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本能

2009-07-19 | その他
北海道トムラウシ山で亡くなった方々のご冥福をお祈りします。

刑事ほどではないですが私もときどき新聞に載る事件のいくつかにすごく興味を惹かれることがあって、未だに追っている事件が数件あります。それはもしかしたら残虐性や悲惨さに向けての野次馬根性かもしれないのであまり胸を張って言えることではないですが、やはり物語性を感じる事件というのは存在していて、今回の遭難事故もそのひとつになりそうです。これは事故でありながら物語を帯びた事件とも言える側面を間違いなく持っているし、すごく痛ましい事故であると同時に、防げる事故だったという関係者、登山家の意見も見逃せません。ガイドもツアー参加者も、どこかに「日常」の感覚を強く持ちすぎたまま、死と隣り合わせの大雪山に降り立ってしまったのではないか。「ここまで来たのに中止になったら参加費がもったいない」「途中で中止にしてはツアー参加者から苦情を受けてしまう」などの感情がまったくなく、ほんとうに状況だけを判断して間違ってしまったのかどうか。文明社会、先進国の日常というのは間違いなく本能を磨耗させます。これくらい大丈夫、だってせっかくだし、などの感覚を優先させて生きていくことは通常この国では問題ないですが、自然の中や非日常の世界ではそれこそが命取りになるという分かりやすいという意味での好例になってしまった気がします。夏の2000メートル級という、軽視しがちなその条件もこの夏山としては史上最大の遭難事故につながってしまったのではないかと思うと、これが誰に責任があるという意味のではなく、防げる事故を人間の慢心が招いたという意味での人災であるという気がしてなりません。

ただ、自分がその本能をちゃんと確保していられるかどうか。いざというときその本能に決定権を委ねられるかどうかというと難しい気もします。「どうして悪天候なのに出発したんだ」という非難は、死亡事故が起きたから「参加費なんかより命のほうが大事だろう」という言葉に説得力を持つのであって、死亡事故の前まではその説得力は薄いという気がします。いざ自分が参加したツアーが「悪天候なので中止します」と言われたとき、ちゃんと従えるかどうか。ましてや「悪天候ですが行きます」と言われていたら、「危険だと思うので自分はやめます」などと言い出せるかどうか。そこで人間の心理がどう動くのかという部分にとても興味があります。

せめてこれを機に、無謀な登山ツアーが減りますように。

そして私は明日から北海道に行ってきます。