ヒーメロス通信


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『ヒーメロス19号』2011年10月25日・書評「プラトン哲学の将来」三・一一以後の世界(1)」

2011年12月30日 | ギリシア論考
書評
プラトン哲学の将来 ――三・一一以後の世界に向けて――(400字詰め50枚)
     藤沢令夫『ギリシア哲学と現代』(岩波新書)一九八〇年七月刊
小林 稔 
 
エネルギーとプシュケー
 
 平成二三年三月十一日午後二時四六分、宮城県牡鹿半島東南東沖を震源とするM9.0の大地震が発生した。千年に一度起こるともいわれる大惨事であり、自然の脅威の前で人力のむなしさを実感させられたが、今回の地震は阪神淡路大震災と決定的に異なるのは、大津波による福島原子力発電所の事故がもたらす自然科学そのものが人類にとって幸福をもたらすものでありえるのかという未来に向けた問題が浮上し、科学技術の発展が資本主義社会における消費経済を加速させ、利便性の追及を煽って来た産業社会に大きな見直しを迫られていることである。
 『現代思想』(青土社)七月臨時増刊号において「震災以後を生きるための五〇冊」を読み、「〈3・11〉の思想のダイアグラム」として私が挙げるなら、間違いなく私は、プラトン学者であった著者の『ギリシア哲学と現代』を選択するであろうと考えてみた。近代自然科学の急速な発展に伴って生活環境が大きく変わり、われわれの思考にさえ重大なマイナス要因を与え、物理的にも地球存続の危機にまで達しているとして、藤沢令夫氏は彼の著書『ギリシア哲学と現代』において、このような現代の状況を回避するための哲学の重要性を提唱する。
 私は一九七九年に発行された雑誌「思想1・2」No.655~656(岩波書店)を三十年前に購入し、偶然にも一昨年の夏(二〇〇九年)に何度も読み返すことになり、長年、プラトンの哲学に興味を持ち続けていた私に詩作の根拠を授けてくれるものであり、内面の探求のみに窮極せずに詩作と私の生きる現代の接点を示唆するものであるように思わ
れたのであった。もともとは岩波市民講座(一九七八年九月十九日・二十六日)で行われた講演の記録を、この雑誌に二回に亙って発表した論文に手を加え、発表当時にはなかったアリストテレスについての論文(アリストテレスの
哲学とエネルゲイアの思想)を加筆し、一九八十年に岩波新書の一冊に纏めたものである。いまから三十年以上も前
の書物であるが、藤沢氏の現代文明への警告は強まるこそすれ時代遅れの論考ではない。
 藤沢氏によれば、ロマン主義は「汎神論を思考の核とし、科学の世界像に対する反動として現れた」という。ロマン主義とはドイツ観念論(カントを除く)、生命哲学、実存哲学を指す。しかし自然科学を否定しようとする限り、デカルトが確立した、物と心の二元論の範疇を超えるものではないという。藤沢氏は自然科学的思考の由来を古代ギリシアの自然科学に求め、古代から現代までわれわれの思考に根付いている日常的な思考方法を見究め、それを取り込みながらこれからの世界像をつくりあげるための論考を試みている。
 物と心の二元論を解体しようとする試みは、科学的思考に生きるわれわれには並大抵のことでは理解されえないで
あろう困難さを抱えており、物理学の分野で、量子力学における素粒子とエネルギーの問題(不勉強な私は、量子力学と核エネルギーがいかなる理論から生まれたのかをいまだつかめていない)と同様の難しさを持ち、その構造面においてもイデア論は近似しているのであり、プラトンが現代に生きて量子論を知っても驚かなかったであろう、エネルギーをプシュケーに置き換えればプラトンのイデア論は量子論として成立すると藤沢氏は主張するのである。
古代ギリシアを発生の場とする近代科学的思考、つまり「仕事そのものの質や内実は、どれだけの分量をどれだけの時間でなし終えるか」(キーネーシス)という考えに対して、このような有効性や有益性への指向を生かしながら、「無条件にのめり込まず、抵抗と批判の態度を堅持しなければならない」というのがこの書物の基本方針である。それには、古代の原子論や実体・属性の観念と激しく緊張を強いられたプラトン哲学や、アリストテレスのエネルゲイアの思想から多くを学び取り復活させ、絶望的ともいえる現代の状況を打破すべく、「人間の〈知〉あり方の原点」に立ち、「われわれの哲学的経験の自立性を新たに獲得する」ことを課題にしていこうとする著者の意図は継承すべきことであろう。
 ホメロスやヘシオドスの叙事詩の伝統が、自我の確立とともに受け継がれて抒情詩が生まれ、最後にギリシア悲劇というジャンルが現れたと一般的には理解され、これらを文学のトラディションと見なされている。「それは、人間がしだいに自己の行為と生の意味に目覚めてきて、そのことに関する問題を問題自体として自覚的に追求するようになったプロセスであって、その意味で、哲学に向かって方向づけられた動きであるというふうに見なすことができるのではないか」と藤沢氏はいう。
 一方、ギリシアでは、世界や自然のあり方を探求しようとする動きが起こり、人間の生き方の探求と深く結びついたかたちで行なわれていた。つまり世間に流布する「ソクラテス以前の哲学者」たち、エンペドクレス、クセノパネス、ヘラクレイトス、ピュタゴラス、パルメニデス、デモクリトスたちのことである。「ギリシア哲学が自然の考察(ソクラテス以前)から人間の問題(ソフィストやソクラテス)へ、さらに両者の統合(プラトン、アリストテレス)へという仕方で展開していったという記述のパターン」を取りやめてしまうことを藤沢氏は提案する。つまり、アリストテレスが「ソクラテス以前の哲学者」の考えと批判的に対決し、プラトンもまた彼らのみならず先ほど挙げた文学の伝統と対決し、人間の生き方と規範となる価値の問題に照準を合わせた哲学思想を確立していったと藤沢氏は主張するのである。

