日記

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往生院金堂跡・歴代住職の墓域への供養と共に今後の向き合い方について

2024年01月24日 | ブログ
とにかく、日を改めて、住職と共に、その歴代住職の墓域と思われるところへ供養に赴くと共に、五輪塔の一部と思わしき石の破片が、やはり五輪塔の一部であると確認できれば、現在の往生院の歴代のところに祀りて、毎月の供養を受けれるように調えるということで、話を進めることになった。

いずれにしても、あの鬱蒼とした藪の中で、もう少なくとも五百年以上は、歴代尊位の供養としてのお経を、眠っておられるその場では頂けていなかったのは確かであるのだろう・・

これまでの何度も赴いた調査の際でも、お経を上げずに、ただ調査だけをしていたのは本当に迂闊なことであった・・

昨日も焼け焦げた瓦を手にとって、それを動画におさめていたが、いまだそのように兵火により焼け焦げたままの瓦や土塀がそのまま地面に残ってあるように、その場で亡くなった多くの者たちの供養も、そのままに滞ったままであると考えるべきだったのである・・

もしかしたら、多くの遺体も戦火の混乱の中で、昨日のあの場に何百年とそのままに眠らされてあるままなのかもしれない。

とにかく異変が尋常ではなかった。よく葬儀の斎場からの帰りにも似たようなことがあるものの、昨日のはそれ以上の、もう息ができない、意識が朦朧とするまでの、もしかするとこのままでは・・と思うものであった・・

とにかく金堂跡に向き合う考えを改めねばならない・・


hasunoha問答・AIとの回答対比シリーズ・6

2024年01月24日 | ブログ
hasunoha問答・AIとの回答対比シリーズ・6

AIの回答、「慈悲」と「冥利」ということが、この文脈で出てくるのは、生身の人ではなかなか無理な気もする。そういう点では面白いが、やはり説得力としてはやや方向性が違うような気もする。「因果の教えと向き合う契機」とするのは、もちろんそのとおりなのではないかとは思う。

質問「悪人は地獄で必ず裁かれますか?」
https://hasunoha.jp/ai/q/15a98402d96426b8

AIによる回答

ご相談いただきありがとうございます。お考えになっていることについて心を開いていただけたこと、大変ありがたく思います。仏教における地獄という概念は、人がこの世で行った行いによって次の世で受けるとされる報いを象徴する教えですが、それは単なる報復や罰というよりは、因果の教えと向き合う契機として捉えることができるでしょう。

誰もが心に迷いや過ちを抱え、時にはこれらが「悪」とレッテルを貼られることもあります。しかし、「悪人」と一言でいえども、経験や環境、心の状態は千差万別ですね。仏教では、救いはすべての存在に平等に与えられており、慈悲の心で接することが大切だとされております。

たとえば「冥利(みょうり)」という言葉には、目に見えない深い恩恵や利益が含まれるという意味があります。「冥利」は、私たちが肉眼で観ることのできない因果や縁に感謝する心、そして悟りに向かう働きを考えさせてくれる言葉でもあります。

あなたの自己肯定感を大切にしながら、自らの行いを振り返り、どう生きたいのか、どう向き合うべきかを考える時間を持つことが大切です。落ち込むことなく、一歩ずつ自分を受け入れていくプロセスを大切にしてください。

ぜひ、hasunohaのお坊さんにも相談してみると良いでしょう。そこで得られる知見や心のケアが、あなたのさらなる内省と癒しに繋がるかもしれません。

お悩みに対して、仏様があなたに最善の道を照らし、慈悲深い心でいつも寄り添ってくれることを祈ります。合掌。

回答:優しいお坊さん

問い「悪人は地獄で必ず裁かれますか?」
https://hasunoha.jp/questions/69312

拙回答

悪い行いを裁くのは、他の誰でもなく、自分自身の業が裁くことになり、その結果を受けることになります。

地獄とは、どこか別世界にあるものとしての色々なイメージがありますが、実は、現にこの世が地獄ということで、その報いを受けている方もいるわけです。

私たちの行いとしての「業」は、その結果がすぐに現れるものもあれば、来世、来来世となるものもあったり、また、色々な業がゴチャ混ぜになって熟されてしまうため、あの時の悪業が、この結果とは容易にはわかり得ないものであります。

ただ、善い業は、必ず善い結果となる、悪い業は、必ず悪い結果となる、この因果応報の法則には変わりがないものとなります。

もし悪い行いをしていても、まだその結果がなかなか出ず、善いこと、幸運なことがあるとすれば、それは過去(世)での善い行いの因縁がまだあるから、ということもあるわけです。しかし、その善業、功徳の力が尽きてしまえば、もう、後は、悪業によっての苦しみの結果だけを受けることになってしまうのであります。それも結局はそれぞれ自分自身の問題で、自業自得となるのであります。

とにかく、仏教では、善い行いを積み、しっかりと業を清らかに調えて、悟りへの道を歩むことが大切となります。六波羅蜜の実践がそのようになります。

合掌


往生院金堂跡・探索動画

2024年01月24日 | ブログ


これは往生院金堂跡に着いてからすぐに撮った動画。散在している瓦について述べている。まだまだ普通で、これから30分ほどしてから、あの事態となるのである、、

・・



これは往生院金堂跡の史跡指定の石碑。大阪府指定。まだ、到着してまもない時。もちろん元気。

・・



金堂跡の下で菜園をされている方々にもチラシを渡して協力を頂こうと考えていたが、配る前に退却となったものの、別の意味でもう教えてもらえたため全く必要なくなったのはよかった…

・・

今朝に往生院金堂跡に久しぶりに行ってきた。

地権者にも了承をもらっており、その目的は、平安時代に往生院を創建された安助上人のお墓、供養塔が必ず山内にあったはずでありながら、いまだ分からないままであり、そのおおよそのことを調べるために行ったのである。

色々なお寺に行っていることから、だいたい歴代の住職のお墓はここになるのではないかとの勘がつくため、そのお墓や供養塔が建てられてあったそうなところを隈なく調べていた。

しばらく回って調べるうちに、金堂跡裏手の南側の藪に入ったと同時に、体が重くなり、寒気と震え、めまいがして、もうろうとなり、ふらふらで立っておれなくなった…

もうダメだとして、とにかく下山、ふらふらになりながら、転げ落ちるようにして帰ってきて、寺務所前で倒れた…

息が浅く、意識も朦朧、驚いて出てきた妻の介抱にて、しばらく動けずに息を整えてから抱えられて家に帰り、なんとか横になる。

私の独り言で会話が始まり、それに私が相槌を打つ。

憑依にあったということ、、正直、はじめてのこと。

要約するとおおよそこうである。

往生院創建の安助上人から数えて五代目だと。足利の時の戦乱(畠山家の内紛の際か?)で金堂以下、伽藍が全て焼け落ちて、その際に私も討たれて亡くなったと。本尊さんは避難させて無事だが、避難の際に破損させてしまった(確かに破損があって修理されている跡がある)。金堂近くにある歴代のお墓に祀られたが、その後、お寺は本尊さんの避難した庵で村の信徒により守られた(現在の往生院)ものの、長い間、僧侶が入らず(往生院の金堂にあった説相箱が神感寺にわたり、竹林寺、唐招提寺へと至っている)、私たちのお墓は戦乱で荒らされたそのままになってしまい、やがて忘れ去られてしまったと。(江戸時代に浄土宗として再興されるまでは無住であった。現在の歴代のお墓もその時からの住職たちの無縫塔、五輪塔しかない。)

もとの往生院の歴代を供養してほしいと。(現在の往生院本堂に、位牌は、安助上人、黙庵和尚、正寛法師の御三方が祀られてある。)

上のことは私が独り言でつぶやき、それに、わかりましたと答えて、ようやく体が治ってきた。この様子を妻が横で不思議そうに見ていたのは言うまでもない。

ということになり、信じるか信じないかはともかく、住職に話して、改めて行ってみて、どのように供養するべきかを考えて、供養したいと思います。

しんどくなる直前まで、動画を撮っていたため画像は少ないが、最後に画像を撮ったところで、しんどくなった。この石は、まさにお墓の五輪塔の一部ではないかと思われるのである。

とにかく少し楽になってよかったが、まだふらふらしている。

・・

五代目とは少ないのでは?と思ったが、南北朝時代にも楠木正行公の本陣となって焼け落ちている。だから鎌倉と室町の瓦があるのだ。間に無住の時期がところどころであったのだろう、、

また、お名前は「浄興」と。寺史上の記録にはないお名前だ。

安助上人から記録にある入寺僧侶は、黙庵禅師と熊王丸こと正寛法師だけである。兼実により金堂が建てられた際は住職はおらず、四天王寺別当が住職を兼ねていたと思われ、慈円が名義的にはあたっていたと思われる。九条家個人の別荘みたいな管理にあったのだろう。九条道家の際に臨済宗となり、しばらくして黙庵禅師が入寺した記録がある。楠木正行公胴亡骸を胴塚に弔ったのも黙庵禅師になる。伽藍は高師直軍により火をかけられて消失しており、黙庵禅師は他に住持されることになる。それからの再建後には、正寛法師が入った記録はあるが住職になったのかどうかはわからない。その再建された伽藍が消失したのが、室町期の河内守護の畠山家による内紛時で、その際の住職が浄興さんであったのであろう、、とにかく大変なことにあった…


往生院金堂跡に平安時代、往生院を創建された安助上人のお墓、供養塔を探しに行ったら・・

2024年01月23日 | ブログ
今朝に往生院金堂跡に久しぶりに行ってきた。

地権者にも了承をもらっており、その目的は、平安時代に往生院を創建された安助上人のお墓、供養塔が必ず山内にあったはずでありながら、いまだ分からないままであり、そのおおよそのことを調べるために行ったのである。

色々なお寺に行っていることから、だいたい歴代の住職のお墓はここになるのではないかとの勘がつくため、そのお墓や供養塔が建てられてあったそうなところを隈なく調べていた。

しばらく回って調べるうちに、金堂跡裏手の南側の藪に入ったと同時に、体が重くなり、寒気と震え、めまいがして、もうろうとなり、ふらふらで立っておれなくなった…

もうダメだとして、とにかく下山、ふらふらになりながら、転げ落ちるようにして帰ってきて、寺務所前で倒れた…

息が浅く、意識も朦朧、驚いて出てきた妻の介抱にて、しばらく動けずに息を整えてから抱えられて家に帰り、なんとか横になる。

私の独り言で会話が始まり、それに私が相槌を打つ。

憑依にあったということ、、正直、はじめてのこと。

要約するとおおよそこうである。

往生院創建の安助上人から数えて五代目だと。足利の時の戦乱(畠山家の内紛の際か?)で金堂以下、伽藍が全て焼け落ちて、その際に私も討たれて亡くなったと。本尊さんは避難させて無事だが、避難の際に破損させてしまった(確かに破損があって修理されている跡がある)。金堂近くにある歴代のお墓に祀られたが、その後、お寺は本尊さんの避難した庵で村の信徒により守られた(現在の往生院)ものの、長い間、僧侶が入らず(往生院の金堂にあった説相箱が神感寺にわたり、竹林寺、唐招提寺へと至っている)、私たちのお墓は戦乱で荒らされたそのままになってしまい、やがて忘れ去られてしまったと。(江戸時代に浄土宗として再興されるまでは無住であった。現在の歴代のお墓もその時からの住職たちの無縫塔、五輪塔しかない。)

もとの往生院の歴代を供養してほしいと。(現在の往生院本堂に、位牌は、安助上人、黙庵和尚、正寛法師の御三方が祀られてある。)

上のことは私が独り言でつぶやき、それに、わかりましたと答えて、ようやく体が治ってきた。この様子を妻が横で不思議そうに見ていたのは言うまでもない。

ということになり、信じるか信じないかはともかく、住職に話して、改めて行ってみて、どのように供養するべきかを考えて、供養したいと思います。

しんどくなる直前まで、動画を撮っていたため画像は少ないが、最後に画像を撮ったところで、しんどくなった。この石は、まさにお墓の五輪塔の一部ではないかと思われるのである。

とにかく少し楽になってよかったが、まだふらふらしている。

・・

五代目とは少ないのでは?と思ったが、南北朝時代にも楠木正行公の本陣となって焼け落ちている。だから鎌倉と室町の瓦があるのだ。間に無住の時期がところどころであったのだろう、、

また、お名前は「浄興」と。寺史上の記録にはないお名前だ。

安助上人から記録にある入寺僧侶は、黙庵禅師と熊王丸こと正寛法師だけである。兼実により金堂が建てられた際は住職はおらず、四天王寺別当が住職を兼ねていたと思われ、慈円が名義的にはあたっていたと思われる。九条家個人の別荘みたいな管理にあったのだろう。九条道家の際に臨済宗となり、しばらくして黙庵禅師が入寺した記録がある。楠木正行公胴亡骸を胴塚に弔ったのも黙庵禅師になる。伽藍は高師直軍により火をかけられて消失しており、黙庵禅師は他に住持されることになる。それからの再建後には、正寛法師が入った記録はあるが住職になったのかどうかはわからない。その再建された伽藍が消失したのが、室町期の河内守護の畠山家による内紛時で、その際の住職が浄興さんであったのであろう、、とにかく大変なことにあった…


