ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

小林稔第6詩集『蛇行するセーヌ』(2003年12月31日発行)以心社刊(旧・天使舎)から引用(1)

2011年12月19日 | 小林稔第6詩集『蛇行するセーヌ』
第6詩集『蛇行するセーヌ』を初めから、この「ヒーメロス通信」に連載していきます。詩集の販売ルートが思わしくなく、充分に読者の手にとどかなかったこともあって、読んでいただければ幸甚です。また詩集を購読希望する場合は直接販売いたします。Eメール tensisha@あalpha.ocn.ne.jp に連絡していただければお送りいたします。



詩集『蛇行するセーヌ』(全127ページ)



目次
           
                      表紙の写真〓ウジェーヌ・アジェ「ATGET PARIS」より

1・マドリード発、パリ行き
2・ノートルダムの黒い男
3・ルーブル美術館初訪
4・アンバリッドとロダン美術館
5・Rue Herran 75016
6・カナリア諸島
7・アンモナイト
8・アリアンス・フランセーズの日々
9・シャルル・ド・ゴール空港
10・美の薔薇
11・ドーバー海峡を越えて
12・ストラッドフォード・アポン・エイボン
13・アンブルサイド
14・スカイ島
15パリとの再会
16・コンコルド広場
17・異国に死す
18・ヴィンセント
19・マルセイユ
20・コート・ダジュールの白い波
                          (許可なく本文の転写を禁止致します)

連載第一回
 1・マドリード発、パリ行き




マドリード発、パリ行き





 時の流れに残され夜の闇に沈んでいる旅の記憶が、踏みしめると枯葉
が崩れる乾いた音、路上を疾走する車が通り過ぎて私の身体をすり抜け
る微風に、今ここぞとばかりに甦る気配で歩みを止め空を仰ぐ。あの時
も確かに脈打っていた心臓の鼓動、青春時の苦悩と夢が胸を締めつけて、
人生という旅の途上にいる私にその在処を伝えている。


 アフリカのスペイン領セウタから渡航して再びアルへシラスに還った
のだが、モロッコのタンジェールに向かう時の心境とはなんという相違
だろうか。イスラムの影に引き寄せられるように彷徨し見たスペイン、
ポルトガルでの事物が、私の感覚に何ものかをすでに刻み、ジブラルタ
ル海峡の彼方の土地を踏もうとする私は、歓喜と不安で張り裂けそうな
胸を抑えられずにいた。アンダルシアの街々に足跡を残しアフリカ大陸
に近づいて行った時の、心の動揺をなだめすかしたスペインの明るい光
は、私に放浪の持つ喜びを与えた。今振り返れば、青春の盛りを迎えて
いたあのころの私を、石畳の路地裏に置いて来てしまったように思える。
だが、モロッコというイスラム圏を通過し終えた私は、スペイン人の鈍
く弛緩したような眼差しに苛立ちさえ感じていた。モロッコから帰還し
た私の心は、その先の未知なるものに向かっていたのである。


 海沿いの大通りを横切って、鉄道駅を左手に見ながら緩やかな坂道を
登って行くと、右にカーブして細い通りに出た。古びた民家を挟んで宿
屋が軒を並べている。扉を背にして椅子に腰を降ろし身を屈めている一
人の老いた男がいた。私の足の動きが眼に入ったのだろうか。疲労と眠
気からか焦点の定まらない眼差しで私を仰ぎ見た。
「どうだい、泊まっていかないかね」
一週間前に宿泊した私を憶えていないのだろうか。あの時と寸分違わぬ
表情である。モロッコの帰りに寄ってくれ、と私に約束させたではない
か。おそらく分かっている。だが私のような旅行者がとりわけて特別の
ことであるはずがない。
にわかに夕闇が辺りに立ち込めていたことに気づいた。そうだ、一週
間なんてあっという間に過ぎ去る時間なのだ。一つの旅が終わった、と
いう思いがいっそう明確に感じられた。私は老人に眼で別れを告げ鉄道
駅へ向かった。今来た坂道を下りて行くと、アルヘシラスの小さな駅に
着いた。灯りを燈さず駅舎が闇に包まれている。掲示板に書かれた白い
文字で、夜行列車の発つ時刻をようやく確認した。


