悟し、現在の出来事の規模を査定すれば怖れは縮減するという考えである。「不幸としては無であるような現実の姿に引き戻されるように、思考を働かせなければならない」とフーコーは、セネカの『書簡集』から「死の省察」、「死の訓練」と「良心の吟味」を読み取っている。
このようなセネカの考察は、昨年の三・一一以来、私たちが受けた自然災害の恐怖から私たちの心身を守るための、未来における一手段に充分成り得るだろう。



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