ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

プラトン『パイドン』について 小林稔個人誌「ヒーメロス」より掲載

2015年12月24日 | ギリシア論考

林稔個人誌『ヒーメロス』22号のエセー(百枚)を四回にわたって掲載します。


長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(十四)その一

小林 稔


42 アスクレピオスに雄鶏一羽の借りがある。『パイドン』


 フーコーの最後のコレージュ・ド・フランス講義は、一九八四年二月から三月に行なわれた。三ヵ月後の六月十五日、彼は息を引き取った。そしてその講義録を書物化した、Le courage de la vérité『真理の勇気』では古代ギリシアからキリスト教までのパレーシアの変遷を詳細に論述している。ソクラテスの「死の三部作」、『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』おけるパレーシアの究極の形を説き明かす。後半は、かなりのスペースをとって、ソクラテスの「真の生」を徹底化したキュニコス主義を論じている。
 日本語訳『真理の勇気』の後書きである「講義の位置づけ」という論文で、フレデリック・グロは、死の直前のフーコーの講義には「哲学的遺言のような何かを読み取ろうとする誘惑」に駆られながらも、この講義が「ソクラテスとともに哲学の根そのものに立ち戻ることによって、フーコーは、自分の批判的仕事の全体をそこに組み入れようと決意」するのが見られると指摘する。この書物には、パレーシアと民主主義の関わり、ソクラテスの死、生の試練としての哲学と魂の認識としての哲学の二方向からの哲学の考察などがなされている。フーコー自身の迫りくる死、「あとどのくらいの時間が残されているか」を危ぶみながら自らの哲学を完成させようとする姿に、『パイドン』に記述された、死を恐れぬソクラテスを重ね合わせるとき、感慨深いものがある。偽りの明晰さと人を欺く自明性という言説の病から哲学が治癒をもたらす(グロ)という主題、ソクラテスの最期の言葉、「それに配慮してくれ、わたしの頼みをなおざりにしないでくれ」という言葉をめぐってへの配慮についてフーコーは考えようとした。

真理表明術とは何か
パレーシアの研究はフーコーの晩年に提出されたテーマであり、いかにパレーシア問題にたどり着いたのかをフーコー自ら説明する。パレーシアにたどり着くまでの研究では、「主体と諸関係をめぐる問題は、「西洋哲学の核心そのものにある伝統的な問題から出発した」という。「つまり、いかなる実践から出発して、いかなるタイプの言説を通じてなされてきたのだろうか」、また「いかなる言説実践から出発して、語る主体、労働する主体、生きる主体が、可能な知の対象として構成されたのだろうか」といった分野の研究であったと述べ、「認識的分析」と呼ぶことができるとフーコーはいう。やがて、フーコーは同様の問題を違った角度から考察しようとした。「主体が自分自身に関して語ることのできる真理の言説について、たとえば、告白、告解、良心の吟味などといった文化的に認められ類型化されいくつかの形態のもとで語らえうる真理の言説について、考察を行おうとした」とフーコーは述べる。簡単にいえば、客観的(科学的)な考察にとどまらずに、主体が語る真理の方式の考察へ移行させたといえよう。フーコーはそれを「真理表明術」に関する諸形式の研究と呼んで、その枠内でパレーシアを考察している。