 マドリード行きの列車が静かに発車した。冬に向かう季節の中で、新
しい旅が何を私にもたらしてくれるのか、期待と不安で胸をいっぱいに
しながら、残照が落ちて血のように染まった海、静かだが一時も休息す
ることのない海を見ていた。運命の手がいつも私を携えて行ったが、不
定の未来に私を導き入れたのは、詩人であることの内的要請であった。
こうして私に書き継がせているのもまたそれなのである。


 翌朝、列車がマドリードに着くと、リュックを受け取るため、ペンシ
ョン、サン・ミカエルに駆け込んだ。右目が義眼の女主人が以前と同じ
ような笑顔を浮かべて私を迎えた。アンダルシア、モロッコを旅してい
た一ヶ月にも満たない期間であったが、懐かしく感じられた。私のリュ
ックは食堂の暗がりで口を紐で結わえられ、預けた時と同じ位置にあっ
た。すっかり慣れ親しんだマドリードの街。都会に特有の喧騒と群集に
紛れ込む爽快感を全身で受け留めた。サン・アントニオ通りを歩いて、
いつしかグラン・ビアと名を替えている、大河のように広がる通りに面
して大きな書店があった。通りに向けたガラスの棚に置かれた分厚い画
集を飾っているミケランジェロの絵が、私の視線に飛び込んで来た。シ
スティナ礼拝堂の天井に描かれた有名な絵、神の指がアダムの指に触れ
ようとする瞬間を捉えた絵である。マドリードにプラドがあるようにパ
リにはルーブル美術館がある。しばらく絵を見ていなかったことに気づ
いた。ヨーロッパの中心に一刻も早く身を置き、芸術家の天分に触れ、
創造というものが持つ精神の流動に巻き込まれたい。明日はこの街を去
り次の寄留地と決めていたパリに赴き、そこで冬を越すだろう。春にな
れば旅を再開する。イタリア、ギリシアに遊びトルコから陸路でインド
まで辿る、気の遠くなるような旅の時空が横たわっている。だがほんと
うに可能なのか。触れたことのない国の文化に寄せる想い、その渦中に
身を置き、何を考え何を感覚でつかむことになるのか知りたい、という
想いだけが私を前方へ突き進めていた。


 脳髄を鉄の車輪が轢いて行く、雷鳴のような轟音を鳴り響かせて。マ
ドリード発パリ行きの列車が記憶の闇から闇を走っている、一つの旅の
終わりからもう一つの旅の始まりに向けて。こうして私がペンを走らせ
ているのも記述という旅の始まりである、歌うことによって死者を甦ら
せるオルフェのように、言葉に綴ることによって息を吹きかけられた事
物が、私という身体が欲した旅の経験にどのような意味をもたらすのか
は誰にも分からない。なぜ書くのかという命題が誰にも知り得ないほど
に。だが、記述する経験を終える私は、確実に変わることができると信
じられた。私は書き続けなければならない、旅の意味を解読することが
私の未来を切り拓いてくれることであるという限りにおいて。


