ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

ランボー論「自己への配慮と」詩人像」小林稔個人詩誌『ヒーメロス28号』から。

2015年01月14日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの

長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(二十)

小林 稔

  47 来るべき詩への視座

 

アルチュール・ランボーにおける詩人像(一)

 

情熱と実践

 小林秀雄の『様々なる意匠』という初期の批評文に、印象批評としての「ボオドレエルの文芸批評を前にして、舟が波に掬われるように、繊鋭な解析と溌剌たる感受性の運動に、私が浚われてしまうという事である」といい、批評の方法とはいかなるものかを述べている。文芸批評に「嗜好」や「尺度」を持ち込むことを戒め、精密な論理を駆使し、つまり主観的な批評ではなく客観的なそれを求めるべきであるという世間の要請に応えたものであろうと思われる。「彼(ボオドレエル)の魔術に憑かれつつも、私が正しく眺めるものは、嗜好の形式でもなく尺度の形式でもなく無双の情熱の形式をとった彼の夢だ」という。少し先の方で、「芸術家のどんな純粋な仕事でも、科学者が純粋な水と呼ぶ意味で純粋なものはない」という一文がある。私には自明のことのように思われるが、科学領域での新しいH2〇という形式に対して、芸術の形式での水はどのようなのかをいうのはたやすいことではないだろう。

私が小林秀雄の『様々なる意匠』を再読しようと思ったのは、北川透氏の個人誌「KYO(峡)」の五号の記事、「第二章〈神の死〉以後の真昼の歌――思想詩人の誕生(上)」で吉本隆明を論じた箇所、「科学と詩の遭遇」を目にしたからである。吉本の「詩と科学との問題」と「ランボー若しくはカール・マルクスの方法に就いての諸註」という初期の論考を引用し、吉本と小林秀雄の相違を引き出していた。要約していえば、「科学への不信に悩んでいた吉本に遠山啓なる人物の大学の講義を聞き、純粋科学の領域に〈直感〉と〈思惟〉が導入されていることを知り、科学と詩の共通の場を見出した。科学は自然を変革せず、自然を模倣しているに過ぎない。「科学が無限に多くの自然現象を新たな現象を獲得することは可能なのだが、それが且て自然が試みた現象以外の現象を得ることが出来ないということは不思議なことではあるまいか」と吉本はいう。「人間生活の簡便化」は自然の変革ではないし、「人間の進歩」ではない。「原子エネルギーの応用によって巨大な破壊力を獲得したなどという奴隷科学者の自負など下らぬことである」。一方では、量子物理学の論理的階程の否定」という〈非因果律的な〉作用概念の確立があり、他方では言葉の科学性を同一次元で考えようとしたのであるが、あくまで一般的な科学の概念に過ぎず、量子物理学は類推の夢として切り捨てたことになろう。詩の科学性は言葉の科学性に通じ、言葉の科学性とは意識の科学性の謂いに他ならないというのだ。自然現象という不安定な言葉の状態を固定化し意識化する操作を詩的行為というなら、自然現象のように瞬間的に変わり得る精神の状態を恒久化するのが詩作行為であり、「言葉のこのような構造の曇りない解析を通して、人間存在の本質に思い到る道を行くことではないか」という。このような詩と科学のアナロジーにはどこか納得のいかないところがある。結論として当時の吉本の考えていたことは、「詩が言葉を創造し或いは変革してゆくという考えは、あたかも科学が自然を変革するという考えと同じく空しい惑わしに過ぎない」ということであった。よって、「果たして書くに値することが書かれているか」という訴えになる。

北川透氏は、「詩人は常に新しい形を作らねばならない。だが《彼に重要なのはあたらしい形ではなく、あたらしい形を創る過程であるが、この過程は各人の秘密の暗黒である》という小林秀雄の言葉を引用し、サンボリズムやダダやシュルレアリスムを現代が欲した理由を吉本は考察せずにいたと指摘している。「一つの情熱が一つの情熱を追放した問題」としたという小林秀雄の記述は、政治的価値と芸術的価値のどちらを重んじるかという二者択一の問題である。そうでなければ俗なる嫉妬に過ぎない。「『資本論』を書くという一つの情熱が、マルクスの全存在を引攫ったように、『地獄の季節』への情熱は、ランボーの全存在を引攫った」と小林秀雄は考え、「交換不可能な宿命」と考えたのだ。「芸術はその固有な形態で芸術家の意識の裡に存在していなければならない(「アシルと亀の子Ⅱ」)と考えていたのである。

プラトンは対話篇『国家』(共和国)で詩人を追放したが、詩は追放しなかった。パトスが陥りやすい非理性と怠惰に警告を発したのだ。現在も通用することである。『パイドロス』などで語られるミュートスは詩の真髄に抵触する。プラトンは叙事詩からの文学の伝統と、世界や自然の探求である、「ソクラテス以前の哲学者たち」と批判的に対決したのである。つまり文学と科学的思考を内在させながら、人間の生き方、すなわち哲学を政治との漸近線上に確立していった。