「真理表明術」とは、「主体が真理を語りつつ自らを表明するためになされる行為の分析」であり、「主体が真理を語る者として自分自身を思い描くとともに他の人々によってもそのような者として認められるためになされる行為のタイプの、諸条件と諸形式に関する分析である」とフーコーはいう。「自己自身に関する〈真なることを語ること〉の諸々の実践についての研究」を試行するようになったが、進めるうちに「自分自身に関して真なることを語らなければならないという原則」の重要性に気がついた。その中心軸となるのが「汝自身を知れ」に関するソクラテスの原則である。その実践としての「自己への配慮」がある。そこから発生した「自己自身に関して真なることを語らなければならない」という命令には他者の存在が必要とされる。十三世紀初頭の告解の制度化、ローマ教会の司牧権力の組織化などには「二人で行なう実践」、つまり他者の存在が必ずあることにフーコーは興味をもったのである。近代文化においても、精神科医や心理学者、精神分析家に他者を必要とすることがある。一方、古代文化では哲学者がその他者の役割を演じていたのであるが、彼らに要求されるのがパレーシアであったとフーコーはいう。古代における、自己陶冶のなかでのパレーシアおよびパレーシアステース(パレーシアを行なう者)を研究することは、後に組織化される「告解者と聴罪司祭、指導を受ける者と良心の指導者、病者と精神科医、患者と精神分析医」の実践の前史を研究するものだ」とフーコーは述べる。しかしパレーシアの起源はそのような霊的先導の実践にはないことにフーコーは気づいたという。つまり、パレーシアの概念は政治的な概念であるということである。そのことによって「自己自身に関する〈真なることを語ること〉の実践をめぐる古代研究から遠ざかることになったが、政治的実践におけるパレーシアを分析することによって、主体と真理の関係につきまとう、「権力の諸関係およびその役割というテーマ」に接近したこと、つまり「自己と他者の統治」という実践から主体と真理に関する問いを考える可能性が生まれたとフーコーは述べている。真理陳述の諸形式、統治性の諸技術、自己の実践の諸形式の間の諸関係を分析することが問題になった。この真理、権力、そして主体の間の諸関係を互いに他に還元することなく研究することが大切であるとフーコーは主張する。

