本能寺を出て、寺町通をぶらぶらと古書店や鳩居堂などを眺めながら歩く。鳩居堂では、手紙バイキングなどとお洒落なことをしていた。そういえば、手紙というものを随分と長いこと書いていない。実家を出た当初は、母などからもらったりしていたのにね。メールやラインなどに置き換わってしまったのは、今になってみると非常に残念な気がする。手紙というツール出なければ伝えられない気持ちというものもあっただろうに。
寺町通から六角通を東に入り、河原町通に出る。すると河原町通ぞいに京都BALがあり、今は、その地下1階と2階に丸善が入っている。
僕が学生の頃(1980年代後半)は、河原町三条にあったのだが、2005年に閉店となり、その後2015年に京都BALで営業を再開している。
当時の京都の書店は、河原町通から四条通にかけて大きな書店が多数あり、書店街を構成していた。よく行っていたのはジュンク堂書店と駸々堂京宝店、とにかく本がずらりと並んでいて壮観だった。そうした中、結構好きだったのが、京都書院、あんまり大きくないのだが、芸術系や思想系、歴史系の本が中心で、サブカルにも強かった。
京都の書店には顔があるとその頃よく思っていて、平積みになっているような本は、ベストセラーや売れ筋の本もあるのだが、それらとはちょっと違う。そんな大衆受けするものではなくって、ちょっと大人な、深い中身の濃いような本も読んでみないかいと誘っているような感じがしていた。特に文学や思想系は、少し背伸びのしたくなるようなそんな本がよく置かれていた。(おりしも現代思想が少しブームとなっていて、僕ですら、宝島社から出ていた「別冊宝島 現代思想入門」や「現代思想の冒険」などを読んでいた。)
その当時は、これらの書店を覗いているだけで何時間も過ごせるぐらい面白かった。
その当時で、京都の書店文化の中心は丸善だったと思う。ちょっと丸善に行くのは敷居が高かった気がする。新書、文庫なんて他の書店で買えよ的なイメージがあった。
新しくなった丸善に入ると、やっぱり文庫本の棚には、ずらりと「檸檬」の本が並ぶ。
壮観であったし、ちょっと嬉しい気がした。
本棚には、檸檬を置くことができる籠とスタンプがあった。ここで「檸檬」が収録された文庫本を買うとスタンプが押せるのだな。ちょっと購買意欲がそそられる。
さらに地下2階に行くとエスカレーターのすぐ横に「檸檬」の本棚と小さな籠があり、檸檬が置かれていた。どうせなら小説のように美術書の上においてほしかったなあ。(もしかしたら、置いてあるのかもしれないなと後で思った。)
梶井基次郎が亡くなったのは、1932年の3月、90年ほども前のことだ。それほどの長い間、多くの人達に読み継がれている。梶井基次郎自身は、あまりにも短い作家人生ではあったが、檸檬という小説は、それとは真逆の時間を生きている。何とも皮肉なものだ。
それから、丸善の中の喫茶店には、レモンケーキがメニューにあった。ちょっと入ってみようかなと思ったのだが、待っている人が列を作っていたのでやめた。
メニューにはハヤシライスもある。(ハヤシライスの発祥は、丸善という説がある。)
丸善に入った時は、文庫本を買って檸檬のスタンプを押そうと思っていたのに、買ったのは野帳と雑誌PEN+「シンウルトラマンを見よ」、途中いろんな本を見ていてすっかり忘れてしまっていた。(笑)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます