
京都、大原へは、三条京阪駅から、少し歩いて川端通沿いにあるバス停から京都バスに乗っていった。バスの中で、後ろに座った外国人の観光客がうるさいことうるさいこと。自分の取った写真を見せたいのだろうが、頭越しに、その外国人の連れに見せようとするもんだから、もう迷惑。日本に来て、こんないい写真が撮れてうれしいというのはわかるけど、人の迷惑を考えて欲しいなあと思いながら、バスは、三宅八幡、八瀬と通っていく。この道は若狭街道と言われ、福井県の小浜市の方に抜ける道で、近年、鯖街道とも言われている。途中、文徳天皇の皇子、惟喬親王が隠棲した小野の里を通る。木地師の祖との伝承を持つ皇子であり、その伝説は貴種流離譚に一つとして挙げられている。
バスは、1時間ほどで大原のバス停に着く。そういえばここもまだ京都市なのである。京都市の市域もかなり広いことを痛感する。
荷物を、コインロッカーに入れ、さあ大原へということで、ここでやらかしてしまった。何とデジカメをカバンの中に入れたまま、コインロッカーの鍵を閉めて出発してしまった。サイテーと思いながらも、三千院に向けて歩き出した。
三千院への参道の入り口に、赤紫の紫蘇畑があった。畑の畝の上にきれいな赤紫の葉が植わっている。きれいなものである。この紫蘇は、しば漬けに使われるんだろうけど、残念ながら僕はしば漬けダメなんだよなあ。この紫蘇畑は、格好の写真スポットになっているようで、件の外国人の二人連れもここで写真を撮っていた。
ちょうど、その前には、大原を有名にした歌謡曲「女ひとり」の歌碑が建っている。この歌、僕もそれとなく知っている歌なのだが、実は1965年に発表されたものであり、何と僕が生まれる前の歌なのである。25年ほど昔、学生の頃に、大原に来た時は、参道沿いにある土産物屋からこの歌がずっと流れていたなあ。
さて、三千院である。青蓮院、妙法院と並んで天台宗の三門跡と言われている。
三千院というお寺が平安時代から、ずっとこの場所のあったと思いがちだがことはそう簡単ではないようだ。三千院という名称自体、明治に入って、この場所に定まってから三千院と名乗るようになったとのことで、それまでは、梶井門跡、梶井宮などと呼ばれていた。
梶井門跡の始まりは、平安時代、最澄が比叡山東塔南谷に建立した円融房が始まりだという。その後、近江国坂本に円徳院が建立され、円融院を本坊、円徳院を里坊とし、院政期に堀川天皇の皇子が最雲法親王が門主となり、以後門跡寺院となる。里坊の方は、その後京都の洛中に移り、船岡山の地にある時に応仁の乱で焼け、その後大原に移った。また本坊の方も、江戸時代までは、京都御所の東側、現在の京都府立医科大学のところにあったらしいが、当時の門主が還俗して、梨本宮を起したことにより、本坊を大原に写し、三千院と称するようになったとのこと。
三千院といえば、秋の紅葉のシーズン、紅葉の美しいところとして知られているが、5月ごろの若葉、新緑の頃も美しい。若々しい樹木の若葉の溢れかえるようなエネルギーを感じてしまう。萌え上がる新緑という感じだ。ちょうどその時に、訪れたので、一面萌黄色。見るからに森林浴という感じだ。
最初に、客殿に入る。有料だが抹茶を飲むことができる。客殿の廊下の端に座りながら、庭を眺める。
客殿のまわりの池泉回遊式の庭園は「聚碧園」と名づけられている。この客殿は、もともとは、大原里坊の政所であったようだ。
そして、客殿の南側の「瑠璃光庭」に取り込まれた形で、往生極楽院が杉木立の中建っている。往生極楽院は、浄土思想の流行を示す代表的な建築な建物として国の重要文化愛に指定されている。建物の天井が、船底をさかさまにしたようにくぼんでおり、直接天井裏が見えるような形になっておる。これは、小さい堂舎に、大きい仏像を入れるための工夫だとされる。
極楽往生院については、もともと三千院とは無関係に建てられたもので、院政期に、高松中納言実衡の妻、真如房尼が建てたものだそうで、三千院には、明治になってから境内に取り込まれるようになった。堂舎内には、国宝阿弥陀三尊仏が祀られており、この脇侍の勢至菩薩像と観音菩薩像の造形が少し変わっている。座禅ではなく、正座をしているのだが、少し腰が浮いて前かがみになっている。おそらく、阿弥陀如来と一緒に西方浄土から来迎している姿を現しているのだろう。また、阿弥陀如来坐像は、穏やかな顔立ちに定朝様を感じさせられる。
なお、往生極楽院には、堂舎の内部に壁画が描かれていた様子で、その復元した絵画を、宝物館に展示されている。
往生極楽院を出て、境内地を歩く、一面、苔と木の若葉の色で満ち溢れている。ふと足元をみると木や灯篭の下に小さいかわいらしい仏さまがいてる。
よく見ると新しい仏さまのようでもある。最近、造ったのかな?
また、しばらく歩くと、表面がかなり磨滅した石仏があった。
この仏さまは、大原の大仏と呼ばれ大原寺の遺仏だそうで、鎌倉時代の中期に造られたものなのだそうだ。別名売炭翁石仏ともいう。石仏の前を律川と呼ばれる川が流れている。大原の人々の信仰を感じされる。
このほか三千院には観音堂や金色不動堂などがある。写真は観音堂。
どちらも比較的新しい建物なので、残念ながら情趣が沸かない。
西門から出ると、始めに入った客殿が外から見えた。宝物殿にも入ったのだが、あんまり記憶に残っていない。
とにかく、緑の美しさがこのお寺の最高のポイントだと思う。
三千院の門前の参道。三千院の白壁、石垣が本当に立派。さすが門跡寺院という格式を感じさせるものがある。この辺りを桜の馬場というらしく。桜の名所となっている。当然、紅葉の季節も美しいようだ。新緑の季節は別として、都から少し離れ、人家がまばらな山里の風景、大人の女性がひとり旅をしているという景色が確かに似合う気がする。
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