歸歌 2008年07月10日 11時36分21秒 | 俳句和歌 歸歌(1) 子規夜啼聲聲慢,竹篁瑟瑟牧青蝉, 回眸蓮池映心月,夜長蛙聲送我還。 不如帰 良宵鳴きつつ 竹に蝉 ふりさけ見れば 池の月かな ほととぎすよきよなきつつ たけにせみ ふりさけみれば いけのつきかな 歸歌(2) 暮色遲遲霞光藹,晩風習習傳信來。 歸期匆匆在明日,遙盼朗朗月如黛。 ゆふされば かすみにしみて 夜風吹く 古都の御月ぞ 青黛なりける ゆふされば かすみにしみて よかぜふく ことのおつきぞ まゆげなりける
芙蓉帰歌 2008年06月27日 16時25分58秒 | 俳句和歌 蓮池の 心ぞ知らぬ 明月からは 蛙歌こそ あわれなりけれ はすいけの こころぞしらぬ つきからは かえるうたこそ あわれなりけれ 注:1、蓮池の心さえも知らない、池の表に姿を映した明るい月の影の下から伝えてきた蛙の歌はとてもあわれである。 2、「蛙」は「帰る・変える」に掛けている。 3、来月4日、帰省する予定で、夏休みを楽しみに。 4、この歌をわがあじゅんま先生に送ります。先生、いつも応援してくださって、ありがとうございます。 「淑女素顔図」 「三姉妹御図」 「芙蓉薫香図」 「碧雲彩霞図」 「臨風踊子図」 塾で知り合った教え子から送ってくれた蓮の写真。 名は面白半分でつけたもので大したものではない。
中国古典詩歌における俳句化(呂) 2008年03月21日 10時43分23秒 | 俳句和歌 閨 怨 王昌齢 閨中少婦不知愁,春日凝妝上翠樓。 忽見陌頭楊柳色,悔教夫婿覓封侯。 憂さ知らぬ いと清げなる 春の糸 注:春の糸は柳を表現するほか、またその憂鬱な女子の髪の毛をも表現する。
中国古典詩歌における和歌化(伊) 2008年03月18日 12時14分58秒 | 俳句和歌 春曉 孟浩然 春眠不覺曉,處處聞啼鳥。 夜來風雨聲,花落知多少。 曙の鳥鳴きつつや落つる花いかに久しき雨とかは知る 注:暁より曙をえらぶのは「枕草子」の冒頭文が連想できるだからであろう。「春は曙。」である。だから、季節を言わなくても春だということが分かると思う。「曙」は「暁」よりやや早い。原詩の「不覺曉」からすれば、確かに「寝坊した」が、ここでは「あけぼの」のほうがもっと日本的であろう。
蝶々の長き道 2007年12月17日 17時15分27秒 | 俳句和歌 からからと 枯葉を踏むや 長き道 からからと かれはをふむや ながきみち 南国とはいえ、一ヶ月間雨がふらないと、乾燥である。日曜日の午後、一人でその枯葉に覆われた長き道を歩きながら、くちゃくちゃした枯葉の「からから」を聞きながら、長道の尽きるところをじっと眺めるのも心地良かった。 黒蝶や 落ちたる香こそ 偲びけれ くろちょうや おちたるかこそ しのびけれ この南国地方では、黒き蝶々の姿がよく見える。今のような季節でも時々見られる。その黒き翅をばたばたさせるのも季節に相応しい美しい光景であろう。なんだか落ちた花を偲ぶように、蝶々は黒き服装をして、なくなった花の「葬式」に参るような感覚である。
柱と桂 2007年11月19日 18時12分23秒 | 俳句和歌 図書館の 柱ぞ高き 桂の香 としょかんの はしらぞたかき かつらのか 夜十時。図書館の出口にて、高き柱を目にしながら、桂の香りがするのはなんとなく趣がある。涼しい風が手触りのいい高柱の間を通して頬を撫でているのは尚更だ。桂の宮の中にいるように感じられる。
「長恨歌」 2007年11月02日 12時39分27秒 | 俳句和歌 秋雨や 口ずさみたる 長恨歌 最適秋雨夜、常吟長恨歌 注:1 白居易:中唐の詩人。772年~846年。字は楽天。号は香山居士。 2 長恨歌:百二十句からなる古詩。玄宗皇帝と楊貴妃との物語を歌いあげた詠史詩。 3 秋雨の中を傘差しで歩きながら、「長恨歌」を口ずさんでいる夕べだった。特に最後の幾文を心こめて詠めば、わびしいと感じる。 4 臨別殷勤重寄詞,詞中有誓兩心知。 七月七日長生殿,夜半無人私語時。 在天願作比翼鳥,在地願爲連理枝。 天長地久有時盡,此恨綿綿無絶期。 別れに 臨みて 殷勤に 重ねて 詞(ことば)を寄す, 詞中 誓ひ有り 兩心のみ 知る。 七月七日 長生殿, 夜半 人 無く 私語せし時。 「天に在りては 願はくは 比翼の鳥と 作(な)り, 地に在りては 願はくは 連理の枝と 爲(な)らん。」 天は 長く 地は 久しきも 時 有りて 盡く, 此の 恨は 綿綿として 盡くる期 無からん。 ーー訳・「詩詞世界」より引用