〈真なることを語ること〉の四つの根本的な形式
 パレーシア概念を明確にするために、フーコーは〈真なることを語ること〉の四つの古代の根本的方式を考察する。

一、預言者の真理陳述。「預言者が真理を語る主体として自らを構成するとともに他の人々によってもそのようなものとし認められるやり方について」考えられることは、神の言葉の伝達にある。預言者は人間たちに別の場所からやってきて真理を告げる存在であり、現在と未来の間に身を置くものであり、仲介者である。時間が人間に覆い隠していること、目に見えず耳にも聞こえないことを明るみに出すが、晦渋なやり方で、つまり謎というかたちで包み隠しているので、解釈しなければならなくなる。預言者の役割とは、「人間の有限性と時間の構造とが連接される地点に自らを位置づける」ことであるとフーコーはいう。このような預言に対立するのがパレーシアである。自分自身の名において語り、自分自身の確信であることがその本質である。パレーシアテースは語る相手に、真理を受け入れ、行いの原則とし過酷な任務を残すことになる。解釈するという義務を残すことはないとフーコーは指摘する。
 二、賢者の知恵。預言者との相違は自分の名において語るということにある。「彼個人の存在様式としての賢者という資格を与え、知恵の言説を語る資格を与える」とフーコーはいう。パレーシアステースに近い存在であるが、賢者は自分の知恵を「引きこもり」の中に留保するという特徴があり、強制的に語る必要はな
いし、預言者のように謎めいた言説であることも起こりえるとフーコーは指摘する。預言者のように未来に
何が存在することになるかを語るのではなく、世界と事物の存在を語り、それは助言ではなく「行いの一般的原則」というかたちを取るとフーコーはいう。賢者の、口を閉ざし、自分が望むときに謎を語るという特
徴はパレーシアステースとは対立する。パレーシアステースはソクラテスのように、神から授かった任務を執拗に人々に語る。預言者のように「事物と世界存在の形式」に関して語るのではなく、「個人の状況や情勢の特異性に関して何が存在するのか」を語る、つまり「対話者が現にそうであるところのものを明るみに出したり、それを対話者が認める手助けをしたりする」のだ、とフーコーはいう。
 三、教育する者(技術者)の真理陳述。プラトンの対話篇に登場する、医師、音楽家、靴屋、大工、武闘術の教師、体育教師たちはテクネーとしての一つの知を所有している。つまり実践におけて具体的なかたち
をとる知識をもち、理論的な知識だけでなく訓練(アスケース)を含意するような知を保有し、他の人々に教えるこれらの技術者は、他の技術者からかつて学んだという伝統と結びつけられているので、知を伝達しなければならないという義務を背負っているとフーコーは分析する。パレーシアステースにもそれは見出されるが、技術者はリスクを冒さないという点で相違する。逆に絆を結ぶことがある。知の伝統の絆であったり友愛の絆であったりする。パレーシアステースは「真なることを語る」によって、反感、争い、憎しみ、死のリスクを冒すことがあるとフーコーはいう。他者とパレーシアのゲームをするとき結合と和合にいたることはありえるが、憎しみと分裂を開いた後でしかないとフーコーは付け加えている。
 このように、預言、知恵、教育、パレーシアという四つの真理陳述様式があり、互いに異なる登場人物を含意し、互いに異なる発言様式を必要とし、互いに異なる領域に関わるとフーコーはいう。異なる領域とは、預言は運命という領域であり、賢者は存在、教師はテクネー、そしてパレーシアはエートスという領域に関わるが、それらが社会的な登場人物でもなければ社会的な役割でもないこと、ソクラテスのようにこれら四つの様式が互いに混合された状態で見出されることがあることをフーコーは指摘している。ソクラテスは、預言の真理陳述、知恵の真理陳述、技術と教育に関わる真理陳述との間に、永続的で本質的な関係を保つパレーシアステースであるとフーコーはいう。また古代哲学史の特徴の一つに、知恵の様式とパレーシアの様式の結びつきがみられ、「真なることを語ることの哲学的方式となろうとする傾向があることをフーコーは重視する。また、中世キリスト教においては預言の方式とパレーシアの方式との結合がみられるとフーコーはいう。さらにフーコーは中世における二つの形態を挙げている。一つはフランシスコ会とドミニコ会から始まる宣教師たちの役割である。もう一つは聖職者養成機関という制度である。「事物の存在とその自然本性を語る知恵の方式と、教育の方式という、真理陳述の残り二つの様式を接近させる傾向があった」とフーコーは考え、ギリシア・ローマ世界のパレーシアと知恵の組み合わされた体制とはきわめて異なることを指摘する。フーコーは近代におけるパレーシアの関係を仮説として言及する。預言とパレーシアの組み合わせは革命的言説に見出されるという。革命的言説は既存の社会に対して批判するときパレーシア的言説の役割を果し、存在論的方式は哲学的言説のある種の方式の中に見出され、技術に関わる〈真なることを語ること〉は科学と教育に関わる複合体の制度によって組織されているとフーコーは推測する。哲学的言説は人間の有限性の限界を超えたものに対する批判においてパレーシアの役割があり、科学的言説では、既存の知や支配的制度、現在の振舞い方に対する批判として展開されるときパレーシア的役割を果すとフーコーは主張する。

民主的制度と「論理的差異化」
 パレーシアが民主主義体制の中で民主的批判を生んだのであるが、「プラトンからアリストテレスに至るまでの哲学的で政治的な思考の中」において、いかなる理由でなされたのかをまとめてみよう。
 民主制こそが「真なることを語ること」を生み出す最適の場所であるという「伝統的な自負」が、崩れ去り次第に危険なものになっていく兆候が現われてくる。フーコーによると、パレーシアはすべての人に与えられる発言の自由であるが、パレーシアは特権と義務を背負ったものではなく気ままに行使されるものなので、「真なる言説と偽なる言説、有益な意見と無益ないし有害な意見が混ぜ合わせになる」ということが起こり都市国家にとっては一つの危険なものになる。さらに別の危険もある。パレーシアを行使する者が「民主制において敬意を表されないかもしれないある種の勇気を呼び求める」ということが起こる。例えば、民衆に気に入られようとする追従者に対して真および善とは何かを語る者には耳を傾けないようになる。『ソクラテスの弁明』においてソクラテスが語る、「なぜ私は、自分が都市国家の中で有用であると主張しながら、一度も公的に行動しなかったのか、なぜ私は、自分の意見、自分の見解を語るため、都市国家一般に対して助言を与えるために、一度も演壇に登らなかったのか」という問題に、「政治に身を投じていたら」命をなくしたであろうこと、「都市国家の中で不正や違法行為を防ごうとほんの少しでも努めようものなら、どんな人間も死を避けることはできないだろう」とソクラテスは答える。以前にも論じたように、パレーシアは死の危険を冒す危険があることと、民会の前で民主的パレーシアを実践することにおける危険とは別の問題であるとフーコーはいう。フーコーの講義『真理の勇気』では、後日ソクラテスの哲学的パレーシアの部分で展開することになっているので詳細はここでは保留しよう。
 
