あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

2024年 日本旅行記 4

2024-06-05 | 


白馬二日目は文字通り二日酔いで始まった。
午前中はオトシに観光がてら白馬村を案内してもらう。
先ずはオトシがやっているモンスタークリフという会社訪問。
東京で車の販売をやっていた彼が脱サラで白馬にスノーボード買取の会社を立ち上げたのが10年ちょっと前になるのか。
そんなものがビジネスになるのだろうかと思ったが、今ではスノーボードだけでなくスキー用品全般を扱うようになった。
9年前に来た時には家の一部を倉庫に使っていたが手狭になったのだろう、今は倉庫兼オフィスを持っていてそこを見学させてもらう。
オフィスのホワイトボードには買取時の注意事項や作業の手順等が書かれていて、スタッフもテキパキ働いていてきっちり仕事をしてる感にあふれている。
なかなかどうして立派な会社じゃあないか。
若い頃からヤツのちゃらんぽらんな部分とかいいかげんな所とかおっちょこちょいな所ばかり見ているので、ヤツなりにちゃんとやっているんだなぁと妙な感心をした。
もう何年前になるか覚えていないが、クラブフィールドをガイドした時にローカルの間で出回っているキングスウッドスキーに感化され、自社ブランドのスノーボードも作り始めた。
コンセプトは白馬のこの沢を滑るためのボードであったり、こういう状況で滑るためのボードといった、非常に狭い客層に向けた物を作り始め、今やそれがモノになりつつある。
会社の一部屋はサイドビジネスでやっている村ガチャというガチャガチャの商品が並んでいて、お土産に白馬村キャラクターのキーホルダーをもらった。
白馬に来るお客さんと村人を繋げる企画で、「一期一会を何度でも」というコンセプトで新しい社会での試みを試行錯誤しながら突き進んで行く。
夢を見てそれを現実化するには行動力というエネルギーが絶対的に必要であり、なおかつ家人や周りの人の支えも要る。
「そんなの上手くいくわけない」という声は絶対にあるだろう。
いつの世も新しいことをすると批判をする輩はいるが、そういうヤツらは自分からは何も生み出さない。
それより自分さえよければいいというエゴではなく、ここに来る人も村の人も地域全体もハッピーになるような心が原動力になっているのが素晴らしい。
真の愛とは誰も不幸せにならないことなのだ。
また会社運営とは別に、地元の人たちに呼びかけ地域のゴミ拾い活動なども行っている。
お調子者の一番弟子にかける言葉は「その調子でどんどんやりなさい」の一言である。



観光は続く。
青木湖、山の中の湧き水の場所などオトシがガイドとなり車で連れ廻してくれる。
ありきたりの観光スポットでないのがよろしい。
次に車を降り立ったのはとある神社の前。
周りだけ見ると過疎の集落といった雰囲気で、昔のスキー場の跡地もある。
雨降宮嶺方諏訪神社というのが正式名称らしいが、ここの杉がすごかった。
樹齢は1000年にもなるような大木がそびえ立ち、これぞまさに鎮守の森。
一際大きい御神木があり、神の木にふさわしい堂々とした姿だ。
社は大きくもないがとにかく森がすごいパワーを持っている。
観光地でもないので僕らの他に人影もなく凛とした空気が漂う。
ボーっと木を見ながらふと思った。
日本大丈夫じゃん。
悪いニュースはたくさん入ってくるけど、ここはやっぱり護られている国だ。



「日本は神の国である」と言っただけで叩かれた総理大臣がいたが、当たり前の事を言っただけである。
そいつがどんなアホでマヌケでトンチンカンな大馬鹿野郎か知らんが、この言葉だけは同意する。
日本には日本の神様がいて、八百万という言葉通りたくさんいて、それらの神様はこういう普段人が訪れない所にもいる。
もちろん伊勢神宮にも出雲大社にもいるが、それはこの国のツートップでありスポットライトが浴びやすい場所にいる話だ。
どの神社にも神はいて、それを支えているのは人の信仰心だ。
現にこの神社は手入れが行き届き、荒れ果てた雰囲気は微塵もない。
人があっての神であり、神があっての人。
そういうものじゃあないか。
たぶんこれからももっともっと悪いニュースは続くんだろうし血も流れるだろうが、最後の最後にはこういう氏神様に護られるというのが日本じゃないのかね。
それは想いというより確信に近い感情で、フッと肩の力が抜けるような安堵感、神の存在を感じるってこういうことなんだろうか。
この『日本大丈夫じゃん』という想いはこの後、日本を出るまで何回も感じることがあった。



