ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

アリアンス・フランセーズの日々。 詩集『蛇行するセーヌ』(旧・天使舎)以心社刊から

2012年01月25日 | 小林稔第6詩集『蛇行するセーヌ』


アリアンス・フランセーズの日々

           小林 稔





 廊下には、次の授業を待つ生徒たちが堰き止められた水が流れるよう
に入口の扉の方に向けて、群れをつくっていた。階段にも生徒たちの姿
があった。何気なく見上げた時、手すりに身を傾けている少年の黒い視
線があった。十二歳ぐらいと思われる、日本でならば、どこでも見かけ
る男の子だ。その一段下に妹であろう女の子の顔があった。私の存在に
気がついて、少年を見上げ何かを語りかけている。私を同国人のように
感じて気にかけているのだろうか。私だって同じ気持ちなのだ。よく見
ると、少年の頭上に、おそらく母親であろう若い女の顔があった。今日
は最初の授業なので、生徒たちの不安な表情が読み取れる。前方でざわ
めきが起こった。すでに扉は開いて、教室から笑みを見せながら出てく
る生徒たちの姿があった。最後の一人が退室するのを確かめると、前列
の生徒たちが教室に入った。後に続いて群れは吸い込まれるように教室
に流れていった。さっきの母親が私の隣に来て何かを語りかけたが、知
らない言葉なので、私はただ頬笑を返すしかなかった。日本人ではない
ことがはっきりしたわけである。
 金縁の眼鏡をかけた白髪の老いた女の先生が黒板を背にして立った。
前列の生徒からフランス語で名前を訊きだした。初級クラスだから理解
できない生徒がいると、次の生徒に同じ質問をする。そして前の生徒に
戻る。すると状況を把握した彼は名前を答え始めた。フランス語を学ん
だことのない私もまた、答えた生徒の口真似をして答えた。質問が、国
籍と生年月日に及んだ。それらを先生は黒板に書き出していく。あの家
族がベトナム人であることが分かった。少年の生年月日は四月十五日。
私の順番がきて同じ日付を答えると、少年は驚いて私の方を振り向いた。
黒板の白く書かれた国籍は二十六カ国であった。五十人ほどの生徒たち
が教室の席を満たしていた。

 マダム・Dのアパートの二階の部屋を借りていた大学院生から譲り受
けたポータブルプレイヤーに、カルチェラタンにある本屋の店頭で目に
して買ったレコード盤に針を下ろした。バッハの『フーガの技法』が部
屋いっぱいにチェンバロの響きで満たした。音が切れた時、部屋の外で
物音がしているのに気づいた。チェンバロの音で消され、休止符に来て
また物音が聞こえた。隣の部屋で壁を叩いている音に違いない。音楽が
うるさいという意思表示なのかと、一瞬思った。老人が独りで住んでい
るらしいことは以前から知っていた。音量を落とした。その時、叫ぶ声
を聞いたような気がして耳を澄ましてみた。しかし、叫び声も壁を打つ
音も聞こえなかった。次の日、マダム・Dと建物の入口で顔を合わせた
時に、泥棒が隣に侵入し、老女を、鍵をかけ閉じ込めて逃げた、誰かが
警察官を呼びにやったと彼女から知らされた。 
 二三日後に、部屋の扉を叩く音がしたので開けると、隣の部屋の老女
が立っていた。りんごの入ったビニール袋を私に渡した。目の周りが黒
ずみ、うつろな瞳で首を傾け、疲れた視線で私をしばらく見つめていた。


 カルチェラタン地区の一度も歩いたことのない通りに入ると、映画館
と思われる建物の入口に自然と視線が向かった。少年たちの顔と裸体に
白い絵の具を塗りたくったような、アフリカの男たちを連想させる古い
映画のポスターと思われる白黒の写真があった。イギリスの作家ウイリ
アム・ゴールディングの『蝿の王』の映画であることがタイトルから判
明し見ることに決めた。少年たちだけの、楽園と思われた孤島での生活
が、野蛮を極めていくにつれ残虐なものに変貌していく。人間性に棲む
悪が少年の裸体の美と抱き合わせに描かれている。双子の少年、死んだ
少年の映像が銀幕に消え去った後も、しばし私の脳裡から去らなかった。