まず第一の危険を要約すれば、民衆は自分たちに気に入られようと話す人(追従者)に耳を傾けることか
ら生じるパレーシアの否定的な面である。「真なる言説が出現し自らの真理を価値づけようとする際の制度的枠組みに帰すべき無力さ」である。つまり結論として「民主制においては、よき演説者と悪しき演説者を見分けることができず、真理を語り都市国家にとって有益であるような言説と、嘘と追従を語り有害なものとなる言説とを区別することができない」。このようなテーマは紀元前四世紀の間ずっと行なわれていたとフーコーはいう。クセノポンの『アテナイ人の国制』にはっきりとパレーシア批判をしている数行があるとフーコーは指摘する。そのテクストによると、都市国家にとってよき体制とは、「よき市民が罰を与え、手綱を締めて、悪しき市民に必要な懲罰を課して懲らしめ」、「誠実な人々が審議して決定を下す」が、「愚か者たちには発言権が与えられず政治のための審議および決定の機関の審議に参加することは禁じられる」ような体制であるとクセノポンは定義する。しかしアテナイはそのようなよき体制を受け入れていないという。その理由は次のように語られる。優れた人々は都市国家の利益にかなった決定をしようとするが定義上、都市国家における優れた人々である以上、都市国家にとって有益なこと、有利なことをしようとする。都市国家にとって有益な決定を下す方向へと都市国家を促すとき、優れた人々は自分たちの利益、自分たちの利己主義的利害に仕えることでしかないという。クセノポンはアテナイの民主制を真の民主制としながら批判的の述べているのだ。クセノポンの考えるよき国家とは、優れた人たち、誠実な人たちが決定を下し、愚か者たち、頭の悪い人たちには語る権利を与えない国家とする。そのように発言権を与えないよき体制をアテナイが受け入れないのはなぜか。アテナイの功績は、愚か者たちを評議会や民会の参加を許したことにあるとして、一方では讃え、もう一方では批判しているのである。真の民主主義というべきアテナイ、優れた人々が決定をするのではなく、多数派の人々が決定するアテナイではどのように行なわれるか。多数派は隷属状態を免れようとする。彼らは都市国家の利害に仕えたくないのであり、自分自身で指示することを望んでいる。多数派の人々というのは定義上、優れた人々とは逆に劣悪な人々である。すると劣悪は人々である多数派にとって悪いことは都市国家にとっても悪いことになる。そうなれば劣悪な人々に発言権が許されるべき都市国家が成立するであろう。もし優れた人々にだけパレーシアが与えられたなら、彼らは都市国家の益、つまり自分自身の益を押しつけることになり民衆には不利なものになる。アテナイの民主制において多数派の民衆に有利なことを語られるようにするには発言権は優れた人々にだけ与えてはならないし、悪人が発言権を持つようにしなければならないとすれば同類の悪人によいことを述べるようになるという堂々巡りになると結論する。
フーコーはこのようにクセノポンのテクストを紹介するが、その根底にはパレーシアの場所としての民主制に対する場所としての民主制に対する批判が一般的に認められていたという。西洋世界の政治思想にとって普遍の母型や脅威であったような原則があるとフーコーは考える。その第一の原則は量的差異化である。だれが統治すべきかを考えるとき、一方には多数派の民衆がいて、他方には少数派の人々がいる。その分割と対立が問題なる。第二の原則は、分割は優れた人々と劣悪な人々の対立に一致するということである。よき人々と悪しき人々の倫理的境界を画定するということになる。第三の原則とは、優れた人々と劣った人々の倫理的境界画定が政治的区別に一致するということである。つまり、優れた人々によいことは都市国家にとってもよく、劣っている人々にとってよいことは都市国家にとっては害悪であるという考えが流布していたということ。第四の原則は、政治的言説の次元における真なることは、都市国家にとって益であり、有用であるが、万人にとっての発言の権利を持つ民主制の形態では成立しない。都市国家の中で真理が語られるようになるには、よき人々と悪しき人々の分割をしるしづけ制度化しなければならない。つまり本質的な倫理的分割が政治的領野の内部でかたちをとり表明したとき、都市国家の益が持たされるであろうということ。
これらの原則は当時のテクストに見られる思考形態をフーコーが要約したものであるが、結論として言えることは、「語る主体の間に差異を設けないことによって定義される政治的領野の中では真理は語られないということであるとフーコーはいう。多数派と少数派の分割が、よき人々と悪しき人々、あるいは優れた人々と劣悪な人々との倫理的分割が不可欠なのである。したがって民主制においては「真なることを語ること」つまりパレーシアが不可能といえることになる。優れた人々が劣悪な人々に服従を強いられるからである。

