あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

ジャパントリップ 1

2009-10-02 | 
2006年2月
 西海岸からのバスは定刻通りクライストチャーチのバス停に着いた。
 窓の向こうにヘイリーの髭面の笑顔が見える。
 数ヶ月ぶりの再開に固い握手を交わす。
 まあ何はなくともまず一杯、ということでパブに向かう。都会の喧騒の中でこの男と向かい会って飲むのも悪くない。
 ビルの隙間から狭い青空が顔を覗かせ、スパイツオールドダークの苦味が場を盛り上げる。
「それにしてもクライストチャーチは都会だな。車が多いよ」
 西海岸に住む人がそう思うのも無理は無い。特にヘイリーの家の辺りは一日に車が数台しか通らない。
「今からそんな事言っててどうする。日本はこの数百倍の車の量だぞ」
「ヒュー、すごいな。ヘザーやブラウニーとは連絡を取っているか?」
「うん。ヘザーとは明日の朝オークランドの空港で落ち合う。ブラウニーは一昨日ぐらいに電話がきた。全て順調だって」
「うちにもメールが来た。カナダはすごい雪らしいな」
「今までの人生で一番深いパウダーだってよ。くそったれって言ってやった」
「グフフフ、日本もいい年なんだろ。JCから連絡はあるか?」
「いいや、ほとんどない。ヤツもお前さんと同じで連絡をしない男だからな、分かるだろ?」
「グフフ、まあな。クィーンズタウンの暮らしはどうだ?」
「今年はいいよ。忙しいのは相変わらずだけど、ヘナレの家の居心地が良くてなあ。湖とセシルピークとウォルターピークが見渡せるんだ。街に背を向けてるから街灯なども少ないし、気分は山小屋だ。ほとんど街には出ない」
「そうか。そうだろうな」
 87年、初めてワーキングホリデーでこの国に来た時、僕はクィーンズタウンのお土産屋で働いていた。ちょうどその年にヘイリーはクィーンズタウンでマオリの彫り細工をやっていた。その時には僕らは会っていないのだが、酔っ払うと「あの時はあそこにガラの悪い酒場があった」などと昔話に花をさかせるのだ。
 ヘナレとは僕のフラットメイト、日本語でいうと同居人だ。不動産業の傍ら夏はフィッシングガイド、冬はヘリスキーガイドをこなす。へイリーもヘナレもニュージーランドスキー業界で働く数少ないマオリだ。2人は数年前にブロークンリバーで会っており、お互いに良く知っている。
 僕はビールを呷り、続けた。
「それにな、隣にマオリの若いやつ等が住んでいて、これがまた良いんだよ」
「ほう、どんなふうに?」
「奴等はほとんど毎晩ギターを弾いてマオリの歌を唄うのさ。オレも教えてもらったけど難しくて唄えない」
「ヘナレは?ギターを弾くのか?」
「うん。だけど唄うのは英語の歌だ。ヤツもマオリの歌は唄えないって言ってた」
「オレもマオリの言葉は片言しか知らない。オレの祖父母の代には学校でマオリ語を話すと鞭で叩かれたそうだ」
「ひどい話だな。文化の破壊じゃないか」
「全くだ。今では娘たちの方がオレよりマオリ語を知っている。学校で習っているからな」
 ヤツはちょっと寂しそうに笑った。
 家へ戻るとヘイリーを見て深雪が飛び出してきた。
「オー、ミユキ、おじさんのことを覚えているか?」
「お前、覚えているだろ。ちゃんと挨拶をしろ」
 それでも娘は恥ずかしくてモジモジするばかりだ。
 まもなくスキークラブの主要メンバーのジョン、ブロークンリバーのスタッフなどが訪れ、家は一気に賑やかになった。知った顔が集り、娘は大喜びだ。
「ジョン、時間はあるんだろ。メシを食っていけよ」
「そんな、いきなり来て迷惑じゃないのかい?」
「なんのなんの。食い物はたくさんあるんだ。へイリーがホワイトベイトとアワビをどっさり持ってきたからな」
「そうか、じゃあご馳走になるよ」
 その晩は妻が腕を揮い、天麩羅やトンカツなどが食卓に並んだ。深雪は満足そうにホワイトベイトのてんぷらをほお張り、僕が見ていて呆れるくらいに良く食べた。僕もまけじと西海岸の味を堪能した。
 ブロークンリバーで出会った人達が集れば会話は自然とスキークラブの話になる。
「クレア(ジョンの姉でスキークラブの首脳メンバー)が言ってたよ。今回はブラウニーとへイリーが遊びに行くだけだと思っていた。まさかこんなきっちりとしたイベントになるとは思わなかった。クラブの委員会にも報告して、次の会報にも載せなくちゃあって」
 クレアは今回の日本行きの為、Tシャツやステッカーをどっさり用意してくれた。それを弟のジョンが届けてくれたのだ。おかげで僕らの荷物は膨れ上がり、すっかり重くなってしまった。
「ジョン、お前も本当は行きたいんだろ?」へイリーが言った。
「そりゃそうさ。行きたいよ」
「来年かな」僕が言った。
「来年もあるのかい?」
「どうなんだろうな。誰にも分からないよ。今回だってどうなるか全く分からないからな。まあ今年次第かな」
「いずれにせよ楽しんできなよ」
「クレアに伝えてくれ、帰ってきたらレポートを出すってな」へイリーが言った。