文学から哲学へのプロセス

 アリストテレスは「詩学」において、叙事詩、悲劇、喜劇、音楽や美術などの創作をミメーシスと規定している。ミメーシスという言葉は、プラトンが「国家」で知識の探求、実物を作る大工などの仕事に対して真似を特徴とする描写につけられた概念である。叙事詩や悲劇、喜劇などの創作の音楽的なもの(リズム、言葉、音階を表現手段とする)に注意を喚起し、プラトンの対話編を、叙事詩や悲劇と同様に言葉を使用するミメーシスであると考えている。しかしアリストテレスは「文学的創作にとって本質的なこととは考えなかった」と藤沢氏は指摘する。エンペドクレスを詩人ではなく自然学者とアリストテレスは主張しているからである。つまり韻律を文学的創作の本質と考えずに、ミメーシスであるかどうかに置いていたからである。一方、アリストテレスはプラトンの対話編を「詩学」以外のところで哲学的著作として扱っていると藤沢氏は言い、「形而上学」でタレスによって始められた自然学が哲学の礎石となっているとアリストテレスは述べていることを指摘する。ここでアリストテレスにおける哲学と文学的創作の分
岐線が不分明になる。
 このような点を考慮し、藤沢氏は次のように提案している。プラトンの対話編をアリストテレスにならって叙事詩や悲劇にいたる文学系列に置き、哲学の形成をアリストテレスとは異なり、文学の伝統の中に取り込む視野のもとに、つまり「文学性と哲学性を併せもつ」プラトンの思想を置いて考えてみることである。なぜなら叙事詩、抒情詩、悲劇が「時間的に継起しているからである。前七世紀前半のホメロス、ヘシオドスの叙事詩から始まり、前七世紀から前六世紀にかけてアルキオコス、アルクマアン、サッポオ、アルカイオス、ステシコロス、シモニデス 、ピンダロスなどの抒情詩人、前五世紀に輩出し、その後にシスキュロス、ソポクレス、エウリピデスの三大悲劇作家、アリストパネスの喜劇作家が現われ、さらにその後を受けて登場するソクラテス、プラトンによって哲学が確立したという事実を考えたとき、このような「継起に事実」は偶然ではなく必然であろうと藤沢氏は指摘する。それぞれのジャンルの特徴をここで詳細に論じることはできないが、藤沢氏の『イデアと世界』(岩波書店)を参照していただきたくことにして要約だけにしてみよう。
 ホメロスの「イリアス」の冒頭、「怒りを歌いたまえ、女神よ、ペレウスの子アキレウスの/のろわしい怒りを。」から見られる叙事詩の特徴として挙げられるのは、歌うのは女神であり詩人ではないことである。それは「物語の出来事の動きを支配するのは神々である」という認識である。「心」の世界が確立されていないだけに「物」の世界が厳然と存在すると藤沢氏はいう。ホメロスの世界は「物」の確立する世界であるという。
次の抒情詩が現われた時代は、自然科学者が登場した時代と時を同じくする。抒情詩に以前に見られない「われ」の自覚や「個」の成立が見られるが、「私」が登場し、「私」から見られた世界が歌われていると藤沢氏はいう。抒情詩には独唱詩と合唱詩が存在した。合唱詩の場合は叙事詩のように神々を歌うが、詩人の視点が現実に注がれているという。
 悲劇においては、抒情詩に現われた一人称的な詩人の想いが退き、現実が歌われず、伝説上の過去の出来事が歌われる。藤沢氏によると、叙事詩の世界に逆もどりしたのではない、出来事を報告するのではなく、人間の行為に集中しているという。人間の行為を決断するのは神々ではなく人間自身であると指摘する。ギリシャ悲劇には慣習的な創作上の約束事があったと藤沢氏はいう。伝説を題材にすることと、観客の存在を考慮して効果的な再解釈と工夫を加え新しい作品を作り出すことを要求されたことである。叙事詩と比べれば長さは十分の一程度であり、場面は変わらなかったので、アリストテレスが「詩学」で述べる「凝集度の増大」が求められたのである。つまり長さ上の制約があったのである。また抒情詩と比べたときに浮上する相違は、個人の苦悩や苦しみを歌う抒情詩人が生命を絶たなければならないほどのそれらが身に迫れば詩を書くことはできなくなるが、悲劇においては劇であるという性質上、役者が演じるということである。つまり「直接的な現実から解放されている」のである。このように劇独自の形式から、「人間をめぐる様々な限界状況を自由に作り出し、その中での人間の行為のあり方を追求した」と藤沢氏は論じている。
