ダイスケのすさまじいほどの盛り上がりっぷりから一晩明け、静かな朝を迎えた。
朝早くに仕事で出かけるアスカを見送り、ぼんやりと桜の花がちらほら舞う庭を眺めていた。
何気ない庭の、ある春の朝の一コマだが妙に心に打たれる情景である。
そこではっきりと気がついた。
桜は散りゆく姿が美しいのだと。
確かに満開の桜は綺麗だし見栄えが良いので、観光客がそれを写真に収めようとするのも分かる。
ただそれは綺麗に咲いた見栄えの良い景色を思いも馳せずにボタンを押しただけのもので、時間の流れはそこに映らない。
プロの写真家が瞬間を切り取るのとはわけが違う。
もっとひどい事を言えば、今の風潮は誰かがどこかで撮った写真を自分がそこにいって写すのが目的で、さらにSNSであげることが最終目標だ。
これは国籍に関係なく、世界中で同じような現象がある。
桜は満開もきれいだが、同時に散りゆく姿に本質があるのだと思う。
そこにあるのは時の流れと共に存在するなくなってしまうという現実、さらにその奥には生きることのはかなさと必ずやってくる死というものに対する死生観である。
これは生き物に限る話ではなく、文明や権力でも同じことを歴史は繰り返す。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏ひとへに風の前の塵におなじ。
有名な平家物語の冒頭であるが、平家にあらずんば人にあらず、と言ったぐらいの平家も滅ぶ。
永遠に続くと思われた徳川幕府も滅んだ。
世界に目を向ければ、全ての道はローマに通づると言われたローマ帝国。
ユーラシア大陸を蹂躙したオスマン帝国。
我が辞書に不可能という言葉はないと言ったナポレオン。
7つの海を制した大英帝国。
その他諸々、数え上げればきりがないが、みーんな栄えて滅ぶの繰り返しだ。
諸行無常だな。
桜という花はそれを現している、だからこそ日本でこれだけ愛されている。
そこに侍は死を見出し、いかに死ぬかという答えのない問いに、いかに今を生きるかという答えを出した。
死があるから生があり、生があるから死が来る。
当たり前の事だがあまりに当たり前すぎて誰も考えない。
桜の散る様はそんなメッセージを含んでいる。
そんな当たり前の事に改めて気づかせてくれた、今井家の庭であった。
この日、娘は白馬に戻り僕は金沢へ向かう。
旧知の友人ヒデが金沢に住んでいて「日本に来たら金沢に来てくれ。自分が全て案内するから。とにかく来い。つべこべ言わずに黙って来い」という具合に誘われていて、今回それがようやく実現した。
金沢までは新幹線で行くつもりだったが、エリが神戸に帰るので金沢は通り道だからというので乗せて行ってもらうこととなった。
新潟から富山へ入り親不知を超えたあたりから立山が見えた。
静岡や山梨の人が富士山を心の拠り所とするように、富山の人には立山がその存在なのだろう。
そう考えれば日本各地にある主だった山は山岳信仰の対象であり、山が神様なのである。
ニュージーランドの最高峰はアオラキマウントクックであり、マオリ族の神話に残っているぐらいに神様の山なのだが、やはり日本のそれとは何か違う。
どこがどう違うのか上手く言い表せられないが何か違う。
そしてまたどちらが優れていてどちらが劣っているという話でもない。
ただ単に違うというだけの話であり、僕はどちらも好きだし山を見れば自然に手を合わせ拝んでしまう。
そんな立山を横目に見ながら車を快調に飛ばし金沢に着いた。
ここで神戸へ帰るエリとお別れをして、そこからはヒデに案内をしてもらう。
まずはお昼時ということで、山深い所にある茶屋でニジマスの塩焼きだの山菜だのの御膳を食し観光へ。
向かったのは五箇山という谷間の小さな集落で、合掌造りの家が残る。
