タペストリー3,4,5 詩誌『ヒーメロス』25号2013年10月25日発行
小林稔
タペストリー 3
昨日の広場の喧騒が遠くに広げていく視線の先から消えて、頁を改めるように、
この街を去る私の緩慢な足の動きが早朝の空気に駆り立てられ、いつものよう
に少しずつ速められる。街が眠りから解かれ、店先には赤や黄色の果物が歓喜
の声をいっせいにあげ、隣ではカフェの椅子を広場に向けて設えはじめるころ、
台座の上で両腕を広げたブロンズの彫像の建つ広場の中央を人々がせわしなく
通り過ぎる。彼らの背を追うように私も列車の駅に向かった。
絶えず私は問いつづけた、おまえは何を見、何を創ろうとするのか。
太陽の沈まない白夜、雪の山頂の傾斜に太古から流れる氷河を私は見た。首都
の一角で異民族たちが群れをなし暮らしているのを、白昼の路上、銃で打ち合
う男たちの乱闘を、片手片足をなくした子どもたちを橋上で見た。
私は欲求した、一つの精神を、言葉と一緒に立ち上がる一つの肉体を。あなた
の不在を知らせる残り香を求め、重い荷を背負い路地から路地を走り抜けた。
タペストリー 4
西から東に延びるいくつもの砂礫の道が集結する古都。ふくよかなドームがそ
びえ立つ寺院に入ると、暗闇の回廊から一気に光の洪水に襲われる。盲者とな
ったわたしは、おまえは限りなく不幸だという空から降りた声に引き寄せられ、
世界の悲惨を重ねて、青い円蓋から散る黄色い花びらが舞うなか、内庭の中央
にある井戸の方によろけながら歩いて行くと、井戸の底にはかすかに水の流れ
る音がして私の耳に届いた。あのとき私は確かに呼ばれたのだ。いまおまえの
いる場所からおまえの血であり肉である身体を異なる人々と知られざる邦に彷
徨わせ、以後のおまえの生は旅人の宿命から遁れることはないという声を。
私はいつもひとりだ、生まれたときと同じように、そして死ぬときもまた。し
かし私は、気がつけば人ごみのなかにまみれ、変貌する街を過ぎる人いきれを
吸い込み、旅の記憶をそこに重ねながら、ひたひたと寄せる時を移ろいゆく身
体に刻んでいる。
タペストリー 5
歳月にそぎ落とされた形姿はそぎ落されたゆえに、本質にかぎりなく近づいて
いく。風に飛ばされた断片は永遠に失われ、空白を創造で満たそうとしても時
をうしろに見送るようにむなしく、失われた部分を取りつけ原型に近づけるこ
とはさらにむなしいというより愚かな所作である。真なるものは形なく伝えが
たいもの、伝えがたさを伝えるために言葉は書き留められねばならない。
祝祭はまた来るだろうか。歓喜の、陶酔の、あなたとの邂逅のエクスタシーの
ただなかで生の横溢を身体に浴びて健康のもとで草むらを転げまわるような。
言葉こそがあなたと私をつなぐ橋である。混沌の闇から現われ出るのっぺらぼ
うのあなたが一つの貌を持ち、私のまえに立つとき、あなたの青空のような清
涼な眼差に私は身を焦がすだろう。私があなたと、あなたが私と輪郭を重ね合
わせたいという互いの欲望のなかで一つになるだろう。そのときまで私は言葉
を訪ねつづけるのだ。
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