「明暦の大火」の歴史の謎について・由井正雪の残党たちによる反乱蜂起説

2024年01月22日 | ブログ
もちろん、拙生、「新しい領解文」についてだけを考察しているわけではない。並行して美作後南朝史、宮沢賢治父子にない堂参詣説についても研究継続しています。

さて・・この「明暦の大火」の歴史の謎であるが、

少し前に美作後南朝史について考察している中で、

旧美作藩・津山総鎮守として知られている徳守神社の由来について
https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/e9c36f8bede3c1e87edeb06c056d5a9d

「・・また、徳川紀伊家の初代となる徳川頼宣(徳川家康の十男)も松平忠輝同様に後南朝・高仁天皇の支持者であったとされ、家光以降の南朝勢力に対しての冷遇策への反発心があったと言われており、由比正雪の乱である「慶安の変」への関与も疑われることになります。(由比正雪の乱の背景には、南朝勢力に対しての論功行賞への不満、冷遇策により爆発することになったのではないかとも考えられています。)・・」

と取り上げたこととも繋がってくるのが、実は、この「明暦の大火」であると考えているのでもあります。

コメしたように・・

「・・拙生は、楠木正辰からの南木流軍学者、由井正雪(橘正雪)の残党たちによる南朝遺臣たち(関ヶ原の戦いは南朝遺臣勢力の結集により徳川家康の有利に働いたことへの論功行賞へ)の不満による蜂起反乱のための計画的な火事であったのではないかと見ています。由井正雪の「慶安の変」の本当の目的は、美作後南朝小倉宮家を擁立しての幕府転覆計画であったと思われるのであります。・・」

として、美作後南朝小倉宮家の高仁天皇を廃位させた徳川家に対しての反乱が、由井正雪による「慶安の変」であり、高仁天皇を支持していた徳川頼宣が、「慶安の変」後に江戸に10年近く蟄居処分となったのも、幕府が、「慶安の変」の本当の裏の首謀者を徳川頼宣と睨んでいた証左であるというわけなのでもあります。

南朝勢力のお陰で徳川幕府を開けたのに、その十分な論功行賞も無く、後水尾天皇が譲位して即位した美作後南朝の高仁天皇を、家光が30万もの兵を率いて上洛、即座に廃位させ、徳川和子の子である明正天皇を即位させることになったわけなのであります・・この不満が爆発した一つが、「明暦の大火」であると考えるのであります。

また、本妙寺の隣の阿部忠秋の屋敷が火元であったとする説も、慶安の変、承応の変への処分に対しての老中への由比正雪の残党による報復からとも考えられるのであります。

ただ、承応の変では、阿部忠秋の家臣である山本勘助の孫、山本兵部も関わっていたとされるなどの色々と不可解な点も。(南朝方)浪人たちへの一定の理解を示していた阿部忠秋が、実は首謀者と疑われないためにも、本妙寺出火と偽装した可能性ももちろんあるわけです。

怪奇な歴史研究室、毎回本当に勉強になります。お勧めです。

https://www.youtube.com/watch?v=OFyMuoMCYgQ


簡単に述べる満井論文の間違い

2024年01月22日 | ブログ
もっと簡単に満井論の間違いを教えて下さいとのことですが、

一切が空であることを根拠として、全ては無分別であり、一如、同じだ、として、悟りも煩悩も、仏陀も凡夫も一如、同じだ、と述べているということであり、これは本覚思想以前の問題で、要は、「悪取空見」の典型的な論であるわけです。

後期中観思想の仏教認識論から拙生は反論を述べさせて頂いたわけですが、これは、単に、仏教における「空」、「縁起」、「中観」をちゃんと学んでいない、理解していない証左となるもので、大変に恥ずかしいと言えるわけです。

日常的な例えで簡単に言うと、赤信号も青信号も、空で一如、無分別、同じだとして、信号における世俗的な意味合い、ありよう、あり方をも無視して、交差点に突っ込むようなことと同じであるわけです。

当然に命を落とす愚かな行為になるわけです。その愚かなあり方を勧めているということで問題なわけでもあります。

これと同じことを改悔批判、論文において、論、根拠として述べているということであります。論外中の論外の論を、「議論の余地がない」と、、これを本当に世に出したの?と、笑ける、恥ずかしいを通り越して、もう哀れなわけであります。

誰かもう本当になんとかしてやってくれよ、、

まあ、こういう論は、いわゆる典型的なカルトの論で、思考停止させて、マインドコントロールしての金の吸い上げのために出てくるのでもあります。

林遊さんが前に述べられていたように、末寺、門徒から経済的搾取をするためということとも、結局は繋がってくるわけでもあります…



・・

仏教認識論の基本となる「凡夫と阿羅漢と仏陀の認識のあり方」についての対比
https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/467c2c1b1409d337b386884f88dbecee

・・

反論文をお願いしますと言われたが、私は、正式な研究者でもないし、学術学会員でもなく、どの学会にも属していない。また、「議論の余地はない」と、念押しして述べてある時点で、呆れてその気も無くなるレベルでさえある。

先に示した満井秀城勧学(与奪者)の改悔批判における

『「私の煩悩と仏のさとりは本来ひとつ」は、生死即涅槃の法義です。仏智見から見れば自他一如として、仏と衆生と隔てるものはありません。それを凡夫の分別心が両者を隔絶してしまうのです。』

の主張に対しての拙反論のあれだけで、もう十分にお腹いっぱいという感じでもある。。

要は、論文における下記に対して反論するだけで、もう十分ということである。

『・・これを私は約仏の視点として説明して来た。約仏の視点としての「生死即涅槃」とは、仏の眼からご覧になれば「自他一如」として、仏と衆生との間には、何も隔てるものはない。相手のいのちに自らのいのちを見るのが、仏知見というもので、仏の無分別智から見れば、仏と衆生とは隔絶していない。それを衆生の側が、凡夫の妄分別によって生仏を隔絶して捉えてしまうのである。・・』(『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』満井秀城・序論より)

要は、主張したい、正論としたいのは、この点なのである。

もちろん、間違っているし、トンチンカンな主張である。

それは、前回に拙生が述べてあるとおりである。

[・・仏智見は、単純に、自他一如と観るわけではない。仏智見とは、一切は空性として如実に直観知する仏陀による見方のことである。確かに、空性としては、一切、自他共に一如ではある。つまり、悟りも煩悩も当然に空性を本質としているということは同じではあるが、それで、悟りと煩悩が同じとはもちろん言えないのである。はたらきがまるで違うし、煩悩があるならば、まず迷い苦しみは無くならないし、空性を了解すること自体も、そもそも難しいのである。また、凡夫の分別心が、悟りと煩悩を分けるわけではない。悟りと煩悩を分けるのは、空性了解の有無である。空性了解できていない凡夫が、悟りの状態にあるなどとはもちろん言えないのである。更に、悟りは無分別ではない。悟った仏陀は、如実知と如量知にて、空性了解から世俗の煩悩による迷い苦しみのありようもご覧になられるのである。空性了解のない凡夫煩悩からではもちろんそんな見方も無理なのである。正確に述べるのであれば、無分別なのは、空性として離戯論であるということを示している事態であり、世俗、凡夫、煩悩のある立場からでは、それも真に理解することも無理なのである。空性を本質としてあること以外に悟りと煩悩が同じなわけなど全くないのである。・・]

これ以上に正直、書きようがない。

満井勧学は、空も、縁起も、中観思想も、全くと言ってよいほどに理解が浅く、乏しい。そんな相手とやり合っても正直意味がないし、時間の無駄になる。しかも、「議論の余地はない」と二回も念押ししている。まあ、この程度のレベルが、浄土真宗本願寺派(西本願寺)総合研究所の所長、勧学ということでもあるのだろう・・情けないと思わないのだろうかと不思議なぐらいである・・

・・

『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』/ 満井秀城

序論

新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)の総局主催による学習会が、全31教区及び沖縄特区を対象におこなわれており、令和5年内で半数余りの教区で実施済みである。その折には、「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」の一行に、どこの教区でも疑問や質問が投げかけられている。これについて、研究所長としての私の説明論理は以下の通りである。

「私の煩悩と仏のさとりは本来一つ」は、「生死即涅槃」の道理であり、宗祖親鸞聖人に「証知生死即涅槃」(正信偈)として明確な出拠がある。これは『往生論註』利行満足章に出る語で、そこでは、「無碍」の釈義として『華厳経』と関連させながら説明され、讃嘆門で釈される「尽十方無碍光如来」と首尾一貫した説示となっている。つまり、この「私の煩悩と仏のさとりは本来一つ」の部分については、議論の余地はまったくない。しかし、注意すべき点があり、多くの誤解が起こっているのも確かである。

①先ず注意すべきは、「正信偈」では「証知」と示されており、「惑染の凡夫」の往相廻向の到達点としての証果の内容である点である。我々が、この身この世において信知する内容としては説かれていないのである。これを私は約仏の視点として説明して来た。約仏の視点としての「生死即涅槃」とは、仏の眼からご覧になれば「自他一如」として、仏と衆生との間には、何も隔てるものはない。相手のいのちに自らのいのちを見るのが、仏知見というもので、仏の無分別智から見れば、仏と衆生とは隔絶していない。それを衆生の側が、凡夫の妄分別によって生仏を隔絶して捉えてしまうのである。好きか嫌いか、役に立つか立たないか、まさに自分の都合によって自他を区別するので、「我他彼此」(ガタピシ)という不快な軋みが起こるのである。

約仏と約生の混乱が最も典型的に表れるのが「悪人正機」である。もともと「悪人正機」とは、仏の側からご覧になって、凡夫悪人がほっておけないとする「約仏」の言葉である。それを勝手に衆生の側に持ち替えることによって、「悪人正機」なら、どんな悪いことを行なってもよいのだという理屈になってしまう。

また、時折、「領解は自己の信仰表明だから、約生であるべきだ」との意見も寄せられるが、「自己の信仰表明だから」こそ、約仏としての仏徳讃嘆もありうるであろう。

②次には、「本来一つゆえ」がどこに続くのかが問題点である。

「本来一つだから、そのまま救われる」と理解したら、とんでもない事態になる。こうなると、信心さえも要らないという信心不要論、すなわち無帰命安心に転落してしまう。

私が学習会で説明して来た論理は、以下の「論註』善巧摂化章の論理である。そこでは、『浄土論』本体の「巧方便回向」の成就について、
実相を知るをもつてのゆゑに、すなはち三界の衆生の虚妄の相を知るなり。衆生の虚妄なるを知れば、すなはち真実の慈悲を生ずるなり。
(『浄土真宗聖典七祖篇(註釈版)』143頁)

仏の真実の智慧をもって凡夫虚妄の実相をご覧になれば、必ず慈悲に展開するのである。つまり、「本来一つゆえ」は、そのまま救われるに繋がるのではなく、「弥陀のよび声」という、慈悲の展開に繋がるわけである。

「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」を巡る疑問点は上の二つに集約されると思うが、基本的に、仏教の思想的流れを理解しておく必要があると考える。

そこで、仏教思想史上の流れを辿り、そのことによって、「他力廻向法」の根源を論理的に整理することを目的に、総合研究所の伝わる伝道研究室での基礎研究会において、いくつかの先行研究を学んで来た。その一端を示し、先ずは宗門内に向けての理解の一助たればと願う次第である。

《なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか》

はじめに

まずは「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえそのまま救うが弥陀の呼び声」に込められたご門主のお心を伺っておきたい。

ご門主は「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年についての消息」(以下「850消息」)で次のようにお示し下さっている。(以下、引用文の中略・下線は引用者による)

仏教は今から約2500年前、釈尊が縁起や諸行無常・諸法無我というこの世界のありのままの真実をさとられたことに始まります。(中略)ありのままの真実に基づく阿弥陀如来のお慈悲でありますから、いのちあるものすべてに平等にそそがれ、自己中心的な考え方しかできない煩悩具足の私たちも決して見捨てられることはありません(1)。

この消息では、苦しむ衆生を「そのまま救う」という慈悲として成立し得る仏法上の思想的根拠を、「ありのままの真実に基づく阿弥陀如来のお慈悲」と表現されている。これはさとられた真実、すなわち仏の智慧に基づく慈悲であることを明示しているのである。

村上速水氏は、仏の智慧と慈悲の関係性を次のように説明している。

すなわち真実の智慧に徹するとき、そこに実相が知られるが、同時にまた現実が虚であることも知らされる。現実が虚妄であることが知られれば、当然そのような虚妄なるものに執着するということは有り得ないし、しかも現実の虚妄相を認知すればこれを憐愍せざるをえないのは理の当然である。すなわち真実の智慧は必然的に慈悲を生ずる。これを『論註』には、

