ヒーメロス通信


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井筒俊彦研究『「神秘哲学」』再読 第十回 小林稔

2016年01月15日 | 井筒俊彦研究

第四章 知性の黎明

 

   ホメロスは天に近く、ヘシオドスは地に近い

不気味な怪物が猛威を振るった時代に幕を降ろした光あふれる神々の支配する世界は、知性の誕生を告げる世界でもあった。「ギリシアが精神的には確かに一度、このような清澄の高層圏を通過したことを人は忘れてはならない」と井筒は主張する。混沌から神々の世界の光を生み出したことは、以後の、例えばプラトン哲学に見られるような、ギリシア文化の成熟の一歩になったと言えるだろう。

 ヘシオドスという詩人にして思想家の特徴は、現実主義であることである。世界の実相を単に描くだけでなく因果的に説明しようとする。根本原因を説明するために神話を選び出す。井筒によれば、切実な人生問題に神話によって思想的解答をすることは神話のメタモルフォ―ゼであるという。彼は予言者であり、現実の救済を心に留める。彼の『神統記』は神々の系譜における秩序である。世界開闢と生成を理性的統一において説明することが彼の意図であった。現実の世界悪を世界善に転成させる宗教的倫理的枢軸として、「正義」の思想を置く。「正義」はゼウスの意志と同一である。「正義」の思想はホメロスにすでにあったが、それは客観思想であるのに比べて、ヘシオドスのそれは主観的であり、世界と人類を救済する根源力であり、「正義」という神体をゼウスの愛娘として新たに創り出したのである。

 

 ギリシア抒情詩の先駆者ヘシオドス

 ヘシオドスには、ホメロスにない反省的思惟と、人間および人間を取り巻く世界に対して個人的判断を下そうとする知性的欲求を併せ持っていると井筒はいう。それはヘシオドスには「我の自覚」があるということであり、それを極度に推し進め、詩華に開花させたのが紀元前七世紀から六世紀末の抒情詩であったという意味では、ヘシオドスはギリシア抒情詩人たちの先駆者であったと言えるという。抒情詩の生まれる背景には、現実批判をする個人的知性活動の始まりがあったが、ついにはヘシオドスの世界観さえ否定するに至ったのである。自然神秘思潮によって超個人主義に翻転するまではつづいたのであった。

 

第五章 虚妄の神々

  理性的批判の目

 紀元前七世紀初頭までには、ギリシア人は著しく自覚的自意識的になり、つまり理性的反省期に入り、人生の究極的諸問題に真剣に取り組み始めるようになったと井筒はいう。前章でも述べたように、現実主義的なヘシオドスは、ホメロス的神々の矛盾の多い伝来の神話を整理し秩序づけようとした最初の人であった。ホメロスの叙事詩は本来、純粋な芸術の神として鑑賞されるべきものであると井筒は主張する。しかし、その芸術の神として拝する者には完璧の至美を開示する神々が、宗教として全ギリシア民族に受容されたところに、ホメロスの宿命があったと井筒はいう。したがって、オリュンポスの無秩序性は本源的なものである。通常の宗教と呼びうるものではない。それは人間的で解放的であり、愛憎の情熱、放恣性欲は官能の享楽に耽溺させるので、彼ら神々を人間から区別するものは不老不死の一言であると井筒は指摘する。擬人的性格は顕著な特徴なのである。このようなオリュンポスの神々に理性的批判の目を向けること自体がはなはだしい矛盾であり、矛盾を指摘すればすべてを破壊しない限り終らない。ヘシオドス的神学は結果的には改悪ですらある。ホメロスとヘシオドスを一括して、「ホメロス・ヘシオドス的」神々と呼び慣らし、理性的反省期に入ったギリシア人にどのように映じたかを考えてみたい、なぜならギリシア哲学の発生は、オリュンポス神学に反撥し対立した新宗教思潮に直接端を発するものであるからと井筒はいう。イオニアの哲学者たちの凄まじいオリュンポス神糾弾は、神々の不合理と矛盾にあった。イオニアの哲学者たちは、宗教を解さぬ合理主義者なのでななく、深く宗教を理解するがゆえに、愚劣で低級なおsリュンポス神に我慢できなかったのだと井筒は指摘する。

 

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