 プラトンによる反転
 フーコーはプラトンの『国家』の都市国家を一艘の船に譬えている一節を指摘する。

  まず船主だが、これは、身体の大きさや力においては、その船に乗り組んでいる者たちの誰よりもまさっている。
 ただ、少しばかり耳が遠く、目も同様に少しばかり近い。そして船のことに関する知識も、その目や耳とおなじよ
 うなありさまだ。それから水夫たちだが、これは、ひとりひとりがみな、われこそはこの船の舵を取るべきだと思
 いこんでいて、舵取りの座をめぐってお互いに相争っている。そのくせ彼らは、舵取りの技術をかつて学んだこと
 もなく、自分にそれを教えた先生を指し示すこと、いつ学んだかを言うこともできないのだ。それどころか、舵取
 りの技術というものは、そもそも教授不可能なものだと主張し、それが教えられるものだと言う者があろうものな
 ら、その人を八つ裂きにしかねまじき勢いである。(『国家』第六巻488‐B)

 船主(操舵手)は民衆であり、水夫(乗組員)は民衆(デマ)扇動家(ゴーク)である。「乗組員は操舵手に追従を言って舵を奪い、何らかの知識に従ってではなく自分自身の利益に従って舵を取る」のだ。民主制に倫理的分割がかけている以上、パレーシアが見出せないなら哲学の形式において民主制を排除すべきだとプラトンは言いたいのである。「民主制は真なる言説に訴えることができない」のであればどう対処すべきか。プラトンは『国家』第七巻で、真理にたどり着いたとき、つまりイデアの世界を知ったとき、哲学者はそこに安住すべきではないことを主張する。

 されば君たちは、各人が順番に下へ降りて来て、他の人たちといっしょに住まなければならぬ。そして暗闇のなか
 の事物を見ることに、慣れてもらわなければならぬ。けだし、慣れさえすれば君たちの目は、そこに居つづける者
 たちよりも、何千倍もよく見えることだろう。君たちはそこにある摸像のひとつひとつが何であり、何の模像であ
 るかを、識別することができるのだろう。なにしろ君たちは、美なるもの、正なるもの、善なるものについて、す
 でにその真実を見てとってしまっているのだから。(『国家』第七巻520-C)

 哲学者は洞穴から再び都市国家に下降し、統治する者にならなければならないことをこの一節は述べている。先ほどの民主的パレーシア批判の後に、統治がよいものであるためには真なる言説に基礎を置き、民主派と民衆扇動家を一掃する必要があるというのが、フーコーがいう「プラトンの反転」である。
 