実相を知るをもってのゆゑに、すなはち三界の衆生の虚妄の相を知るなり。衆生の虚妄なるを知れば、すなはち真実の慈悲を生ずるなり(2)。というのである(3)。

「850消息」に示される内容を踏まえて「新しい領解文」を見てみると、「煩悩菩提体無二」という真実の智慧に基づく阿弥陀如来のお慈悲が示されていることは明らかである。以下、基礎となる文献と先学諸氏の論攷に基づき、弥陀の本願が、迷える夫を「そのまま救う」慈悲として成立しうる仏教の歴史における思想的根拠について究明することを本稿の目的とする。

御文章の「信心獲得章」には、次のように説かれている。

南無と帰命する一念の処に発願回向のこころあるべし。これすなはち弥陀如来の凡夫に回向しましますこころなり。これを『大経』(上)には、「令諸衆生功徳成「就」と説けり。されば無始以来つくりとつくる悪業煩悩を、のこるところもなく願力不思議をもつて消滅するいはれあるがゆゑに、正定聚不退の位に住すとなりこれによりて「煩悩を断ぜずして涅槃をう」といへるはこのこころなり(4)。

ここには、阿弥陀如来の発願回向の心、願力不思議をもって悪業煩悩を「消滅するいはれあるがゆゑに」「煩悩を断ぜずして涅槃をうといへる」と述べられているだけである。なぜ、願力不思議をもって「煩悩を断ぜずして涅槃をう」といえるのか。その理由の説明がなければ、知的理解を是とする教育になれ親しんでいる現代人には不親切であろう。肝腎なところがよくわからないのではないか。

I.仏教の思想的歴史

(1)縁起説は、いうまでもなく仏教の基本的な思想であり、それを軸に仏教思想史は展開してきた。初期仏教の縁起説は、苦しみ悩む有情が主題となっており、老死という苦しみの原因を愛(渇愛)や無明(無知)に求める十二支縁起(十二因縁)説が代表的なものとして説かれた。部派仏教時代になると、縁起説を、過去世・現在世・未来世の三世にわたる業の因果関係と見る三世両重の業感縁起説として解釈され、客観世界や客観的現象まで説明しうる「六因四縁五果」(説一切有部)や「二十四縁」(南方上座部)というような縁起説が説かれた。しかし、この段階までの縁起説は迷いの世界(有為)のみを説明するものであり、さとりの世界(無為)は縁起の中に含まれず、さとりは滅とか解脱と表現され、縁起を超越し、縁起の滅した世界とされた。

また初期仏教・部派仏教では、さとりは出家者の実践修行(戒・定・慧など)によって到達できる出世間的果報(解脱・涅槃)とされ、在家信者に対しては「次第「説法」による「生天」思想が教説の中心であった。
(2)一方、紀元前後ごろに興起した大乗仏教では、すべての有情が仏になれる道がひらかれた。さらに、ナーガールジュナ(龍樹)は、初期仏教以来の縁起説を空・「無自性の思想によって解釈し、大乗仏教の思想的基盤を構築したのである。

『根本中頌』の帰敬偈が示すように、ナーガールジュナ(龍樹)は釈尊の説かれた「縁起」の教えが、部派仏教の学者たちによって実体論的に理解されたのに対して、縁起とは空性である(諸法が縁起しているということは、諸法が実体的存在ではなくて、無自性・空である)と説いた。

また別の論書(例えば、『廻諍論』)では、「諸法は縁起の故に空である」と説いている(5)。すなわち、ナーガールジュナは、縁起によって空および無自性を基礎づけたのである(6)。

『根本中頌』第24章第18偈第19偈には次のように説かれている。

18 yah pratityasamutpādah śūnyatām tām pracaks mahe/
sā prajñaptir upādāya pratipat saiva madhyamā//
19 apratityasamutpanno dharmah kaścin na vidyate/
yasmāt tasmād aśunyo 'pi dharmaḥ kaścin na vidyate//

(第18偈)[諸々のものが何かを]縁として生起すること(縁起)を、我々は[諸々のものが]空であること(空性)と言う。それ(縁起)は[何かを]因として、[何かが]概念設定されること(因施設)であり、その同じものが中道である。(第19偈)[何かを]縁とせずに生起するもの(法)は、何ら存在しない。したがって、空でないもの(法)は何ら存在しない(7)。

(桂紹隆五島清隆『龍樹『根本中頌』を読む』春秋社、2016年)

①中村元氏は、縁起・空について次のように説明されている。

この諸法(いろいろのもの)は空を特質としています。だから常識的に考えると、いろいろなものが現れ、また消えます。けれど高い境地から見ると、「生ぜず滅せず」、すなわち現象世界においては、いろいろな力が加わって生じたり滅びたりしているのですが、高い立場から見るとただ偉大なる一つの理があるだけで、生じても滅してもいません。だから垢がつくこともない、浄くなるということもない、増えるということも減るということもない。ただ偉大なる真実がそこにあるだけです(8)。

仏の智慧によって見れば、この現象世界はただ空なる真実があるだけの境地なのであろう。

②藤田宏達氏は、阿弥陀仏になる前の法蔵菩薩の修行の内容について、『無量寿経』に「注意すべき叙述も見出される」として、次のように指摘されている。

「空・無相・無願の法に住して、作なく起なく、法を観ずること化のごとし」というのは、〈般若経〉に示されるような空の思想の影響を受けた表現と見られる。このような表現は、サンスクリット本など他の「後期無量寿経」の諸本にも認められるが、「初期無量寿経」には認められないから、〈無量寿経〉の発達した段階において〈般若経〉などの影響によって説かれるようになったものであろう。また、「自ら六波羅蜜を行じ」とあるのは、法蔵菩薩の修行内容が大乗仏教全体に通ずる菩薩行にほかならないことを示している(9)。

③梶山雄一氏は、阿弥陀仏信仰について次のように述べている。

阿弥陀仏信仰は廻向の宗教ということができる。インドの業報思想では、善い行為はかならず、その行為者自身に、幸せをもたらし、悪い行為は、かならず、行為者自身に、不幸をもたらした。この鉄則は、神がみもブッダも聖者も、変えることができなかった。

しかし阿弥陀仏は、もと菩薩であったとき、あらゆる人びとを救うために、極楽国土を建設しようと誓いをたて、その後、兆載永劫の修行をなしとげて、成仏して極楽の主となった。そして、業報の法則によれば、地獄に堕ちるより仕方のない悪人をも、阿弥陀仏は自己の修行の功徳を彼にめぐらして、極楽に往生させ、成仏させる。それは、業報の鉄則を破り、超える、恩寵の宗教である。恩寵は、仏教では、廻向という言葉であらわされる(10)。

梶山氏は、阿弥陀仏信仰は大乗の「廻向」の思想によって成り立っていると指摘する。ちなみに「廻向」の思想はすでに初期仏教に見られ、そこでは衆生が善業を行った結果として得られる功徳を、自分自身もしくは他者(通常、亡くなった親族)にふり向けるという考えであった。

また梶山氏は大乗の「廻向」について、

この廻向という言葉と思想を、論理の裏づけを伴った形で最初に宣言したのは、『般若経』の空の思想であった。もとより、『般若経』以前にも、廻向に通じる考え方は散見される。しかし、その考え方を定形にまで発展させ、これを廻向(パリナーマナー)と名づけたのは『八千頌般若経』であった。

空とは、あらゆるものが、不変にして恒常な本性をもたない、ということである。もし、ものが変わらないで永続するならば、それは生ずることも、存在することも、滅することもないはずである。なぜなら、生起・存在・消滅は、いずれも、変化にほかならないからである。いいかえれば、あらゆるものは、固有の実体とか本性とかをもっていない、だから空である、ということになる。ものは原因や条件しだいで生じ、原因や条件がなくなれば滅するだけのものである。

空の思想は必然的に不二の思想に導いてゆく。もしAなるものに実体がなく、Bなるものにも実体がなければ、AとBとは、ともに実体の空なるものとして、区別されず、分つことのできないものとなる。すなわち、不二であることになる。一見対立している二つのものたとえば煩悩とさとりは、ともに空であるから、本質的には不二である。(中略)重要なことは、廻向の思想は空の論理なくしては成り立たない、ということであった。廻向とは、善行の果報である、この世での幸福を、極楽往生やさとりという超世間的なものに、内容的に転換したり、あるいは自己の功徳を、方向を変えて、他人にめぐらすことである。それはいずれも業報の法則を破るものである。

しかしそのような、功徳の内容あるいは方向の転換は、業も果も本質的には実体のない、空なるものであるからこそ可能となる。阿弥陀仏が自己の功徳を迷える人びとにめぐらすということは、仏も衆生もともに空であり、不二であるからできるのである(11)。等と述べている。

④中村元氏の次の指摘は、極めて端的である。

慈悲と空とは、実質的には同じです。哲学面から見ると空ですが、実践面からいうと慈悲になります。われとなんじが相対しているとき、そこに隔てがあるかぎりわれとなんじの対立はいつまでも残っています。けれど、その根底にある空の境地に立って自分の身を相手の立場に置いて考えるようにすると、そこから、ほんとうの意味の愛が成立します。それを仏教では「慈悲」とよんでいます(12)。

つまり、空の故に対立項は不二であり、自他平等が意識され、慈悲(愛)が平等に注がれるのである。

II.廻向の出どころ

(1)他力廻向法の根源

①真宗の他力廻向に関して、村上速水氏は、

真宗に於ける皆有仏性義は、諸法の空無自性なることを表わすもので、救済可能の原理となるものであるが、信仰の場に於いて衆生の自覚にあらわれるというようなものではない。どこまでも性の立場に於いて語られることであって、修の立場、即ち現実の自己は必堕無間の凡夫の外の何ものでもないのである。換言すれば、善導が「出離の縁あることなし」といい、また謗法の如きは朽林碩石の如く受化の義なし、というのは、その造悪の当相についていうので、もし無自性の義を許さなかったならば、「謗法闡提廻心皆往」(「法事讃』上七丁一真聖全一・五六七)という言葉は解釈できぬこととなろう。

されば他力廻向が実践され、他力救済が可能となるためには、生仏一如にして無自性である義が許されるべきであって、生仏異質なりとすれば衆生の成仏は不可能といわなければならない(13)。

と極めて明解に述べられている。

②また、梶山氏も「回向の思想は、空の論理なくしては成り立たない」と言われ、さらに「空の思想は必然的に不二の思想に導いてゆく(中略)一見対立している二つのもの、たとえば煩悩とさとりは、ともに空であるから、本質的には不二である」

と念を押されている。

(2)煩悩菩提体無二

親鸞聖人は『高僧和讃』「曇鸞讃」において

本願円頓一乗は逆悪摂すと信知して
煩悩・菩提体無二とすみやかにとくさとらしむ

と示されている。この「煩悩菩提体無二」という語について、『浄土真宗聖典(註釈版第二版)』脚註には「煩悩と菩提とが本来一つであること」と説明している(14)。

①村上速水氏は、

仏性とは煩悩に対する菩提というような概念ではなく、両者に共通する基盤たるべきものであり、万法が縁によって変化してゆく無自性空なることをいうのである。故にもし衆生が一念の迷妄に遇えば、それを全うじて迷いとなり、仏の智に遇えばこれを全うじて悟界となる。仏と衆生とはこのように無自性空を共通の地盤とするから、煩悩が転じて菩提となり、生死を全うじて涅槃となり得るのであって、もし煩悩に固定した自性があるならば、煩悩はついに菩提に転ずることは不可能であろう。親鸞が「行巻」の一乗海釈において、海の転成の徳のあることを顕わし、仏や衆生の解釈をするのに多く曇鸞によられる意も、またここにありと見るべきである。『高僧和讃』(曇鸞讃)に

本願円頓一乗は逆悪摂すと信知して
煩悩菩提体無二とすみやかにとくさとらしむ
(中略)

と歌われるのは、まさにこの意味である(15)と述べられている。

「煩悩菩提体無二」「私の煩悩と仏のさとりは本来一つ」、すなわち「煩悩とさとりは、ともに空であるから、本質的に不二(16)」ゆえに、仏の側からは「われにまかせよそのまま救う」という慈悲の言葉、すなわち空からの招き・よびかけとなる。そして、さとれない凡夫は「そのまま救う」の弥陀のよび声と聞かせていただくだけであり、疑いの心なく信じ任せるだけなのである。

②また村上速水氏は、浄土真宗の教法と仏教との関係性について、その教法は「如来興世の正説」であり、「一乗究竟の極説」である。

本願一乗は頓極頓速円融円満の教なれば、絶対不二の教、一実真如の道なり。応に知るべし、専中の専、頓中の頓、真中の真、円中の円なり。一乗一実は大誓願海なり。(二・四五八)

である。これらの文によって明らかなように、親鸞の意図は浄土真宗をもって大乗無上の法とする意図であり、聖道門や浄土異流に超勝する意味であって、仏教そのものを超えた法とする意味ではない(17)。
と述べられている。

③梯實圓氏の行信教校での最後の講義は、平成26年12月16日であったというから、次に引用する同年11月4日の講義は最晩年のものといえる。梯氏は講義の中で「空」について、

