ヒーメロス通信


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「時の形相」小林稔詩集『遠い岬』より掲載

2015年12月17日 | 小林稔第8詩集『遠い岬』

小林稔第八詩集『遠い岬』2011以心社より

 

時の形相

 

雨に烟(けぶ)る田園の蛇行する畦道を

傘ももたずに少年のきみが歩いている

私は薄暗い部屋の窓越しに眺めているが

瓦を打つ雨音がどこか頼りなく聴こえ

身体に滲む入る雨水を気化させるきみの体温に

これほど離れて私は胸の芯部を熱くする

 

一日は春の日の眠りのようにゆるやかに過ぎ

一年は彗星のように近づいてはすばやく立ち去る

枝に葉がふたたび芽吹き姿を見せる季節に

幹である私は凋落への一途を転がっていく

一足一足ごとに時は着実に走り抜け

少年の私が殻を脱ぎ捨て 駆け昇っていった傾斜を

きみもまたやがて辿る時がくるだろう

善と悪の群衆に揉まれ 死の陶酔から逃れる時が

 

いまは戸惑い おびえる鳥のように

きみは差し出される私の掌から 

指を引き離してしまう

削ったばかりの鉛筆の匂いが

だれもいない教室にたゆたい

忘れられた学帽が何十年も机の上にある

扉を引き それに触れるのがきみであるのかを私は知らない 

きみの唇が産毛に翳をつけ始めるころを見計り

青い樹木の根元にふたりして横たわり 

幼年時の対話に時をわかつ

いちめんの雪 

つらら吊る冬の宿舎

鞭打つ私が発語する言葉に寄りそう

きみの指先の鉛筆が

開かれた教科書の空欄に 

角ばった文字を走らせる

 

夥しい数の幼い顔の形姿が現われ流れ消える

低きから低きへ水が流れ

記憶の縁辺から虚空に収斂されていく

私はひたすら指を這わせる

歳月を日めくりしつつ

何ゆえに ふたたび胸をすくわれ

遠い日の記憶が綴られた書物の余白に

 

 

 

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