あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

日本旅行記 9

2024-07-28 | 
一夜明け、この日は金沢近郊の観光である。
いつものごとく下調べは一切せずに、ガイドのヒデにお任せで連れて行ってもらう。
ヒデは僕がいくというので、どこに連れて行くのか色々と考えてくれていたようだ。
先ずは車で30分ぐらいにある鶴来という街に向かう。
つるぎという名前は元々は剣だったらしいが今は鶴が来る鶴来となったようである。
扇状地の扇の付け根の部分で平野の方から来ると谷がぎゅっとつまったような地形をしている。
綺麗な川が流れ昔の街並みがたたずむ、観光客が少ない僕好みの街だ。
そこにある白山比咩神社をお参り。
参道を登っていく途中で神様のパワーをビンビンと感じ指先がしびれる。
これはすごい所だと一人で昂奮するのだが、地元に住むヒデにとってはあまりに当たり前すぎる場所のようだ。
全国で2000ある白山神社の総本宮というのを知り、ナルホドと感心した。
これを書いていて気付いたのだが神社の写真を1枚も撮っていない。
あまりに強く氣を感じて写真を撮ることを忘れてしまったようである。
もともと写真を撮るのが目的ではないし、写真は残らなくても自分がそこで感じたことは心に深く刻み込まれている。
白山とそれを取り巻く自然環境、そこに長く住む人々の信仰心がこういった神社であり、そこに神が宿る。
今回の旅で何度目だろう、日本は護られている国だと感じ、そしてまた日本は大丈夫なんだろうなぁという思い。
旅を続けるうちに最初に感じた漠然とした想いは、今や強い確信となっていた。



神社で参拝を済ませ、次は近くにある獅子吼高原へ。
そこはゴンドラがかかっていて景色の良い場所なのだが、ゴンドラには乗らずその麓にある獅子ワールド館へ行く。
獅子吼とは仏教用語で獅子が吠える様子、仏の説法で真理を説き邪説を喝破すること、とある。
そんな大層な名前が地名になっているだけあり、そこは獅子頭の産地のようである。
獅子頭とは獅子舞の頭のアレだ。
獅子舞は知っているし生で見たこともないが、それがどこから来たかアジアのあちこちの獅子頭が展示されていて面白い。
そうやって見ると日本という国も、周りの国や民族の影響を受けて長い間に今のようになっていったのだとわかる。
違う角度で物を見る、ということに最近ハマっているのでこのような自分の知らない物事を学ぶのは楽しい。

金沢に戻り、金沢名物チャンピオンカレーを食す。
B級グルメというものが日本中で流行っているが、このカレーもその一つである。
カレー屋は金沢市内にいくつも店舗があるようだが、ヒデが連れて行ってくれたのはその本店で大学の近くにある庶民の味方だ。
店内にはカレー屋の創業当時から現代までの写真などが展示されていて歴史が見える。
味は普通に美味く、毎日食べても飽きのこないほっとする味だ。
日本に来てからの食事は圧倒的に和食が多く、行くとこ行くとこでは当地のご馳走を出してくれる。
もちろんそれは美味しくて又嬉しいのであるが、地元の人が日々の生活で食べるものを食べたいという想いもある。
そんな僕の欲求を満たせてくれた金沢カレー。
そもそもカレーはインドの料理でインドにはカレー粉というものはない。
スパイスを調合して作った料理をカレーと呼び、植民地料理をイギリスに持ち帰りスパイスの調合が苦手なイギリス人用にカレー粉というものができた。
そのカレー粉を日本に持ち込み、日本人の味覚に合うようにしてややとろみをつけたのが日本のカレーだ。
日本人は他所の食べ物を魔改造して美味い物を作り上げてしまうという特性がある。
ラーメン、カレー、アンパン、コロッケ、カツ丼、どれにも歴史があり今に至っている。
そこには食に対する真摯な姿勢と美味い物を食いたいという人間本来の欲求、好奇心や探究心といった遊び心、イチゴを大福に入れるなんて発想だれが思いつくというのか。
それらを全て包括した物が日本食なのではないだろうか。
そこでもう一度問いたい。
カレーは和食か?
僕の答えはまぎれもなくイエスである。