「いのち」の根源を直感する。これは推理でもなければ、判断でもない直覚なのです。一瞬にして宇宙の全体が見通せるような直覚です。私が何かを知るというような対象的な知り方とは全く違います。天地が私を通して自らを自覚しているような、そういう知り方なのです。それを「無分別智」と言うのです。これを「一切が空である」と言ったのです(18)。

と述べられている。

④中村元氏は、「一切」ではなくさらに具体的に「救う主体も空、救われるものも空、さらに救われて到達する境地も空(19)」なのだといわれている。

仏も衆生も空であり、ともに固定した実体、すがたかたちのない空なるものとして「区別されず、分かつことのできないもの(20)」である。

したがって、勧学寮が「同意(21)」し、ご門主が発布されたご消息に示されている「新しい領解文」にあるように、私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ「そのまま救う」が弥陀のよび声と、われわれはいただくのである。

⑤桂紹隆氏によれば、「煩悩即菩提」という語は、縁起・無自性・空・不二の大乗仏教の思想に基づく表現である。大正大蔵経を検索するとインド仏典では「煩悩即「菩提」は二箇所にのみ出る。一つは『大乗荘厳経論』、もう一つは「摂大乗論』であり、いずれも唯識派の主要文献である。それらの梵語原文を見ると、表現は「煩「悩即菩提」とはなっていないが、主旨は同じであるという(22)。

桂氏は結論として、梶山氏のように「空思想」に基づいて「煩悩即菩提」と解釈することは十分可能であるが、文献学的には唯識論書中の「煩悩即菩提」にも注目する必要があるといわれている。いずれにせよ、「煩悩即菩提」は仏陀の悟りの境地からの文言であり、決して私たち凡夫の視点から言えることではなく、必ず「本来は」とか「本当は」という限定が必要であると注意を促しておられる。

「新しい領解文」に関して、三行目の「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」だけを取って見れば、従来の法話等を聞いてきた者にとっては違和感を覚えるかもしれない。もし、「私の煩悩と仏のさとりは一つゆえ」と表現されていて、ここに「本来」という言葉がなければ、これはわれわれ凡夫の側の認識である。もっとも、「仏の視線であれば、『私』と『仏』という対比もないはずである」という懸念もあるかもしれないが、この点を間違わない意味で「本来一つゆえ」と念が押されているのであろう。すなわち、生仏一如にして無自性・空、煩悩とさとりは「本来一つゆえ」、煩悩即菩提という仏の悟りの境地からの仰せとして、「そのまま救う」が弥陀のよび声、となるのである(23)。

結論

「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」の「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」という一行について、二つの疑問点をふまえ仏教思想史上の流れを辿り「他力廻向法」の根源について整理した。

その結果をふまえ、あらためて言いうることは「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」の一行は、勧学寮の同意があるように浄土真宗の法義として、また仏教思想史的にも問題はなく、序論でも述べたように議論の余地はないといえる。


1 龍谷門主釋専如 「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年についての消息」、 2019年1月9日、 『本
願寺新報』号外。
2 論文原文は漢文であるが、便宜上 『浄土真宗聖典七祖篇(註釈版)』 の書き下し文に変更した。 『浄
土真宗聖典七祖篇(註釈版)』(本願寺出版社、2022年)、 『往生論註』 巻下、143頁。
3 村上速水 「親鸞教義の研究』 永田文昌堂、 1984年、 175~176頁。
4 『浄土真宗聖典 (註釈版第二版)」 「御文章」 五帖 (五)、 本願寺出版社、2019年、 1192頁。
5 中観派の空思想については、桂紹隆先生のご指導をいただいた。
6 中村元「空の論理』 (中村元選集 決定版 第22巻) 春秋社、1994年、 265~266頁参照。
7 桂紹隆・五島清隆 『龍樹 『根本中頌』 を読む』 春秋社、2016年、96頁。
8 中村元『般若経典 (現代語訳 大乗仏典I)』 東京書籍、2014年、 48頁。 9 藤田宏達 桜部建 「無量寿経 阿弥陀経』 講談社、1994年、 147頁。
10 梶山雄一『大乗仏教の誕生 「さとり」 と 「廻向」』 講談社、 2021年、20~21頁。
11 梶山雄一『大乗仏教の誕生 「さとり」 と 「廻向」』 講談社、 2021年、 21~23頁。
12 中村元 『般若経典 (現代語訳 大乗仏典I)』 東京書籍、2014年、 136頁。
13 村上速水 「親鸞教義の研究』 永田文昌堂、1984年、 177頁。
14 『浄土真宗聖典(註釈版第二版)』『高僧和讃』「曇鸞讃」、本願寺出版社、2019年、584頁。
15 村上速水 『親鸞教義の研究』 永田文昌堂、1984年、 174~175頁。
16 梶山雄一「大乗仏教の誕生 「さとり」 と 「廻向」』 講談社、 2021年、22頁。
17 村上速水 『続・ 親鸞教義の研究』 永田文昌堂、 1989年、 122頁。
18 梯實圓 「法界に遊ぶ』 学校法人行信教校梯實圓和上墓碑建立委員会、2016年、38~39頁。
19 中村元 般若経典 (現代語訳 大乗仏典I)』 東京書籍、 2014年、39頁。
20 梶山雄一『大乗仏教の誕生 「さとり」と「廻向」』 講談社、 2021年、22頁。
21 詳細は 『宗報』 2023年6月号、 22~27頁参照。
22 唯識派の主要文献である 『大乗荘厳経論』 と 『摂大乗論』における「煩悩即菩提」について、梵 語原典の翻訳 検討に基づくご指導を桂紹隆氏より賜った。
23 今回の論文執筆にあたり、 広島大学ならびに龍谷大学名誉教授の桂紹隆氏からさまざま有意義な ご教示をいただいた。氏の高い学問的見識に心からの敬意を表し、深く感謝を申し上げる次第である。

発行元 浄土真宗本願寺派総合研究所
発行日 2024(令和6)年1月15日

満井秀城勧学が桂紹隆氏の晩節を汚させてしまった罪も重い・・

2024年01月21日 | ブログ
しかし、満井秀城勧学が、論文『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』において、その暴論の論理的根拠を補完するために、桂紹隆氏に頼ったのも間違いである。

桂紹隆氏は中観の専門ではない。論理学の専門であるが、それも自立論証派、瑜伽行中観派よりで、後期中観思想は弱いのである。そのため、問題の本質に気づけずに、このような論文に協力してしまったのだろう・・

本件により、研究者として大きく評価を下げることになり、迷惑千万な話になったと、あとからきっと後悔されるだろう・・

同じ広大の先生なら根本裕史氏に頼めばこのようなことは防げて、間違いを指摘してもらえたはずなのに・・桂紹隆氏の晩節を汚させてしまう迷惑な話にもなり、誠に情けないことである。


もう何だか哀れでかわいそうになる満井論文・・

2024年01月21日 | ブログ
拙生の親鸞思想、浄土真宗教学の研究は、もちろん、中観思想、唯識思想の基本、仏教認識論、仏教論理学の基本から行ってきたものである。

この基本視点から、親鸞聖人の往還相の二種回向、法性方便の二種法身の思想を鑑みていく作業となっていた。

ある一定まできていたところで、この「新しい領解文」の問題に関わることになり、すっかりと逸れてしまったのであるが、ここで意外にも戻ることになったのは、ある意味では怪我の功名ではある。

しかし、まさかここまで仮にも勧学であり、今年の与奪者であり、研究所の所長との肩書まである方が、仏教の基本的なことさえ知らない?理解できていない?とは、正直、思わなかった。

これでは議論にもならないし、「議論の余地がない」などと強気に論文でよく述べれたものだと逆に感心する・・

いや、むしろ今日的な西本願寺・本願寺派の問題の本質を表しているとも言えるのであろう・・もう宗派全体的にこういう間違った方向性となる教学的、思想的な雰囲気が蔓延しているというのは、新しい領解文に至るまでの一連の流れ(救いのよろこび、念仏者の生き方、私たちのちかい、浄土真宗のみ教え)のみならず、「歎異抄なぞり書き」(扶桑社)に親鸞会の現代語訳を依用していることが明らかになったことなどからも分かるように、もう至るところに現れてきてあるということでもあるのだろう。

しかし、論文で「議論の余地がない」などと述べるのは、驕り、慢心の現れであり、恥の上塗りの更に上塗りでもあり、えらい取り返しの付かないものを出したものだと、もう何だか哀れでかわいそうにも思えてくるのである。

もう本当にだれかなんとかしてやってくれよ・・



・・

仏教認識論の基本となる「凡夫と阿羅漢と仏陀の認識のあり方」についての対比
https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/467c2c1b1409d337b386884f88dbecee

・・

反論文をお願いしますと言われたが、私は、正式な研究者でもないし、学術学会員でもなく、どの学会にも属していない。また、「議論の余地はない」と、念押しして述べてある時点で、呆れてその気も無くなるレベルでさえある。

先に示した満井秀城勧学(与奪者)の改悔批判における

『「私の煩悩と仏のさとりは本来ひとつ」は、生死即涅槃の法義です。仏智見から見れば自他一如として、仏と衆生と隔てるものはありません。それを凡夫の分別心が両者を隔絶してしまうのです。』

の主張に対しての拙反論のあれだけで、もう十分にお腹いっぱいという感じでもある。。

要は、論文における下記に対して反論するだけで、もう十分ということである。

『・・これを私は約仏の視点として説明して来た。約仏の視点としての「生死即涅槃」とは、仏の眼からご覧になれば「自他一如」として、仏と衆生との間には、何も隔てるものはない。相手のいのちに自らのいのちを見るのが、仏知見というもので、仏の無分別智から見れば、仏と衆生とは隔絶していない。それを衆生の側が、凡夫の妄分別によって生仏を隔絶して捉えてしまうのである。・・』(『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』満井秀城・序論より)

要は、主張したい、正論としたいのは、この点なのである。

もちろん、間違っているし、トンチンカンな主張である。

それは、前回に拙生が述べてあるとおりである。

[・・仏智見は、単純に、自他一如と観るわけではない。仏智見とは、一切は空性として如実に直観知する仏陀による見方のことである。確かに、空性としては、一切、自他共に一如ではある。つまり、悟りも煩悩も当然に空性を本質としているということは同じではあるが、それで、悟りと煩悩が同じとはもちろん言えないのである。はたらきがまるで違うし、煩悩があるならば、まず迷い苦しみは無くならないし、空性を了解すること自体も、そもそも難しいのである。また、凡夫の分別心が、悟りと煩悩を分けるわけではない。悟りと煩悩を分けるのは、空性了解の有無である。空性了解できていない凡夫が、悟りの状態にあるなどとはもちろん言えないのである。更に、悟りは無分別ではない。悟った仏陀は、如実知と如量知にて、空性了解から世俗の煩悩による迷い苦しみのありようもご覧になられるのである。空性了解のない凡夫煩悩からではもちろんそんな見方も無理なのである。正確に述べるのであれば、無分別なのは、空性として離戯論であるということを示している事態であり、世俗、凡夫、煩悩のある立場からでは、それも真に理解することも無理なのである。空性を本質としてあること以外に悟りと煩悩が同じなわけなど全くないのである。・・]

これ以上に正直、書きようがない。

満井勧学は、空も、縁起も、中観思想も、全くと言ってよいほどに理解が浅く、乏しい。そんな相手とやり合っても正直意味がないし、時間の無駄になる。しかも、「議論の余地はない」と二回も念押ししている。まあ、この程度のレベルが、浄土真宗本願寺派(西本願寺)総合研究所の所長、勧学ということでもあるのだろう・・情けないと思わないのだろうかと不思議なぐらいである・・

・・

『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』/ 満井秀城

序論

新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)の総局主催による学習会が、全31教区及び沖縄特区を対象におこなわれており、令和5年内で半数余りの教区で実施済みである。その折には、「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」の一行に、どこの教区でも疑問や質問が投げかけられている。これについて、研究所長としての私の説明論理は以下の通りである。

「私の煩悩と仏のさとりは本来一つ」は、「生死即涅槃」の道理であり、宗祖親鸞聖人に「証知生死即涅槃」(正信偈)として明確な出拠がある。これは『往生論註』利行満足章に出る語で、そこでは、「無碍」の釈義として『華厳経』と関連させながら説明され、讃嘆門で釈される「尽十方無碍光如来」と首尾一貫した説示となっている。つまり、この「私の煩悩と仏のさとりは本来一つ」の部分については、議論の余地はまったくない。しかし、注意すべき点があり、多くの誤解が起こっているのも確かである。