 アリストテレスの躊躇い
次にフーコーは、「アリストテレスの躊躇い」といいうるものに言及する。それは多数派と少数派の分割に基づき、それが裕福な人々と貧しい人々の対立に一致するだろうかと、『政治学』第三巻でアリストテレスは問う。裕福な人々が多数派であるとき民主制は成立するか、あるいは貧しい人々が少数派であるとしたら、彼らの権力を民主制と呼べるのであろうか。その問いにアリストテレスは答える、「民主制を特徴づけるのは、貧しい人々の権力である」と。「たとえ貧しい人々の方がはるかに少数であるとしても、彼らが権力を行使すしさえすればそれは民主制である」と。さらにアリストテレスのもう一つの問い、多数派は劣った人たちであり、少数派は優れた人たちであるといえるのかという問いを提出し、疑いをもつ。優れた人々と劣った人々との対立と少数派と多数派の対立との一致についても検討する。そして優れた人々とはどのような人々なのかを考える。市民の徳と有徳の士の徳を区別すべきではないかとアリストテレスはいう。徳によってよき市民として義務を果すと同時に、都市国家の利益を追求し都市国家のためによい決定を下すことが完全にできるのではないか。しかしそのような個人はよき市民であるが、有徳の人間ではない。つまり有徳の士でなくともよき市民であることもある。二つの徳の関係を、統治される人間と統治する側の人間において区別する。このように多数派と少数派、劣った人々と優れた人々の区別は簡単には解決できず、倫理的・量的な同型性をアリストテレスは問いに付しているとフーコーは解釈する。また優れた人は自分の利益を追求しつつ都市
国家の利益も追求するが、劣った人は自分の利益を追求するが、都市国家に対しては有害なことしか目指さないという、フーコーが名づけた政治的転換の原則をアリストテレスは疑問視する。『政治学』第三巻で、君主制、貴族制、万人による政治を検討するが、結局「いかなる政治形態であろうと、統治する人々は、自分の利益のために統治することができれば、都市国家の利益のために統治することもできる」ということ、アリストテレスは、都市国家を基礎づけるものは真なる言説でしかないが、民主制においては真なる言説はありえないという結論をアリストテレスはあいまいにしているとフーコーはいう。
アリストテレスは「君主制」と「王制」の区別をする。王制とは公共の利益を考慮する君主制タイプの統治であり、自分自身の利益を考えず都市国家の利益を目標にする王制がある。そして若干の人々による、都市国家と構成員の利益を考える貴族制があり、さらに多数派が統治する政治形態、名を与えることが困難な形態であるゆえに、ポリティアという一般的名称でフーコーが呼ぶ政治形態がある。フーコーはアリストテレスの『政治学』第三巻から、このポリティアについて解説している。アリストテレスの説明をフーコーは次のように説明する。「ただ一人の個人ないし少数の人々が徳において他の人々に勝ることは可能であるが、多数派の人々が〈あらゆる徳において申し分のない水準に達する〉のは困難である」。自分自身の利益ではなく都市国家の利益を目指す一人の王、あるいは少数の人々がいたと仮定すると、彼らが徳において他の人々より勝っていることは考えられる。つまりそれは「彼らの倫理的選択、彼らの他の人々との差異化こそが、他のすべての人々のために統治がなされる可能性を与え、それを保証すること」になり、逆は非常に困難であるというアリストテレスの主張をフーコーは紹介している。したがって多数派の人々が、自分自身の利益を考えず、都市国家の利益を考慮するような民主制、「真なることを語ること」が可能であり、そこに都市国家の利益を認める「倫理的差異化」を見出すのはほとんど困難であろう、形式的には可能であるが現実には存在しえない、なぜなら「民主制においては、倫理的差異化が作用しないから」とフーコーは説く。民主的なポリティアでは統治される者が統治する者になる可能性を持つ、交替の原則によって定義されているので、アリストテレスが提起する問題は、そのような原則の下で倫理的差異化が可能かどうかであるとフーコーはいう。