 列車のコンパートメントに独り私はいる。どのコンパートメントにも
乗客の姿が見当たらない。今日は十一月十二日。七月二十九日に出国し
たので持って来た服装は、ほとんどが夏物であったが、青いセーターを
一枚入れていたことに気がついた。パリはずいぶんと北に位置する。寒
さが厳しいのではないだろうか。そんなことを思いめぐらしていると、
レールを転がす扉の音がした。そこに異様に背の高い青年が現われ、頭
を下げくぐり抜けるように入り私のいる座席の向かいの座席を占領した。
私と同じような身なり、ジーンズとくたびれたシャツを纏っている。私
たちは挨拶をしてすぐに口を閉ざした。細い黒のフレームの眼鏡をかけ
ている彼は、レンズを通して、時々私の方に視線を向けて、リュックを
開き、衣類、本などを一つ一つ取り出し確認している。視線をこちらに
向ける彼の青い瞳がどことなくうつろに見える。夏が終わって出会う若
い旅行者には寂しげな様子がつきまとってしまうものだ。私もそうした
一人に違いない。私はスペイン、ポルトガル、そしてモロッコで過ごし
た日々を回想したかったので話しかけずにいた。そんな私を察知してか、
青年は荷物をしまい込むと、リュックを肩にかけ無言で出て行った。別
のコンパートメントに行ったのだろうか。私と話をしたかったのかもし
れない。コペンハーゲンの青空市場で買った薄手の古着のジャンパーを
取り出して着た。思いついて、マラケシュで値切り手に入れたジェラバ
をリュックの底から出し頭から被った。立ち上がって車窓の闇に映る自
分のきつい眼差しを見た。フードで切られた視界から、扉の硝子越しに
見える通路に視線を投げた。ちょうど紺色の制服を着た中年の駅員が通
り過ぎるところであった。私の視線に遭い、ちょっと怪訝そうな眼つき
で私を見た。一瞬立ち止まったが、私に声をかけることもなく、そのま
ま立ち去った。仕立てられた一枚の布。それだけでイスラムの国の青年
になりきれる自分がおかしかった。モロッコで出逢った男たちには、彼
らの鋭い視線から、時間の概念を超えた物静かな旅人の様相が読み取れ
た。この世こそは旅であり、さらにこの世は仮の住まいという、日本人
の無常観とどこかで通底しているものさえ感じた。スペインでもポルト
ガルでもイスラムの影が感じられはしたがキリスト教文化と混血した独
自のものであり、過去の遺産として今も存在しているところがモロッコ
との違いである。グラナダでは滅びを寸前にしたモーロ人の、イスラム
と渾然となったこの世への想いの深さがアルハンブラの庭に具現したの
ではないか。そこで私が過した時間との絆は生涯断たれることはないだ
ろう、と思った。私の旅は、要約すれば「私」の探求なのである。美に
喚起することは己に目覚めること、もう一人の自分に出逢うことなのだ。
自分を見つめるもう一人の自分がいて、静かに流れる水の音を聴きなが
ら、大理石の列柱が林立する閉ざされた庭で想いを廻らした時間。それ
は私のうちでいく度となく反芻されるに違いない。見上げれば甍の向こ
うの、抜けるような空の青さが、吸い取られそうな私の心の鏡面を照ら
した。


 車窓には、夜の闇を隔てて私の身体が映し出されていた。列車はパリ
と私の距離を狭めるために全速力で走っている。北欧を南下して来たの
だが、パリを避けてさらに南下したのは、旅する私を全否定するような
予感があったからだ。今は迷わずパリという都会に向かっている。これ
までの旅に決着をつけるために行くのだ。この街に着いたら、真っ直ぐ
に中央郵便局に行き、両親と友人からの手紙を受け取る。旅先から手紙
で伝えておいたからきっと届いているだろう。旅には、訪れる順序とい
うものがあるのではないか。なぜなら、旅においても人は成長するから
だ。国境を越えて隣国に入ると、その相違に驚いてしまうが、ほんとう
はそれほど突然ではないのだ。旅をする人の心も同様である。その時々
に考え、必然の意図を手繰り寄せていく時、道は拓けるだろう。計画通
りに進行しなくてもよい。その時々考えればおのずと道は拓けるだろう。
何もかもが新しい体験である。私の前に立ちはだかるのは混沌とした何
ものかであり、生きる時間の流れの中で明晰にしていけばよい。この作
業は忍耐を必要とする。創造行為に携わるすべての人々が耐えようとし
た。明晰化することは言葉を発見することである。それを怠ってはなら
ない。パリをこよなく愛し、憎悪したシャルル・ボードレール。私に詩
を書くことを決意させたアルチュール・ランボー。数え切れないほどの
芸術家を呼び止めたパリが、伸ばせば手の届きそうなところにある。初
めて会うパリは、異邦人の私をどのように迎えるだろうか。

 
 列車がガタンという音を立ててカーブした。よろけた私はジェラバの
裾に足を取られ座席に転げ落ちた。心臓が早鐘のように鳴り始める。ア
ディオス、エスパニョール。かつて耳にしたスペイン語の乾いた響きが
脳裏でざわめき出した。旅の途中で出逢ったいくつもの顔が眼前に浮上
して、おかしくなり独りで笑った。心はフランス国境を通過したばかり
の列車を離れ、パリに飛び立ち始めた。眠りについて小刻みに揺れてい
る私の身体を置き去りにして。


 (第一回終了)
 






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