吉本隆明は、「あらゆる芸術は常に個人の個性的思想によって、個的な苦悩によって、単純な個的な手段の媒介によって闘われてきた」と述べている。吉本の中に、ランボーという詩人とマルクスという思想家が吉本の中で共存できたのは、マルクスの目指したのは「真理」の理論体系だが、ランボーの目指した「地獄の季節」は「非真理」であって、どちらかがどちらかを放逐することはないからであると北川氏はいい、マルクスの方法とランボーの詩が〈逆立〉する定式を指摘する。そこには言語の二通りの使い方がある。「真理」を課題とする「非詩」の言語(社会的交通の所産)と、「詩」(実在たる言語)の相違があるがゆえに〈逆立〉が可能なのだ。自らの表現を問う〈他者〉からの視線がマルクスであるなら、ランボーの〈地獄〉への親和は、自己〈資源〉の起源に帰されることになり、拒否と神話の相関関係を吉本は結んでいることになると北川氏はいう。私には、吉本が詩を社会的交通なる政治言語で可能にさせる逆説、あるいは戦略としてとらえていたと見えてしまうのだ。様々な対立概念は弁証法的に一方は他方の惹きつける力をもつことで存在可能だ。その緊張関係が双方を成立せしめるのだと私は信じる。

「文芸の道は人が一生を賭して余りある豊富な真実な道の一つだ」(「マルクスの悟達」)という小林秀雄の言葉は現在でも、私にとっては情熱を湧出させうる表現である。「芸術の固有の形態」は詩人の意識に存在しなければならない。小林秀雄はそれを詩人の宿命に見ようとした。「芸術家にとっての目的意識とは、彼の創造の理論に外ならない。創造の理論とは彼の宿命の理論以外の何ものでもない。」「芸術とは感動の対象でもなければ思索の対象でもない、実践である。作品とは、彼にとって、己のたてた里程標に過ぎない、彼に重要なのは歩くことである」という小林秀雄に絶大な信頼を傾けることができるのは、個人的なことで恐縮するが、ランボーの詩との遭遇を一つの事件とした彼の経験と、ランボーの詩に遭遇して詩に駆り立てられた私自身の経験が交錯しているからである。さて私は私に内在するランボーを語らなければならない時がすでに来たようだ。

ランボーは闘っていた。己の危機と世界のそれを二重映しにし、いわばプロメテウス的使命を詩人の使命と感じながら世界の矛盾と闘っていたのだ。彼の背後に近代ヨーロッパの宿命が追いかけている。彼が手放さなかった原初の世界、キリスト教以前の無垢な世界をもって、精神の堕落を救済しようとする。彼は己が享受するしかなかった、そのような血筋と闘っていた、それゆえ自分自身と闘っていたと言えよう。

 人間には二通りの生き方がある。待っている人と行為する人であり、その違いは明白である。強い内的要請がないかぎり、人は立ち上がることができない。それを促すのは己の存在の危機的状況である。今日、詩が矮小化されたのは七十年代中盤からの保守的精神である。人々から闘争心は消え、保全に身を置き優しい生活を望んでいる。それに合わせるようにして、詩人もまた、本来は創造者であるべき精神を喪失してしまった。思想は実践し続けた人の足跡から立ち上がるものである。かつて新体詩において詩に思想性の必要性が叫ばれたが、いまだほんとうには実現に至っていない。地球存続が危ぶまれ始める現在、詩人は闘うことを止めてしまった。したがって真実は見えなくなった。個人的な精神の危機と時代の危機を絶えず重ねながら、詩で打破しようとするランボーの詩人像をここで少し明らかにしてみたいと思う。

 

詩人と幼年期

 

 事物は、愛によって呼び出されるとき、魂をもっているかのように見える。(イヴ・ボヌフォア『ランボー』)

 

ランボーが闘ったのは「近代」であった。それは偶然が必然と受け止めなければならない彼の宿命であった。おそらく「近代」とは宿命の力を自覚し、そこからの脱出を問われた時代だったのだ。その記録の一つがランボーの『地獄の季節』という文学の決算報告書であった。自分に背負わされた「宿命」を冷酷に見つめながら、次第に新しい方法論が見えてくる。それは「イリュミナシオン」の詩句のことだ。『イリュミナシオン』から見えてくるのはボードレールがついに脱出できなかった、ランボーの発見した「現代」である。「近代」の宿命との挌闘の

最中にわずかに垣間見た希望と跳躍こそが「現代」を解き明かすものだった。この論考で少しずつ明確にしていきたい。「心なし」と自分を名づけた彼は、それを「客観詩」と呼んだのでる。ここでいう客観詩とは、たんに自我を抑制し、より広い客観的な見方をものにし、言葉に表現することではない。我を忘れるほどの激しい経験であることは注意しなければならない。

