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緑 島 小 夜 曲

春を愛する人は、心優しい人。

靜夜思

2007年07月02日 15時46分18秒 | 俳句和歌
月見れば 床に霜こそ 降る如し 一人かも寝る 故郷偲ぶ
つきみれば ゆかにしもこそ ふるごとし ひとりかもねる ふるさとしのぶ

           靜夜思
            
             唐・李白

        床前明月光,疑是地上霜。
        舉頭望明月,低頭思故。

 注:1、今日は李白の名詩・「靜夜思」を短歌化してみました。
   2、僕は日本人ではありませんから、原詩の思いをどれぐらい伝えていくのかが分かりません。
   3、李白:(701~762)盛唐の詩人です。字は太白で、青蓮居士と号します。唐代詩人の中でかなり名高いですから、「詩仙」の尊称があります。
   4、原詩の「地上霜」から見れば、詩人はどこで立っているのかがはっきり分からないんですが、僕の考えでは、多分ある楼の二階あるいは二階以上でしょう。なぜかというと、何とか詩人が月を眺めると、詩情が沸き上がりましたでしょう。そうしたら、どこよりも高い所がもっと適当でしょうか。高い所がもっと詩的だと思います。宋・蘇軾の「水調歌頭」には「高處不勝寒。(高き處 寒さに勝てず)」という句があります。なので、短歌の中で「地上」でなくて、「床」を選びました。


江雪

2007年06月27日 12時15分02秒 | 俳句和歌
山々や 鳥も影なく 雪寒し ひとりかも釣る 簑笠翁
やまやまや とりもかげなく ゆきさむし ひとりかもつる みのかさおとこ
    
              江雪

         千山鳥飛絶,萬徑人蹤滅。
         孤舟簑笠翁,獨釣寒江雪。

注:1、柳宗元:中唐の詩人。773年~819年。字は子厚。山西省の人。韓愈と並んで古文運動を提倡した。
  2、和歌の「掛詞」は一つある。「蓑笠」は「みのかさ」と読むが、「身の笠」でもいいと思う。特に本作の中では、山々の中で、笠の下に身を隠していた男の姿が連想できるかも。勿論、日本和歌の中にこの掛詞はあるかどうか分からないが、無ければ、中国式掛詞と考えればいいかも。
  3、本作のキーワードは「独釣」である。魚などがあるかどうかはまずほっといて、独りで釣る心境が最高だ。その男の目には魚なんてないかもしれぬ。ただその小船に腰をかけて、雪風景と釣りを楽しんでいるかも。



虞美人

2007年06月26日 13時06分35秒 | 俳句和歌
花知らん 名月知らん 吾が故国 亡き憂い知らん 春水ながし
はなしらん めいげつしらん わがここく なきういしらん はるみずながし

             虞美人
                ーー李

春花秋月何時了,往事知多少。小樓昨夜又東風,故國不堪回首 月明中。
雕欄玉砌應猶在,只是朱顏改,問君能有幾多愁。恰似一江春水 向東流。

 注:1、李(937年~978年)は南唐最後の国主である。それが故に、南唐後主と呼ばれる。初めの名は従嘉で、961年にと改める。字は重光で鐘隠と号する。
   2、本作は、亡国の名詩として世に知られた。特に「問君能有幾多愁。恰似一江春水 向東流。」は名句なので、高校入学試験の問題にすることもしばしばだ。
   3、歌末の「ながし」が「流し」、「長し」のどちらでもいい。

紅楼夢における短歌シリーズ「晴ぶんの歌」

2007年06月19日 01時00分40秒 | 俳句和歌
彩雲や 雨上がりける 月偲ぶ 多情な公子 散りたる君へ
さいうんや あめあがりける つきしのぶ たじょうなこうし ちりたるきみへ

             晴雯・判詞   
 霽月難逢,彩雲易散.心比天高,身爲下賤.風流靈巧招人怨.壽夭多因譭謗生,多情公子空牽念.