①先ず注意すべきは、「正信偈」では「証知」と示されており、「惑染の凡夫」の往相廻向の到達点としての証果の内容である点である。我々が、この身この世において信知する内容としては説かれていないのである。これを私は約仏の視点として説明して来た。約仏の視点としての「生死即涅槃」とは、仏の眼からご覧になれば「自他一如」として、仏と衆生との間には、何も隔てるものはない。相手のいのちに自らのいのちを見るのが、仏知見というもので、仏の無分別智から見れば、仏と衆生とは隔絶していない。それを衆生の側が、凡夫の妄分別によって生仏を隔絶して捉えてしまうのである。好きか嫌いか、役に立つか立たないか、まさに自分の都合によって自他を区別するので、「我他彼此」(ガタピシ)という不快な軋みが起こるのである。

約仏と約生の混乱が最も典型的に表れるのが「悪人正機」である。もともと「悪人正機」とは、仏の側からご覧になって、凡夫悪人がほっておけないとする「約仏」の言葉である。それを勝手に衆生の側に持ち替えることによって、「悪人正機」なら、どんな悪いことを行なってもよいのだという理屈になってしまう。

また、時折、「領解は自己の信仰表明だから、約生であるべきだ」との意見も寄せられるが、「自己の信仰表明だから」こそ、約仏としての仏徳讃嘆もありうるであろう。

②次には、「本来一つゆえ」がどこに続くのかが問題点である。

「本来一つだから、そのまま救われる」と理解したら、とんでもない事態になる。こうなると、信心さえも要らないという信心不要論、すなわち無帰命安心に転落してしまう。

私が学習会で説明して来た論理は、以下の「論註』善巧摂化章の論理である。そこでは、『浄土論』本体の「巧方便回向」の成就について、
実相を知るをもつてのゆゑに、すなはち三界の衆生の虚妄の相を知るなり。衆生の虚妄なるを知れば、すなはち真実の慈悲を生ずるなり。
(『浄土真宗聖典七祖篇(註釈版)』143頁)

仏の真実の智慧をもって凡夫虚妄の実相をご覧になれば、必ず慈悲に展開するのである。つまり、「本来一つゆえ」は、そのまま救われるに繋がるのではなく、「弥陀のよび声」という、慈悲の展開に繋がるわけである。

「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」を巡る疑問点は上の二つに集約されると思うが、基本的に、仏教の思想的流れを理解しておく必要があると考える。

そこで、仏教思想史上の流れを辿り、そのことによって、「他力廻向法」の根源を論理的に整理することを目的に、総合研究所の伝わる伝道研究室での基礎研究会において、いくつかの先行研究を学んで来た。その一端を示し、先ずは宗門内に向けての理解の一助たればと願う次第である。

《なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか》

はじめに

まずは「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえそのまま救うが弥陀の呼び声」に込められたご門主のお心を伺っておきたい。

ご門主は「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年についての消息」(以下「850消息」)で次のようにお示し下さっている。(以下、引用文の中略・下線は引用者による)

仏教は今から約2500年前、釈尊が縁起や諸行無常・諸法無我というこの世界のありのままの真実をさとられたことに始まります。(中略)ありのままの真実に基づく阿弥陀如来のお慈悲でありますから、いのちあるものすべてに平等にそそがれ、自己中心的な考え方しかできない煩悩具足の私たちも決して見捨てられることはありません(1)。

この消息では、苦しむ衆生を「そのまま救う」という慈悲として成立し得る仏法上の思想的根拠を、「ありのままの真実に基づく阿弥陀如来のお慈悲」と表現されている。これはさとられた真実、すなわち仏の智慧に基づく慈悲であることを明示しているのである。

村上速水氏は、仏の智慧と慈悲の関係性を次のように説明している。

すなわち真実の智慧に徹するとき、そこに実相が知られるが、同時にまた現実が虚であることも知らされる。現実が虚妄であることが知られれば、当然そのような虚妄なるものに執着するということは有り得ないし、しかも現実の虚妄相を認知すればこれを憐愍せざるをえないのは理の当然である。すなわち真実の智慧は必然的に慈悲を生ずる。これを『論註』には、

実相を知るをもってのゆゑに、すなはち三界の衆生の虚妄の相を知るなり。衆生の虚妄なるを知れば、すなはち真実の慈悲を生ずるなり(2)。というのである(3)。

「850消息」に示される内容を踏まえて「新しい領解文」を見てみると、「煩悩菩提体無二」という真実の智慧に基づく阿弥陀如来のお慈悲が示されていることは明らかである。以下、基礎となる文献と先学諸氏の論攷に基づき、弥陀の本願が、迷える夫を「そのまま救う」慈悲として成立しうる仏教の歴史における思想的根拠について究明することを本稿の目的とする。

御文章の「信心獲得章」には、次のように説かれている。

南無と帰命する一念の処に発願回向のこころあるべし。これすなはち弥陀如来の凡夫に回向しましますこころなり。これを『大経』(上)には、「令諸衆生功徳成「就」と説けり。されば無始以来つくりとつくる悪業煩悩を、のこるところもなく願力不思議をもつて消滅するいはれあるがゆゑに、正定聚不退の位に住すとなりこれによりて「煩悩を断ぜずして涅槃をう」といへるはこのこころなり(4)。

ここには、阿弥陀如来の発願回向の心、願力不思議をもって悪業煩悩を「消滅するいはれあるがゆゑに」「煩悩を断ぜずして涅槃をうといへる」と述べられているだけである。なぜ、願力不思議をもって「煩悩を断ぜずして涅槃をう」といえるのか。その理由の説明がなければ、知的理解を是とする教育になれ親しんでいる現代人には不親切であろう。肝腎なところがよくわからないのではないか。

I.仏教の思想的歴史

(1)縁起説は、いうまでもなく仏教の基本的な思想であり、それを軸に仏教思想史は展開してきた。初期仏教の縁起説は、苦しみ悩む有情が主題となっており、老死という苦しみの原因を愛(渇愛)や無明(無知)に求める十二支縁起(十二因縁)説が代表的なものとして説かれた。部派仏教時代になると、縁起説を、過去世・現在世・未来世の三世にわたる業の因果関係と見る三世両重の業感縁起説として解釈され、客観世界や客観的現象まで説明しうる「六因四縁五果」(説一切有部)や「二十四縁」(南方上座部)というような縁起説が説かれた。しかし、この段階までの縁起説は迷いの世界(有為)のみを説明するものであり、さとりの世界(無為)は縁起の中に含まれず、さとりは滅とか解脱と表現され、縁起を超越し、縁起の滅した世界とされた。

また初期仏教・部派仏教では、さとりは出家者の実践修行(戒・定・慧など)によって到達できる出世間的果報(解脱・涅槃)とされ、在家信者に対しては「次第「説法」による「生天」思想が教説の中心であった。
(2)一方、紀元前後ごろに興起した大乗仏教では、すべての有情が仏になれる道がひらかれた。さらに、ナーガールジュナ(龍樹)は、初期仏教以来の縁起説を空・「無自性の思想によって解釈し、大乗仏教の思想的基盤を構築したのである。

『根本中頌』の帰敬偈が示すように、ナーガールジュナ(龍樹)は釈尊の説かれた「縁起」の教えが、部派仏教の学者たちによって実体論的に理解されたのに対して、縁起とは空性である(諸法が縁起しているということは、諸法が実体的存在ではなくて、無自性・空である)と説いた。

また別の論書(例えば、『廻諍論』)では、「諸法は縁起の故に空である」と説いている(5)。すなわち、ナーガールジュナは、縁起によって空および無自性を基礎づけたのである(6)。

『根本中頌』第24章第18偈第19偈には次のように説かれている。

18 yah pratityasamutpādah śūnyatām tām pracaks mahe/
sā prajñaptir upādāya pratipat saiva madhyamā//
19 apratityasamutpanno dharmah kaścin na vidyate/
yasmāt tasmād aśunyo 'pi dharmaḥ kaścin na vidyate//

(第18偈)[諸々のものが何かを]縁として生起すること(縁起)を、我々は[諸々のものが]空であること(空性)と言う。それ(縁起)は[何かを]因として、[何かが]概念設定されること(因施設)であり、その同じものが中道である。(第19偈)[何かを]縁とせずに生起するもの(法)は、何ら存在しない。したがって、空でないもの(法)は何ら存在しない(7)。

(桂紹隆五島清隆『龍樹『根本中頌』を読む』春秋社、2016年)

①中村元氏は、縁起・空について次のように説明されている。

この諸法(いろいろのもの)は空を特質としています。だから常識的に考えると、いろいろなものが現れ、また消えます。けれど高い境地から見ると、「生ぜず滅せず」、すなわち現象世界においては、いろいろな力が加わって生じたり滅びたりしているのですが、高い立場から見るとただ偉大なる一つの理があるだけで、生じても滅してもいません。だから垢がつくこともない、浄くなるということもない、増えるということも減るということもない。ただ偉大なる真実がそこにあるだけです(8)。

仏の智慧によって見れば、この現象世界はただ空なる真実があるだけの境地なのであろう。

②藤田宏達氏は、阿弥陀仏になる前の法蔵菩薩の修行の内容について、『無量寿経』に「注意すべき叙述も見出される」として、次のように指摘されている。

「空・無相・無願の法に住して、作なく起なく、法を観ずること化のごとし」というのは、〈般若経〉に示されるような空の思想の影響を受けた表現と見られる。このような表現は、サンスクリット本など他の「後期無量寿経」の諸本にも認められるが、「初期無量寿経」には認められないから、〈無量寿経〉の発達した段階において〈般若経〉などの影響によって説かれるようになったものであろう。また、「自ら六波羅蜜を行じ」とあるのは、法蔵菩薩の修行内容が大乗仏教全体に通ずる菩薩行にほかならないことを示している(9)。

③梶山雄一氏は、阿弥陀仏信仰について次のように述べている。

阿弥陀仏信仰は廻向の宗教ということができる。インドの業報思想では、善い行為はかならず、その行為者自身に、幸せをもたらし、悪い行為は、かならず、行為者自身に、不幸をもたらした。この鉄則は、神がみもブッダも聖者も、変えることができなかった。

しかし阿弥陀仏は、もと菩薩であったとき、あらゆる人びとを救うために、極楽国土を建設しようと誓いをたて、その後、兆載永劫の修行をなしとげて、成仏して極楽の主となった。そして、業報の法則によれば、地獄に堕ちるより仕方のない悪人をも、阿弥陀仏は自己の修行の功徳を彼にめぐらして、極楽に往生させ、成仏させる。それは、業報の鉄則を破り、超える、恩寵の宗教である。恩寵は、仏教では、廻向という言葉であらわされる(10)。

梶山氏は、阿弥陀仏信仰は大乗の「廻向」の思想によって成り立っていると指摘する。ちなみに「廻向」の思想はすでに初期仏教に見られ、そこでは衆生が善業を行った結果として得られる功徳を、自分自身もしくは他者(通常、亡くなった親族)にふり向けるという考えであった。

また梶山氏は大乗の「廻向」について、

この廻向という言葉と思想を、論理の裏づけを伴った形で最初に宣言したのは、『般若経』の空の思想であった。もとより、『般若経』以前にも、廻向に通じる考え方は散見される。しかし、その考え方を定形にまで発展させ、これを廻向(パリナーマナー)と名づけたのは『八千頌般若経』であった。

空とは、あらゆるものが、不変にして恒常な本性をもたない、ということである。もし、ものが変わらないで永続するならば、それは生ずることも、存在することも、滅することもないはずである。なぜなら、生起・存在・消滅は、いずれも、変化にほかならないからである。いいかえれば、あらゆるものは、固有の実体とか本性とかをもっていない、だから空である、ということになる。ものは原因や条件しだいで生じ、原因や条件がなくなれば滅するだけのものである。

空の思想は必然的に不二の思想に導いてゆく。もしAなるものに実体がなく、Bなるものにも実体がなければ、AとBとは、ともに実体の空なるものとして、区別されず、分つことのできないものとなる。すなわち、不二であることになる。一見対立している二つのものたとえば煩悩とさとりは、ともに空であるから、本質的には不二である。(中略)重要なことは、廻向の思想は空の論理なくしては成り立たない、ということであった。廻向とは、善行の果報である、この世での幸福を、極楽往生やさとりという超世間的なものに、内容的に転換したり、あるいは自己の功徳を、方向を変えて、他人にめぐらすことである。それはいずれも業報の法則を破るものである。

しかしそのような、功徳の内容あるいは方向の転換は、業も果も本質的には実体のない、空なるものであるからこそ可能となる。阿弥陀仏が自己の功徳を迷える人びとにめぐらすということは、仏も衆生もともに空であり、不二であるからできるのである(11)。等と述べている。

④中村元氏の次の指摘は、極めて端的である。

慈悲と空とは、実質的には同じです。哲学面から見ると空ですが、実践面からいうと慈悲になります。われとなんじが相対しているとき、そこに隔てがあるかぎりわれとなんじの対立はいつまでも残っています。けれど、その根底にある空の境地に立って自分の身を相手の立場に置いて考えるようにすると、そこから、ほんとうの意味の愛が成立します。それを仏教では「慈悲」とよんでいます(12)。