とうぜんのことだが、人はいつどこで生を始めるかは選択の余地がない。偶然であるに過ぎない。そこが人の宿命とする起点である。自分をもたらした肉体という物質と精神の制約の中で未来という時間を生きなければならい。両親から受け継がれた精神は起源を遡る。血筋というものだ。これら偶然まもたらすものを必然と享受することから、「自己との闘争」が始まる。もしそこから目を伏せ逃亡するなら、己の存在を否定するしかなくなる。母親は自分の身から生まれた子を子宮にいつまでも留めておきたいという不可能な願望をもつであろうが、新しい生命は「世界」を所有しようとするだろう。つまり「自由」を勝ち取ろうとする。いくつもの偶然がやがて必然になり「宿命」が形成されていくことは生きるものの運命である。後に彼は

『地獄の季節』で、ヨーロッパの近代と己に布置された宿命との闘いを書くことになる。

 ランボーが生まれた、十九世紀後半期、フランスという国の政治と商業の中心パリから少し離れた近郊都市シャルルヴィルである。産業革命の後に資本家と労働者の関係が確立し始め、マルクスが『資本論』を世に出した時代であり、プロレタリア階級が登場する。ランボーの出生地となる田舎の暮らしがどのように彼の目に映ったのかは、十六歳から書き始めたフランス語詩の「最初の聖体拝受」、「音楽につれて」などの初期詩篇から類推することは難しくない。また冷酷な母親ヴィタリーの人となりは「孤児たちのお年玉」、「七歳の詩人たち」などから窺える。自分は孤児と思い至る。「なんて胸くそ悪い退屈だ!」と十六歳のランボーの手紙に書かせた田舎の暮らしはどのようなものだったのだろう。ボヌフォアは評論集『ランボー』で次のようにいう。「一方にあるものは、孤独と土壌、どっかり腰をすえて無言のうちに持続する自然の諸要素、その中で押し黙って生きることのできる一つの実質世界」があり他方では「固定してまるですきまのない社会生活、沈黙を台無しにしてしまう、貧困化された言葉」、それぞれが他人に絶えずそそぐ視線の中で、「精神が速やかに堕落してゆく」、「せせこましい共同体特有の、独善主義」がある。それらを観察しているランボーは、愛も希望もなく過ぎてゆく時間の中で反抗の芽が育ち始める。しかしボヌフォアは、ランボーを創造的な欲求に駆り立てたプラス面を指摘している。絶対は絶対を生み出すものであり、最大の疎外は許されることがあるなら、最高度の詩へと導かれるものだと指摘する。「有用性がのりこえられてしまった状態の奇妙さの中に、がらりと変わった新しい可能性、人間と存在するもの自体との新しい関係を、開き見せてくれる」という。それに加えて、ランボーは母親の「専制帝国」に住んでいたことを指摘する。母親から愛されていないと案じたランボーは、自分を罪ある者と結論し、自分の無垢で母親に手荒く立ち向かったのだという。そこから自分に孤独を強いた社会を変革させることが詩の希望であり、社会への反逆であると思い至ったとボヌフォアは指摘する。母親が絶え間なく監視し世話をやくことは、愛に違いないが、ランボーには「冷淡さと義務以外の何ものでもない」「ただの形式」として感じられてしまう。そうなれば愛の成就の証が敵対視すべきものとなり、グロテスクで汚いもの、糞便的なものが力強く表現されることになる。ボヌフォアは、「愛とは、感覚世界の超越を、流刑からの赦免を、「真の生活」への参加を可能ならしめる因子とするような愛の形而上学は、われわれの実存を存在の中へと刻み込むところのものを反映している」として、プラトン哲学の教えにさかのぼる必要があると主張している。

 幼年期の最初のころに解放的で、ごく《詩的》な感覚、日常の世界の彼方にあるもう一つの世界への感覚がみられ、それが『イリュミナシオン』に多く見られるとボヌフォアは指摘する。しかし現実社会は自然のままの無垢をもちえていない。「人間は生まれながらの透明な状態から堕落したのだとランボーは感じたとボヌフォアはいう。さらにマルクス的方法やフロイト的方法の他に、「犠牲者」を詩人に転換する作用を可能にする必然を発見しなければならないとボヌフォアはいい、ある種の逆説を唱える。つまり、詩が存在の堕落そのもの、道徳化された状況や社会の状態への堕落というものが、ランボーのような例外的な人間によって引き受けられねばならなかった。歴史からの挑発にウイかノンか、つまり服従か、挑発に反抗し可能性を実現させるか選択を突きつけられる時がきて、後者を選べば「因果的分析の挫折と詩の始まりが同時に起こる」とボヌフォアはいう。不可能を試みることは、自然的必然性の閉ざされた世界においては存在への目覚めた感覚であり、死への、光明を与える直観であるからだという。「詩の天職」というものは、闘いの反射運動に過ぎないが、多くの場合、平凡な日常の悪しき眠りによってむなしいものにされてしまっているのだとボヌフォアは指摘する。つまり、「よみがえらせる詩は死の真近(まじか)で生まれる」とボヌフォアは主張する。