パパイア投げ 2007年10月23日 18時03分24秒 | 俳句和歌 名月に パパイア投げや 仲良きぞ 投我以木瓜,報之以琼琚。匪報也,永以為好也! 投我以木桃,報之以琼瑶。匪報也,永以為好也! 投我以木李,報之以琼玖。匪報也,永以為好也! --「詩経・衛風」 亜熱帯気候圏に属する広西には、パパイアという植物がある。英名:papaya、学名:Carica papaya)。パパイア科パパイア属の常緑小高木。あるいはその果実をも指す。チチウリノキ(乳瓜木)、モッカ(木瓜)の別名もあるらしい。(wikipediaより) 近頃はパパイアをよく食べる。それに、食いながら頭には以上の詩歌が浮かんできた。恋の歌である。また、衛国の人々が斉桓公の救国之恩を返すため、この詩歌を歌ったという説もあるらしい。 「我にパパイアを投げてくれて、嬉しいです。お礼として君に美しい玉を送りします。それが恩返しではなくて、これから永遠に仲良くしましょう。」という含みであるようだ。 夜10時、図書館から帰り途中、パパイアを一個買って月の下を歩きながら食べるのもおもしろし。
十月の句(2) 2007年10月18日 12時46分20秒 | 俳句和歌 物言わば 敗荷知らむ 水寒し (物似有情欲言説、残荷亦知秋水寒) 十月の句 2007年10月16日 18時15分54秒 | 俳句和歌 長夢や 良き国見れど 落つる月 (佳国犹在長夢里、却見明月落中天) 田舎小景之俳句(波) 2007年08月18日 18時17分52秒 | 俳句和歌 姫百合や 黄土に根ざす 美人かな 漢訳:「山丹丹花開紅艶艶」 ひめゆりや こうどにねざす びじんかな 注:我が故郷・延安は中国陝西北部の広大な黄土高原に位置する。乾燥且つ堅い黄土地に、真っ赤な「山丹丹」(学名:ひめゆり)という花がアチコチに根を深く差して咲き乱れている。厳しい自然条件や気候を前しても、山丹丹花が雨にも砂嵐にも負けずに時長く生きている。それで、人々の性格を持つかのように、民謡や民話には山丹丹花が、丈夫でたくましい存在として知られた。 漢訳・「山丹丹花開紅艶艶」は歌名。中国労農赤軍が陝北に進駐後、毛沢東主席や中央政府を謳歌するため、芸術家らがこの歌を創作した。陝北婦人(我が方言では「婆姨」とも呼ぶ)の美しさや強さのシンポルとして中国に知られた。歌名には「花開」があるが、俳句に「根差す」を使うのは、ある意味で、「根差す」が強い力、あるいは丈夫で困難に負けないような印象が強くて深いからである。 田舎小景之俳句(呂) 2007年08月17日 17時22分11秒 | 俳句和歌 碾き臼や こつこつ響く ロバ蹄 漢訳:驢児碾台勤労作、咯噔咯噔蹄音響 注:中国西北農村でよく見られる風景の代表。石の臼をまわってこつこつと働く驢馬の様子を目にすると、ふっと以上の句が湧き上がる。 田舎小景之俳句(伊) 2007年08月16日 21時41分37秒 | 俳句和歌 古井戸の 苔生石や 時流れ ふるいどの こけはえいしや ときながれ 漢訳:悠悠古井石生苔 荏苒歳月光流転 七夕の「団欒」 2007年08月14日 11時40分55秒 | 俳句和歌 カササギや 橋はどこまで 雨を待つ 日本では、盆踊り、帰省ラッシュ、花火、墓参、怪談などが夏のキーワードで、ニュースや新聞コラムなどに充満している。 中国では、特別な活動や行事はないらしい。しいて言えば、「七夕」が一つ。夕涼みをしながら、天の川の両岸に向かい合う「牽牛」と「織女」を眺める記憶だった。 大気汚染のせいか、今は望遠鏡でないと、ほとんど見えなくなる。見えなくなるより、「見たくない」や「忙しくて見る暇さえない」のがもっと適当であろう。そして、伝説上では、二星が「カササギ橋」を渡って会えるという。しかし、カササギの数が激減している今頃では、群の「カササギ橋」をかけるのも無理で難しくなるだろう。 環境や野生動物を保護しないと、「牽牛」と「織女」は会えないだろう。