 注:1、晴雯は宝玉の侍女で向日葵(僕)の大好きな紅楼人物でもある。短気で何事に対してもはっきりと自分の意見や考えを主張するまっすぐな性格で、何だか僕はこの点が、一番好きなのだ。僕の恋人も晴雯のような女子ならば、うれしく存じる。
   2、以下は判詞を説明する。「霽月」は雨上がりの美しい月で、このような月景色はとても稀だそうだ。後の「彩雲散るは易し」の「彩雲」と共に、晴雯のたとえやイメージになる。
   3、歌末の表現「散りたる君へ」の「散る」とは、ただ冒頭の「彩雲が散った」を指すだけでないのだ。王善保の妻の悪口で王夫人の怒りをかい、邸を追い出されました。病気と失意で死亡した。宝玉がその死を悼んで芙蓉の花の前でお祈りをした。だから、芙蓉の花が晴雯の化身とされるのも疑いがないんだ。すなわち、歌末で「散りたる」を通して、「芙蓉の花が散った」という含みもあると、僕の愚見である。もとろん、紅学研究者らの分析の中で、この芙蓉の花が散るでなく、彼女の化身としてまた黄泉の世界で咲いていたという説もある。

紅楼夢における短歌シリーズ「紅豆の歌」

2007年06月18日 11時46分53秒 | 俳句和歌
網戸にて 相思の涙を 流したる 紅豆映した 菱花鏡
あみどにて そうしのるいを ながしたる あずきうつした ひしがたかがみ

              紅豆詞

 滴不尽相思血泪抛紅豆,開不完春柳春花満画楼。睡不穏紗窗風雨黄昏後,忘不了新愁与旧愁。咽不下玉粒金純噎満喉,照不尽菱花鏡里形容瘦。展不開的眉頭,捱不明的更漏。呀,恰便似遮不住的青山隠隠,流不断的緑水悠悠。

 注:1、中国古典文学の中、特に詩詞の中で「アズキ(紅豆)」が相思相愛の象徴として多く知られた。その別名は「相思子」で唐・王維の名詩「相思」がある。「紅豆 南国に生じ、春来 幾枝か発す。願わくは君 多く采り摘めよ、此の物 最も相思わしむ」(ひとよがりの「漢詩紀行」より)
   2、本作の「紅豆詞」は紅楼夢の主人公・賈宝玉が宴会で歌っていた「酒曲」のようなものであった。ヒロインである林黛玉への相思の思いをこの曲に託して表した。
   3、また、本作における「紅豆」は林黛玉の化身あるいはイメージとされると、私は思う。涙がちの彼女の神経過敏の姿や恋心を菱花鏡に映した。

紅楼夢における短歌シリーズ「迎春の歌」

2007年06月17日 20時01分38秒 | 俳句和歌
池一夜 秋風寒く 深窓女 碁盤汚した 燕泥かな
いけいちや あきかぜさむく しんそうじょ ごばんよごした つばめどろかな

         紫菱洲歌
   池塘一夜秋風冷,吹散芰荷紅玉影。
   蓼花菱叶不勝愁,重露繁霜圧繊梗。
   不聞永昼敲棋声,燕泥点点汚棋枰。
   古人惜別怜朋友,况我今当手足情!

 注:1、賈赦(父)が妾腹の迎春(娘)を孫紹祖に嫁がせましたため、大観園の紫菱洲(迎春の住所)が空き巣になりました。そこを賈宝玉(賈政の息子、迎春の従兄弟で作品の主人公でもあります)が毎日ぶらぶらして散歩に来ました。池の枯れ蓮を目にしながら、従姉妹である迎春のことを思い出しました。それに、春の燕泥で汚れた碁盤を見ると、更に迎春と碁をうつことまで思い出しました。
   2、以上の「紫菱洲歌」を基にして、その大文字の短歌を詠みました。ちょっと説明したいことがあります。中国語の原詩には霜に覆われた枯れ蓮などが描かれましたが、「池」から連想できると思われます。ですから、短歌に蓮や露などがありませんでした。それに、「深窓女」は勿論「迎春」のことを指します。
   3、「秋風」と「燕泥」は違う季節のもので、かの短歌で同時に出てくるのはなぜだろうという疑いを持つ方がいると思います。「燕」は渡り鳥なので秋の時南へ越冬に飛んで去りました。今目にするのは春の時残された燕泥です。つまり、迎春との離別は春の時でした。今は秋なのに、古い燕泥は見られます。ところが、従姉妹の迎春はもう身にいなくなりました。
   4、迎春と碁を打ったことがありますから、短歌の中の「碁盤」は彼女の化身あるいはイメージとされます。すなわち、「碁盤」を見て、迎春の姿が目の前に浮かび上がられます。しかし、実際に迎春はもう他人の花嫁になってこの大観園の紫菱洲を離れました。体がもう汚れた碁盤のようなものになりました。

