ヒーメロス通信


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『「自己への配慮」と詩人像』(八)「パイドロスにおけるエロース論」前編、その二

2012年05月23日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの
個人季刊誌『ヒーメロス』16号2010年12月10日発行

『「自己への配慮」と詩人像』(八)
35 『パイドロス』におけるエロース論(前編)その二
小林稔


天界における神々の生

『パイドロス』のミュートスに戻ろう。魂の本来の相(すがた)は神のみが説明
できる事柄であり、人間は似ているものにたとえて(ミュートスとして)話すし
かできないので「魂の似すがたを、翼を持った一組の馬と、手綱をとる翼を持っ
た馭者とが、一体となってはたらく力であるというふうに、思いうかべよう。」
とソクラテスは語る。神々の場合は馬も馭者も善きものばかりだが、人間の場合
は馭者が手綱をとるのは、二頭の馬であり、一方は資質や血筋に恵まれ美しく善
い馬であるのに対して、もう一方の馬はそれとは正反対である。これらの馬たち
を操るのは至難のことであると説明した後で、ソクラテスは、「生けるもの」、
つまり肉体と魂の結合体がいかにして「死すべきもの」と呼ばれるようになった
かを解き明かしていくのであった。魂は魂なきものの全体を配慮し宇宙をめぐり
歩く。翼のそろった完全なる魂は宇宙の秩序を支配するが、翼を失うとき落下し、
土からなる肉体をつかまえ住みつく。この魂と肉体の結合されたものが「死すべ
きもの」 (人間)であり、われわれは神を「何か不死なる生きもの」として、つま
り肉体も魂も持ち永遠に結合したままの形で作り上げていると語る。魂の翼は、
美しいもの、知なるもの、善なるものによってはぐくまれ、その反対のものによ
って衰退させられるという。天界では偉大なる指揮者ゼウスを先頭に、へスティ
アを除く十一の神々の部隊とダイモーンの軍勢が天球の内側を行進している。
(藤沢氏の訳注によると、 ゼウス、ヘラ、ポセイドン、デメテル、アポロン、
アルテミス、アレス、アプロディテ、ヘルメス、アテナ、ヘパイストス、ヘステ
ィアのオリュンポス十二神のうち、ヘスティアが神々のすみかにとどまるとある
のは、宇宙の中心の地球と考えられたからであり、この行進のイメージの背後に
は、天体の動きが示されているという。また「ダイモーン」というのは、地上に
墜ちて人間の肉体に宿るべき運命にある、神以外の魂を指す。) 彼らが聖餐に
赴くとき天球のはてを支える穹窿のきわまるところまでのけわしい路を昇らなけ
ればならない。神々の馬車は昇るのが容易であるのに対して、神以外のもの(ダ
イモーン)の馬車は労苦を迫られる。なぜなら悪い性質をもつ方の馬が馭者の手
綱さばきに逆らい地に向けて引くからである。神々の魂は穹窿のきわまるところ
まで昇りつめ、天球の外側に出て背面上に立ち、天の外の世界を観照するとソク
ラテスは語った。
 天の彼方にあるものとは、「真の意味であるところの存在、知性のみが観るこ
とのできる〈実有〉」であり、その領域は『真理の野』と呼ばれ、その牧場から
は、魂をすぐれたものにする、魂を軽快にする翼の原質を養う牧草がとれるとい
う。神の精神はけがれなき知性とけがれなき知識によってはぐくまれるものであ
るから、真実在を目にして幸福を感じるが、魂が観得するのは〈正義〉や〈節制〉
や〈知識〉である。その他さまざまな真実在を観照し聖餐を終えると、ふたたび
天の内側に入り神々のすみかへ帰る。神々以外の魂のなかで最もよく神に従い、
神に倣う魂は、馭者の頭をあげて天外の世界の真実性のあるものを目にするが、
馬たちが暴れるので、ある真実在は見そこねる。そのほかの魂たちは上の世界を
求めるも神々の行進についていけず、われ先にと押し合いへし合いし、多くの魂
が翼を傷つけられかたわものとなるとソクラテスは語るのであった。ここでは観
ることが食することにたとえられ、『 真理の野』の牧草を魂の一部分である馬が
食む、つまり真実在を目にすることで翼が養われると表現されているのである。


