小林稔第六詩集『蛇行するセーヌ』2003年(旧天使舎)以心社刊より
コンコルド広場
小林稔
セーヌの岸に沿って歩いて行くと、グランパレ、プチパレの円蓋が見え、さらに先にエッフェル塔の遠景がある。
私たちが引き寄せられるように向かうのはコンコルド広場だ。マリーアン
トワネットが処刑された地点にオベリスクが立っている。荒れ狂う海原に屹立し渡った、アレク
サンドリアから航海した記憶を夕陽の射したその切尖に留めて。
この街の地下墓地の十字路には夥しい数の死者が葬られて、その間隙に、ミシェランの性能の良いタイヤ
が地下鉄の線路を、猛スピードで回転し続けている。
突如、ショパンの楽曲が、今はマーラーの『シンフォニー四番』ではなくベートーベンの『皇
帝』でもない、私たちの脳裡を疾走したのはショパンの『バラード一番 』。
青春の矜持は咲き乱れる紅い薔薇、終息することのない夢は海に注ぎ込む銀色の大河のように。
めくるめく音階を滑り降りて駆け上がり、息をついて再び駆け上がる高み
で、意を決して一段一段と降り、加速させ転がり落ちて行く。この街と私たちが別れる時は近づいている。
生涯に再びこの地に立つことがあるだろうか。
離れる私たちの後ろでオベリスクは一瞬、傾いたように見えた。
夏の微風に包まれ、夕暮れの空に聳え立つ金字塔、オベリスクよ、かつて無名の詩人がこの街で、ある時は哀しみに心
を裂き、ある時は夢に燃えた青春のあったことを永遠に記憶せよ。
私たちの視線の先、シャンゼリゼ通りの真ん中に
凱旋門が悠然と立つ。街灯が光を放ち、闇をいっそう深くしていた。
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