ヒーメロス通信


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テーレマコスの航海/小林稔詩集「遠い岬」より

2016年08月12日 | 小林稔第8詩集『遠い岬』

テーレマコスの航海

小林稔

 

波頭の見えない静かな海が三日つづくと、決まって四日目に強風が

吹き荒れ、転覆の危機が訪れる。船の真ん中にある帆を降ろしたマ

ストによじ登っているので、大きな揺れで嘔吐をこらえなければな

らなくなる。

 

操舵室に入る男の背中をいく度となく見たのだが、円型の覗き窓に

は船長の姿がなく、私ひとりを乗せて船はひたすら進んでいる。

 

穏やかな海の日は船底に身を横たえて本を読む。一冊の哲学書『テ

―レマコスの航海』を三十七回読んだ。読むたびに知らなかったこ

とを発見し狂喜する。私に航海の解釈を示唆してくれるのだが、例

えば七百七十一頁には「真理、すなわち神の到来を待つ主体の聖性」

について記述されている。霊性が自己をこの上もない高みに引き上

げるには、宇宙の孤独を耐えなければならぬとある。

 

私をおいてあらゆる事象を崩壊させることが必要である。連続性を

否定することとは瞬間の実在のみを信じること。記憶は何ほどでも

なく、死すべき私たちに未来は不確かである。現在は砂山が崩れる

ように未来を巻き込んでいる。

 

世界の陸地を一巡りした思い出は、得体の知れない一匹の生き物の

ように変貌を終えることがない。郷愁のような想念に捉えられる一

夜、脳裡には若年の私が抱いた瞑想がよみがえり不思議な交感(コミュニケーション)

が始まる。例えば、不思議な砂漠の王の館、十七歳の王を襲った厭

世の想いが色濃く映し出された内庭に私は佇み、大理石の柱と柱の

隙間から見遣る泉を越えて、鏡に嵌められたシンメトリー空間に、

自己が呼び止められた。

 

土地を離れ、想いを遊ばせた建築物を棄て、やがて死が記憶さえ携

えることを許さないならば、一刻も早くそれらから身を遠ざけるべ

きではないだろうか。波に洗われていた断崖が小さくなり、ついに

視界から消えていく。私は記述する、精神のスクリーンに流れる一

片の雲また雲を。それが神に由来するのか、あるいは血筋にか、そ

れとも神学と哲学から剥がれ落ちた、詩(ポエジー)と呼び得るものに由来す

るのかは定かでないとしても。

 

私はどこにいるのか。夜の大海原では一片の塵に等しい私は、すべ

てから逃れるため、老いを加速させ、事物から遠ざけた。事物の価

値を正しく見定めるため、世界との負債から勝ち得なければならな

かった。ゆえに、流れ行く想念を記述し定義していった。唯一残さ

れたのは、自己からの自由ではなかったか。鏡に写る等身大の自分

に視線を注ぎ込むこと。こうしたすべての努力は、知において自己

に回帰することであった。神の(もし存在するならば)理性に授か

ることであり、世界の構造を探り出すことである。

 

もしも神が存在するとするならば! 神は退却したが、理性は消滅

したわけではあるまい。無限に遠くから、詩(ポエジー)が私たちに訪れると

き、神の気配を嗅ぎとることができる。理性によって私たちの変貌

が可能であるからである。

 

アレクサンドリアの港を出港してから数ヶ月が経った。この危険に

満ちた航海を私が難なく終えたらのことであるが、気象現象と健康

に委ねられた航海は、どこに向かって曳かれているのであろうか。

私の思考が船の操舵を導いていることは推測された。真理というも

のこそは、航海が辿るべき最後の港であろう。



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