合掌造りと言えば白川郷が有名だが、白川郷のある庄川の下流にあるのが五箇山だ。
合掌造り=白川郷というイメージは強く、白川郷がブランド化していて皆がそこへ向かい、そこだけが全てだと思い込んでしまうのは大きな誤りだ。
人間は一部分の情報で全てを把握できるという勘違いをする性質がある。
テカポの星空がブランド化しているのと同じ構造であり、テカポで星空を見ることが旅の目的になっている人も多く、テカポでなければ意味が無い、なにがなんでもテカポという風潮には首を傾げてしまう。
白川郷と違い五箇山は規模が小さいのでそれほど有名ではなく、観光地になりきっていないので人も少ない。
人がうじゃうじゃいる観光地はあまり行きたくない僕にはおあつらえ向きである。
民俗資料館を見学し、ぶらぶらと散策して当時の人々の生活に想いを馳せる。
昔は流刑地だっとされ罪人が流されてきた場所であるが、今はそのおどろおどろらしさは微塵も感じられない。
表面的には日本らしさが残るのどかな観光地だが、過去には暗い歴史が渦巻いている。
こういう見方をするようになったのも、コテンラジオで歴史を勉強して人文学を学んだからだ。
人里離れたというより隔離されたような場所では、戦で重要だった火薬の製造が行われていた。
加賀百万石という北陸では巨大な勢力の末端で、人々は何を想い暮らしていたのだろう。
とある資料館では中で働いていた女性が当時の様子を事細かに説明してくれたが、これが素晴らしかった。
歴史や生活や当時の社会情勢など学問的な話もさることながら、その奥には彼女の郷土愛が根付いており、ガイドというのは本来こういう姿なのだろうと思い知らされたのである。
金沢に戻ってきて夜は街に繰り出す。
白馬や能生といった当たり前に夜は暗い場所から一転して、ネオンが眩い歓楽街へ。
金沢という街は北陸では一番の歓楽街があるようで、富山や福井といったお隣の県からも人が来るそうな。
こういうのも加賀百万石という歴史が関係しているのだろう。
連れて行ってもらったのは『ぴるぜん』という本格的なビール酒場で、ヒデが若い頃によく行った店だという。
ビール好きな僕としては、名前だけで喜んでしまう。
ドイツで生まれたラガービールがチェコのピルゼン醸造所で醸されてできたのがピルスナーというビールであるとか、なぜそこのビールが他所と違うのかはそこの水が軟水だったからだとか、それと同じような製法で作られたビールがアメリカに渡ってバドワイザーになったとか、そんなのを最近勉強したばかりである。
創業1968年というから55年、僕が生まれたのと同じ年だ。
ドイツ風の内装でビールは当然本格派、そして料理もソーセージとかビールに合うようなものばかりで嬉しい。
アナゴのフィッシュ&チップスというのをオーダーしたが、これがまた美味かった。
ニュージーランドのフィッシュ&チップスとは違う、日本のフィッシュ&チップスはやはり日本人シェフが日本人好みに作るのだな。
前日は新潟で海の幸山の幸をご馳走になったが、それとは一転して歓楽街でビール居酒屋。
表面的にはぜんぜん違うものだが、そこに流れる芯は同じである。
自分が好きな店に、この人が喜ぶだろうと連れて行ってくれる。
時に豪華絢爛な食事が最高のおもてなしとなるし、時に一杯のお茶が最高のおもてなしとなる。
それには主人と客人の関係性もあるし、季節や場所や時間といった状況その他諸々でその形は常に変わる。
だが奥にある物事の本質は同じで、それが茶の湯の心であり、和食の真髄なのである
和食が世界遺産になるという話は前回でも書いたが、一体和食とは何かという根本的な問いを考えなくては本質は見えない。
カレーは和食か?ラーメンは和食か?寿司は和食か?
