萩原朔太郎を読む(3)小林稔
こころ
萩原朔太郎
こころをばなににたとえん
こころはあぢさゐの花
ももいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思い出ばかりはせんなくて。
こころはまた夕闇の園生のふきあげ
音なき音のあゆむひびきに
こころはひとつによりて悲しめども
かなしめどもあるかひなしや
ああこのこころをばなににたとへん。
こころは二人の旅びと
されど道づれのたえて物言ふことなければ
わがこころはいつもかくさびしきなり。
「こころ」
こころは「あぢさゐの花」のように色を変えてゆく。ももいろに咲く日はこころは晴れるが、うすむらさきいろに咲く日は過ぎ去り日を思い起こしせつない気分に包まれ憂鬱に沈んでしまう。
このわたしのこころは、たとえれば旅人の二人といえよう。もうひとりのわたしはいつも無言でわたしの影のようについて回る。したがってわたしはいつも孤独とともに日々を過ぎていくのである。
朔太郎は自分の性格を次のように分析する時があった。「厭人的情操や病鬱的精神は学校という小社会的環境によって育まれた人物」がいる。性格そのものが社会的環境と調和できなかったのである。学校は貴族組(優等組)と平民組(劣等組)に二分されていたが、内気な朔太郎はどちらにも属さず理由なく迫害されたという。学校というところは苦しめる牢獄のように思えた。成人になり文学世界に入ると、彼の作る抒情詩は思想的には憂鬱で、言語感覚や気分では明るく健康的であったという。高踏的でありかつ野蛮と自己分析をする。「社会における地位は学校時代と少しも変わらず。永遠の敵と孤独のなかに生かしめよ!」と、一九二五年「非論理的性格の悲哀」というエセーで記している。
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