 今回僕らは新潟県の能生町にあるシャルマン火打というスキー場へ向かう。
このスキー場でブロークンリバーウィークと名のついたイベントを行なう。日本のスキー場とニュージーランドのクラブスキー場との交流というのが目的だ。
 ニュージーランドのクラブスキー場を日本で公式に紹介するのは初めての試みだ。正直な話、どのように転がるのか僕にも分からない。案内人の僕が分からないのだから一緒に行くメンバーはもっと分からないだろうが、ニュージーランド特有の呑気さでのんびりと構えている。
 ニュージーランドにはスキー場が27ある。このうち日本のレベルでスキー場と呼べる物は10個ほど。これらはコマーシャルフィールドと呼ばれ、ちゃんとリフトがあり圧雪バーンがあり人工降雪機があり駐車場からのアクセスも良く、いわゆる日本のスキー場とたいして変らない。スキー場の管理運営は親会社が行なう。
 会社が会社としてやっていく為には利益を出さなくてはならない。これは別にスキー場に限らず、あらゆる会社に共通する。利益は大きければ大きいほど良いというのも当たり前のことである。従業員を雇い現状を維持し、さらに新しい設備を導入するためには資金が必要だ。
 スキー場で言えば、お客さんに来てもらわなければ話にならない。そのため大々的に宣伝して人を呼ぶ。サービスに重点を置き、快適さ便利さを追求する。資本主義の考えでは当然のことだ。これがコマーシャルフィールドである。日本のスキー場は全てこれに当てはまる。
 ニュージーランドにはコマーシャルフィールドとは別にクラブフィールドというものが存在する。
 もともとスキークラブのメンバーの為のスキー場であり、クラブのメンバーが協力し何も無い所にスキー場を作り上げた。管理運営はクラブが行い、スキー場の方針などは協議会で決める。
 主な収入源はクラブのメンバー費、リフト券の売上げ、ロッジの宿泊料などでまかなう。設備は必要最低限で無駄な出費を抑え、コマーシャルフィールドよりはるかに少ない資金で運営する。出費を抑える為ボランティアが多数いるし、雇われているスタッフだって1人何役もこなす。
 日本で言うようなリフトは無く、ロープトーと呼ばれる原始的な機械で人間を山頂へ運ぶ。
 スキー場へのアクセスはお世辞にも良いとは言えない。ブロークンリバーでは駐車場からスキー場まで歩いて30分。テンプルベイスンというスキー場にいたっては1時間半ほどの登りがある。どちらも荷物運搬用の機械はあり、重い荷物は持ち運ばなくて済むが人間は歩いて登る。この機械をあり難いと思うか、こんなもの作るくらいなら人が乗れるリフトを架けろと思うかはその人次第だ。
 圧雪車は無い、あってもほとんど使わない。基本は冬山なので雪が降れば新雪、時にはクラストやアイスバーンになることもある。訪れる人が少ないのでパウダーに当たる確率も多い。
 もとはメンバーの為のスキー場だが、外来のお客さんも受け入れる。その場合お客様は神様ではなく、扱いはクラブのメンバーと同じである。時にはスタッフやクラブメンバーと一緒にロッジの掃除や皿洗いなどをすることもある。
 60代70代のメンバーが黙々と山を登る姿を見て雪山を楽しむ姿を見て、若い世代が自然に老人に敬意を持つ。実力のある老人の言葉には重みがあり、次世代は素直にその言葉を受け入れる。理想的な世代の交流があり、世の中で失われつつある人と人の暖かい触れ合いがある。
 クラブ全体の考えとしては、まあ皆で力を合わしてスキーを楽しもう、といったところだ。その奥には、贅沢を好まず古い物でも捨てずに使い続ける質素なニュージーランド気質があらわれる。
 そんなクラブフィールドに関わる人を招いたのが今回のイベントだ。
 クラブフィールドの一つ、ブロークンリバーからスキーパトロールの頭へイリー。彼はやる時にはやる。仕事をバリバリやり、本当に頼りになる男だ。そのかわり、やる必要のない時には見事にやらない。そんなスキーパトロールだ。
 海外へ出るのは生れて二回目。一回目は十年以上前にヨーロッパのアンドラという所でスキーパトロールをした。スキー場は恐ろしくつまらなかったらしい。それ以来ニュージーランドから出たことは無い。
 ニュージーランドの冬はスキーを、夏はサーフィンをする。今回予想はしていたがこの男の腰がなかなか重く、持ち上げるのが大変だった。彼の笑い方は独特で、グフフフもしくはガハハハと笑う。

