花山天皇陵から北に向かい、北大路道を渡って、平野通を北上し、二つほど交差点を越えて、左に入ると、三条天皇北山陵が見える。 ここも花山天皇陵同様に閑静な住宅街の中にあり、目立たないようにひっそりと訪れる人もないような様子であった。 三条天皇は、前回に訪ねた花山天皇の弟で、父は冷泉天皇で、母は藤原兼家の娘藤原超子である。 一条天皇の譲位を承けて、寛弘8(1011)年36歳で天皇となった。ちなみに三 . . . 本文を読む
京都の春、ちょうど受験シーズンには多くの参詣客でにぎわう北野天満宮。 かくいう私めも、子どもたちの受験の時は、ここをお参りし、合格祈願のお守りを買い求めたものである。その事もずいぶん昔のことになってしまった。 北野天満宮も、学生時代から通学路みたいな形でよく通り抜けたものだ。 北野天満宮のすぐそばを流れる紙屋川沿いの小径を抜けて学校に通うのがお気に入りのコースだった。 その紙屋川を北へ登って . . . 本文を読む
渋谷向山古墳の前方部の周濠の道を挟んで向かいに上ノ山古墳がある。 渋谷向山古墳が東西を主軸にしているのに対して、上ノ山古墳は、主軸を南北に置いており、渋谷向山古墳と直交するような位置関係に所在している。 そして、渋谷向山古墳の周濠が、前方部の北側がかなり狭くなっているが、航空写真などを見ると、もう少し周濠の幅が広がっていてもよさそうな感じがする。 実際、発掘調査で上ノ山古墳の外堤と渋谷向 . . . 本文を読む
今回から、天理市にある柳本古墳群と大和古墳群に属する古墳を紹介していきたいと思う。 ちょうどなら芸術文化村で「山辺の古墳文化 大和古墳群と柳本古墳群」の企画展が行われており、それの連動企画であるというわけで。 渋谷向山古墳は、ちょうど国道169号線が、古墳のすぐ西側を通っており、非常にわかりやすい古墳である。また、古墳の東側は、古道、山辺の道のルートとなっている。 また、渋谷向山古墳 . . . 本文を読む
大安寺から南へ道路を渡り、元岩清水八幡宮の鎮守の森を通り抜けるとただっ広い空き地がある。その中に大安寺の東西の塔跡がある。
大安寺は、最近の発掘調査により、境内の真ん中を六条大路が通っており、その南側に塔を中心とする塔院があったと考えられている。
大安寺の塔は、大安寺が奈良に移転してから、天平10年頃に、あらかたの伽藍が整えられたのちに、東塔は奈良時代後半に、西塔は奈良時代の末期から平安 . . . 本文を読む
こんな幕切れがあったのかと唸ってしまう試合展開。今年のスーパーボウルも凄い幕切れだった。
前半は、両チーム、特に49ersのディフェンスの頑張りが、10-3で49ersが7点リードで折り返すという展開に結び付いた。
そして、後半、7点を追うチーフスは、まずスーパーボウルレコードとなるFGを決めて3点を挙げると続いて、QBマホームズがTDパスを決めて遂に逆転。マホームズがスクランブル気味に . . . 本文を読む
第58回スーパーボウル サンフランシスコ・49ersとカンサスシティ・チーフスの一戦は、前半を終了。 両チームのディフェンスの出足がよく、両チームがここという場面でファンブル等のミスで決めてを欠くなか、まず49ersがFGで3点を先制。 続く第2Q49ersがダブルパスのスペシャルプレーを決めて7点を追加し、ふ1 . . . 本文を読む
前回に引き続き大安寺という事で、やっと境内の中に入る。
大安寺の南門。ここから境内に入る。この門は、興福寺の旧一乗院の門を移築したものである。
ちなみに南門は、大安寺の南大門跡の上に建っている。
大安寺の歴史をおさらいしておこう。聖徳太子が建立した熊凝精舎が前身という言い伝えがあるもののはっきりしているのは以下の通り。
639年 百済大寺 建立
673年 高市の地 . . . 本文を読む
杉山古墳を出て、南へ向かって大安寺に向かう途中、大安寺北面中房跡と記された空き地があり、礎石と基壇が復元されていた。
奈良時代、大安寺には887人もの僧侶がいたらしく、その僧侶たちの住まいである僧房も東・北・西の三面に二重で建てられており、ここで復元されているのは、北側にあったものである。下の写真は北西中房である。
また、同じ場所に「旧大安寺村役場跡」と記された石碑も建ってい . . . 本文を読む
南都六大寺の一つ、大安寺から北へ150mほど歩いたところに杉山古墳があり、現在は、大安寺の旧境内の一部として、杉山古墳と大安寺の瓦を焼いた瓦窯跡である杉山瓦窯跡が公園として整備されている。
杉山古墳は、古墳時代の中期後半、5世紀の後半に築造された墳丘長約150mの前方後円墳で、先に紹介した野神古墳、大安寺墓山古墳とで大安寺古墳群を構成している。
もともとは現在は埋め立てられているが . . . 本文を読む
JR奈良駅の東側にある駅前広場の接して南北に通じている道路を南へ20分ほど歩き、左手にあるUR桂木団地を入ったところに、ポケットパークがあり、その中に柵に囲まれた場所がある。これが野神古墳である。
古墳と言っても、墳丘の上に小さな祠があるのみなので、古墳と言われないとたぶん古墳とはわからない様子である。
一応、前方後円墳と言われているが定かではない。現在は後世の削平をかなり受けてお . . . 本文を読む
西乗鞍古墳から道を挟んだ向かい側、天理市の浄水場の奥に二つの丘の高まりがみられる。
これが、小墓古墳と言われる古墳で、6世紀の前半、古墳時代の後期に築造された前方後円墳である。墳丘は三段築成であり、現在は全長80mほどであるが、本来は、周濠等を持つ全長95mを越える古墳であったと考えられている。航空写真などを見ると、墳丘の周りに周濠の跡が残っているのがわかる。
小墓古墳は、過 . . . 本文を読む
東乗鞍古墳から元来た道を戻って駐車場の方から西側に向かって歩いていくと、田んぼの中に西乗鞍古墳の姿が徐々に見えてくる。
西乗鞍古墳は、全長118mの二段に造られた前方後円墳である。航空写真などで見てわかるように、後円部に比べて前方部が大きく広がっており、古墳時代の中期の後半、5世紀末に築造されたと考えられている。
途中、天理環状線に交わり、そこで左折をして、南へ少し下ると公衆トイレ . . . 本文を読む
峯塚古墳からは、再び元の道に引き返したのち、杣之内の集落の中を横切って、2022年3月に開業したばかりのなら芸術文化村に立ち寄って、昼食を取る。
以前、ここに来た時に、これからめざす東乗鞍古墳の3D体験をさせてもらった。なかなか巨大な横穴式石室で驚いた記憶がある。周辺の古墳に関する企画展なども開催されており、これからちょくちょく立ち寄ることになりそうな施設ではある。(今は、「山辺の古墳文化― . . . 本文を読む
いよいよ峯塚古墳の石室に潜入することになる。この古墳の石室に入るためには懐中電灯かライトを手にして入っていく必要があるのは言うまでもない。
石室の入り口の辺りは少し土砂が流入して狭くなっているが、そこだけ用心すればあとは少し身を屈めるだけで進んでいける。
羨道部は、長さ6.65m、幅2.28mと長く、側壁は、一石を並べて構成されている。
羨道を抜けると玄室の広い空間に出る . . . 本文を読む