歴史を辿れば寿司だって今僕らが思い浮かべる寿司と原型の寿司とはぜんぜん違う。
表面だけを見ず、その奥にある本質を見極めることで洋風居酒屋が和食の心になる。
ここでも本質とはつまり、大きな人間愛なのだと気付いた金沢の夜。
朝早くに仕事で出かけるアスカを見送り、ぼんやりと桜の花がちらほら舞う庭を眺めていた。
何気ない庭の、ある春の朝の一コマだが妙に心に打たれる情景である。
そこではっきりと気がついた。
桜は散りゆく姿が美しいのだと。
確かに満開の桜は綺麗だし見栄えが良いので、観光客がそれを写真に収めようとするのも分かる。
ただそれは綺麗に咲いた見栄えの良い景色を思いも馳せずにボタンを押しただけのもので、時間の流れはそこに映らない。
プロの写真家が瞬間を切り取るのとはわけが違う。
もっとひどい事を言えば、今の風潮は誰かがどこかで撮った写真を自分がそこにいって写すのが目的で、さらにSNSであげることが最終目標だ。
これは国籍に関係なく、世界中で同じような現象がある。
桜は満開もきれいだが、同時に散りゆく姿に本質があるのだと思う。
そこにあるのは時の流れと共に存在するなくなってしまうという現実、さらにその奥には生きることのはかなさと必ずやってくる死というものに対する死生観である。
これは生き物に限る話ではなく、文明や権力でも同じことを歴史は繰り返す。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏ひとへに風の前の塵におなじ。
有名な平家物語の冒頭であるが、平家にあらずんば人にあらず、と言ったぐらいの平家も滅ぶ。
永遠に続くと思われた徳川幕府も滅んだ。
世界に目を向ければ、全ての道はローマに通づると言われたローマ帝国。
ユーラシア大陸を蹂躙したオスマン帝国。
我が辞書に不可能という言葉はないと言ったナポレオン。
7つの海を制した大英帝国。
その他諸々、数え上げればきりがないが、みーんな栄えて滅ぶの繰り返しだ。
諸行無常だな。
桜という花はそれを現している、だからこそ日本でこれだけ愛されている。
そこに侍は死を見出し、いかに死ぬかという答えのない問いに、いかに今を生きるかという答えを出した。
死があるから生があり、生があるから死が来る。
当たり前の事だがあまりに当たり前すぎて誰も考えない。
桜の散る様はそんなメッセージを含んでいる。
そんな当たり前の事に改めて気づかせてくれた、今井家の庭であった。
この日、娘は白馬に戻り僕は金沢へ向かう。
旧知の友人ヒデが金沢に住んでいて「日本に来たら金沢に来てくれ。自分が全て案内するから。とにかく来い。つべこべ言わずに黙って来い」という具合に誘われていて、今回それがようやく実現した。
金沢までは新幹線で行くつもりだったが、エリが神戸に帰るので金沢は通り道だからというので乗せて行ってもらうこととなった。
新潟から富山へ入り親不知を超えたあたりから立山が見えた。
静岡や山梨の人が富士山を心の拠り所とするように、富山の人には立山がその存在なのだろう。
そう考えれば日本各地にある主だった山は山岳信仰の対象であり、山が神様なのである。
ニュージーランドの最高峰はアオラキマウントクックであり、マオリ族の神話に残っているぐらいに神様の山なのだが、やはり日本のそれとは何か違う。
どこがどう違うのか上手く言い表せられないが何か違う。
そしてまたどちらが優れていてどちらが劣っているという話でもない。
ただ単に違うというだけの話であり、僕はどちらも好きだし山を見れば自然に手を合わせ拝んでしまう。
そんな立山を横目に見ながら車を快調に飛ばし金沢に着いた。
ここで神戸へ帰るエリとお別れをして、そこからはヒデに案内をしてもらう。
まずはお昼時ということで、山深い所にある茶屋でニジマスの塩焼きだの山菜だのの御膳を食し観光へ。
向かったのは五箇山という谷間の小さな集落で、合掌造りの家が残る。