アドラステイア(立法を司る女神)の掟

 神々とダイモーンの軍勢の天界への回遊の折に、神々の行進に随行できなくな
り真実在を観そこねた魂は、忘却と悪徳の負荷によって翼を損失し地上に墜ちる。
その魂はこの世に生まれる最初のとき、人間の肉体に宿るのだが、天上で見た真
実在の多少によって、さまざまな人間の種に振り分けられるのである。例えば、
最も真実在を多く見た魂は知を求める人、美を愛する人、楽を好むムッサのしも
べ、恋に生きるエロースの徒となるべき人の種の中へと述べられる。二番目は法
を守り戦いと統治に秀でた王者となるべき人の種へ、三番目の魂は政治家、財を
なす人の種の中へ、四番目は体育家、医学にたずさわる人の種へ、次に宗教的儀
式にたずさわる人の種へ、次は創作家へと続き、職人、農夫、ソフィスト、民衆
煽動家、最後九番目が僭主の生が適合する人の種である。それぞれの魂は天上へ
は一万年間帰ることがない。翼が生じないからであるという。しかし、「 知を
愛するこころと美しい人を恋する想いとを一つにした熱情の中に、生を送った者
の魂だけが例外」で三千年目に帰り着くとされる。それ以外の人は最初の生を終
えると裁きにかけられ、あるものは地下の世界で罰を受け、またあるものは天上
にはこばれ、それにふさわしい生をそこで送るのである。もし魂が一度も真実在
を見なかったなら、人間に宿ることはない。なぜならとソクラテスは語る。もの
を知る働きは〈実相〉、(エイドス)というものに則して行なわれる、つまり雑
多な感覚から出発し、思考の働きによって総括され単一なものへ進むように行な
われなければならないと。
 
 プシュケーと想起

 ひとたび翼を失い堕ちて地上の死すべきものに、とりわけ人間の肉体に宿りつ
いた魂( プシュケー)が、いかにしてもとの住処に還りつくのか、プラトンは
それをエロースの律動において可能であると解き、「ロゴスの対話(ディアロゴ
ス)を通じ、ミュートスのかたちで真実性に辿り着くと考えたのであろう。しか
し実際は、ひとりの人間の心の動きの不可思議な部分を知覚しロゴスによって考
察をくり返した果ての、ゆきついたエクリチュールであると私は考える。

狂気に関するすべての話は、ここまでやって来た。――狂気という。しかし、人
がこの世の美を見て、真実の〈美〉を想起し、翼を生じ、翔け上ろうと欲して羽
ばたきするけれども、それができずに、鳥のように上の方を眺めやって、下界の
ことをなおざりにするとき、狂気であるとの非難を受けるのだから。(中略)こ
の狂気こそは、すべての神がかりの状態のなかで、みずから狂う者にとっても、
この狂気にともにあずかる者にとっても、もっとも善きものであり、またもっと
も善きものから由来するものである、そして美しき人たちを恋い慕う者がこの狂
気にあずかるとき、その人は『恋する人』と呼ばれるのだ、と。(『パイドロス』249E)

 われわれ人間の魂は多かれ少なかれ真実在を見たことがある、そうでなかった
ら人間として生まれてこなかったであろう、とソクラテスによって語られている。
しかしこの世のものを手がかりに、かの世界の真実在を想起するのは容易なこと
ではなく、ごく少数の者によってしかなされない。なぜならこの世界で悪い運命
のめぐり合わせや交わりで不正に向かい、かの世界で見た聖なるものを忘却して
しまうからであるという。そうではない「これらの魂たちは、何かかの世界にあ
ったものと似ているものを目にするとき、おどろきに我を忘れ、もはや冷静に自
分を保っていられなくなる。」(『パイドロス』250E)