つまり、空の故に対立項は不二であり、自他平等が意識され、慈悲(愛)が平等に注がれるのである。

II.廻向の出どころ

(1)他力廻向法の根源

①真宗の他力廻向に関して、村上速水氏は、

真宗に於ける皆有仏性義は、諸法の空無自性なることを表わすもので、救済可能の原理となるものであるが、信仰の場に於いて衆生の自覚にあらわれるというようなものではない。どこまでも性の立場に於いて語られることであって、修の立場、即ち現実の自己は必堕無間の凡夫の外の何ものでもないのである。換言すれば、善導が「出離の縁あることなし」といい、また謗法の如きは朽林碩石の如く受化の義なし、というのは、その造悪の当相についていうので、もし無自性の義を許さなかったならば、「謗法闡提廻心皆往」(「法事讃』上七丁一真聖全一・五六七)という言葉は解釈できぬこととなろう。

されば他力廻向が実践され、他力救済が可能となるためには、生仏一如にして無自性である義が許されるべきであって、生仏異質なりとすれば衆生の成仏は不可能といわなければならない(13)。

と極めて明解に述べられている。

②また、梶山氏も「回向の思想は、空の論理なくしては成り立たない」と言われ、さらに「空の思想は必然的に不二の思想に導いてゆく(中略)一見対立している二つのもの、たとえば煩悩とさとりは、ともに空であるから、本質的には不二である」

と念を押されている。

(2)煩悩菩提体無二

親鸞聖人は『高僧和讃』「曇鸞讃」において

本願円頓一乗は逆悪摂すと信知して
煩悩・菩提体無二とすみやかにとくさとらしむ

と示されている。この「煩悩菩提体無二」という語について、『浄土真宗聖典(註釈版第二版)』脚註には「煩悩と菩提とが本来一つであること」と説明している(14)。

①村上速水氏は、

仏性とは煩悩に対する菩提というような概念ではなく、両者に共通する基盤たるべきものであり、万法が縁によって変化してゆく無自性空なることをいうのである。故にもし衆生が一念の迷妄に遇えば、それを全うじて迷いとなり、仏の智に遇えばこれを全うじて悟界となる。仏と衆生とはこのように無自性空を共通の地盤とするから、煩悩が転じて菩提となり、生死を全うじて涅槃となり得るのであって、もし煩悩に固定した自性があるならば、煩悩はついに菩提に転ずることは不可能であろう。親鸞が「行巻」の一乗海釈において、海の転成の徳のあることを顕わし、仏や衆生の解釈をするのに多く曇鸞によられる意も、またここにありと見るべきである。『高僧和讃』(曇鸞讃)に

本願円頓一乗は逆悪摂すと信知して
煩悩菩提体無二とすみやかにとくさとらしむ
(中略)

と歌われるのは、まさにこの意味である(15)と述べられている。

「煩悩菩提体無二」「私の煩悩と仏のさとりは本来一つ」、すなわち「煩悩とさとりは、ともに空であるから、本質的に不二(16)」ゆえに、仏の側からは「われにまかせよそのまま救う」という慈悲の言葉、すなわち空からの招き・よびかけとなる。そして、さとれない凡夫は「そのまま救う」の弥陀のよび声と聞かせていただくだけであり、疑いの心なく信じ任せるだけなのである。

②また村上速水氏は、浄土真宗の教法と仏教との関係性について、その教法は「如来興世の正説」であり、「一乗究竟の極説」である。

本願一乗は頓極頓速円融円満の教なれば、絶対不二の教、一実真如の道なり。応に知るべし、専中の専、頓中の頓、真中の真、円中の円なり。一乗一実は大誓願海なり。(二・四五八)

である。これらの文によって明らかなように、親鸞の意図は浄土真宗をもって大乗無上の法とする意図であり、聖道門や浄土異流に超勝する意味であって、仏教そのものを超えた法とする意味ではない(17)。
と述べられている。

③梯實圓氏の行信教校での最後の講義は、平成26年12月16日であったというから、次に引用する同年11月4日の講義は最晩年のものといえる。梯氏は講義の中で「空」について、

「いのち」の根源を直感する。これは推理でもなければ、判断でもない直覚なのです。一瞬にして宇宙の全体が見通せるような直覚です。私が何かを知るというような対象的な知り方とは全く違います。天地が私を通して自らを自覚しているような、そういう知り方なのです。それを「無分別智」と言うのです。これを「一切が空である」と言ったのです(18)。

と述べられている。

④中村元氏は、「一切」ではなくさらに具体的に「救う主体も空、救われるものも空、さらに救われて到達する境地も空(19)」なのだといわれている。

仏も衆生も空であり、ともに固定した実体、すがたかたちのない空なるものとして「区別されず、分かつことのできないもの(20)」である。

したがって、勧学寮が「同意(21)」し、ご門主が発布されたご消息に示されている「新しい領解文」にあるように、私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ「そのまま救う」が弥陀のよび声と、われわれはいただくのである。

⑤桂紹隆氏によれば、「煩悩即菩提」という語は、縁起・無自性・空・不二の大乗仏教の思想に基づく表現である。大正大蔵経を検索するとインド仏典では「煩悩即「菩提」は二箇所にのみ出る。一つは『大乗荘厳経論』、もう一つは「摂大乗論』であり、いずれも唯識派の主要文献である。それらの梵語原文を見ると、表現は「煩「悩即菩提」とはなっていないが、主旨は同じであるという(22)。

桂氏は結論として、梶山氏のように「空思想」に基づいて「煩悩即菩提」と解釈することは十分可能であるが、文献学的には唯識論書中の「煩悩即菩提」にも注目する必要があるといわれている。いずれにせよ、「煩悩即菩提」は仏陀の悟りの境地からの文言であり、決して私たち凡夫の視点から言えることではなく、必ず「本来は」とか「本当は」という限定が必要であると注意を促しておられる。

「新しい領解文」に関して、三行目の「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」だけを取って見れば、従来の法話等を聞いてきた者にとっては違和感を覚えるかもしれない。もし、「私の煩悩と仏のさとりは一つゆえ」と表現されていて、ここに「本来」という言葉がなければ、これはわれわれ凡夫の側の認識である。もっとも、「仏の視線であれば、『私』と『仏』という対比もないはずである」という懸念もあるかもしれないが、この点を間違わない意味で「本来一つゆえ」と念が押されているのであろう。すなわち、生仏一如にして無自性・空、煩悩とさとりは「本来一つゆえ」、煩悩即菩提という仏の悟りの境地からの仰せとして、「そのまま救う」が弥陀のよび声、となるのである(23)。

結論

「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」の「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」という一行について、二つの疑問点をふまえ仏教思想史上の流れを辿り「他力廻向法」の根源について整理した。

その結果をふまえ、あらためて言いうることは「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」の一行は、勧学寮の同意があるように浄土真宗の法義として、また仏教思想史的にも問題はなく、序論でも述べたように議論の余地はないといえる。


1 龍谷門主釋専如 「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年についての消息」、 2019年1月9日、 『本
願寺新報』号外。
2 論文原文は漢文であるが、便宜上 『浄土真宗聖典七祖篇(註釈版)』 の書き下し文に変更した。 『浄
土真宗聖典七祖篇(註釈版)』(本願寺出版社、2022年)、 『往生論註』 巻下、143頁。
3 村上速水 「親鸞教義の研究』 永田文昌堂、 1984年、 175~176頁。
4 『浄土真宗聖典 (註釈版第二版)」 「御文章」 五帖 (五)、 本願寺出版社、2019年、 1192頁。
5 中観派の空思想については、桂紹隆先生のご指導をいただいた。
6 中村元「空の論理』 (中村元選集 決定版 第22巻) 春秋社、1994年、 265~266頁参照。
7 桂紹隆・五島清隆 『龍樹 『根本中頌』 を読む』 春秋社、2016年、96頁。
8 中村元『般若経典 (現代語訳 大乗仏典I)』 東京書籍、2014年、 48頁。 9 藤田宏達 桜部建 「無量寿経 阿弥陀経』 講談社、1994年、 147頁。
10 梶山雄一『大乗仏教の誕生 「さとり」 と 「廻向」』 講談社、 2021年、20~21頁。
11 梶山雄一『大乗仏教の誕生 「さとり」 と 「廻向」』 講談社、 2021年、 21~23頁。
12 中村元 『般若経典 (現代語訳 大乗仏典I)』 東京書籍、2014年、 136頁。
13 村上速水 「親鸞教義の研究』 永田文昌堂、1984年、 177頁。
14 『浄土真宗聖典(註釈版第二版)』『高僧和讃』「曇鸞讃」、本願寺出版社、2019年、584頁。
15 村上速水 『親鸞教義の研究』 永田文昌堂、1984年、 174~175頁。
16 梶山雄一「大乗仏教の誕生 「さとり」 と 「廻向」』 講談社、 2021年、22頁。
17 村上速水 『続・ 親鸞教義の研究』 永田文昌堂、 1989年、 122頁。
18 梯實圓 「法界に遊ぶ』 学校法人行信教校梯實圓和上墓碑建立委員会、2016年、38~39頁。
19 中村元 般若経典 (現代語訳 大乗仏典I)』 東京書籍、 2014年、39頁。
20 梶山雄一『大乗仏教の誕生 「さとり」と「廻向」』 講談社、 2021年、22頁。
21 詳細は 『宗報』 2023年6月号、 22~27頁参照。
22 唯識派の主要文献である 『大乗荘厳経論』 と 『摂大乗論』における「煩悩即菩提」について、梵 語原典の翻訳 検討に基づくご指導を桂紹隆氏より賜った。
23 今回の論文執筆にあたり、 広島大学ならびに龍谷大学名誉教授の桂紹隆氏からさまざま有意義な ご教示をいただいた。氏の高い学問的見識に心からの敬意を表し、深く感謝を申し上げる次第である。

発行元 浄土真宗本願寺派総合研究所
発行日 2024(令和6)年1月15日

論文『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』/ 満井秀城氏(勧学・浄土真宗本願寺派(西本願寺)総合研究所所長)への反論について

2024年01月20日 | ブログ
反論文をお願いしますと言われたが、私は、正式な研究者でもないし、学術学会員でもなく、どの学会にも属していない。また、「議論の余地はない」と、念押しして述べてある時点で、呆れてその気も無くなるレベルでさえある。

先に示した満井秀城勧学(与奪者)の改悔批判における

『「私の煩悩と仏のさとりは本来ひとつ」は、生死即涅槃の法義です。仏智見から見れば自他一如として、仏と衆生と隔てるものはありません。それを凡夫の分別心が両者を隔絶してしまうのです。』

の主張に対しての拙反論のあれだけで、もう十分にお腹いっぱいという感じでもある。。

要は、論文における下記に対して反論するだけで、もう十分ということである。

『・・これを私は約仏の視点として説明して来た。約仏の視点としての「生死即涅槃」とは、仏の眼からご覧になれば「自他一如」として、仏と衆生との間には、何も隔てるものはない。相手のいのちに自らのいのちを見るのが、仏知見というもので、仏の無分別智から見れば、仏と衆生とは隔絶していない。それを衆生の側が、凡夫の妄分別によって生仏を隔絶して捉えてしまうのである。・・』(『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』満井秀城・序論より)

要は、主張したい、正論としたいのは、この点なのである。

もちろん、間違っているし、トンチンカンな主張である。

それは、前回に拙生が述べてあるとおりである。

[・・仏智見は、単純に、自他一如と観るわけではない。仏智見とは、一切は空性として如実に直観知する仏陀による見方のことである。確かに、空性としては、一切、自他共に一如ではある。つまり、悟りも煩悩も当然に空性を本質としているということは同じではあるが、それで、悟りと煩悩が同じとはもちろん言えないのである。はたらきがまるで違うし、煩悩があるならば、まず迷い苦しみは無くならないし、空性を了解すること自体も、そもそも難しいのである。また、凡夫の分別心が、悟りと煩悩を分けるわけではない。悟りと煩悩を分けるのは、空性了解の有無である。空性了解できていない凡夫が、悟りの状態にあるなどとはもちろん言えないのである。更に、悟りは無分別ではない。悟った仏陀は、如実知と如量知にて、空性了解から世俗の煩悩による迷い苦しみのありようもご覧になられるのである。空性了解のない凡夫煩悩からではもちろんそんな見方も無理なのである。正確に述べるのであれば、無分別なのは、空性として離戯論であるということを示している事態であり、世俗、凡夫、煩悩のある立場からでは、それも真に理解することも無理なのである。空性を本質としてあること以外に悟りと煩悩が同じなわけなど全くないのである。・・]

これ以上に正直、書きようがない。

満井勧学は、空も、縁起も、中観思想も、全くと言ってよいほどに理解が浅く、乏しい。そんな相手とやり合っても正直意味がないし、時間の無駄になる。しかも、「議論の余地はない」と二回も念押ししている。まあ、この程度のレベルが、浄土真宗本願寺派(西本願寺)総合研究所の所長、勧学ということでもあるのだろう・・情けないと思わないのだろうかと不思議なぐらいである・・



