あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

陰と陽

2011-03-24 | 日記
クライストチャーチの地震と日本の地震の後で色々なニュースがあった。
ボクが感じたことは、ポジティブな面とネガティブな面が浮き彫りだって出てきたことだ。
人々が助け合い、各自が自分にできることをやっている。心暖まる話もあるし教訓のような話もある。
その反面火事場泥棒はいるし、マスコミは興味本位の報道から抜け出せない。
被災地に物資を送る動きもあれば、買い占めといったエゴ丸出しの動きもある。
命を救う活動をしているが、地球の裏側では殺し合いが続く。
今までもポジティブな事とネガティブな事は同時に存在したが、さらにそれが大きく別れて浮き出たような気がする。
よく思われていることで、ポジティブは良くてネガティブは悪い、そう考える人は多いと思う。
だが世の中の善悪というものは立場が変われば逆転する。
マイナス無しのプラスはありえない。
世の中には必要な悪というものもあるのだ。
それをネガティブ=悪と決めつけてしまう事の方が問題だ。

今のニュースでは原発が問題になっている。
こうなると世論は原発=悪となってしまうが、それもどうかと思う。
第一これだって今回のような事故がなかったら人々は真剣に原子力というものについて考えないじゃないか。
事故があったからこそ、というようにも考えられる。
病気にならなければ健康であることの有り難さを分からないのと一緒だ。
個人的には原発には賛成できないが、原発=悪という考えはおかしいと思う。
実際に原発で働いている人がいる。
原発ができることでお金をもらった人がいる、そのことで潤った地域もある。
原発で作った電気で人々は暮らしている。
それらを全て悪と呼べるか?
確かに情報をごまかして安全だと言い続ける人もいる。だがそれがまかり通るような社会を作ったのは誰だ?
今まで、情報は隠されたり改ざんされて発表されていた。
今は専門家がインターネットというもので情報を流し始めた。
みんなが原子力というものについて考える時が来たのだ。
過去を知る事は大切だがそれについてグチをこぼしても始まらない。
原発を作っちまったんだからしょうがない。しゃあないやん。
大切なのは今、そしてこれから。
今ある原発をどうするのか?そしてこれからまだ原発を作るのか?
今までだってスリーマイル島、チェルノブイリ、といった大きな事故はあった。
そういった過去を教訓にしないで人々は原発を作り使い続けてきた。安全と言いつつ…。
さてこれからどうするのかね。
僕達が試されている時が今なのだ。


『神との対話』から引用する。

世の中には正邪はない。が間違いはある。
間違いとは目的にかなった機能をしないことだ。
開閉しないドアは間違っているが、そのドアを悪とは言わない。

まだこれからポジティブとネガティブな事は色々と出てくるだろう。
ボクは出てきていいのだと思う。
ネガティブなことを悪だからと言って排除するのは間違っている。
だからと言って火事場泥棒を良しと言ってるのでもない。
人としてやってはいけないことはある。ただその人は真実に気付いていないだけだ。
陰と陽、プラスとマイナス、ポジティブとネガティブ、闇と光。全ては対で一つ。
それらを自分の物差しで善悪に分けず、全てをありのままに受け入れるのだ。
暗い闇があるのを理解しつつも、明るい光を見ろ。
暗い闇を見ていれば暗い未来が来るだろう。
明るい光を見ていれば明るい未来が来る。
大変なこの時期だからこそ、ではないか?
コメント (1)
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