そのまま車で市内観光へ。
本格的な市内観光は次の日に行くということで、この日は街の中心部からちょっと外れた西の茶屋街へ。
金沢には西の茶屋街と東の茶屋街があり、東の方は結構な観光地のようである。
ブラブラそぞろ歩きをして、そこにある甘味処でぜんざいなんてものをいただく。
テーブルに置かれた炭火で餅を焼きぜんざいに入れて、茶店の奥の日本庭園を見ながらほっと一服、風流じゃのう。
金沢の街をヒデが運転する車に乗り感じたことは、どこの家も庭が綺麗だ。
きっちりと木々が剪定されて、手入れが行き届いている。
ヒデの家にも小さな庭が玄関先にあるが、小さいながらも日本庭園の流れが見えてとても好ましい。
北陸という土地柄、冬囲いという事をやらねば雪で木が折れてしまうので最低年に2回は庭の手入れをしなければならない。
これは南国では全く考えなくてよいことだ。
それに加え兼六園という日本三名園があるので、腕の立つ庭師が多いのは想像できるし組合や寄り合いのような職業集団だってあるだろう。
カリスマ庭師の師匠がいて、その技術の惚れ込み弟子入りするなんてのも絶対にあるはずだ。
こういう地域性というものに気がつくのも自分が他所者であり、他の地域と比較をするという事ができるからだ。
これが旅の醍醐味で、違う視点で物を観ることであり、今の世で必要な人文学でメタ認知(そうなのか?)なのである。



晩飯はヒデの家でじっくりと飲む。
北陸の名物といえば押し寿司で、それをリクエストして用意してもらった。
押し寿司と一言で言っても金沢の笹寿司と富山のます寿司と福井の鯖寿司と新潟の笹寿司ではそれぞれに違う。
金沢の笹寿司は笹の葉で包んであり、笹の葉は抗菌作用もあって腐敗を防ぐ保存食にもなる。
先人の生活の知恵というのは素晴らしいものだな。
それから午前中に行った鶴来で奥さんに頼んで買ってもらった手作りコンニャク。
コンニャク自家生産者としては、気になるところだ。
そして日本海の海の幸の甘エビとホタルイカ。
わーい、全部日本酒に合う肴だ。



その肴に合う日本酒、これが凄まじかった。
何がすごかったかって、その酒を飲んだ時に水の美味さを感じ取り、僕は呻いた。
「何これ!これはすごい酒だ!」
長年日本酒に関わってきたが、水の美味さを感じられる酒は初めてだ。
今回の日本の旅で行くとこ行くとこで美味しい日本酒を飲んできたが、間違いなくこの酒がベストだと言い切れる。
その名も手取川。
「手取川という川は今日の朝行った鶴来の所を流れている川だ」とヒデが教えてくれた。
さらに日本酒が好きな僕のために地元の友達に聞いて、それならこの1本だろうということでヒデが調達してくれた酒だ
確かに鶴来の街に行った時に、綺麗な川が流れているなと思った。
そうか、あの川かあ、色々な事が繋がるものだが、こういう物事の繋がり方は大好きだ。
そしてこの川の源流は霊峰白山である。
この酒蔵に行ってみたいと思った。
もちろん利き酒もしたいが、蔵に行ってこの水を飲んでみたいと思った。
水というのは地球上の全ての生き物、人間を始めとする動物や植物や虫や魚に関係なく、生きとし生けるもの全てにとって空気の次に大切なものだ。
当たり前のことだが当たり前すぎて人々はそこをあまり深く考えない。
そして失われた時に初めてその存在を知り、嘆く。



クライストチャーチも地震までは水道水が美味しい都市だったが、地震の後でカルキが入るようになり水が美味しくなくなった。
我が家でも山に行った時に水を汲んできたり、水道水にフィルターをかけたりしてなんとかやっている。
それでもニュージーランドはまだ良い方で、世界の中では水道の水が飲めないという国が圧倒的に多い。
そういう意味でも日本は水に恵まれた国だ。
美味しい綺麗な水が豊富というのは本当の意味で豊かなことなのだ。
自由市場経済を基盤とする資本主義社会では全ての物が商品となりうる、とはプロレタリア万歳の冒頭の言葉であるが昨今はあちこちで水源や水道システムが売られるようになっている。
まあそれもこの世の流れなので仕方あるまい。



そんな美味い酒をヒデの家にあった九谷焼きのおちょこで飲む。
いつものことながら何の事前学習もしなかったので九谷焼きの事は何も知らなかったが、金沢の名産品で市内にはいくつもの九谷焼きに店がある。
一言で言えば派手である。
黄色とか緑とか色とりどりで、書かれている物も鳥とか動物とかドラえもんとか何でもありだ。
わびさびとはエラい違いであるのだが、色々と見てみると何か芯というのか流れというのかがあるような気がする。
西洋の派手さ、中国の派手さとは違う、これはこれで日本の美なんだろうなぁと思うのである。
ヒデの家のおちょこは鶴が3羽描かれた物で、なんとなく気に入って、それをニュージーランドに帰るお土産にもらった。
物との出会いも人と同じでご縁があると思う。
お店で気に入った物を買うのもご縁であれば、友人宅にあった物をいただくのもご縁だ。
九谷焼きのお店を次の日にいくつか回ったがピンと来る物はなかった。
それよりもどういう経緯があるのか知らないがヒデの家で使っていたお猪口が何よりピンときたのだ。
地元の酒を地元の肴をつまみに地元の器で飲む。
ここへきてこれ以上のご馳走はあるまいか。
加賀の殿様もこういう器で酒を飲んだのだろうな。
コメント
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