 アンモナイトの階段を息を切らしながら上り通路を真っ直ぐ進んで、
突き当たった右手に私の部屋の扉があった。左手にはさらに通路が廻ら
されている。扉に辿り着こうとした時、左手の通路から男の姿が不意に
現われたので驚いて胸を突かれた。青い労働服の男は一瞬、鋭い視線を
投げたが、すぐに眼から緊張がほぐれたので安堵した。昨日、私は台所
で使うガスボンベの配達を頼んであったことを思い出した。アリアンス
から帰る時刻を指定してあったのだ。部屋に招いて取り付けを終えると
男は帰っていった。しばらくしてカメラを取り出そうとマントルピース
に置かれた本を取り払ったがなかった。これからの旅には邪魔になるだ
けであるが、高価なニコンのカメラなので売れば生活の足しになるだろ
うと思っていた。ずいぶんまえから私は写真を撮ることに関心をなくし
ていた。対象に対していかに感覚でつかみ思考し言葉にするかを考え始
めていたのだ。パリの光景に一度もカメラを向けることはなかった。最
後にカメラを置いたときの記憶が脳裡から消え去っている。ベッドの下
を覗いたがなかった。もしかしたら、そう思って鳥肌が立った。帰る時
間を伝えていたことを悔いた。男と通路で遇った時の驚きが甦った。左
手の通路は確か行き止まりになっている。私よりも先に階段を昇って来
ていたということだ。もちろんこの男が盗んだという確証はないが、だ
れにせよ、もし部屋を物色している時に、私が部屋の扉の鍵を開けたら
どういうことになっていたか。カメラを盗まれたことに少しも口惜しさ
がなかった。所有から自由になりたいと思っていたのだ。必要最小限の
ものがあればそれでいい。アジアへの旅を思いめぐらしては、身の引き
締まる思いが日増しに強くなっていたのであった。命と旅費とパスポー
ト、それ以外に何を望めるというのか。泥棒に狙われることを考えれば、
高価な物は命取りになりかねない。私が旅立たなければならなかった理
由の一つである、捨て身の生からポエジーを立ち上げようとしたことも
あってか、不思議と落胆することはなかった。


 アリアンスに通う日々が一ヶ月を過ぎた。先生たちのストライキがあ
ることを知って驚く。動詞の活用を紙に書いて台所の壁にテープで留め、
声を出して唱えながらフライパンで飯を炊き、移し変えては肉を焼いた。
こんな初歩的な勉強をして何になろう。あと二三ヶ月もすれば旅が始ま
るのではないか。クリニャンクールの蚤の市で買った電気スタンドを、
日本から持って来た聖書の上に立て、本屋で買ったイタリア美術の英訳
本を毎日少しずつ読んだ。朝方まで詩を書いたり、これからの旅を思い
めぐらしたりしていたので、昼過ぎの語学学校へは眠い頭を持ち込んで
いた。パリをくまなく歩き思考することがどんなに大切なことだろうぐ
らいは知っている。アリアンスに通い始めて二ヶ月が過ぎるころ、フラ
ンス語の勉強は中断することにした。同じ教室には日本人の中年女性が
いた。日本で三年間勉強して、アリアンスの寮に住み勉強するために来
たのであった。カフェでは私のこれからの旅について何度も話をした。

 先日見た映画に味をしめた私は、パゾリーニの映画がいろいろな映画
館が上映されていることを知り、語学学校の帰りに見て歩いた。『ママ・
ローマ』という処女作を初めて見た。母親を出演させた『奇跡の丘』や
『カンタベリー物語』、『テオレマ』、『王女メディア』はかつて日本で見
ていた。『 千一夜物語』も旅立つ直前に見ていたが、ぼかしを入れない
映像は初めてであった。立て続けに見た私は、これほどまでに一挙に上
映されていることが不思議であったが、この監督がローマの海岸で十六
歳の少年に殺された直後であったことを後で知り、驚いたと同時に彼ら
しい死に方ではないかと思った。遺作となった『ソドムの市』は、アラ
ビアンナイトの世界を謳歌した彼が、ついにはカトリシズムとファシズ
ムの影から遁れられずに追い込まれた、表現者としての一種の自殺行為
なのではないかと思わせる悲惨な映画であったからである。