 当時から、劇つまりお芝居が偽善的なもの、「うそごと」と見て禁じたという言い伝えががあったが、作品上の鮮烈な行為が別の意味で人間に関する「ほんとうのこと」を提示していたと藤沢氏は主張する。叙事詩の「神々から告げられる事実」、抒情詩の「詩人によって発見される現実」、悲劇における「作者が探求しつつ描き出す真実」への推移を辿って考えれば、別の意味で「ほんとうのこと」が悲劇によって提示されたのではないかと藤沢氏は論じているのである。
 しかし悲劇は衰退した。悲劇が「自分自身の行為の意味に目覚め、行為の規範についての問題を、問題それ自体として自覚的に追求するようになっていくプロセス」であり、「そのような問題追求はギリシア悲劇では、対話の部分において行なわれ、アリストテレスが言うように「劇の主要部分を対話に置く」動きであり、「ロゴスが主役となるようなうごきだった」と藤沢氏は指摘する。このようになったことは、喜劇作家アイスキュロスやニーチェにとって嘆かわしいことであったという。アポロン的要素とディオニュソス的要素の混合が、ソクラテス対ディオニュソスの対立に換えられたことで、「悲劇は死んだ!」と『悲劇の誕生』でニーチェによって叫ばれたのである。しかしアリストテレスは「悲劇がそれ自身のもつべき本性を完成し、かくてその動きをやめた」(『詩学』)と考えたのであった。悲劇に終止符を打ったのはソクラテスであったと藤沢氏は考えている。ソクラテスは「人間の規範となる「正義」「敬虔」「美しさ」等々がそれぞれ何であるかということを、まさに問題それ自体として対話の中に追求し、そのことー―哲学――を自分自身の生涯の仕事とし、そしてそのことゆえに死んで行った人である」と述べ、また、プラトンは「ソクラテスの生涯の仕事のうちに、おそらくは深い意味において、最高のムッサの技芸を見て」とった人であると
見てとったのではないかと藤沢氏は「イデアと世界」で主張する。
 叙事詩、抒情詩、悲劇と継起された伝統の流れに、「人間がしだいに自己の行為に目覚めてきて、そのことに関する問題自体として自覚的に追求するようになっていったプロセスであって、その意味で、哲学に向かって方向づけられた動きであるというふうに見なすことができるのではないか」と藤沢氏は考えている。本来、言葉そのものに対話性が内包されているものである。思考とは「魂が沈黙のうちに自己自身を相手に行なう対話(「ソピステス」)」である。「ロゴスとは他人ないし自分のもつ相異なった観念どうしのつき合せの上に成立し、このことはまた、他人ないし自分との対話(ディアロゴス)とうことにほかならない」(「イデアと世界」)のである。
 それでは文学と哲学の違いはどこにあるのか。アリストテレスの文学はミメーシスであるという規定はプラトン自身が詩人を追放していながら、対話編をミメーシス的な手法で書いたことと矛盾する。この書評ではこれ以上立ち入ることは避けるが、藤沢氏は「イデアと世界」において、「いかなる態度で、いかに書くか」ということが問題になっているという。つまり「書く当人が書かれたもの以上のものをもち、真実そのものがいかにあるかを知っていて、書かれた言葉の限界とその慰戯性を自覚している場合には、彼が書くものは何であっても、その人は「哲学者」と呼
ばれるべきであり、これに対して、書かれた作品以上に価値のあるものを自己の中にもっていない人、書かれた言葉の中に「何か高度の確実性と明瞭性が存すると思い込んでいる人は、作家と呼ばれるべきである」と藤沢氏は、プラトンの「パイドロス」から読み解いている。さらに「パイドロス」の有名な、「ふさわしい魂を相手に得て、ディアレクティケーを用いながら、その魂の中に言葉を知識とともに播いて植えつける」を引用し、哲学の本義は「ロゴスの似像・影像に関わる書くという行為とはまったく別のこと」であり、時代は「口承文化の時期を脱しつつ、読み書きの時代に一歩を踏み入れていたが、哲学を人間の営みの指導的なジャンルとして確立するためには」、文学と対立しなければならなかったのであり、「物を書く」ということがミメーシスの行為であることを免れない以上、「ミメーシスであることの効果をむしろ積極的に活用しながら」、「哲学本来のモチーフを、できるだけ生かすように努力」したのであろうと藤沢氏は指摘している。
 冒頭にも述べたように、ソクラテス以前の自然への考察からソフィスト、ソクラテスの人間の問題へ、さらに両者の総合がプラトンとアリストテレスへと展開していったという通念を取り払い、哲学の形態と確立を準備するプロセスとして考慮することを、この書物(『ギリシア哲学と現代』)で藤沢氏は提案するのである。叙事詩から悲劇への道筋が、哲学に向けての流れであると考えられるとして、現代の危機的状況の救済をギリシア哲学、特にプラトン哲学に期待を寄せている。

