ヒーメロス通信


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『「自己への配慮」と詩人像』(八)前編・その四、『ヒーメロス』16号2010年12月10日発行より

2012年06月06日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの
『「自己への配慮」と詩人像』(八)前編・その四 小林稔個人季刊誌「ヒーメロス」16号より
小林稔


アンテロース、こたえの恋
さらに『パイドロス』では『饗宴』のエロース論のように恋する人の心情を記述するだけでなく、愛人
(恋される人)のあるべき心情を巧みに表現している。

 愛人のほうは、恋を装おう者によってではなく、ほんとうに心の底から恋している者によって、身は
神のごとく、ありとあらゆる奉仕を受けるわけであるし、それにもともと彼自身の天性が、自分に仕え
てくれるこの人と親しくなるように生まれついているわけであるから、もしひょっとしてそれ以前に学
び友だちとか、あるいはほかの誰かから、恋する者に近づくのは恥ずべきことだと説きつけられて、偏
見を植えつけられていたとしても、そしてそのために恋する者をしりぞけることがあったとしても、し
かし、やがて時のたつにつれて、彼の年齢が熟するのと、ものごとの必然のなり行きの結果として、彼
は自分を恋している者を、交際の相手として受け入れるようになるのである。(『パイドロス』255A)

「ひとたび相手を迎え入れ、その語りかける言葉や交わりを受け入れてみると」、自分を神のように愛す
る人の「優しい心情が身近かに感じられて、恋される者の心は感動に打たれ」、他のどんな友愛もものの
数ではないと知るのである。なにかの折に「からだを触れ合った」とき、「かのこんこんと湧き出づる流
れ」が「恋する者に向かっておびただしく流れて来て、彼の中に吸い込まれ 」る。この流れこそプラト
ンがこの作品で幾度も登場させる、かつてガニュメデスを恋したゼウスが名づけたといわれる「 愛の情
念」、つまり「ヒーメロス」なのである。この美の流れは愛される者から流れ出て、恋する者の体が充た
されいっぱいになると外にあふれ出て、もと来たところ、 愛人の眼を通って入り、魂にまでおよんで心
をかきたてるとき、「それは翼の出口を潤し、翼が生えんとする衝動をあたえ、そしてこんどは恋されて
いる者の魂を、恋でみたすことになる 」のであった。このとき愛される客体が愛する主体に変貌するの
だ。初め、彼は何を恋しているのかわからない。

 あたかも、鏡の中に自分の姿を見るように、自分を恋している人の中に、自分自身をみとめているのだ
ということが、彼には気がつかないのだ。そして、彼を恋している人がそばにいれば、その人と同じよう
に彼のもだえはやみ、はなれていれば、またも同じように、互いにせつなく求め合う。他でもない、自分
ではそれを恋ではなく、友情だと思って、そう呼んではいるものの、彼の心にやどるものは、映ってでき
た恋の影、こたえの恋なのだから。彼は、自分を恋している人の欲望と影の形に添うがごとき、しかしそ
れよりやや力の弱い欲望をー―その人の姿を見、そのからだに触れ、くちづけをし、ともに寝ようという
欲望を感じる。またじじつ、そのつぎには、当然のなり行きとして、ほどなくそういったことをするので
ある。(『パイドロス』255D~E)

これにて終わるなら通念的な恋を超えることはないであろう。心と肉体は目的を成就し、やがて当初の
恋は色褪せてゆくしかない。しかしプラトンのエロース論は次の階梯を踏み越えていく。これまではプレ
リュードなのである。愛し合う二人が知を愛し求める生活へと導かれたなら、この世における彼らの生は
幸福で調和に満ちたものになるとソクラテスは語る。自分自身を支配することができる人になっているか
らである。ほんとうの愛情で結ばれた者たちには幸福が約束されていることを伝えているのである。だが、
すべての恋人たちがそうなるとは限らない。しかし愛情によって結ばれた者同士なので、魂の放縦な馬同
士が暴れ欲望を達成し続けるが、恋がさめても親しい間柄は一生続き、時が来れば恋の力によって翼を生
じるとソクラテスによって語られた。

 恋される者(客体)がほんとうの恋を享受し、恋する者(主体)に変貌をとげる様相が、「ヒーメロス 」
を媒介にして『パイドロス』に描き出されたのであるが、この恋する者同士の知を愛し求める道程は、『饗
宴』でディオティマが語る「最奥の秘儀 」につなげて理解することは許されるであろう。肉体的美より精
神的美を優位に置いている『饗宴』に比べ、『パイドロス』では肉体的な欲望を充足させることを否定して
はいないが、「また一方では、仲間のよいほうの馬が、つつしみと理性をもちながら、馭者と力を合わせて、
そういったことに対して抵抗するのである」(256A)という記述があることを見逃してはならないであろう。
                                     (次号、後編に続く)
参考文献
『饗宴 パイドロス』(プラトン全集5)一九八六年十月 岩波書店
藤沢令夫「プラトン『パイドロス』註解」一九八四年一月 岩波書店
藤沢令夫『プラトンの哲学』(岩波新書)一九九八年一月 岩波書店
藤沢令夫『世界観と哲学の基本問題』一九九四年九月 岩波書店
『ソクラテスの弁明・パイドン』(プラトン全集1)一九八六年六月 岩波書店
ステファン・ツヴァイク『デーモンとの闘争』一九七三年五月 みすず書房
『ティマイオス』(プラトン全集12)一九八七年五月 岩波書店
『国家』(プラトン全集11)一九八七年四月 岩波書店
『井筒俊彦著作集1 神秘哲学』一九九一年十月 中央公論者
ミシェル・フーコー『主体の解釈学』二〇〇四年二月 筑摩書房
付記・私は、かつて一九九九年五月 詩誌「ひいめろす2号」(本誌)において、
『アンテロースの恋』と題して『パイドロス』を論じた。


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