ヒーメロス通信


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小林稔詩作品「黙祷、海へ。」詩集『遠い岬』2011年刊より

2015年12月05日 | 小林稔第8詩集『遠い岬』

黙祷、海へ。

小林稔 

 

海原に突き出している桟橋から、還らない月日の闇に手首を入れて

記憶のかけらを絡めとる一個の起立した白い彫像のために。

 

逝くひとは忘却の淵のひろがりに沈む

此方の事象から放たれ船出していく

死者のかそけき頭髪のために。

 

寄せる波と微風にひたされて、午睡のとぎれかけた空隙に

赤いベルトを締めつけうしろ向きに立つ弟のために。

 

岩盤に敷物をひろげたように小さな花々が咲く

海に命を亡くした漁師たちの追悼碑の礎のために。

 

青春を奪還するため、アンダルシアの岸辺からソレントの断崖

オールドデリーの要塞からパドカオンの王宮と庭の仏塔へ。

捨て置かれた私たちの足跡のために。

 

きみの震える軀が私の横腹にしがみつく。眼下には薄水色の海上に

浮かぶ群島。ごらん、岩陰を裸で歩いているのは私だ。

降下するにつれ海は群青に染まり、未生のきみと滅後の私の

その約束された邂逅のために。

 

抽斗に眠る少年の銃。忘れられた銃口の夜にテロリストの声を聞く。

海の破片はてのひらから舞い散れ、悔恨と永訣するために。

 

水が流れている。脊髄を伝って落ちる。踝からあふれ河に注いで海

と交わるところ、たましひの鍵盤をうつ、喪われたピアニストの燃

える十指のために。

 

〈峡湾をガラガラ蛇のように這いながら疾走する列車に横殴る瀑布。〉

 

なんだ、こんなことだったのか。

帰路は異邦、行先は切り岸とこころえよ。

しずくを滴(したた)らし昇る太陽と別れいく海、その友愛のために。

 

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