現代の合理主義と意識構造の変質

 現代の状況の特色として第一に挙げられるのが、自然科学の高度な発達、技術と結びついた工業化社会、産業化社会の現出であると藤沢氏は述べる。公害問題、自然破壊などの波及効果を無視することができないほど大きなものになり、私たちの描く将来の予想世界に暗い影を落し、最近ではエコ対策を考えた製品を普及させようと生産者側が働きかけている。藤沢氏は、科学技術が引き起こしているマイナス要因は、その不十分さは一因に過ぎなく、科学技術にはつねに不十分さ、不完全さが付きまとうものであり、自然科学的思考を吟味しなければならないと主張する。そして「それを使用する人間のモラルや実践知お密接に関わっている問題」であり、「かつてエンペドクレスが高らかに晴朗にうたい上げた四元そのものが変質させられつつある」ということに加えて、「さらに恐ろしいことは、その世界・自然のなかにおける人間の行為・行動のありかた、その面での人間の思想・敬虔・意識構造もまた、確実に変質し、あるいは汚染されつつあるのではないかということである」と指摘する。後者の例として時間、空間の変質を藤沢氏は述べる。ギリシアでは「時間」という意味は「季節」ということであり、「正しいこと」という人間の行為の規範を示す観念と結びついていたが、今日では時計の時間があるだけだ。近世以降の文明の中核にある効率の観念は、この時計の時間の上に成立していると藤沢氏はいう。空間においては、ギリシア人が「物やわれわれ自身がそこに確在する〈場〉としての具体的な内実」であったが近世以降、「物と物の位置的な関係を規定する抽象的な枠組のようなものに変貌してしまった」という。しかし私たちの生きる空間は「意味と価値で充溢した空間」であるが、「能率主義・計量主義に合わされた時間・空間」の中に生きることを強いられ、「それを自然に実感するまでに至っている」という。このような一種の合理主義は「自然科学が意識的に採用してきた方法」につながり、つまり客観的なあり方だけに集中する「没価値性」、「世界や自然から人間の生き方・行為のあり方を切り離す」ことによって成果を上
げてきたのだと藤沢氏は述べる。しかし本来は、「世界・自然のあり方と人間の生き方は・行為のあり方とは切り離すことのできない一体的なものであり」、自然科学の成果が、人間の経験や意識構造に影響を与え、現代の状況における事態に看取されると藤沢氏はいう。

