観光客でにぎわう京都三条通り。アーケードのある通りを越えて西へ向かうと、麩屋町通りとの交差点の少し手前の雑居ビルの外部にある階段の下に何やら由来のありそうな石が一つポツンと建てられている。石の左側には弁慶石と書かれた石碑が立っている。
この何の変哲もない石であるが、どうやら源平合戦で名高い武蔵坊弁慶と因縁のある石であるらしい。調べてみるとこんな話が伝わっている。
武蔵坊弁慶は、幼少の頃三条京極に住んでいて、この「弁慶石」をとても気に入っていたらしい。奥州平泉で立ち往生を遂げた弁慶を慕って、この石は一旦奥州の高館というところに運ばれたという。しかし、しばらくすると、突然、この石が、三条京極に戻りたいと声をあげ、同時に高館で熱病が流行った。そのため、土地の人は、この石の祟りかもしれないということで、この石をふたたび三条京極まで運んできたそうだ。何とも心優しき人々である。
その後、その弁慶石にちなんで、弁慶石のあるあたりを弁慶石町と呼ばれるようになり、今でもその地名は残っている。
なお、弁慶石自体は、その時からずっとこの場所にあるのではなく、近くの誓願寺の庭に置かれていたり、洋服屋の店先にあったりしたそうだ。平成の世になって、この雑居ビルの階段の下に置かれるようになったらしい。結構、流浪の石なのである。
この石に男の子が触ると力持ちになるとか、火事や災難から逃れることができるという言い伝えもあるそうだ。
この弁慶石については、比叡山から弁慶が放り投げた石がこれであるとか、平泉で亡くなった弁慶がこの石に変わったとかいろいろな説がある。面白いところでは、この近くに住んでいた弁慶〇〇左衛門という大工の家も前にあった石だというのもある。
まあ、いろいろな伝説はあるのでしょうか、実際に地名にまでなっているというところで、この石が古くから地域の人たちによって守られてきたのであろう。
ただ、この石のあるの前を数多くの人々が行きかっているが、ほとんどの人は、この石に目もくれることなく通り過ぎている。京都には、いろいろな謂れのある石碑等が数多く立っており、京都で生活している人たちは、そういうのに慣れてしまって、気づかなくなっているという話もありますね。(笑)
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