あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

非日常

2019-06-07 | 
人間とは変化を求める生き物である。
時間の変化、場所の変化、物事の変化、意識の変化、いろいろあるが、多かれ少なかれ誰もが潜在的に変化を求めている。
そう考えると旅という物自体が普段の生活からの変化、非日常のものである。
それを求めて古今東西、人は旅をしてきたのであろう。
今回僕は思い立って里帰りをした。
期間は1週間ちょっと、と短い滞在だったが色々な経験をした。
旨い物もたらふく食べた。
記憶が薄れる前に書いておこう。

5月のこの時期、日本に里帰りする人は多い。
仕事も暇になり休みも取りやすく、なおかつ飛行機の運賃が安くなるのだ。
偶然に友達サムの妻子が里帰りする日程と一緒になった。
サムはNZに残るが、奥さんのユーコと長男カイト次男ワタルが里帰りする。
サム一家とは浅くない付き合いで、子供達も生まれた頃から知っているので、向こうも僕も一緒の日程で喜んでいた。
だがクライストチャーチからオークランドまで早朝の飛行機でケチがついた。
僕は彼等と一緒の席に座ろうとしたのだが、すでにそこは埋まっていたので、すぐ後ろの席でチェックインした。
飛行機に乗り込み、窓際にカイト、その横にユーコがワタルをひざに乗せ、通路側に誰か知らない人、そのすぐ後ろに僕。
ユーコの横に乗ってきたのは50代後半、パケハ(白人)のビジネスマン風の人。僕は彼に頼んだ。
「あのう、この家族は僕の友達なんだけど、良かったら席を替わってもらえないでしょうか?小さい子供もいるし」
「だめだ。ここはワシの席だ。席は替わらない。ワシはここに座る。」
なんだよ、この親父、そんな言い方無いだろ。
こっちなら横は空いているから楽に座れるだろうに。
ユーコと後で話したのだが、英語の訛りから言ってニュージーランド人じゃないだろうと。
気さくなキウィはそんなみみっちい事は言わない。
まあ1時間ちょっとのフライトだから仕方ないか。
その1時間ちょっとの間に、ユーコのひざの上のワタルがぐずって暴れ、横のイヤな親父に2,3発、ケリを入れた。
「よくやった、ワタル」とユーコは内心思ったそうだ。



オークランドでは旧友Mが会いに来てくれた。
聞くと仕事場が空港のすぐそばなので、普段会えないから挨拶だけでも、というわけで一緒に国際空港まで10分ぐらい歩きながら話をした。
4年前に10年ぶりに日本へ帰った時には、浅草園芸ホールで落語、そして屋形船で夜の東京湾観光、締めは彼が当時住んでいた品川の高層マンションの最上階ペントハウスでジャグジー、という普段の生活からは考えられないような経験をさせてもらった。
ヤツにも色々な人生があるが、こうやってことあるごとに会えるのはうれしいものだ。
オークランドから東京までの飛行機ではユーコ達の横に座っていた若い中国人が快く席を替わってくれて、僕はカイトと並んで座り、一緒にゲームなどして遊んで時間を過ごした。
旅は道連れ、と言うが、長いフライトも誰か友達と一緒の方がいいな。



成田でユーコ達と別れ、30年来の旧友龍崎昇が迎えに来てくれてヤツの家へ。
4年前は龍崎がJCと成田へ迎えに来てくれた。
空港から家へ向かう車の窓からは竹やぶ、田んぼ、畑、雑木林、そういったものが見えた。妙に懐かしい風景だ。
「ああ、日本の田舎の景色だなあ」僕がつぶやくと龍崎が言った。
「親子で同じように感動するんだな。深雪(僕の娘)が来た時も同じような事言ってたぞ」
一昨年は、娘が初の一人旅で日本に来て、日本初日はヤツの家に世話になった。
ヤツの家に着き、荷物を開けて気がついた、頼まれていたお土産のクランペットが無い。
家を出る時に、何か忘れ物をしているなあ、と思ったのはこれだったのか。
まあ忘れてしまった物は仕方ない。
その晩は旨いビールと地元の魚で至福の時を過ごした。やはり昔からの友っていいな。

今回の里帰りは家族に会うためなので、家族はもちろん親戚の人にも挨拶に行った。
父と兄の3人で熱海の温泉に泊まり、伊豆の小旅行もした。
すでにブログにも書いたが、竹原ピストルのライブも行った。
中学の頃の友達にも会い、よくケンカをしたヤツとも仲良く飲んだ。
終わってみれば結構いろいろあった1週間だったのだ。
今回は、と言うか前回もそうだったが兄の家に泊めさせてもらった。
僕が生まれ育った家は、今は誰も住んでいなく物置のような状態である。
父親は別の家に住んでおり、物置のような実家も老朽化が激しく、いっそ取り壊してしまおうか、という話になった。
取り壊すにしても、その前に片づけをしなくてはならない。
兄は大工の仕事をしているので忙しいし、父は体が弱ってきているのであまり力仕事もできない。
となれば僕がやるしかないか。
毎年の事だがこの時期は仕事が無いので帰ってくることはできる。
そんなわけで来年、5月に再び帰ってくることに決めた。
その時は1ヶ月ほどかけて、実家の片付けをするつもりだ。