陶片追放(オストラキスモス)
アテナイにおいてなされた一個人の追放のことであり、彼が並外れた資質を持ち、一般市民よりもあまりにも上に置きすぎたときに民衆が追放できる措置であるとフーコーは説明する。アリストテレスは陶片追放について、それは正当化の可能な措置なのかという反論に、可能であると答えている。『政治学』第三巻を挙げ、フーコーはアリストテレスの主張を紹介する。それによると、アリストテレスは都市国家を一枚の絵にさらに彫像にたとえて説明しているという。一枚の絵や一つの彫像に、「全く完璧な細部」があると作品のなかの他の部分と調和を崩すので、画家によって、あるいは彫刻家によって取り除かれるときがある。同様の理由で、田に人々より明白に優れている市民とは決別せざるをえないという考えによるのである。このように説明した後にアリストテレスは、都市国家の中で並外れた徳を持つ者(際立って並外れた者に限られよう)がいたとするなら、「公共の規則に」従わせようとするのは正当なことではないと主張するのである。そのような人間に市民が服従し、王になるようにすることが唯一の解決法であるとアリストテレスはいう。「ほんとうの有徳の人物がいるとしたら、民主制は消え去るべきであり、人々は、その有徳の士に対し、倫理的なその人に対して、王に従うようなやり方で従うべきである」というのがプラトンと共有できるアリストテレスの考えであり、民主的パレーシアの危機といえるものから、エートス、および倫理的差異化の問題へ論及しなければならないことをフーコーは示唆している。

君主制と助言者
パレーシアが有効に機能するという自負を打ち破るように、民主制とパレーシアは両立せず、パレーシアとは反すると思われるべつの政治構造、君主制にその可能性をフーコーは見ようとする。フーコー自身の指摘にあるように、君主制が高い政治構造であると主張しているのでは決してないことに注意する必要がある。「君主の人物像、その専断的で君主制的な権力が、一つないし複数の危険を含んでいる」からである。君主
には僭主のイメージがあり、真理を受け入れない者という印象が強くある。アリストテレスの『政治学』においても、僭主は真理を知ることができない、なぜなら自分たちが語っていることや考えていることを隠すからであると述べていることをフーコーは指摘し、全ギリシアにおいてそのような図式は一般的であるという。それでも君主と真理を語る者との関係や君主と助言者との関係の中には、パレーシアの実践のための一つの場所が認められるとフーコーは指摘する。アリストテレスの『アテナイ人の国制』や、ペルシャの君主キュロスをパレーシアに接近できる君主として描いたプラトンの『法律』第三巻などから、君主とパレーシアの場所があるとフーコーはいう。先の論考で民主制には倫理的差異化に場を与えることができないことだった。フーコーによると、「個人の魂としての首長の魂が、それ自体、倫理的差異化が導入され、価値づけられ、具体化され、諸効果を産出できるようになるということであり、そのおかげで君主は、一方では真理に耳を傾けることができるようになり、他方では、その結果として、自分の権力を制限する術を学ぶようになる」のでパレーシアの場が成立することもあるという。一つの魂は教育や助言によって真理に耳を傾け自らを導くことが可能であるからである。以前、このエセーで詳しく述べた、プラトンとディオニュシアス二世の関係がすぐに思い出される。プラトンの『第七書簡』から知ることができるのである。ディオニュシアスの叔父であるディオンに向けられたプラトンの教育が成功し、ディオニュシアス一世の死後、権力を引き継いだディオニュシアス二世の若さと、哲学への情熱を読み取ったプラトンは、その魂に接近し、彼が支配する都市国家に接近することができるはずであった。プラトンは君主に助言を与える哲学者であろうとしたのである。しかし失敗に終わる。「ディオニュシアス二世の悪しき本性、彼の悪しき近親者たち」、ディオンの暗殺などの理由により失敗したのであって、プラトンの哲学的企てが失敗であると受け取られていないことが『第七書簡』、『第八書簡』から窺えるとフーコーは指摘する。つまりプラトンの失敗は具体的情勢上のものであり、民主制におけるパレーシアの失敗は構造上のものであるということになるとフーコーはいう。
結論としていえることは、君主制において(パレーシア)が可能なのは、君主が都市国家を統治するやり方が、君主自身のエートス(個人としての君主が自らを道徳的主体として構成するやり方)に依存するからであるとフーコーはいう。君主のエートスは、真なる言説から始まり、彼の統治法
の母型となるものであるので、パレーシアが効果をもたらすことが可能であるとフーコーは説く。君主自身のエートスを介する統治であるのに対して、民主制は倫理的差異化の場を与えなかったためであり、エートスの場が不在であるからだとフーコーは主張する。