 橋本一明は遺稿集『アルチュール・ランボー』で、ランボーの背後にヨーロッパの宿命が潜んでいて、彼は進んでこの苦悩を身に引き受けたのだという。橋本は、このランボー論をフランスの政治史、経済史から始めた。十三世紀から十六世紀の農奴解放を経てフランス革命を終え成立してゆく封建的構造に、口火を切ったのは貨幣流通に伴って台頭した商人たちであった。《利潤》を得ながら封建的土地所有の基盤を崩し、ヨーロッパ産業資本が形成されていく。やがて産業革命を経て十九世紀半ばには資本主義が完成する。このような社会史、経済史と平行して精神史がある。人間解放が中世の教会の権威から解放や自我の独立を意味したのであった。デカルトからカントまでに確立された自我が、ヘーゲルが完結した体系によって絶対にまで普遍化された。しかし、十九世紀に出現したプロレタリアで近代社会は一つの矛盾を感じ始める。一八四八年、マルクスは『共産党宣言』を著し、「プロレタリア―トによる社会革命に赴き、近代の市民社会を罵倒したのであった。また「聖書の教える神に復帰すべき」と問う、ケェルケゴールを忘れてはならないが、「自我の概念と交錯する否定の精神」においては両者ともに共通していると橋本氏いう。「ヨーロッパは、本来有限な自我の神格化という自ら作った虚偽の前で苦悶する」ことになったのであり、ロマン派以後のフランス文学はこの苦悩を知らずして理解することができないであろうと橋本氏は主張する。さらにボードレールにとっては、「自我を支えるものこそ必要だった」のであり、「自我とは絶望的に暗黒の海上に浮遊する夜光虫のように、虚無に浮かんだものとして映じていた」という。さらにボードレールには創造者の問題をはらんでいたとしてランボーの「見者」の手法を呼び起こしたのであったと解いた。

 

見者の方法論

 一八七〇年に書いたと言われるランボーの詩、「感覚」、「わが放浪」などには、ランボーの身体に触れたような感触を感じさせるものがある。ボヌフォアによれば、「感覚をいつも油断なく目覚めさせておき、言語が与えてくれないものをやがて征服に出かけるように精神を準備することである」という。己を孤児と捉えたランボーは物を名づけることで希望を引き出そうとしているのだ。ボヌフォアはいう、この希望は「影を追って獲物を手放す行為」ではないかと。無双の歓びを知るだろうが、現実からますます遠ざかることになる。しかし、「日常の使用によってめくらにされた言語というものから逃れるすべを与えてくれ」、破滅から救うかもしれない。初期の彼の詩の多くは主観的な夢想で書かれ、世の多くの詩人たちはここに立ち止まっている。「試練にかけられることのない希望の力だ」とボヌフォアはいう。だがランボーはそこを越えてしまうのだ。それがやがて見者の手法に発展していくことになる。つまり希望を言葉にするだけでは現実には何も得られない。自分自身を変えようとするなら言葉以外のものが必要だという自覚が生まれる。第二帝政、ルイ一六世の敗北が伝えられ、革命の意欲が芽生えてくる。『鍛冶屋』という詩にその様子が描かれている。ボヌフォアは、「彼の目的は、社会的革新を遥かに超えたところにある」。それは「原初の光明が回復されることなのだ」という。しかしながら後に「現実の転換的変革のためのより徹底的な手段が手に入りそうに思えると、政治的な事柄を忘れるだろう」が、「第二帝政の崩壊に立ち会うため」パリに行こうとした。イザンパールという教師の影響があるのだが、パリ行の一回目は乗車券をもたず監獄に送られ、つぎはイザンパールの姉妹の家まで歩いていく。その途中で詩を書いていたという。その家からも母親によって送り返された。その後、シャルルヴィルの図書館で多くの本を読むことになると伝記では伝えられる。ボードレールの『悪の花』はすでに出版されていて、彼は手紙で書くだろう、ボードレールこそ真の神だと。一八七一年の一時期、ランボーが神秘思想を読書から知った。交際のあったブルターニュ、エリファス・レヴィ、バランシュと言った典型説やカバラから知った知識は、ランボーに事物の実質を与えられたおかげで事物の実質そのものを握っていた言語は、今日なお、鍵であることを止めない。一人の詩人、精神の英雄が現れて、普遍的な言語回復させるだろう」といった、バランシュの思想に神秘的な力をランボーが神秘的な力を認めたとしても不思議なことではいとボヌフォアはいう。しかしランボーにとってそれらは詩の概念のアナロジー以外に興味の対象にはならなかった。『地獄の季節』でそれらは否定されている。詩の領域というものが普遍性を入れるに足る大きな器であることを多くの詩作を通してランボーは確信していたに違いない。「人間はみずから《見者》となり、後天的に社会秩序を否定し、神の理法への直観によって、神に諸事物に属する深いリズムを再び見出さなければならない」というレヴィの言葉に詩からの要請を感じたが、それらと引き換えに要求される苦しみの代価を払わなければならないことを知ったであろうとボヌフォアはいう。また彼によれば、ランボーの生活上にある事件が起こったという。『盗まれた心臓』を書いたランボーに危機が訪れたのである。その詩に描かれたあさましい状態と、精神の英雄が払わなければならない代価とが同一物であるという一挙に見極めたことだとボヌフォアはいう。日本におけるランボー研究の第一人者、粟津則雄氏は、資料が存在しないのであくまで想像であるが、「詩の外にある何かとの苦い対話によって、解体を強いられながらも、同時に、なおもこの対話を続けることを強いられている何かである」と『アルチュール・ランボー』で述べている。そのようにランボーを追い込んだ事件とは、三回目のパリ出奔で年上の義勇兵たちとの接触で性的対象にされたことではないかと粟津氏は推測している。「巨大な負荷量をうかがわせる」というランボーの危機と、見者の手紙に見る、「いま私は別人だ」という他者の思想との関連を示唆している。ボヌフォアのいう「あさましい状態」はこのことを指しているのだ。その直後にイザンパールとドメニーに、「見者の手紙」二通をしたためることになる。