実家を後にして東京へ。
東京では友達と新宿で会うことになっている。
時間に余裕があったので寄席なんぞへ行っちゃう。これも非日常。
そして新宿の餃子居酒屋で酒を飲む。
一緒に飲む人達は百レボの仲間達
ひょんなことから繋がった仲だが、波が合う人というのは初対面でもバチっと合うし、時間が開いてもすんなりと合える。
手土産に持ってきた全黒雫搾りもその場でみんなに飲んでもらう。
居酒屋の後はカラオケへ。
カラオケなんて何十年ぶりだろう。
しかもビル全部がカラオケなんて、さすが都会はすごいね。
それにしても新宿の夜の人の多さよ。
「これって、今日がお祭りだから人が多いわけじゃないんだよね?いつもこうなんでしょ?」
ううむ、そういう場所が存在する、と頭で理解するのと、自分の身をそこに置いて経験するのは違うことだ。
自然のエネルギーと違い、都会独特のエネルギーというものもあると思う。
これまた僕には非日常なのだが、疲れるなあ。



百レボメンバーのこまっちゃんの家でさらに飲み、飲みつぶれた翌日。
地下鉄有楽町線で有楽町駅へ、そこから東京駅まで歩き、東京駅のコインロッカーにスーツケースを置いて、御茶ノ水で友達と会うというプランを僕は立てた。
なぜ東京駅かというと、その晩は再び竜崎家に世話になる予定で、総武線快速は東京駅を出るので都合よかろう、というわけだ。
御茶ノ水ではウクレレを買おうと思い、昔スキーパトロール仲間だったマヤに会う。
マヤもギターをやるので楽器を買うのに付き合いつつ、お昼でも一緒に食べようという話になった。
地下鉄有楽町駅から地上に出てみるとすぐに山手線の電車が見えた。
ここから東の方向へ歩いていけば東京駅か。
僕は線路に沿って重いスーツケースをゴロゴロ引っ張って歩いていった。
しばらく歩くと駅の入り口が見えてきた。
あれが東京駅か、ん?なんか違うぞ。
看板には新橋駅の文字が。
あれえ?なんで新橋に来ちゃったんだ?
そこで気がついた。
有楽町で地上に出た時に、太陽の位置を北だと思ってしまい、それならば東はこちらだと勝手に考えてしまったのだ。
南半球に長く居て、山歩きをしたりスキーをしたり野良仕事をしたりと野外にいる時間が長いので、太陽のある方向イコール北という概念が体に染付いてしまっていた。
北と南を間違えたものだから、当然東と西も間違える。
これで東と西を間違えなかったらそっちのほうがおかしい。
東の東京駅に向かって歩いていたつもりが西の新橋に向かっていたのだから、僕の方向感覚は間違っていない。
ただ肝心のお日様が南にある、ということを忘れていただけだ。バカだね。
後でマヤに会ってその話をしたら、都会でそういう感覚で方向を知る人はなかなか居ないと妙に感心されてしまった。ふむ、そうかもしれないな。
あーあ、やっちまった、さすがにそこから東京駅まで歩く気にならなかったので、山手線で東京駅へ。
東京駅に着いてコインロッカーを探したら全て満杯。
えー、なんで?コインロッカーに張ってある張り紙を見るとトランプ大統領来日でテロ対策の為、東京駅のコインロッカーは全て閉鎖だと。
なろー、トランプ!どれだけの人に迷惑かけるんだよ。
たぶん警備やなんやかんやで、非番のお巡りさんもタダ働きさせられていることだろうに。
しかも今通ってきた有楽町にも新橋にもコインロッカーはあってそれが空いていたのに。
好きでもなかったトランプだが、この瞬間から大嫌いになった。
待ち合わせに遅れそうなので、マヤに電話を入れると何かしら調べてくれて、日本橋口近くの佐川急便で荷物預かりのサービスがあることを教えてくれた。
そこでまたそれを探してウロウロしているうちにマヤが東京駅まで来て合流。
めでたく佐川急便を見つけたもの、ここでも荷物の一時預かりはしていないと。
もう僕はすっかり嫌になって、結局そこから空港まで荷物を送ってしまった。
これなら最初から送っちゃえばよかったよ。

