
木造の十三重塔は、藤原鎌足の供養のため、678年に長男の定慧が建てたと伝わる。(ただし、現在の建物は再建)このあたりの真偽は、伝説の域を出ない。
また、談山神社には、別に石造の十三重塔があり、定慧の弟であり、藤原鎌足の次男、藤原不比等の墓所と伝わっている。残念ながら、見つけることができなかった。
この十三重塔は、初層の屋根は、大きく作られているが、それより上は、屋根と軒しかなく、屋根の先端は綺麗な直線を描いている。そのラインが非常に美しい。
ただ、この塔の中を登るという思想で作られたのではなさそうだ。
十三重塔の奥にあるのが、権殿と言われる建物。旧常行堂。平安時代に藤原伊尹により建立。のち永正年間に再建され現在に至っている。
権殿の裏に、御破裂山や藤原鎌足の墓所に通じる道があるのだが、かなり険しそうであったので、この日は断念。もう膝がガクガクだった。
その登山口のすぐそばに、龍神社と呼ばれる、小さな祠がある。
古代の磐座とのこと。この滝が、大和川の源流の一つらしい。この流れが、寺川となって、ずっと歩いてきた多武峰街道の横を流れて、初瀬川と合流して大和川になるのかな。
奥に見える小さな祠が、龍神社か。この場所は、パワースポットとして知られているようで、僕が行ったときも、お願い事をされている人が居た。
末社、比叡神社と呼ばれる。もとは飛鳥の大原にあったものを移築したらしい。江戸時代の建築で重要文化財となっている。
閼伽井屋。元和5(1619)年建立。これも重要文化財。昔、定慧が法華経を講じたとき、龍王の出現があったと伝わる。閼伽井屋とは、仏さまに備える水やお花を用意をするための施設だそうだ。
総社拝殿と言われる建物。これも重要文化財。何故か裏側の写真しかとっていない。
総社本殿。これは、昔の談山神社の本殿を寛文年間に移築したもの。これも重要文化財。
境内の至る所に、重要文化財に指定されている建築物がある。すべて朱塗りの建物で、いかにも神社の建築物らしい。
まだまだ、終われないので、その3に続きます。
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