ヒーメロス通信


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ギリシア抒情詩の開花/井筒俊彦「神秘哲学」再読(十二)・小林稔

2016年06月04日 | 井筒俊彦研究

井筒俊彦『神秘哲学』再読(第十二回)

小林稔

 

第七章 生の悲愁

 現実の歌――ギリシア抒情詩

ギリシア海上貿易の繁栄は紀元前七世紀に絶頂を迎え、紀元七、六世紀に亘って個人主義の時代が訪れていたことは前章で述べた。これらの時代に支配的文学形式である抒情詩の世界において、政治的社会的生活面におけるよりもさらになまなましく、より一層直接的な形姿の下に検察できると井筒氏はいう。経済生活形態の変遷と同時に全盛期に達した抒情詩は、個性的「我」の覚醒が対決した歓喜の歌であり、苦悩の叫喚である。つまりイオニア・アイオリス的抒情詩は極めて現実性の文学なのである。ロマンティックで感傷的な、現実逃避をする日本の抒情詩とは全く異なるものである。ギリシア抒情詩の主題は現実に対する自らの感情であり思想であると井筒氏はいう。英雄譚を描く叙事詩の夢はこの時代では消え失せ、「今この時代」の真実に直面する詩人たちには、日常生活を反映させ、現実批判を主要目的とするイアンボス調と、叙事詩形式に最も近いエレゴス調に大別されるという。後者では、エフェソスのカッリノスやチュルタイオスがいる。

 

おんみら何時まで惰眠を貪るのか。そもいつの日、猛き心抱かんとするのか。

若者らよ、隣国の民の目を恥もせで

 

右記はカッリノスの詩句であるが、二行読んだだけで厳かな叙事詩的口調が感じられよう。

 

 息絶えつつも最後の槍を投ずべし

そは、戦いの庭に征きて、己が祖国と

己が子供らと、また正しくめとりたる妻とを

あだなす者より護ことこそ男の子たる身の誉れなれば。

 

同胞を祖国のために蹶起(けっき)させようとするこれらの言葉はホメロス的ヒロイズムであるが、截然と分かたれるものは、生々しい、血の出るような現実であるということであると井筒氏は指摘する。遠い昔の伝説的ヒロイズムから現実の切実なるヒロイズムへの転換があるという。しかし、カッリノスやチュルタイオスの現実は集団的、国家的である。そこからさらなる転換、つまり彼らの国家的観点から、個人的観点に移すとき、はじめて古典的ギリシア抒情詩が成立したと井筒氏はいう。

 このような二重の転換を経た詩人にあげられるのが、パロス島のアルキロコスやミムネルコスがいる。

 

 ああ、なさけなきこの身よ、恋の苦悩に堪えかねて

 生きんここちもさらなく。神々は激しき呵責をわれに下して」

 我が骨髄までも衝き通す。

 

右記は、アルキロコスの詩句である。恋の懊悩を訴える、個人的苦痛の直接端的な爆発は、新しい芸術領域のものであるという。

 

 されど友よ、恋のなやみのはげしさに、わが身は窶(やつ)れ疲れはてぬ。

 

多情多感な情熱の詩人の歔欷(きょき)と呻吟(しんぎん)をじかに感得するであろう、直接性、個人的現実性こそがギリシア抒情詩の世界であるという。

 

現実の歌――それがギリシア抒情詩の本質的定義である。(井筒俊彦)

 

 黄金なす愛慾の女神なくして何の人生ぞ、何の歓びぞ、

 死なんかな、かのうるわしきことどもの、過ぎにし夢と消えさらば、

秘めし恋、心こめたる贈り物、愛の臥床。

 ただ青春の艶花のみ、おとこにも、おみなにも

 いつくしまるるものなるを――

 

右記は、「イオニア的憂愁」詩人と言われた、ミムネルモスの詩句である。

 後のローマの詩人、ホラティウスの次のような詩句を、井筒氏は『神秘哲学』の註で引用している。「もしミムネルモスの考えるごとく恋と戯れごとなくしては、世に何のたのしみなしとならば、貴君も恋と戯れごとでお暮しなさい」。ともに享楽主義的人生観が覗かれる。

 

 しかし何といっても、この個人主義的時代のすぐれて個人主義的なものは、レスボス島を中心とするアイオリス人の間に発生した独詠歌唱こそが、全ギリシア文学のうち最も純粋に抒情詩の名に値するものであると井筒氏はいう。

 

 君がその愛(は)しき微笑(えまい)に わが胸の

 心の臓はもの狂おしくときめきいでぬ

 君が姿をほの見れば、声はみだれて

    はや物言わんすべもなく

 わが舌は渇きはて、繊かなる火焔

 たちまちに膚えの下を燃えめぐり

 まなこはかすみ わが耳は

   鳴りやまず

 とめどなく汗はしたたり、妖しき悪寒に

 身はふるえ、蒼ざめしわが面(おも)は

草の葉に色にもまさりて、生きの緒も

絶えんばかりの思ひなり。

 

右に引用したのは、女流詩人サッポ―の「恋の狂乱」である。夜半の静謐を心に映して、孤独の愁いを淡々と歌う彼女の心に、突如、恋慕の情が目ざめる。寄せ来る潮のような恋情の焔は、全身に浸透し、ついには肉体的苦痛にまで鋭化する。女性独特の感受性を持って、悩ましい愛の情熱が把握されていると井筒氏はいう。ここで看過してはならないのは、主観性の確立は主観性への耽溺を意味しないということ。主観性の極限においてさえ、観想的な最後の一線を守っていると井筒氏は主張する。つまり、身も心も苦しみもがきながらも、われとわが身を観察し、「熱火のうちにありながら冷静に、凍結しながら燃えている」という。まさに氷塊のただなかで燃える炎のようにと形容できようか。

 どこまでも人間的現実であり、個にして永遠なるものに達しているからこそ、サッポ―の情熱の形姿は「恋の古典」として後世永く讃美の的となったと井筒氏はいう。「個を通して個を超克」し普遍的なものに翻出しようとするギリシア精神本源の動向が看取されるが、これに踵を接して誕生したミレトス哲学と相距るものではないと井筒氏は主張する。

 アルカイオスやサッポ―のアイオリス抒情詩の主題の「現実」は内面的現実であったが、イオニア抒情詩の主題は人間の外にある生命的現実であった。それゆえ、行動的であり、現実批判に傾くと井筒氏はいう。

 

 ギリシアの憂欝

 井筒氏は、イオニアの詩形としての二つの詩形を挙げる。一つはエレゴスで、「人生の目的について、神の義について、人の運命について、自ら反省しつつ他にまた反省を促す一種の思惟活動であり、人生観、世界観に関するものであり、もう一つは、イアンボスというもので、揶揄嘲弄の詩形で、峻烈な現実批判で、現実に働きかける行動の具であったという。後者にはエフェソスのヒッポナクスやイアンボスの完成者と言われる、アルキロコスがいる。現実の不正不義に向かう人間の救いようもない不幸。ホメロスやヘシオドスにあった運命思想が紀元前七世紀六世紀にギリシア思想界の前面に押し出されてくる。しかしそれは人間自由の問題に他ならないと井筒氏はいう。後にギリシア悲劇へと手渡される人間自由の問題であり、ここではじめて抒情詩人に提出されたのだという。彼らにとっては「運命」は神々の意志、つまりゼウスの意志と同一視された。あらゆるものの根源は神であり、「運命のめぐりあわせが人間に全てを与える」(アルキロコス)のであった。それは「善人の苦悩」の問題は道徳的思想の焦点を人間の倫理性から神の倫理性に移すことだと井筒氏はいう。ギリシア倫理思想上はじめて、矛盾多い人生の実相が、そのまま道徳神学の大問題として呈示されたという。しかし、多くの抒情詩人たちには、現実の惨苦を克服し、人生の尊厳を護符するだけの精神力を持ち合わせていなかったので、ギリシア的生の悲愁、「ギリシアの憂鬱」という途を採ったのだという。

 

 かつて美貌を謳われし人も、やがて青春の時すぎれば

    げにうとましき者となり果つ、己が子らにも、己が友にも。

 

 もろ人にめで愛さるる若き日も

    はかなき夢のごとくにて、ただ束の間に過ぎてかえらず

                   (ミムネルモス 断片)

 

ミムネルモスの抒情詩に見られるような青春の悲嘆は存在それ自身の嘆きを象徴するものであり、万物流転はイオニア的世界観・人生観の基調であると井筒氏は指摘する。

 

地に住む者にとって、こよなく望ましきは、現世に生まれ出ざること、あまつ日の耀いを目に見ざること……されど、ひとたびこの世に生をうけし上は、寸時もはやく冥府の門をクグリ、厚き土塊の衾の下に横たわること」(テオグニス・断片)

 

こうした厭世的無常観は、享楽主義的人生観へと辿りつくものであった。自己の快楽主義を万物必滅の理によって基礎づけるのだと井筒氏はいう。アモルゴスのセモニデスでは、一刻も早く蒙昧の夢から醒めて人生の儚さを悟り、僅かに許されたる青春の時を充分に享楽せよと説教するという。

 こうしたイオニアの詩人たちの享楽主義は、主観的気分を衝動的に表白したものではなく、すでに立派は思想であったと井筒氏は主張する。後のイオニア自然学の始まりとして、人間的現実に対する倫理的反省を一転して、自然的現実に対する存在論的反省となすことに転化させた。人間的行動の倫理性を基礎づけていた「美わしさ」(カロン)の傍らに、「快さ」(ヘーデュ)が人生最高の価値として登場したのであり、ソクラテス、プラトンアリストテレスに至る倫理思想史は、この両者の相克闘争の歴史に帰着すると井筒氏はいう。

 個人主義の到来が享楽主義を招き、イオニア自然哲学を生むことになったが、さらにギリシア精神はもう一つの試練を堪えねばならなかった。

 それはディオニュソス神である。次の章で井筒氏は展開していくだろう。



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