 

 詩人たらんとする人間の第一の仕事は、おのれ自身を認識することです。それも全体的にね。彼はおのれの魂を探求し、点検し、試み、自覚するんです。魂というやつがわかったら、すぐにそれを育て上げなければなりません。……(中略)……見者にならねばならぬ、おのれを見者にしなければならぬ、とぼくは言うんですよ。詩人はあらゆる感覚の、長い、途方もない、理論的な乱用によって、おのれを見者に作りあげるのです。あらゆる形の愛と苦悩と狂気とでね。自分自身を探求し、自分の中で一切の毒を汲み尽くし、その精髄だけを残しておくのです。……                                                                                                                                            

              一八七一年五月一五日、ドムニー宛ての「見者の手紙」の抜粋。粟津則雄訳

 

 橋本一明は『アルチュール・ランボー』で二通の「見者の手紙に共通する内容を列挙している。まず、ランボーは詩人であることを強く望んでいること。(Je veux etre poète.)詩人にならねばならぬ。(Il faut être un poéte.)プロメテウスの《火を盗む者》としての使命をランボーは義務として選択したことを意味する。次に詩人になることは自らを見る者(voyant)にすること。あらゆる感覚の錯乱という方法によって未知のものに到達することを目的とする。見者における自我と他者の関係=我は他者である。(Je est un autre.)ランボーは自分がなるべき「詩人像」を明確にすべき時がついに来たのである。

「未知なるものに到達する」というテーゼは、ボードレールの「旅」、「未知の底に新しいものを見出すために」という詩句の強い影響であろう。「最も真実なる現実は他処にさがすべきではなくおのおのの物の中に、照明を放つそれらの有限性のうちに、それらの死のうちにそれらを捉えることによってさがさなければならない」というボードレールの希望をランボーは理解できたであろうかと、ボヌフォアはいう。見者の手紙で、ボードレールこそ最初の見者であり「真の神」と称えたランボーであったが、ボードレールのあまりにも芸術的な形式も「けちなもの」として批判する。「探索の旅という神話をわがものとし、ほかならぬ此処にもう一つの出口がある」とランボーは信じ、「精神を深い色彩のけたたましい奔流の中へと投げ込むであろう運動を「酔いどれ船」で描いたとボヌフォアはいう。そして接近への懐疑がやがて現れてくる。またプロメテウス的詩人の使命では、詩人のもたらす「火」は、人々に与える、「真の生」への希望や勇気や自由を意味するのだろうと私は思う。極めて個人的な苦悩が普遍的な慈愛に到達することになる。結果的に彼の闘いはヨーロッパ文明の宿命との闘いであったと言えよう。

 

 主観的な詩と客観的な詩

 

結局、先生は、何ひとつしようと思わなかったために何ひとつしない、いい気な男になってしまわれるでしょうね。先生の主観的な詩が、相も変わらずおそろしく味気ないだろうとは別にしても。ぼくは希望しているのですが――それの他の多くの者たちも同じことを希望しているのです――、いつかは先生の原理のなかに、客観的な詩を見たいものです。(一八七一年五月十三日イザンバール宛ての手紙。粟津則雄訳)

 

 右記に引用したのは、先に引用したドメニー宛の手紙の二日前に、イザンバール宛ての手紙の部分である。ここで主観的な詩と客観的な詩の違いを述べているが、ランボーは何を言いたかったのかを考えてみよう。