全体的・統一的世界観の要請

 人間の知と経験の局面の引き離しが、生き方・行為の局面の空疎化というかたちでわれわれにはね返ってきていると、藤沢氏は自然科学の没価値的な世界観・自然観が起因する問題を総括する。そして科学者の立場での発言として「偶然と必然」の著者、ジャック・モノーを紹介している。「現代以前のいかなる社会もこのような分裂――知識の泉と価値の泉との分裂――を経験しなかったし、現代人の魂の病は、この虚偽から起こっている。」(「偶然と必然」)モノーが提言する「知識の論理」とはどのようなものであったかを藤沢氏は吟味する。「自然科学の最も根源的な伝言」つまり「知識の泉」と「人間の生き方に関する価値体系」つまり「価値の泉」との分裂は哲学にとって重大な問
題であり、それに答えなければならないと藤沢氏は主張する。この「ギリシア哲学と現代」という書物そのものがそれへの提唱と考えることができるのである。しかし、藤沢氏の主張は、自然科学に背を向けることや西洋の思想・哲学を否定し東洋の知恵に求めることでもなく、ましてやギリシアにたんに帰ることでもない。それは「人間の経験をふたたび全体として総括するような、ひとつの全体的・統一的な世界観が要請されなければならないということ」であると藤沢氏はいう。まずこれから論じていく思考の手続きを五項目にして挙げている。

一、近代自然科学の成功に近世以降の哲学が与えた影響(第二章)
二、哲学的な四つの問題点(第三章)
三、自然科学的思考の由来(第四章)
四、哲学的世界観の方向性と諸条件(第五章)
五、 哲学的世界観の可能性をプラトンとアリストテレスの哲学に即して検討(第六章、第七章)

一、近代自然科学の成功に近世以降の哲学が与えた影響

近代自然科学の根本想定
 十七世紀以来の宇宙論をホワイトヘッドの書物から藤沢氏は説明している。世界の基礎には物質があり、瞬間瞬間にさまざまな配置を形づくりながら全空間を通じて広がっている。そういう物質には感覚がなく、ヴァリューレス(価値がなく)、パーパスレス(目的を持たない)である。近代自然科学は、世界の物質的な究極要素の時間・空間内における運動を、数式によって線描的に記述する作業として進められてきたとホワイトヘッドは考える。二つの重要な契機として、シンプル・ロケーションの観念と呼ぶものと実体と属性のカテゴリーを挙げる。シンプル・ロケーションの観念とは、「物質が時間・空間のなかのここにあるという陳述が、時間・空間のほかの領域との本質的な連関なしにも十分に確定した意味をもつことができる」考えであると藤沢氏はいう。空間を分割すれば空間を占める物を分割することになるが、物が存在している時間を分割しても物を分割することにはならない、時間の経過は物にとって偶有的で外的なことである、つまり本質的なことではないという。もうひとつは実体と属性(性質)の区別である。言葉の表現でいえば、主語、述語の関係になる。世界・自然に実在するものと性質を区別する概念である。実在するものがあり、私たちが知覚するのはその性質であり属性であるという考え方をいう。近代科学の基本的な考え方をサイエンティフィック・マテリアリズムとしてとらえ、シンプル・ロケーションの観念と実体と属性に分けるホワイトヘッドの把握は要点をついていると藤沢氏はいう。「十九世紀末から二十世紀初頭以来の物理学の革命」においては、相対論や量子論が出現して、それまでの近代科学の根本想定がなお有効であるか論議を呼び起こし、哲学にも影響を及ぼしているが、基本的了解は「依然として存続している」と藤沢氏は述べている。