 靴の紐が切れた。紐を繋ぎなんとか歩けることを確認すると、地下鉄
でサン・ミシェル通りに行き、通りの靴屋を探した。女店員が眼を丸く
してサイズの合う靴を次々に運んで来る。彼女の熱意に圧倒された。気
に入ったブーツを買いその場で履いて店を出ることにした。靴を新しく
しただけで急に偉くなったような気分になるのは不思議だ。だが日ごと
に減っていく持ち金が心配である。路上の屋台でクレープを求め、頬ば
りながら歩いていると、地下鉄の入口で女の子二人が親しげな表情で私
を見ている。声を掛けようとしているのか、声を掛けられるのを待って
いるのか。こんなふうに友達を作ることもできるのだ、という久しく忘
れていた感情が一瞬甦ったが、これからの旅を思うと陰鬱な気分に再び
沈んでしまうのであった。今日はクリスマスだ。ノートルダム寺院のま
えの広場に行くと、仮説のステージが建てられ人々が群れをなしている。
まもなくバンドが音を響かせて、男が現われ歌い出した。シャンソン歌
手Bのざらざらした声。その後の、空を突き抜けていくような女の歌手
Mのビブラートは、日本にいた時、レコードを買って聞いていたので、
東京での生活が懐かしく感じられたが、ここはパリなのだから考えてみ
ればおかしなことである。屋根裏部屋に帰ると、マダム・Dが七面鳥の
焼いた肉を持って来てくれた。通りに面した窓からバンド演奏が聞こえ
ている。眼下に見える高い塀で囲まれた建物がジョンソンというリセで
あることは地図を見て知っていた。夜の暗闇にいくつかの照明が灯って
いる。おそらく寮生活をしている高校生が演奏しているのだろう。私は
いつものようにイタリア美術の分厚い英訳本を読み進めていった。夜明
けを迎えるころ、パンを求めて螺旋階段を駆け降り中庭に出ると、綿毛
のような白いもの、触れればなくなってしまいそうな雪片が舞い降りた。


 私が出国する直前まで友人に頼まれて書いた詩を掲載した同人雑誌が、
マダム・D宛てに送られて来た。言葉を氾濫させた友人たちの詩を読ん
で、経験に裏打ちされない言葉の恐ろしさが甦った。言葉で世界を所有
できると信じていたかつての私が、日本から今の私を追って来たのであ
る。あの時、事物が私に襲いかかってくるような恐怖があった。言葉が
脳裡でざわめき止むことがなかった。ボードレール、ランボー、シュル
レアリスムに歓喜して詩を書き始めたのであったが、こうしてパリの生
活に身をどっぷり浸してみると、彼らに影響を受けたと思われる若い日
本の詩人たちの(私もその一人であったが)詩がいかに軽薄で的を外し
た、矢を闇に放つような徒労であったかが思い知らされた。肌を刺すよ
うな乾燥した冷気と石造りの街の相貌に囲まれ暮らしていると、感覚が
身体から切り立ち現われようとする瞬間がある。どうしようもなく現実
であり続けさせようとする空気がそこここにある。非現実であれ、超現
実であれ、眼前にある現実との至近距離に存在しているのではないかと
思わせるのだ。そこからポエジーという彼方の深みに飛翔して行くに違
いない。曖昧模糊とした現実に確固とした想像力が羽撃くはずがない。
想像力と現実が拮抗して初めて、現実もまた芸術の夢を実現し内包して
いくと言えないだろうか。そうでなく現実に取りすがったところで、想
像力は混沌を生み出すことでしかないだろう。現実が想像力を鍛え、想
像力が現実を創り上げていく、すなわちパリと呼ばれる街なのである。
精神の明晰さも、すべてこのことに由来すると思われた。

 地下鉄の細長い通路、アラビア文字が横殴りに書かれた壁に指を滑ら
せて辿って行くと、雑踏に消されそうになる女の奏でるアコーデオンが
聴こえる。サクレクール寺院に足を踏み入れた途端、円蓋からカナリア
が一羽舞い落ちた、と思ったが祭壇の上方から降った少年の一声であっ
た。かつて夢に現われた、青年は砂漠で息絶えたカナリアを足元に見つ
け、遠ざかって行く幻影が瞼を掠めていった。

 降誕祭の夜、ノートルダム寺院の扉を開けると、パイプオルガンが鳴
り響き人々は追い立てられるように散った。

 真昼時、ミケランジェロの法悦の奴隷像、フィリッポ・リッピの天使
の横顔に逢いに、ルーブル美術館へ急いだ。

夕暮れの橋を渡れば、雲が風に流されて巻物のようにたたまれて行く。

 朝、起きると霧が立ち込めている。マドレーヌ寺院まえのカフェでは
外に並べた椅子に女が一人いて、一点を見つめて動かない。

 地下鉄サン・ミシェル駅に降り立つと、黒人が螺旋階段を昇る。ピス
トルを構えた男がその後を追う。

 真夜中、街の路上をあてどなく歩いた。セーヌの右岸を彷徨い行くと、
舟であろうか、黒い物体が遺体のように流れていた。

 (つづく)

        詩集『蛇行するセーヌ』は在庫があります。一月中に限り、希望者には定価の半額(1400円)で提供        いたします。連絡してください。Eメール、tensisha@alpha.ocn.ne.jp また、読後の感想をお聞か        せください。今回の連載でほぼ三分の一が掲載されました。このあとイギリスに向かい、イタリア、        ギリシャ、トルコからインドまで向かう旅の、フランスを抜けるまでの話が書かれています。




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