 そんなヘイリーと一緒にクライストチャーチを発つ。早朝の便は思ったより混んでいた。さすがニュージーランド第一の大都会オークランド、早朝でもこれだけの人間が移動するのか。田舎から出てきた僕らはそんなしょうもないことで感心してしまう。
 オークランドで飛行機を乗り換える。僕とヘイリーはキョロキョロしながら国際空港をうろつく。
「ヘイリー、モンティースなんて売ってるぞ。日本のみんなにお土産に買っていこう」
 モンティースはヘイリーが住んでる西海岸で作っているビールだ。ダークビールは麦を焦がした香ばしい香りがする。
 オークランドの空港でヘザーと会えるはずだが彼女の姿が見えない。しっかり者のへザーの事だからもうチェックインを済ませているのだろう。
 ヘザーは旦那と共に冬はブラックダイアモンドサファリというクラブスキー場専門のガイド会社を経営する。夏は北島のタラナキでサーフィンのスクールをやっており、彼女はサーフィンのニュージーランドチャンピオンだ。2月中旬は非常に忙しいらしく、最後までスケジュールのやりくりに追われていた。今回もイベント終了の翌日にはニュージーランドに帰る。
 日本には行ったことはあるが、その時はサーフィンだけでスキーはしなかった。
 彼女のコードネームはマザーイーグル。この言葉が一番彼女を表している。
 搭乗時間が来たが、準備がまだ出来てないらしく人々がゲートの辺りで待っている。僕は人々の周りをブラブラと歩きながらヘザーの姿を探した。彼女の姿は無い。何かトラブルがあったのだろうか?悪い予感が頭を過ぎる。
 今回ぼくの役目はニュージーランド側のまとめ役であり、全員無事に日本に連れて行くというのが最初の仕事だ。
 一番頼りなく心配のタネのヘイリーは昨日からがっちり掴んでいる。
 ヘザーがこの飛行機に乗れなかったら何をどうしようか、などと考え始めた時に彼女は現われた。やれやれ。
「やあヘザー!遅かったな。ヒヤヒヤしたぞ」
「久しぶりね。チェックインで時間がかかっちゃって」
「まあこれでニュージーランド組は揃ったわけだ。あとはブラウニーとスーだ」
 飛行機に乗ってしまえばもうこっちのものだ。後は黙っていてもぼく達を日本へ運んでくれる。
 窓からはニュージーランドの北の端、ケープレインガが見える。細長い陸地が終わりその向こうに真っ青な海が広がる。しばらくニュージーランドともオサラバだ。
 熱心に外を見ていたヘイリーがバイバイと呟いた。背中から期待と寂しさがにじみ出る。
 数年前に冗談で話していた事が現実になりつつある。ヤツのバイバイを聞いただけで僕の胸は熱くなった。まだ旅は始まったばかりだが、自分がやっていることの確かな証を感じた。

 僕とヘイリーは同時にチェックインしたので席は隣同士だが、へザーは1人後ろの方で日本の団体さんのど真ん中になってしまった。
 長いフライトに退屈したヘイリーがヘザーの様子を見に行き2時間ほどして帰って来た。ワインの臭いをぷんぷんさせてヤツは言った。
「ヘザーは後ろでよろしくやってるよ。ワインなんかボトルごとキープしてるぜ」
「いまさらになって聞くけど、ザックとか大丈夫か?火薬の残りとかないだろうな」
「おう!オレもそれが気になってな。娘のザックを借りてきた」
 僕たちはブロークンリバーのマウンテンマネージャーのピートの言葉を思い出した。
 ある晩彼はリンドンロッジで多少ろれつの回らない舌で若いスタッフに話していた。
「スタッフの○○がサンフランシスコ空港で捕まった。ザックに火薬がほんの少し残っていたんだとさ。それで捕まって何日か徹底的に調べられた。家族構成とか職歴とか知人友人、徹底的にだぞ。全くあのテロがあってからいつもこうだ。いいかお前ら、仕事で使ったザックは国外へ持ち出すな。いらん手間が増えるだけだ。サンフランシスコの建物の中で生きている奴等にはここでどんな仕事をしてるかなんて分からないんだぞ!」
 彼は吐き捨てるように言った。
 確かにサンフランシスコに限らず、町で生きている大多数の人は山でどんな事をやっているか分からない。スキーパトロールはザックにダイナマイトを詰めて滑り、雪崩の起きそうな所に爆薬をしかけ人工的に雪崩を起こす。そんな事はスキーの世界では当たり前の事だが、町に住む人には何故そんな事をするのかなんて理解できないだろう。
 そんな僕の思惑をよそに飛行機は中部国際空港へ着いた。



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