「主観的な詩とは、まさしく理念の、《芸術家的》唯美主義の、そして遊びの域を出ることのない詩、要するに、人間を存在するものの晦(くら)さへと開くことなく、その因襲的な性(さが)のなかにとじこめるような詩」とボヌフォアはランボーの主張を類推している。ランボーはそれまでの初期詩編と呼ばれる「孤児たちのお年玉」や「太陽と肉体」などは、「充実した生活への夢想が、ごく安易に、ひとつの不動な実存の一部となっている」と言って自ら否定したであろうという。ボヌフォアは、ランボーの考える客観的詩というのは、「我々の感覚は部分的に物を見ることでしかなく感官sens(意味)のたくさんの可能なやり方の一つに過ぎぬ、感覚を「未知のもの」の実在する炎の中で焼き払ってしまうこと」であると主張する。さらに「ランボーは、自分の感情生活の崩壊、自分の傷つけられたおそろしい魂に、意味と価値を与えて、その精神的な根拠づけを行ったのだ」と指摘する。具体的には、「vision「ヴィジョン」への意欲の莫大なエネルギーを注ぎ込むである。「ヴィジョン」の中に、来るべき「生気」と、根拠のある生活と、ひとつの知とを、同時に確認する」のだとボヌフォアは分析する。

 ここで、ランボーの「他者の思想」と客観的な詩とのつながりを示唆する、橋本一明の論考を指摘しておきたい。芸術家=創造家(詩人)は官能性の具体性によって時間の中に住む。自らの意志では自由にならない偶然的過去を背負っている。人間の生の秩序は、完了しつつあり同時に生起しつつある時の中に住む。生起しないことは、可能的な予見を許さない暗黒である。だから人は生の瞬間において自己の存在の歴史的事実性をなす完了性の規定内で、可能的な未来に対する決意の自由をもつ。未来は無であるが、過去は自由をほどこすことはない。したがって自我の全的自由を望む人間は、過去を敵とし、苦しめられることになる。ボードレールにとっては、「過去は取り返しのつかぬもの」であるが、ランボーは未来に対して決然と立ち、過去に対して自由であった、と橋本氏はいう。ランボーの言葉、「苦悩は大変なものですが、しかし強くあらねばなりません」という言葉から窺えるという。

 未来が可能であるのは存在内の秩序においてのみであることをは橋本氏は指摘する。詩人は官能的な人間として、「二重にもの(、、)と遭遇し、もの(、、)は歴史的存在に対して非歴史的存在であり、したがって歴史的存在が芸術家であるかぎりは、まったく偶然的でなければならないからである」という。未来が可能的であるためには、すべての秩序を排除しなければならない。「他者を排除する時、もはや芸術は存在しない」し、「自我の自由を有すかぎり、一切の表現を拒み、死さえ自らその所有に帰せようとする」という。しかしランボーは『地獄の季節』の後に『イリュミナシオン』を書いた。すなわち「偶然性に担われた他者との遭遇の中にあったのだ」と指摘する。「芸術家は自らの意志で作品を完成できない」ということと、「美的素材はもの(、、)である」ことに橋本氏は注意を促している。どういうことか。作品は偶然によって、つまり霊感によって完成される。「素材は生ある体験との関係においてみられる時、象徴としての意義を獲得する」という。芸術の観点から言えば、「素材が象徴であるためには、素材がもの(、、)としての独立の秩序を持ち、それが自らの秩序の外なる秩序――生ある現実――を担うのである。象徴は、絶対的に対立する二つの秩序――芸術においては芸術家主体と他者たる美的素材-―を前提として成立する」という。つまり「芸術家はもの(、、)と出会うとき、始めて創造を完成する」ともいう。「ものの自由になり、ものに担われる。それ故、自我と、ものとの出会いの瞬間に、彼(芸術家)は自我の秩序を他者に貸す」ということになる。ボードレールはそこに苦痛を感じるが、ランボーは自我がものと一体になり、ものに担われているのだと橋本氏は指摘する。

 

Enfin,ô bonheur,ô raison,j́ecartai du ciel ĺazur,qui est du noir,et je vécus,étincelle d́or de la lumière nature.