 これが「恋する人の狂気」であり、リュシアスがその論文で述べる「自分を恋
する人に身をまかせるべきでない」というテーゼなのである。それに対するアン
ティテーゼを成立させるためには、狂気の正当性を実証し、「愛する人に身をま
かせることは正しいことである 」と主張しなければならないだろう。それゆえ、
ソクラテス(プラトン)は神に関する狂気がイデアの世界へ導くものであること
を語るのである。
狂気を引き起こすものとは、かの世界の、この世にある似像であり、具体的には
少年にそなわる〈美〉であるだろう。それらがかつての天上での秘儀において目
にしたものを想起させるのである。

 けれども〈美〉はあのとき、それを見たわれわれの眼に燦然とかがやいていた。
――それはわれわれが、幸福な合唱隊とともどもに、われわれはゼウスに従いつ
つ、他の人々は他の神々に従いつつ、祝福された観ものと光景を目にしたときの
ことであり、そして、数ある秘儀のなかでも、たぐいなく祝福されたものと言う
ことが許される秘儀に、参与したときのことであった。その秘儀を祝うわれわれ
自身(全きすがたのままで、後にわれわれを待ちうけている数々の悪をまだ身に
受けぬままで、全きすがたの、純一な、荘重な、祝福に満ちた聖像を、明るくき
よらかな光の中に啓示され、それによって奥義を伝授されながら、この秘儀を祝
ったときのことであった。(『パイドロス』250B-C)

右に引用した箇所を、人生の途上、ほぼ三十年間に亘って私は何度読んだことか。
その時々の体験と、読みふけっていたときの私を取りかこむ事物が一直線上に甦
ってくる。愛する者と夢見た、プラトン的エロースの友愛を得ることができなか
った敗北感とともに。私は一九八五年の夏の日々を、長野県の野尻湖周辺の高台
にある宿舎で過ごした。前年の同じ時期に十五歳の少年を連れて十日間を過ごし
た場所であった。勉強を教える指導者という立場から、身も心もうちとけたいと
いう私の一方的な想いは満たされずにいた。翌年に私はひとりで記憶から何かを
得ようと、その宿舎を訪れたのである。私の手元にある藤沢令夫氏の著書「プラ
トン『パイドロス』註解」の奥付に一九八四年一月二六日、第一刷発行となって
いるので、当時出版されたばかりであったこの書物を携えて、宿舎に着き部屋で
夕食前の時間をくつろいでいたことになる。テレビをつけると、「御巣鷹山に墜
落」(のちに御巣鷹山ではなく高天原の尾根であることが判明)という文字とと
もに日航機事故の現場が映し出された。少しずつ明らかになる大惨事に驚いたの
であった。『パイドロス』 に描かれた天上の世界に心を奪われていた私は、こ
の地上の生々しい現実を見て、古代から空の高みに思いを寄せる人間が、高度な
科学を発達させ空を飛ぶ夢を実現させたことに想いをめぐらした。その日から二
十五年の年月が過ぎて、遺族たちの悲痛な想いは想像を超えたものに違いない。
私は事故の前年にひと夏を過ごしたその少年にそれ以来一度も会う機会を逸して
しまった。しかし還暦を過ぎた今にして、狂気に目覚めていたかつての私の心痛
が、プラトンの哲学のほんとうの姿を知ろうとする現在の私につながっている。
まさに、プラトンを知らずして死ねないという想いが深まるばかりである。

 そのとき、きよらかな光を見たわれわれもまたきよらかであり、肉体(ソーマ)
と呼ぶこの魂の墓(セーマ)、いま牡蠣のようにその中にしっかりと縛りつけられ
たまま、身につけて持ちまわっているこの汚れた墓に、まだ葬られずにいた日々の
ことであった……思い出よ、これらの言葉にたたえられてあれ。この思い出ゆえに、
われわれは、すぎし日々への憧れにうながされて、いま、あまりにも多くの言葉を
費やしてしまった。(『パイドロス』250C~D)