・・

『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』/ 満井秀城

序論

新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)の総局主催による学習会が、全31教区及び沖縄特区を対象におこなわれており、令和5年内で半数余りの教区で実施済みである。その折には、「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」の一行に、どこの教区でも疑問や質問が投げかけられている。これについて、研究所長としての私の説明論理は以下の通りである。

「私の煩悩と仏のさとりは本来一つ」は、「生死即涅槃」の道理であり、宗祖親鸞聖人に「証知生死即涅槃」(正信偈)として明確な出拠がある。これは『往生論註』利行満足章に出る語で、そこでは、「無碍」の釈義として『華厳経』と関連させながら説明され、讃嘆門で釈される「尽十方無碍光如来」と首尾一貫した説示となっている。つまり、この「私の煩悩と仏のさとりは本来一つ」の部分については、議論の余地はまったくない。しかし、注意すべき点があり、多くの誤解が起こっているのも確かである。

①先ず注意すべきは、「正信偈」では「証知」と示されており、「惑染の凡夫」の往相廻向の到達点としての証果の内容である点である。我々が、この身この世において信知する内容としては説かれていないのである。これを私は約仏の視点として説明して来た。約仏の視点としての「生死即涅槃」とは、仏の眼からご覧になれば「自他一如」として、仏と衆生との間には、何も隔てるものはない。相手のいのちに自らのいのちを見るのが、仏知見というもので、仏の無分別智から見れば、仏と衆生とは隔絶していない。それを衆生の側が、凡夫の妄分別によって生仏を隔絶して捉えてしまうのである。好きか嫌いか、役に立つか立たないか、まさに自分の都合によって自他を区別するので、「我他彼此」(ガタピシ)という不快な軋みが起こるのである。

約仏と約生の混乱が最も典型的に表れるのが「悪人正機」である。もともと「悪人正機」とは、仏の側からご覧になって、凡夫悪人がほっておけないとする「約仏」の言葉である。それを勝手に衆生の側に持ち替えることによって、「悪人正機」なら、どんな悪いことを行なってもよいのだという理屈になってしまう。

また、時折、「領解は自己の信仰表明だから、約生であるべきだ」との意見も寄せられるが、「自己の信仰表明だから」こそ、約仏としての仏徳讃嘆もありうるであろう。

②次には、「本来一つゆえ」がどこに続くのかが問題点である。

「本来一つだから、そのまま救われる」と理解したら、とんでもない事態になる。こうなると、信心さえも要らないという信心不要論、すなわち無帰命安心に転落してしまう。

私が学習会で説明して来た論理は、以下の「論註』善巧摂化章の論理である。そこでは、『浄土論』本体の「巧方便回向」の成就について、
実相を知るをもつてのゆゑに、すなはち三界の衆生の虚妄の相を知るなり。衆生の虚妄なるを知れば、すなはち真実の慈悲を生ずるなり。
(『浄土真宗聖典七祖篇(註釈版)』143頁)

仏の真実の智慧をもって凡夫虚妄の実相をご覧になれば、必ず慈悲に展開するのである。つまり、「本来一つゆえ」は、そのまま救われるに繋がるのではなく、「弥陀のよび声」という、慈悲の展開に繋がるわけである。

「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」を巡る疑問点は上の二つに集約されると思うが、基本的に、仏教の思想的流れを理解しておく必要があると考える。

そこで、仏教思想史上の流れを辿り、そのことによって、「他力廻向法」の根源を論理的に整理することを目的に、総合研究所の伝わる伝道研究室での基礎研究会において、いくつかの先行研究を学んで来た。その一端を示し、先ずは宗門内に向けての理解の一助たればと願う次第である。

《なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか》

はじめに

まずは「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえそのまま救うが弥陀の呼び声」に込められたご門主のお心を伺っておきたい。

ご門主は「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年についての消息」(以下「850消息」)で次のようにお示し下さっている。(以下、引用文の中略・下線は引用者による)

仏教は今から約2500年前、釈尊が縁起や諸行無常・諸法無我というこの世界のありのままの真実をさとられたことに始まります。(中略)ありのままの真実に基づく阿弥陀如来のお慈悲でありますから、いのちあるものすべてに平等にそそがれ、自己中心的な考え方しかできない煩悩具足の私たちも決して見捨てられることはありません(1)。

この消息では、苦しむ衆生を「そのまま救う」という慈悲として成立し得る仏法上の思想的根拠を、「ありのままの真実に基づく阿弥陀如来のお慈悲」と表現されている。これはさとられた真実、すなわち仏の智慧に基づく慈悲であることを明示しているのである。

村上速水氏は、仏の智慧と慈悲の関係性を次のように説明している。

すなわち真実の智慧に徹するとき、そこに実相が知られるが、同時にまた現実が虚であることも知らされる。現実が虚妄であることが知られれば、当然そのような虚妄なるものに執着するということは有り得ないし、しかも現実の虚妄相を認知すればこれを憐愍せざるをえないのは理の当然である。すなわち真実の智慧は必然的に慈悲を生ずる。これを『論註』には、

実相を知るをもってのゆゑに、すなはち三界の衆生の虚妄の相を知るなり。衆生の虚妄なるを知れば、すなはち真実の慈悲を生ずるなり(2)。というのである(3)。

「850消息」に示される内容を踏まえて「新しい領解文」を見てみると、「煩悩菩提体無二」という真実の智慧に基づく阿弥陀如来のお慈悲が示されていることは明らかである。以下、基礎となる文献と先学諸氏の論攷に基づき、弥陀の本願が、迷える夫を「そのまま救う」慈悲として成立しうる仏教の歴史における思想的根拠について究明することを本稿の目的とする。

御文章の「信心獲得章」には、次のように説かれている。

南無と帰命する一念の処に発願回向のこころあるべし。これすなはち弥陀如来の凡夫に回向しましますこころなり。これを『大経』(上)には、「令諸衆生功徳成「就」と説けり。されば無始以来つくりとつくる悪業煩悩を、のこるところもなく願力不思議をもつて消滅するいはれあるがゆゑに、正定聚不退の位に住すとなりこれによりて「煩悩を断ぜずして涅槃をう」といへるはこのこころなり(4)。

ここには、阿弥陀如来の発願回向の心、願力不思議をもって悪業煩悩を「消滅するいはれあるがゆゑに」「煩悩を断ぜずして涅槃をうといへる」と述べられているだけである。なぜ、願力不思議をもって「煩悩を断ぜずして涅槃をう」といえるのか。その理由の説明がなければ、知的理解を是とする教育になれ親しんでいる現代人には不親切であろう。肝腎なところがよくわからないのではないか。

I.仏教の思想的歴史

(1)縁起説は、いうまでもなく仏教の基本的な思想であり、それを軸に仏教思想史は展開してきた。初期仏教の縁起説は、苦しみ悩む有情が主題となっており、老死という苦しみの原因を愛(渇愛)や無明(無知)に求める十二支縁起(十二因縁)説が代表的なものとして説かれた。部派仏教時代になると、縁起説を、過去世・現在世・未来世の三世にわたる業の因果関係と見る三世両重の業感縁起説として解釈され、客観世界や客観的現象まで説明しうる「六因四縁五果」(説一切有部)や「二十四縁」(南方上座部)というような縁起説が説かれた。しかし、この段階までの縁起説は迷いの世界(有為)のみを説明するものであり、さとりの世界(無為)は縁起の中に含まれず、さとりは滅とか解脱と表現され、縁起を超越し、縁起の滅した世界とされた。

また初期仏教・部派仏教では、さとりは出家者の実践修行(戒・定・慧など)によって到達できる出世間的果報(解脱・涅槃)とされ、在家信者に対しては「次第「説法」による「生天」思想が教説の中心であった。
(2)一方、紀元前後ごろに興起した大乗仏教では、すべての有情が仏になれる道がひらかれた。さらに、ナーガールジュナ(龍樹)は、初期仏教以来の縁起説を空・「無自性の思想によって解釈し、大乗仏教の思想的基盤を構築したのである。

『根本中頌』の帰敬偈が示すように、ナーガールジュナ(龍樹)は釈尊の説かれた「縁起」の教えが、部派仏教の学者たちによって実体論的に理解されたのに対して、縁起とは空性である(諸法が縁起しているということは、諸法が実体的存在ではなくて、無自性・空である)と説いた。

また別の論書(例えば、『廻諍論』)では、「諸法は縁起の故に空である」と説いている(5)。すなわち、ナーガールジュナは、縁起によって空および無自性を基礎づけたのである(6)。

『根本中頌』第24章第18偈第19偈には次のように説かれている。

18 yah pratityasamutpādah śūnyatām tām pracaks mahe/
sā prajñaptir upādāya pratipat saiva madhyamā//
19 apratityasamutpanno dharmah kaścin na vidyate/
yasmāt tasmād aśunyo 'pi dharmaḥ kaścin na vidyate//

(第18偈)[諸々のものが何かを]縁として生起すること(縁起)を、我々は[諸々のものが]空であること(空性)と言う。それ(縁起)は[何かを]因として、[何かが]概念設定されること(因施設)であり、その同じものが中道である。(第19偈)[何かを]縁とせずに生起するもの(法)は、何ら存在しない。したがって、空でないもの(法)は何ら存在しない(7)。

(桂紹隆五島清隆『龍樹『根本中頌』を読む』春秋社、2016年)

①中村元氏は、縁起・空について次のように説明されている。

この諸法(いろいろのもの)は空を特質としています。だから常識的に考えると、いろいろなものが現れ、また消えます。けれど高い境地から見ると、「生ぜず滅せず」、すなわち現象世界においては、いろいろな力が加わって生じたり滅びたりしているのですが、高い立場から見るとただ偉大なる一つの理があるだけで、生じても滅してもいません。だから垢がつくこともない、浄くなるということもない、増えるということも減るということもない。ただ偉大なる真実がそこにあるだけです(8)。

仏の智慧によって見れば、この現象世界はただ空なる真実があるだけの境地なのであろう。

②藤田宏達氏は、阿弥陀仏になる前の法蔵菩薩の修行の内容について、『無量寿経』に「注意すべき叙述も見出される」として、次のように指摘されている。

「空・無相・無願の法に住して、作なく起なく、法を観ずること化のごとし」というのは、〈般若経〉に示されるような空の思想の影響を受けた表現と見られる。このような表現は、サンスクリット本など他の「後期無量寿経」の諸本にも認められるが、「初期無量寿経」には認められないから、〈無量寿経〉の発達した段階において〈般若経〉などの影響によって説かれるようになったものであろう。また、「自ら六波羅蜜を行じ」とあるのは、法蔵菩薩の修行内容が大乗仏教全体に通ずる菩薩行にほかならないことを示している(9)。

③梶山雄一氏は、阿弥陀仏信仰について次のように述べている。

阿弥陀仏信仰は廻向の宗教ということができる。インドの業報思想では、善い行為はかならず、その行為者自身に、幸せをもたらし、悪い行為は、かならず、行為者自身に、不幸をもたらした。この鉄則は、神がみもブッダも聖者も、変えることができなかった。

しかし阿弥陀仏は、もと菩薩であったとき、あらゆる人びとを救うために、極楽国土を建設しようと誓いをたて、その後、兆載永劫の修行をなしとげて、成仏して極楽の主となった。そして、業報の法則によれば、地獄に堕ちるより仕方のない悪人をも、阿弥陀仏は自己の修行の功徳を彼にめぐらして、極楽に往生させ、成仏させる。それは、業報の鉄則を破り、超える、恩寵の宗教である。恩寵は、仏教では、廻向という言葉であらわされる(10)。

梶山氏は、阿弥陀仏信仰は大乗の「廻向」の思想によって成り立っていると指摘する。ちなみに「廻向」の思想はすでに初期仏教に見られ、そこでは衆生が善業を行った結果として得られる功徳を、自分自身もしくは他者(通常、亡くなった親族)にふり向けるという考えであった。

また梶山氏は大乗の「廻向」について、

この廻向という言葉と思想を、論理の裏づけを伴った形で最初に宣言したのは、『般若経』の空の思想であった。もとより、『般若経』以前にも、廻向に通じる考え方は散見される。しかし、その考え方を定形にまで発展させ、これを廻向(パリナーマナー)と名づけたのは『八千頌般若経』であった。

空とは、あらゆるものが、不変にして恒常な本性をもたない、ということである。もし、ものが変わらないで永続するならば、それは生ずることも、存在することも、滅することもないはずである。なぜなら、生起・存在・消滅は、いずれも、変化にほかならないからである。いいかえれば、あらゆるものは、固有の実体とか本性とかをもっていない、だから空である、ということになる。ものは原因や条件しだいで生じ、原因や条件がなくなれば滅するだけのものである。

空の思想は必然的に不二の思想に導いてゆく。もしAなるものに実体がなく、Bなるものにも実体がなければ、AとBとは、ともに実体の空なるものとして、区別されず、分つことのできないものとなる。すなわち、不二であることになる。一見対立している二つのものたとえば煩悩とさとりは、ともに空であるから、本質的には不二である。(中略)重要なことは、廻向の思想は空の論理なくしては成り立たない、ということであった。廻向とは、善行の果報である、この世での幸福を、極楽往生やさとりという超世間的なものに、内容的に転換したり、あるいは自己の功徳を、方向を変えて、他人にめぐらすことである。それはいずれも業報の法則を破るものである。

