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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

東山の天皇陵をあるく③ ~今熊野観音寺・後堀河天皇陵~

2020-04-12 23:37:50 | 史跡を歩く

 鳥戸野陵の参道から元来た道に戻り、さらに奥に入っていく。この道は、京都一周トレイルというトレッキングルートになっている。

 

 この道を歩いていくと泉涌寺の墓地の間を抜け、西国三十三か所観音霊場第十五番札所となっている今熊野観音寺の鳥居橋の下をぐぐって、その後、道を登って行って鳥居橋の正面にでる。

 

 この橋を渡って、今熊野観音寺の境内に入る。今熊野観音寺は、平安時代の初期、弘法大師空海が開基と伝わる。熊野権現の霊験による草創の伝説にちなんでか、平安時代末期には今熊野と呼ばれるようになり、後白河法皇によって熊野権現が勧請され、新那智山という山号を授けられ、寺号を観音寺と改められている。

 

 本尊は、十一面観音である。当寺を訪れた時は、平日であったためか、あまりお参りする人もなく、ひっそりとした感じであった。たぶん、休日などではバスなどに乗って、多くの老若男女が御朱印を求めてやってくるのであろう。

 本堂に上がって、ご本尊をお参りさせていただいたのち、本堂の裏の墓地の中へ入っていく。

 墓地の中には、藤原三代の墓と伝わる三基の宝塔がある。

 

 向かって左から、藤原長家、藤原忠通、慈円僧正の供養塔と伝わる。

 

 この宝塔を見て、再び境内に戻る。本堂の横にきれいな枝垂れ桜が一本、花を咲かせていた。

 

 今熊野観音寺がある場所も、鳥戸野の一角であり、鳥戸野の葬送については、当寺が取り仕切っていたらしい。そのためか、平安末期から鎌倉時代の天皇や貴族の墓所がこの周辺にある。先ほどの藤原三代の墓もこのことと関連しているのだろう。

 今熊野観音寺をでて、泉涌寺へ向かうが、まずは、その奥にある後堀河天皇陵へ向かう。

 

 後堀河天皇陵、またその奥にある孝明天皇陵へ向かう参道は、かなり道幅が広く、長い。途中泉涌寺の境内の桜が非常によく見えるスポットがあり、外国からの観光客が身を乗り出して写真を撮っていた。

 

 桜の向こうに見えるのは、泉涌寺の舎利殿である。

 さらに奥に行き、参道が二手に分かれ、左手の道を上に登っていく道を取ると後堀河天皇観音寺陵がある。

 

 後堀河天皇については、鎌倉時代の天皇。承久の乱で敗れた後鳥羽天皇の一統が立てた仲恭天皇が廃位となり、代わって即位した天皇である。父は、後高倉院と追号をおくられた後鳥羽天皇の兄守貞天皇である。

 

 後堀河天皇については、特に目立った事績はないが、23歳で崩御した後、観音寺の法華堂に土葬されたと伝わる。

 

 ただ、現在の御陵については、法華堂ではなく、古墳のような小さな墳丘があるのみである。調べると古墳時代の円墳ではないかと言われている。

 

 観音寺陵という名称がつけられているのは、観音寺の法華堂に埋葬されたという所伝によるのであろう。ここでも鶯の声が聞こえてきた。

 元来た道に戻り、参道をさらに奥へ行くと、孝明天皇陵がある。

 頑張っていきましょう。


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