デカルト的二元論の成立と破綻
 シンプル・ロケーションの観念には「心」の世界が欠落しているので、その欠落を哲学が補おうとしたが、科学的な世界観を取り入れざるをえなかったと藤沢氏はいう。「物」の世界と「心」の世界が相互に独立なものとして世界
観の下絵は描かれることになったという。つまりデカルト的二元論が成立したのである。「レース・コーギターンス」(思惟されるもの)は主体的な世界、「レース・エクステーンサ」(延長をもつもの)は物の世界、客観的世界と定着したと藤沢氏は解釈する。ところが十八世紀の終わりから十九世紀にかけて科学的世界像に対する反動で生まれたのがロマン主義である。しかし二元論の一方である科学の根本想定への反動で生まれた限りでは、二元論的下絵の上での動きであろうと藤沢氏は主張する。また現代の反科学主義や非合理主義や感性主義の風潮もロマン主義の一形態であると藤沢氏は指摘する。しかし世界や自然を知性的・客観的に見ることがそのまま機械論的・力学的に見ることに直結するかどうかは疑問であると藤沢氏は指摘する。デカルト主義対ロマン主義という考え方は、デカルト以降の近世哲学に関する限りでのみ有効であるという。おそらく藤沢氏はプラトン哲学とデカルト主義を明確に区別すべきであると主張しているのである。ギリシア的ロゴスと近代的ロゴスの相違につながると考えることができるのである。
 二元論的下絵が強い効力をもつ一例として、ハイゼンベルグの主張を藤沢氏は挙げる。彼の観測問題にまつわる量子論のコペンハーゲン解釈は近代自然科学の世界認識のあり方を揺るがすような帰結をもたらすものだったと藤沢氏はいう。ハイゼンベルグの不確定性理論はアインシュタインでさえ理解するのに困難ことであったのである。今で
も私たちの心の中に「客観的実在の世界」、つまり「二元論的下絵」が強力に働いていることを藤沢氏は指摘する。自然科学の発展が現代物理学の発展それ自体を通して、自らを否定せざるをえない窮地に追い込まれてしまったのである。実体と属性の区別では、性質を知覚するという観点から性質をもつものと、そのものに所属する性質とを別のものと考えることになる。そうなれば性質をもつものそれ自体は色も形も味もないものということになる。物質はそのようであるが、色や匂いや音や味の知覚を引き起こす原因となるものである。近世の哲学では知覚の因果説として考えられたものである。知覚的性質が私たちの主観を、物質が客観を形成するという認識論に至らしめたのである。

二、哲学的な四つの問題点

 このような二元論的世界観が現代的状況においてどのような問題を引き起こしているかを藤沢氏は指摘している。(1)科学が設定している「客観的事実」として、「物」とその運動の世界と生活や経験における価値や倫理や道徳の世界との乖離・分裂の問題があると藤沢氏は述べる。それは人間の「知」のあり方を二分するもの、つまり事実に関わる「客観的知識」と価値に関わる「主体的知恵」であり、「物事がいかにあるを知ることと、われわれがいかにすべきかを知ることとは、互いにまったく別のことであるという見解」が流布するようになったと藤沢氏はいう。(2)右で挙げた乖離・分裂が、物質の世界と生物の世界にも現われている。物質の世界では熱力学の第二法則で宇宙を無秩序な揺らぎと考えていることになるのに対して、生物の世界は秩序と自発性を示していると藤沢氏は指摘する。分子生物学者J・モノーが「生物の細胞とはまさしく機械である」と宣言したのは、生物を構成する物質的実体の構造と振る舞いを「物」の言葉で解明した成果であるが、ごく一部が解明されたにすぎず、「生命の世界を物質の世界のほうへ類同化ないし還元する方向」を目指したものであったので、逆に事実と価値との乖離・分裂の問題をいっそう深刻にしてしまったと藤沢氏は指摘する。(3)一方において知覚的性質の世界があり、他方において「物」の世界
があるという考え方は容認しにくい。私たちの現実の経験や生活では、外部の知覚的な世界、主観によってもたらされた世界の中のことであり、客観的な事実としては存在していないとは考えにくいものであるが、このような二元論で知覚を考える傾向は私たちの日常的思考によって支持される面をもっていると藤沢氏は述べる。(4)近代科学の根本想定としてシンプル・ロケーションの観念を先に取り上げた。空間・時間の中で、ここにあるという記述が、空間・時間の他の領域との本質的な関係を抜きにして意味をもちうるという考えであり、対象を局限化して研究しようとする方法の誤りを藤沢氏は指摘する。アリストテレスは「形而上学」で、哲学はあるものをあるものとして普遍的に考察するが、哲学以外の学問はあるものの特定の一つを切り取り帰結するという指摘をしたことから始まり、科学は部分の構造や仕組みをそれだけで解明する方向で進め成果を上げてきたが、本来は世界全体の中の他の部分との関係に支えられてこそ存在するものであると藤沢氏は主張する。ホワイドヘッドやライプニッツ、ベルグソンにもそのような主張があるという。部分を切り取って得られた科学的知見を合わせても、全体としての世界像に関わる哲学は成立しないし、このことは現代物理学の分野で気づかれ始めているともいう。このような部分的認識としての科学・技術がもたらすマイナスの波及効果に対して、ふたたび部分的な認識である技術で対処しても、予想しえない害悪をもたらす危険があるだけに恐るべきことであると藤沢氏は指摘する。



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