マヤに会うのも20年ぶりぐらいだ。
20代のころアルツ磐梯というスキー場でスキーパトロールをした時に同僚だった。
その後、アライで働いていた時に旦那と遊びに来てくれて、その時に当時彼等が住んでいた新潟の家へ遊びに行った。
今では一児の母であり、代々木に住んでいる。
お茶の水に行くならば美味しい天丼屋があるのだと言うので、マヤに連れられてその店へ。
ガイドがいるというのは楽だな。
その日は5月としては記録的な暑さで、気温も30度を越える日だった。
そんな日に朝からスーツケースを持ち歩いて、あっちへフラフラこっちへフラフラしていたのですっかり喉が渇いて、お昼からビール。
天丼が出来上がるまでに2本も飲んでしまった。
出てきた天丼は見事な物で、コロモはサクサク、中はふわっと、油はくどくなく、旨いの一言。
アナゴがどんぶりからはみだしちゃったりしてね。
写真を撮ったのだがピンボケで使えないのが残念だ。
日本橋の老舗の天丼屋の支店らしく、僕らの後すぐに行列ができた。
腹も膨れて楽器屋街まで歩き、お目当てのウクレレを買った。

マヤと別れて僕は再び龍崎家へ。
前回もそうだったが、旅の幕開けと締めはヤツの家なのだ。
ヤツが駅まで迎えに来てくれて、家へ向かう車内。
「なあ、今日の酒ぐらいはオレに買わせてくれ。ワインでも日本酒でもビールでも今日の料理に合う美味い酒を買いたいから店へ寄ってくれ」
するとヤツは「あのですね、この近辺では古来人が住んでいた場所でして、大昔の貝塚なんかもあるのです。そうやって何千年も人が住んでいたような場所ですから・・・」
と始まって一体何の話になっていくのだろうと5分以上もヤツの話を聞いていて要約すると『もう地元の酒蔵の美味い酒は用意してあるから黙って家へ来て飲め』というものだった。
ヤツの家へ行くと先ずビール。
そして近くの酒蔵で買ったという純米吟醸生原酒。
ほう、これは蔵人としては見逃せないぞ。
ヤツのウンチクを聞きながら利き酒。
うむ、確かに美味いぞ、これは。
何がどう美味いか、やはり上手く説明できないが美味い。美味いと言ったら美味い。
全黒の美味さとは違う美味さがある。
美味いのだが原酒だけあってアルコールは18度とやや高め。
時間は5時を廻ったばかりで、こんな時間からこの調子で飲んでたらすぐにつぶれてしまう。
外は暑いしロックで飲むのなんかよろしいな。
晩飯は地元の新玉ねぎのフライと鰯のフライを奴が揚げてくれた。
ヤツの家の周りにも玉ねぎの畑があちこちにあったな。
その玉ねぎの甘いこと。
旬の野菜に熱が通った甘さ、というのはそれだけでもご馳走だ。
そして鰯は脂が載っていて、青魚独特の香りがまた旨い。
青魚の脂の旨さというのは、マグロやブリなどの魚の脂と違う。
鰯も玉ねぎも旬の物で、多分値段は安いのだろう。
高い値段を出して遠くから物を取り寄せるより、近くにあるもので旬の物を出すのが本当の意味でのご馳走だ。
値段が高い安いというのは、後から人間がつけたもの。
時には一杯の水がその場で最高のご馳走となる。
それが茶の湯の心であり、日本の心だと思う。
友が作ってくれた肴をつまみに生原酒をあおり、今回の旅を締めた。



翌日の飛行機で僕はニュージーランドへ帰ってきた。
気温17度は猛暑から来た身にはとても心地良い。
娘が空港まで迎えに来てくれた。
娘は12月に再び日本へ旅行で行く。
親離れする時も近づいている。
今回の旅では嫌なことも多少あったが、それを上回る喜び、感動、人との再会、家族の時間、新しい発見、そういった楽しいこと嬉しいことが多かった。
義理を欠いて会えない人も多かったが、それも縁。
今回会えなくても、いつか会って肩をたたき合える人が日本中にいる。
自分の心を通して見た日本はやはりいい国だなあ、というのが非日常の感想である。




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2 コメント

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Unknown (今井宣子)
2019-06-13 19:01:37
聖さんご無沙汰しております!
2018年1月新婚旅行で行ったトレッキングツアーでお世話になりました今井です。
日本にいらしてたんですね!
ニュージーランドが懐かしい!また絶対行きたいです(^^)また会えたら嬉しいです。
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Unknown ()
2019-06-14 04:03:33
今井さん
コメントありがとう。
日本は束の間に里帰りでした。
ぜひとも又、ニュージーランドに来てください。
またお会いできるといいですね。
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