 

ついに、おお、幸福よ、おお、理性よ、空からおれは青を、もとある暗黒の青を引き離した。そしておれは生きた、「自然」の光の金の火花になって生きたのだ。(『地獄の季節』錯乱Ⅱより拙訳)

 

 橋本氏は、「金の火花」が主語の補語であることに注意を促し、「自我とものが一体になり、ものに担われている」と説明している。また、「見る者としての詩人が必ず他者との関係に立つべきである」と論じた橋本氏は、他者は必ずしも、ものであることを要しないという。つまり、他者とは、非歴史的存在であるものの存在と、自分とは他である人間、歴史的存在を含んでいることを指摘する。

 これまたランボーの研究書を持つ湯浅博雄は、『応答する呼びかけ』において、私が他者(人間)〈の心〉を志向すること、他者〈の心〉に関することにおいて、言語的=しるし的なもの力や作用を深く探求している。「他なる事物としての他者」と「他なる人である他者」にかかわる、文学的次元での「私」を考察する。そのことを説明する前に、「常識的な伝統的な言語観」と「文学における言語観を区別する。前者は、いわば記号媒体としてあり、言葉は存在するものを名づけるために派生的に生じたと考えられている。そこでは〈もの〉的な次元にあるなにか、非媒体的なものの次元をなすなにかは忘れられていると湯浅氏はいう。後者においては、言葉は発生状態の〈しるし〉を回復するような仕方でかかわる、つまり発生状態の〈しるし〉の媒介の力と作用を取り戻すような仕方で書かれるという。さらに〈名づけ〉をかわして逃げ去る何かを遠ざけ、不在化させ、消えゆくもののしるし〈痕跡〉として現存することを止めないのだという。通常の言語観ではこのような意味は隠され、忘れられているというのだ。マラルメの言語意識を知る人には特記すべきことではない。井筒俊彦の東洋哲学でいえば、深層意識領域に降り立つ意識とかかわっている。しかし、ここでは詩人として単独である「私」が生きる経験に固有ななにかを、特異ななにかという〈真実〉を証言したいとするとき、それが深い〈真実〉のリアリティーを秘めており、普遍化することの可能性を明かし立てようとする状況を考えてみる。〈名づけをかわして逃げ去るなにか、〈私〉にとって、〈経験されないままに経験されたこと〉に結ばれていると湯浅氏はいう。私が語る言葉によって絶対的に他なるものを含んでいるものとして生きられたなにかにつながれている。作品を書こうとするとき、このように他なるものであり続ける密かな呼びかけに応答しようとするが、書き手がすべきことは、言葉のもつ本質的な力、〈始原〉的な力を取り戻すようにする回復の努力をすべきであると湯浅氏は主張する。このような言語観において、「他なる人間としての他者」を「私とは他者である」というランボーの意味するところを考えてみよう。

 他者が事物、事象である場合には、橋本氏の解釈をすでに述べたが、湯浅氏の考慮する、「言葉が事物たちを不在化させ、不在したまま現存させる」という考察がなされていない。さらに他者が人である場合には、事物との比較の上でもう少し突き詰める必要がある。湯浅氏のテクストをしばらく追ってみよう。他なる人は私と同様に自我を持っている。それぞれに特有の生活、実存を生きている。他なる人が知覚すること、感受することを私が同じように思考、認識できるだろうか。通常の社会では、客観的に捉え、認識する。しかし、私が捉えた〈他者の呼びかけ〉からは、ある本質的な部分が抜け落ちてしまう。〈他者が生きる経験に固有なもの、独特ななにか〉に気づかないのではないかという。一方、他なる事物の場合にも、事象と知覚との間に常にずれがあり、知覚の作用は完了することはない。しかし、ア・プリオリには開かれている。根源的には私へと現われる可能性があると思われるが、他なる人間の場合は、知覚の完了の可能性は絶対的にないと湯浅氏はいう。「私が現在として生きる経験に真には現れることのできないようななにかが潜んでいる」と言い切るのである。他なる事物は私の外部にあり、それ自体として私と分離している。私の客体として、私の主観によって存在していることになる。先述したように、他なる事物も私の意識の外にあるゆえに、〈他なるもの〉であり続ける。しかし私の〈志向性〉へと現われ現前できるものと思われる。「言葉は、事物を不在化させること、不在のまま現前させるようになることを忘れているからである。だが他なる人間の場合は、他なる人間は私の客体となることもあるが、他なる人間は私にとって一つの自我であり、主観である。「相互間の主観性に基づいている世界」である。他なる人は私とは異なる仕方や見方で世界や事物に意味を与え、構成していることを尊重しなければならない。他者の生きた経験を、独自な経験として理解しなければならないのだが、他者に固有のもの、その独特さに私へと現前するという様態で経験することができるのだろうかと湯浅氏は問う。そうした志向性は、間接的な仕方で、近似的、疑似的な提示の積み重ねと繰り返しを無限に続けていくしかないと結論する。