 パレーシアの政治からプシュケーへの変容
 パレーシアは、もはや一つの権利ではなく一つの実践であり、向けられる相手は都市国家ではなく個人の魂(プシュケー)になった、つまり「パレーシアの本質的相関物が、ポリスからプシュケーへと移行するということ」であるとフーコーは分析する。個人におけるある種の存在の仕方、振る舞い、行動の仕方の形成がパレーシアの目標になる。都市国家の救済よりむしろ個人のエートスを目標にするとフーコーはいう。つまり、「プシュケーをパレーシア的な〈真なることを語ること〉の相関物と定め、エートスをパレーシアの目標に定めるという二重の決定が含意しているのは、パレーシアが、〈真なることを語ること〉の原則を中心に自らを組織しながら、今や、真理陳述が魂の中に変容の諸効果をもたらすことを可能にするような操作の総体の中で具体的なかたちをとるということ」であるとフーコーは要約している。これらの背景には、紀元前五世紀ごろのギリシア文化におけるプシュケーの出現があり、民主制下のパレーシアの危機と批判、パレーシアの行使が政治から個人的諸関係のゲームの方へ向きを変えていったことがあるとフーコーは指摘する。
「民主制の制度的地平からエートスの形成という個人的な実践の地平へのパレーシアの位置の移動」は西欧哲学の根本となる特徴を理解するために重要になる何かがあるとフーコーはいう。フーコーはアレーテイア、ポリティア、エートスという三つの極を挙げ、「還元不可能性」と「必然的で相互的なそれらの関係」から一方から他方への働きかけ、その構造に支えられて、ギリシアから今日の哲学的言説が存在することになったとフーコーはいう。哲学的言説が科学的言説や政治的(制度的)言説や道徳的言説とも異なるとするなら、哲学的言説が他の二つの問題を提起するからであり、「科学的言説とは、その諸規則とその諸目標を、〈真なることを語ること〉とは何か、諸形式はどのようなものか、その諸規則はどのようなものか、その諸条件と諸構造はどのようなものかという問いに応じて定めるような言説のこと」であるとフーコーはいう。
 哲学的言説は、フーコーがいうところによれば、真理の問題を提起するとき、〈真なることを語ること〉の諸条件を、個人に対して倫理的差異化や〈真なることを語ること〉を発する権利、自由、義務が与えられる政治的構造との関連において考えるから科学的言説とは異なるのだという。さらに政治的言説と異なるのは、ポリティアに関する問題を提起するとき、権力の諸関係とその組織化を定義することが可能な出発点としての真なる言説に関する問題、つまり真理に関する問題を提起するからであり、政治的構造によって場を与えられる倫理的差異化の問題を提起するからである。道徳的言説と異なるのは、哲学的言説が、一つのエートスの形成をもたらすもの、道徳の教育法あるいは一つの規範の伝達手段となるものではないからであるとフーコーはいう。哲学的言説が一つのエートスに関する問題を提起するとき、真理について、そのエートスを形成することのできる真理への接近形態について考え、またエートスが特異性と差異を肯定する政治的構造を考えることになる。ギリシア文化以来今日まで、アレーテイアの問題が提起されると真理との関係でポリティアとエートスの問題が提出されるのであり、ポリティアについてもエートスについても同様であるとフーコーは主張する。
     
(その二につづく)

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