合掌造りと言えば白川郷が有名だが、白川郷のある庄川の下流にあるのが五箇山だ。
合掌造り=白川郷というイメージは強く、白川郷がブランド化していて皆がそこへ向かい、そこだけが全てだと思い込んでしまうのは大きな誤りだ。
人間は一部分の情報で全てを把握できるという勘違いをする性質がある。
テカポの星空がブランド化しているのと同じ構造であり、テカポで星空を見ることが旅の目的になっている人も多く、テカポでなければ意味が無い、なにがなんでもテカポという風潮には首を傾げてしまう。
白川郷と違い五箇山は規模が小さいのでそれほど有名ではなく、観光地になりきっていないので人も少ない。
人がうじゃうじゃいる観光地はあまり行きたくない僕にはおあつらえ向きである。
民俗資料館を見学し、ぶらぶらと散策して当時の人々の生活に想いを馳せる。
昔は流刑地だっとされ罪人が流されてきた場所であるが、今はそのおどろおどろらしさは微塵も感じられない。
表面的には日本らしさが残るのどかな観光地だが、過去には暗い歴史が渦巻いている。
こういう見方をするようになったのも、コテンラジオで歴史を勉強して人文学を学んだからだ。
人里離れたというより隔離されたような場所では、戦で重要だった火薬の製造が行われていた。
加賀百万石という北陸では巨大な勢力の末端で、人々は何を想い暮らしていたのだろう。
とある資料館では中で働いていた女性が当時の様子を事細かに説明してくれたが、これが素晴らしかった。
歴史や生活や当時の社会情勢など学問的な話もさることながら、その奥には彼女の郷土愛が根付いており、ガイドというのは本来こういう姿なのだろうと思い知らされたのである。
金沢に戻ってきて夜は街に繰り出す。
白馬や能生といった当たり前に夜は暗い場所から一転して、ネオンが眩い歓楽街へ。
金沢という街は北陸では一番の歓楽街があるようで、富山や福井といったお隣の県からも人が来るそうな。
こういうのも加賀百万石という歴史が関係しているのだろう。
連れて行ってもらったのは『ぴるぜん』という本格的なビール酒場で、ヒデが若い頃によく行った店だという。
ビール好きな僕としては、名前だけで喜んでしまう。
ドイツで生まれたラガービールがチェコのピルゼン醸造所で醸されてできたのがピルスナーというビールであるとか、なぜそこのビールが他所と違うのかはそこの水が軟水だったからだとか、それと同じような製法で作られたビールがアメリカに渡ってバドワイザーになったとか、そんなのを最近勉強したばかりである。
創業1968年というから55年、僕が生まれたのと同じ年だ。
ドイツ風の内装でビールは当然本格派、そして料理もソーセージとかビールに合うようなものばかりで嬉しい。
アナゴのフィッシュ&チップスというのをオーダーしたが、これがまた美味かった。
ニュージーランドのフィッシュ&チップスとは違う、日本のフィッシュ&チップスはやはり日本人シェフが日本人好みに作るのだな。
前日は新潟で海の幸山の幸をご馳走になったが、それとは一転して歓楽街でビール居酒屋。
表面的にはぜんぜん違うものだが、そこに流れる芯は同じである。
自分が好きな店に、この人が喜ぶだろうと連れて行ってくれる。
時に豪華絢爛な食事が最高のおもてなしとなるし、時に一杯のお茶が最高のおもてなしとなる。
それには主人と客人の関係性もあるし、季節や場所や時間といった状況その他諸々でその形は常に変わる。
だが奥にある物事の本質は同じで、それが茶の湯の心であり、和食の真髄なのである
和食が世界遺産になるという話は前回でも書いたが、一体和食とは何かという根本的な問いを考えなくては本質は見えない。
カレーは和食か?ラーメンは和食か?寿司は和食か?
歴史を辿れば寿司だって今僕らが思い浮かべる寿司と原型の寿司とはぜんぜん違う。
表面だけを見ず、その奥にある本質を見極めることで洋風居酒屋が和食の心になる。
ここでも本質とはつまり、大きな人間愛なのだと気付いた金沢の夜。