最近の俳句

2007年04月21日 11時22分54秒 | 俳句和歌
恩知らず 一人の夜中 蝿を打つ
                07-4-20夜、西安にて

浮く魚の緑町や 蓮の花

ざっと去る 田植えの影に 赤車体

草花や 碑のなき塚を 天国に

注:緑町は中国広西南寧の美称で、この間そこへ院試の面接を受けにいきました。
南方なので、田植えや蓮の花がたくさんあります。美しいです。

禁忌八条

2006年11月08日 14時41分44秒 | 俳句和歌
禁忌八条
俳句を詠むときで避けるべき八ヶ条

無季の句を詠まない
重季の句を詠まない
空想の句を詠まない
や・かなを併用した句を詠まない
字あまりの句を詠まない
感動を露出した句を詠まない
感動を誇張した句を詠まない
模倣の句を詠まない

 「感動を露出した句を詠まない」とはいったいどういう意味でしょうか。誰かが教えてくださいませんか。俳句を作る目標は人々を感動させることでしょう。なぜ、ここで「感動を露出した句を詠まない」を挙げていますか?


俳句一首

2006年10月28日 13時38分49秒 | 俳句和歌
           汽車に梨とともに寝てる一男子
        「きしゃになしとともにねてるいちだんし」

  注:梨は中国語で[li]と読んで離別の「離」と同じ発音であり、秋の季語でもある。

以下の文章は私の恩師であるキタムラ先生に。

              夏の思い出
 私が物心つく頃、おばあさんがずっと身近だった。学校の夏休みはいつも長かった。だから、よくおばあさんの実家に行って夏を過ごしたものだ。
 隠れ里だから、バスに一時間乗った後、更に三時間歩かないと行けなかった。私はバスがいやだったから、この三時間はいつも楽しみにした。峠を越えたり小川を渡ったりして、とても面白かった。野良道のそばに色とりどりの花が咲き乱れ、野生の青いリンゴもいっぱい枝に実っていた。ときに牛飼いのお兄さんと会ったことがある。いつも葉笛を作ってくれた。私はうまく吹けなかったが、緑の葉からの自然の清純さを持つきれいな音がとても好きだった。
 時に四、五時間もかかって村についた。ずっと田舎にくらしていたおじさんがいつも村のはずれに待って迎えに来たのだ。そしていつも晩御飯の頃だった。
 岩と黄土の山に隠見した村はおばあさんの実家だった。迎えに来たのはいつもわたしの二番目の叔父だった。田舎の晩御飯は町よりそんなに豊かではなかったが、あっさりした自然の味だったから、いつも茶碗の底も見えるほど食べてしまった。オンドルのそばに名が「虎子」という老犬がいつも静かに寝ていた。どうも私に冷淡な態度だなと思った。
 食事後、おにごっこの時間になった。隣の仲間が十七、八人で組に分けて遊び始めた。今でも、私はその無気味なお化け屋敷のような廃墟をはっきり覚えていた。
「路路、帰りなさい」とおばあさんの声が遠くから耳に入った時、みんなが「狼が来た。狼が来た。帰ろう帰ろう。」と歌いながら、それぞれ自分の家に戻っていった。私が冷たい井戸の水で体を洗ってオンドルの上に体をのばして、とてものびのびした気持ちだった。おばあさんがこのときいつも怪談物を話してくれた。人間の皮を着て青白きインテリを化かす狐とか、おにごっこの子供を食う物凄い妖怪とか、とても面白かった。物語を聞きながら、僕は夢を見はじめた。
 朝はいつも朝寝坊をした。「おきなさい、おきなさい。太陽に笑われるよ。」というおばあさんの声がいやだった。ご飯を食べて、いつも西川に遊びに行った。空き瓶をもって、魚や川の蝸牛を取ったり水合戦をしたりした。名の知らない細長い水中の虫が澄んでいる空き瓶で一生懸命に踊る姿がとても面白かった。
 夏休みがいつも楽しかったが、終わりにいつも大変だった。問題は宿題だった。徹夜で三、四十編の日記をつけたり、同じ内容を何回も書いたりしたものだ。その中にたくさん書いたのはおばあさんの実家の出来事だった。
 昨年、私は昔と同じように叔父さんの家に行った。同じところだったが、祖母がいなくなった。同じ夏休みだったが、思い出がちがう。
                               2005年6月25日