 想起とは何か。プラトンの哲学に重要な役割を担わされているこの概念が初めて
登場するのは、初期対話篇の後半期に分類される『メノン 』である。その中には、
「人間にとって学ぶとか探求するとかいうことはありえない。なぜなら、もはや探
求の必要はないわけだし、またもしそれが自分の知らないものだとしたら、もとも
と何を探求すべきかということさえ、分からないはずだからであるから」と記述さ
れている。」(『メノン』81C~D)という記述が見られ、また『饗宴』の直後に書か
れたと考えられる『パイドン』には「あるものの知識を生まれる以前に手に入れた
のち、生まれてくるときに失ってしまい、のちにそれについて、感覚を用いること
により、以前に持ったことのある知識をふたたびとらえるのだとすれば、われわれ
がものを学ぶと呼んでいることは、もともと自分のものであった知識を手に入れ直
すことなのではないだろうか。そしてこのことは、想起することと言ってしかるべ
きではないだろうか」(『パイドン』75E)と
著されている。このように説かれる想起説は魂の不死と魂の転生を考慮の前提にし
ている。それゆえ、ミュートスの範囲内であれば受け入れられようが、現代のわれ
われにそれ以外においては理解することは困難であろう。古代ギリシアの神々を礎
に生まれたロゴス的世界が次第に神々から解き放たれ、デカルトによる自己認識に
至ったというデカルト的契機(フーコー)を起点に進められた近代的思考にとって、
しばしばプラトンのテクストに見られる神概念こそ歴史的背景を考慮し受容できる
ものの、文学的表現などの喩以外に、魂の不死はもとより、前世に手入れた知識を
この世で想起するということを納得するには困難を要することであろう。
 藤沢氏はこの問題を「プラトン『パイドロス 』註解」において次のように述べて
いる。「等しさそのものとか美そのものとかいわれる理想的な存在が、現実には直
接感覚できないものであって、それの知識を感覚から得たということは、一つの飛
躍を説明しないままで放置することになる以上、われわれがそういった理想的な存
在の知識を得たのは、われわれが感覚を使いはじめる以前でなければならぬと考え
ることは、少なくとも問題に対する解答の一つのあり方として許されるであろう」
と。さらに、「 もろもろの感覚から記憶と判断が生じ、記憶と判断が定着してそこ
から知識が生じる」(『パイドン』96B)という箇所を引用し、知識の起源をわれわ
れの生の範囲内で説明しているのでこの方がわかりやすいと藤沢氏は述べ、また
「人間には普遍的な知識を感覚的個物とは別に把握するための能力がもともとそな
わっているのだというふうに考えて、それに抽象能力とか発想能力とかいった名前
をつけてすませておく方が無難かもしれない。」とも述べる。大切なことは、「知
ることは想起することである」という命題が、われわれをいかに遠くまで考えさせ
るかである、なぜなら「想起説を考えたプラトンのモチーフの一つも、この考えを
われわれの仕事と探求への意欲を鼓舞することにあったのであるから」と藤沢氏は
指摘する。 過去の出来事は、そこから時間によって引き離され生きることを強い
られる人間にとって、一回性である出来事がまるでこの世で起こったことではなく、
私の生きる時間とは断絶した別の時空のことのように考えてしまう傾向にあるとは
言えないだろうか。それが要因となり、想起を基軸とするイデア論が生まれ、異質
のヘブライの思想に影響を与え、司牧制の権力へと流出していくことになる。( 詳
細は私のこのエセーの別の章で考察する。) プラトンの形而上学の根底には想起と
プシュケー論があり、それらはエロース論として論じることができると私は思う。
絶えず移り逝く私たちの生は、記憶を永遠という概念で把握しておこうとする宿命
を背負わされているように思えてならないのである。
 少年に出逢い惹気される人々の想いは一様ではないであろう。同性からの眼差し
は自己の過去生をいやおうなく思い起こさせる。女性にとっては少女であり、プラ
トン哲学とは別の形而上学の可能性を考えることができよう。古代ギリシアの男性
優位の社会において生み出されたプラトン哲学では、男性の原型として少年の存在
があった。ほんとうに血を分けた息子や娘であればまた別種の想いがあるはずであ
る。しかしプラトンの書物から知れることは、少年愛の欲望を哲学へと昇華させる
ことである。フーコーの言葉で言えば「快楽の活用」である。やがてプラトンの形
而上学は少年愛の概念を超えて継承されていった。
 

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