 湯浅氏のこうした考察は、『応答する呼びかけ』の第一章、ボードレール論に始まり、第二章へは、ランボー論に展開されている。ここで要約して確認しておこう。

 ボードレールはモデルニテという言葉で、現代的な美を古典的な美と比べ、後者は永遠に不滅な、万人とって永久に美しい普遍性をもったものと定義する。前者を、「逃げ去りゆく美、うつろいやすいもの」とし、その個別性と単独性、その者の独得な美しさと定義する。これまでの文学は後者に向けられていたが、ボードレールは真に存在するのは「むしろ移ろいゆくことにある」と異議を唱えた。「唯一の、かけがいのない現実とは、これこれの事象、しかしかの存在である」こと」になる。ボードレールがこのように考えることに至ったのは、パリ大改造における故郷喪失の思いが起因している。「いま、ここで、ある特有な状況に老いて生きる経験の独特さ」が大切になる。ボードレールは大きな展望から見れば、西洋の芸術、思想の伝統である、プラトン主義的、キリスト教的見方への異議提起であると湯浅氏はいう。ここから真の現代芸術が始まったと言えるほどの事件であった。ただちに文学は「移ろいやすいもの」への愛をいかに実行すべきかという問いに変わる。文学は自らを問わなければなくなリ、自らを変容していくことになる。具体的に言うなら、ボードレールはどのような表現をしたのか。湯浅氏は、「撞着語法」という、独特な言葉遣いを挙げる。「明るさと暗さ」、「喜びと悲しみ」。「快楽と苦痛」、「死刑執行人と犠牲者」どの矛盾するものを同時に肯定し、ある種の中間性を浮かび上がらせる語法を指摘する。さらにもう一つは、「他なるものに向かって語りかける」ことを指摘する。ここから湯浅氏の考察は『応答する呼びかけ』という書物全体を貫くテーマへと発展していったのであろう。「他者が発する言葉に応えるには受け止め、解釈し、自分の言葉で語ろうとしなければならない。この時、「私」の行う言語は変わらざるをえないと湯浅氏は主張する。

 

 本能的リズムで、ある日、すべての感覚に接近できる詩的言語を発明しようと思い込んでいた。……最初は習作だった。おれは沈黙を、夜を書いた。言い表しがたいものを書き留めた。さまざまな眩暈を定着した。(ランボー「地獄の季節」錯乱Ⅱ)

 

 ランボーにおいてはさらに言葉と事物との関係が問われるようになる。言葉の働きと対象と

の関係が深く問われるようになったと湯浅氏はいう。近代ヨーロッパ文明の宿命を背負ったランボーについてはすでに説明したが、湯浅氏によれば、ランボーは近代ヨーロッパ人であることから抜け出し、「太陽の息子という、一種の始原状態にできる限り近づこうとする試み」を行ったのであり、「「白人」的な理性と〈科学〉の世界、キリスト教的な〈道徳〉と、それを引き継ぐ西欧近代社会の〈法〉に律せられた生活・人生・実存のなかで失われ、不可能になっているなにかを、「生を変える」ことで取り戻そうとする試み、……(中略)……言葉的―理性的=知的な秩序から抜け出す試み、「本能のリズム」を復権させる試みを実践していた」と指摘している。

 ランボーのこのような経験は、〈脱自的な瞬間の経験〉であり、「私」はまったくの私であると言えなくなるという経験であるという。「私とは他者である」というランボーの言葉そのものである。このような経験には〈過剰な部分〉が秘められ、〈私を超え出る〉出来事という側面を生きていることであると指摘する。ここでは言葉に対する不信の念を絶えず抱くことになる。なぜなら、このような経験は、通常の言語で意味づけることができないものであり、単独な人間の独自な出来事に固有なものは、一般的な概念で語ることが不可能であるからだという。しかしどうしても語りえないものを語りたいという欲望は消えない。したがって「沈黙にのみふさわしいもの」、つまり「夜の領域」に向かうようになると湯浅氏はいうのである。

 ランボーのいう客観的な詩とは、できるだけ主観的な見方を抑制し書く詩という意味ではなく、主観的な能力が届くことのありえない、超越するなにか、空白のようななにかであると湯浅氏は述べる。バタイユが(〈非知〉についての講演)で語ったという、言葉は〈至高な瞬間〉の経験を表わすには不十分であるが、「だが少なくともその不適合は言われ、語られねばならない」という意味では、『地獄の季節』を書くランボーも同様であったに違いない。

「書くことの経験は経験し終わることがなく」、通念的な言語の能力を、疑い、問い直し、変えようとすることが求められると湯浅氏は指摘する。

 ボードレールのモデルニテの定義から、以後の詩人たち、ランボー、マラルメ、プルーストらに引き継がれた詩的経験、フロイト、ユングの心理学的考察、ソシュール以後の言語学的考察などからも顧みられ、ラカンやデリダの現代哲学まで影響を与えているとみることができるだろう。特にデリダにおいては西洋哲学の解体まで発展した。ここにおいて、「本質」否定を出発とする東洋哲学の現代的活用が求められていると私は考える。西洋文明から脱出しようとしたランボーの試みは、十分に考察する必要があろう。『地獄の季節』で「文学は愚行だ」と否定しながらも、『イリュミナシオン』のいくつかの詩に垣間見える「客観詩」は詩の未来を示唆するものがある。

 

(次回は、『地獄の季節』におけるランボーの詩的経験と、『イリュミナシオン』の詩的行為を具体的に検討していこうと考えている。)


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