さらに観光は続く。
大出公園という公園は桜がきれいで、白馬連峰と姫川と桜という景色が見れる撮影スポットでもある。
ここまで来ると観光客もチラホラと出てくる、どこにでもある田舎の風景だ。
そして線路を挟んだ駅前とは雰囲気が全く違うのに気がついた。
ひょっとすると鉄道ができる前はこっちが村の中心だったのかもしれない。
鉄道が通り道路が出来て、村の中心が駅前に移っていったのだろう。
駅前の雰囲気は昭和時代、高度経済成長からバブルぐらいのそれだ。
そしてスキーという文化なのか産業が発達して、今はスキー場の麓が賑わっている。
ざっくりとそういう歴史があったのだろう、ということで次なる観光スポットは観光協会の山とスキーの資料館である。
スキー場の山麓は観光客もスキー客も多いのだろう、今も新しいホテルなのか店なのかあちこちで工事をしている。
線路の向こう側の集落に住む人とスキー場近くに住む人では意識とか世界観も違うかもしれないな。
資料館には村の歴史の展示もあるが、スキー関連の展示がすごかった。
とりわけ山とスキーの蔵書の量がすさまじく、時間があるならゆっくり読みたい本が山ほどあった。



オトシは昼から仕事があるというので後で拾ってもらうことにして、弟子のトモヤと合流した。
トモヤの事も過去ブログで書いたから、気になる人は読んでいただきたい。

内弟子トモヤ

軽く飯を済ませスキー場へ。
この日はトモヤの友達のジャカも合流して、白馬47というスキー場で一緒に何本か滑った。
ジャカはロシアと日本のハーフで日本語は堪能、やはり白馬でスキーパトロールの仕事をしている。
ジャカルタに住んでいたのでジャカという安直なあだ名がついたようである。
去年ニュージーランドに滑りに来て、その時に一度だけ面識はある。
白馬47と五竜はてっぺんで繋がっていて、どちらにも滑って行けるスキー場だ。
シーズンも終盤の平日とあって人も雪も少なく、滑れる場所も限られている。
一生懸命滑るというより地形を見て山を見るのが主な目的だ。
五竜ではトモヤの双子の兄なのか弟なのか、ケイスケもパトロールで働いていてちょっと挨拶。
ケイスケも去年ジャカとニュージーランドに来て、我が家にも滞在した。
一卵性双生児というものがここまで似ているものなのか、ということを初めて目の当たりにしたがまあ面白いものだ。
二人とも白馬で働いているということもあって、よく間違われるそうだ。
よく推理小説とかの題材にはなるが、ナルホドだなぁ。
これなら替え玉試験とかもできるだろうし、悪だくみに使う人もいるだろう。
あとはそうだなぁ、兄弟の誕生日を忘れることがないという特性もあるな。



帰りはトモヤが車で送りがてら、僕に見せたい場所があるというのでちょっとドライブ。
行った先は山の麓の林道入り口。
一見なんてことのない場所だが、そこでスキーヤーならではの地形の説明を聞かせてくれた。
一言で言うと大きな標高差を滑って下の林道に出てこれるということだ。
山スキー、今ではバックカントリーと言うが、スキー場以外の山を自由に滑って常に問題なのが、滑るのはいいがどうやって戻ってくるかである。
ニュージーランドの場合は滑り終わってから道に戻ってくるまで、何十分も歩いたりもする。
時にはトレッキングブーツを持って行って、雪があるところまで滑りブーツを履き換えて歩くなんてこともある。
その感覚から見れば、滑って車の道まで出てこれるのはありがたい。
しかもゴンドラやリフトを利用して効率よく、なおかつでっかい斜面を滑っての話だ。
これはニュージーランド人に限らず世界中から人が集まるわけだ。
河口湖のオーバーツーリズムと同じ話で、それだけ魅力的だという話である。
そこで山をどれだけ効率よく、なおかつ最高の状況の斜面を滑るかということでガイドが雇われる。
自然相手のものだから雪の状況は毎日、いや時間によっても変わる。
スキーのガイドというのは地形や天気や雪質に精通していて、それでいて安全を問われる仕事だ。
夕食難民という言葉を初めて聞いたが、ガイドが不足するガイド難民というものもある。
ガイドがいないので地理や雪を知らない人が自分で山に入り事故になる、なんてこともある。
オーバーツーリズムという流れは今や誰にも止められないものだが、白馬でも色々な問題が起こりつつあるというのをトモヤの説明を聞いてあらためて感じるのである。







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