伝説の悲劇を二度と繰り返さないため、今から環境保護を徹底しよう。本当に離別の苦を座視するに忍びない。 今週19日は「七夕」である。その日、きっと雨が降るという旧説があるらしい。その雨は「団欒の嬉し涙」と「カササギの汗」だそうだ。今年は雨が降るかどうかまだ分からない。カササギや、橋はどこまで進むのか、僕は雨を待っているから。 尋隱者不遇 2007年07月08日 11時40分19秒 | 俳句和歌 松下に 行方聞けども 雲深し 薬取るてふ この山中に 尋隱者不遇 賈島 松下問童子,言師採藥去。 只在此山中,雲深不知處。 注:1、賈島:中唐の詩人。779年~843年。字は浪仙。「推敲詩人」とも呼ばれる。 2、題は「尋隱者不遇」なので、詩の中にはきっと「隠逸生活」を表現する言葉がある。それは「雲」である。そして、「松」という木はよく仙人や隠居などのお住まいに植えてある。高雅や幽玄のイメージに特徴がある。 記事一覧 | 画像一覧 | フォロワー一覧 | フォトチャンネル一覧 « 前ページ 次ページ »
田舎小景之俳句(波) 2007年08月18日 18時17分52秒 | 俳句和歌 姫百合や 黄土に根ざす 美人かな 漢訳:「山丹丹花開紅艶艶」 ひめゆりや こうどにねざす びじんかな 注:我が故郷・延安は中国陝西北部の広大な黄土高原に位置する。乾燥且つ堅い黄土地に、真っ赤な「山丹丹」(学名:ひめゆり)という花がアチコチに根を深く差して咲き乱れている。厳しい自然条件や気候を前しても、山丹丹花が雨にも砂嵐にも負けずに時長く生きている。それで、人々の性格を持つかのように、民謡や民話には山丹丹花が、丈夫でたくましい存在として知られた。 漢訳・「山丹丹花開紅艶艶」は歌名。中国労農赤軍が陝北に進駐後、毛沢東主席や中央政府を謳歌するため、芸術家らがこの歌を創作した。陝北婦人(我が方言では「婆姨」とも呼ぶ)の美しさや強さのシンポルとして中国に知られた。歌名には「花開」があるが、俳句に「根差す」を使うのは、ある意味で、「根差す」が強い力、あるいは丈夫で困難に負けないような印象が強くて深いからである。
田舎小景之俳句(呂) 2007年08月17日 17時22分11秒 | 俳句和歌 碾き臼や こつこつ響く ロバ蹄 漢訳:驢児碾台勤労作、咯噔咯噔蹄音響 注:中国西北農村でよく見られる風景の代表。石の臼をまわってこつこつと働く驢馬の様子を目にすると、ふっと以上の句が湧き上がる。
七夕の「団欒」 2007年08月14日 11時40分55秒 | 俳句和歌 カササギや 橋はどこまで 雨を待つ 日本では、盆踊り、帰省ラッシュ、花火、墓参、怪談などが夏のキーワードで、ニュースや新聞コラムなどに充満している。 中国では、特別な活動や行事はないらしい。しいて言えば、「七夕」が一つ。夕涼みをしながら、天の川の両岸に向かい合う「牽牛」と「織女」を眺める記憶だった。 大気汚染のせいか、今は望遠鏡でないと、ほとんど見えなくなる。見えなくなるより、「見たくない」や「忙しくて見る暇さえない」のがもっと適当であろう。そして、伝説上では、二星が「カササギ橋」を渡って会えるという。しかし、カササギの数が激減している今頃では、群の「カササギ橋」をかけるのも無理で難しくなるだろう。 環境や野生動物を保護しないと、「牽牛」と「織女」は会えないだろう。伝説の悲劇を二度と繰り返さないため、今から環境保護を徹底しよう。本当に離別の苦を座視するに忍びない。 今週19日は「七夕」である。その日、きっと雨が降るという旧説があるらしい。その雨は「団欒の嬉し涙」と「カササギの汗」だそうだ。今年は雨が降るかどうかまだ分からない。カササギや、橋はどこまで進むのか、僕は雨を待っているから。
尋隱者不遇 2007年07月08日 11時40分19秒 | 俳句和歌 松下に 行方聞けども 雲深し 薬取るてふ この山中に 尋隱者不遇 賈島 松下問童子,言師採藥去。 只在此山中,雲深不知處。 注:1、賈島:中唐の詩人。779年~843年。字は浪仙。「推敲詩人」とも呼ばれる。 2、題は「尋隱者不遇」なので、詩の中にはきっと「隠逸生活」を表現する言葉がある。それは「雲」である。そして、「松」という木はよく仙人や隠居などのお住まいに植えてある。高雅や幽玄のイメージに特徴がある。