しかしそのような、功徳の内容あるいは方向の転換は、業も果も本質的には実体のない、空なるものであるからこそ可能となる。阿弥陀仏が自己の功徳を迷える人びとにめぐらすということは、仏も衆生もともに空であり、不二であるからできるのである(11)。等と述べている。

④中村元氏の次の指摘は、極めて端的である。

慈悲と空とは、実質的には同じです。哲学面から見ると空ですが、実践面からいうと慈悲になります。われとなんじが相対しているとき、そこに隔てがあるかぎりわれとなんじの対立はいつまでも残っています。けれど、その根底にある空の境地に立って自分の身を相手の立場に置いて考えるようにすると、そこから、ほんとうの意味の愛が成立します。それを仏教では「慈悲」とよんでいます(12)。

つまり、空の故に対立項は不二であり、自他平等が意識され、慈悲(愛)が平等に注がれるのである。

II.廻向の出どころ

(1)他力廻向法の根源

①真宗の他力廻向に関して、村上速水氏は、

真宗に於ける皆有仏性義は、諸法の空無自性なることを表わすもので、救済可能の原理となるものであるが、信仰の場に於いて衆生の自覚にあらわれるというようなものではない。どこまでも性の立場に於いて語られることであって、修の立場、即ち現実の自己は必堕無間の凡夫の外の何ものでもないのである。換言すれば、善導が「出離の縁あることなし」といい、また謗法の如きは朽林碩石の如く受化の義なし、というのは、その造悪の当相についていうので、もし無自性の義を許さなかったならば、「謗法闡提廻心皆往」(「法事讃』上七丁一真聖全一・五六七)という言葉は解釈できぬこととなろう。

されば他力廻向が実践され、他力救済が可能となるためには、生仏一如にして無自性である義が許されるべきであって、生仏異質なりとすれば衆生の成仏は不可能といわなければならない(13)。

と極めて明解に述べられている。

②また、梶山氏も「回向の思想は、空の論理なくしては成り立たない」と言われ、さらに「空の思想は必然的に不二の思想に導いてゆく(中略)一見対立している二つのもの、たとえば煩悩とさとりは、ともに空であるから、本質的には不二である」

と念を押されている。

(2)煩悩菩提体無二

親鸞聖人は『高僧和讃』「曇鸞讃」において

本願円頓一乗は逆悪摂すと信知して
煩悩・菩提体無二とすみやかにとくさとらしむ

と示されている。この「煩悩菩提体無二」という語について、『浄土真宗聖典(註釈版第二版)』脚註には「煩悩と菩提とが本来一つであること」と説明している(14)。

①村上速水氏は、

仏性とは煩悩に対する菩提というような概念ではなく、両者に共通する基盤たるべきものであり、万法が縁によって変化してゆく無自性空なることをいうのである。故にもし衆生が一念の迷妄に遇えば、それを全うじて迷いとなり、仏の智に遇えばこれを全うじて悟界となる。仏と衆生とはこのように無自性空を共通の地盤とするから、煩悩が転じて菩提となり、生死を全うじて涅槃となり得るのであって、もし煩悩に固定した自性があるならば、煩悩はついに菩提に転ずることは不可能であろう。親鸞が「行巻」の一乗海釈において、海の転成の徳のあることを顕わし、仏や衆生の解釈をするのに多く曇鸞によられる意も、またここにありと見るべきである。『高僧和讃』(曇鸞讃)に

本願円頓一乗は逆悪摂すと信知して
煩悩菩提体無二とすみやかにとくさとらしむ
(中略)

と歌われるのは、まさにこの意味である(15)と述べられている。

「煩悩菩提体無二」「私の煩悩と仏のさとりは本来一つ」、すなわち「煩悩とさとりは、ともに空であるから、本質的に不二(16)」ゆえに、仏の側からは「われにまかせよそのまま救う」という慈悲の言葉、すなわち空からの招き・よびかけとなる。そして、さとれない凡夫は「そのまま救う」の弥陀のよび声と聞かせていただくだけであり、疑いの心なく信じ任せるだけなのである。

②また村上速水氏は、浄土真宗の教法と仏教との関係性について、その教法は「如来興世の正説」であり、「一乗究竟の極説」である。

本願一乗は頓極頓速円融円満の教なれば、絶対不二の教、一実真如の道なり。応に知るべし、専中の専、頓中の頓、真中の真、円中の円なり。一乗一実は大誓願海なり。(二・四五八)

である。これらの文によって明らかなように、親鸞の意図は浄土真宗をもって大乗無上の法とする意図であり、聖道門や浄土異流に超勝する意味であって、仏教そのものを超えた法とする意味ではない(17)。
と述べられている。

③梯實圓氏の行信教校での最後の講義は、平成26年12月16日であったというから、次に引用する同年11月4日の講義は最晩年のものといえる。梯氏は講義の中で「空」について、

「いのち」の根源を直感する。これは推理でもなければ、判断でもない直覚なのです。一瞬にして宇宙の全体が見通せるような直覚です。私が何かを知るというような対象的な知り方とは全く違います。天地が私を通して自らを自覚しているような、そういう知り方なのです。それを「無分別智」と言うのです。これを「一切が空である」と言ったのです(18)。

と述べられている。

④中村元氏は、「一切」ではなくさらに具体的に「救う主体も空、救われるものも空、さらに救われて到達する境地も空(19)」なのだといわれている。

仏も衆生も空であり、ともに固定した実体、すがたかたちのない空なるものとして「区別されず、分かつことのできないもの(20)」である。

したがって、勧学寮が「同意(21)」し、ご門主が発布されたご消息に示されている「新しい領解文」にあるように、私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ「そのまま救う」が弥陀のよび声と、われわれはいただくのである。

⑤桂紹隆氏によれば、「煩悩即菩提」という語は、縁起・無自性・空・不二の大乗仏教の思想に基づく表現である。大正大蔵経を検索するとインド仏典では「煩悩即「菩提」は二箇所にのみ出る。一つは『大乗荘厳経論』、もう一つは「摂大乗論』であり、いずれも唯識派の主要文献である。それらの梵語原文を見ると、表現は「煩「悩即菩提」とはなっていないが、主旨は同じであるという(22)。

桂氏は結論として、梶山氏のように「空思想」に基づいて「煩悩即菩提」と解釈することは十分可能であるが、文献学的には唯識論書中の「煩悩即菩提」にも注目する必要があるといわれている。いずれにせよ、「煩悩即菩提」は仏陀の悟りの境地からの文言であり、決して私たち凡夫の視点から言えることではなく、必ず「本来は」とか「本当は」という限定が必要であると注意を促しておられる。

「新しい領解文」に関して、三行目の「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」だけを取って見れば、従来の法話等を聞いてきた者にとっては違和感を覚えるかもしれない。もし、「私の煩悩と仏のさとりは一つゆえ」と表現されていて、ここに「本来」という言葉がなければ、これはわれわれ凡夫の側の認識である。もっとも、「仏の視線であれば、『私』と『仏』という対比もないはずである」という懸念もあるかもしれないが、この点を間違わない意味で「本来一つゆえ」と念が押されているのであろう。すなわち、生仏一如にして無自性・空、煩悩とさとりは「本来一つゆえ」、煩悩即菩提という仏の悟りの境地からの仰せとして、「そのまま救う」が弥陀のよび声、となるのである(23)。

結論

「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」の「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」という一行について、二つの疑問点をふまえ仏教思想史上の流れを辿り「他力廻向法」の根源について整理した。

その結果をふまえ、あらためて言いうることは「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」の一行は、勧学寮の同意があるように浄土真宗の法義として、また仏教思想史的にも問題はなく、序論でも述べたように議論の余地はないといえる。


1 龍谷門主釋専如 「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年についての消息」、 2019年1月9日、 『本
願寺新報』号外。
2 論文原文は漢文であるが、便宜上 『浄土真宗聖典七祖篇(註釈版)』 の書き下し文に変更した。 『浄
土真宗聖典七祖篇(註釈版)』(本願寺出版社、2022年)、 『往生論註』 巻下、143頁。
3 村上速水 「親鸞教義の研究』 永田文昌堂、 1984年、 175~176頁。
4 『浄土真宗聖典 (註釈版第二版)」 「御文章」 五帖 (五)、 本願寺出版社、2019年、 1192頁。
5 中観派の空思想については、桂紹隆先生のご指導をいただいた。
6 中村元「空の論理』 (中村元選集 決定版 第22巻) 春秋社、1994年、 265~266頁参照。
7 桂紹隆・五島清隆 『龍樹 『根本中頌』 を読む』 春秋社、2016年、96頁。
8 中村元『般若経典 (現代語訳 大乗仏典I)』 東京書籍、2014年、 48頁。 9 藤田宏達 桜部建 「無量寿経 阿弥陀経』 講談社、1994年、 147頁。
10 梶山雄一『大乗仏教の誕生 「さとり」 と 「廻向」』 講談社、 2021年、20~21頁。
11 梶山雄一『大乗仏教の誕生 「さとり」 と 「廻向」』 講談社、 2021年、 21~23頁。
12 中村元 『般若経典 (現代語訳 大乗仏典I)』 東京書籍、2014年、 136頁。
13 村上速水 「親鸞教義の研究』 永田文昌堂、1984年、 177頁。
14 『浄土真宗聖典(註釈版第二版)』『高僧和讃』「曇鸞讃」、本願寺出版社、2019年、584頁。
15 村上速水 『親鸞教義の研究』 永田文昌堂、1984年、 174~175頁。
16 梶山雄一「大乗仏教の誕生 「さとり」 と 「廻向」』 講談社、 2021年、22頁。
17 村上速水 『続・ 親鸞教義の研究』 永田文昌堂、 1989年、 122頁。
18 梯實圓 「法界に遊ぶ』 学校法人行信教校梯實圓和上墓碑建立委員会、2016年、38~39頁。
19 中村元 般若経典 (現代語訳 大乗仏典I)』 東京書籍、 2014年、39頁。
20 梶山雄一『大乗仏教の誕生 「さとり」と「廻向」』 講談社、 2021年、22頁。
21 詳細は 『宗報』 2023年6月号、 22~27頁参照。
22 唯識派の主要文献である 『大乗荘厳経論』 と 『摂大乗論』における「煩悩即菩提」について、梵 語原典の翻訳 検討に基づくご指導を桂紹隆氏より賜った。
23 今回の論文執筆にあたり、 広島大学ならびに龍谷大学名誉教授の桂紹隆氏からさまざま有意義な ご教示をいただいた。氏の高い学問的見識に心からの敬意を表し、深く感謝を申し上げる次第である。

発行元 浄土真宗本願寺派総合研究所
発行日 2024(令和6)年1月15日

仏教認識論の基本となる「凡夫と阿羅漢と仏陀の認識のあり方」についての対比

2024年01月20日 | ブログ


この表のより詳しい説明をということで・・

これは、仏教認識論の基本となる「凡夫と阿羅漢と仏陀の認識のあり方」についての対比である。

「真実執着」は、本来、一切は「空性」なるにもかかわらず、「まるであたかも実体として成立してあるかの如くに顕れてきているモノ・コトを、実体としてあるかのように囚われてしまうありよう」を示す言葉である。

間違った捉え方であるため、「迷乱知」、「転倒知」とも言うわけです。

「虚偽の現れ」とは、「あたかも実体として成立してあるかの如くの現れのこと」になります。もちろん、本来は「空性」であるため、その現れは間違ったもの、偽のものとなるわけです。

その間違った現れ、偽の現れに囚われることになるから、迷乱知、転倒知となるわけでもあります。

真実執着の原因は、「煩悩障」となります。

間違った現れ、偽の現れを、正しい現れ、本当の現れと騙されて反応することになります。

特に三毒の「貪瞋癡」となります(根本煩悩、貪・瞋・癡・慢・疑・悪見)。

当然に煩悩により、心が汚れた反応となり、その反応による行いは、悪い業となって、迷い苦しみの生死輪廻に多大なる影響を与えることになります。

三毒、根本煩悩を対治することから、仏道修行において、まず取り組まないといけないことになります。その第一が「持戒」となるわけです。他に、「布施」、「忍辱」、「精進」、「禅定」、「智慧」とバランスよく進めていくことが必要にもなります。

仏道修行により、三毒、根本煩悩を完全に対治できれば、阿羅漢果、菩薩の第八地にまで至ることができます。

この煩悩障の対治においては、空性の理解も相当なレベルが必要となります。智慧の開発をしっかりと進めなければなりません。

そして、やがて、禅定における三昧知、等引知において、仏陀と同様の空性を現量(直観知)で了解しているレベルにまで至ることにより(虚空の如き空性)、煩悩障を完全に断滅させることができることになるのであります。

しかし、その三昧、等引より出ると、もはや煩悩は起こらなくなってはいますが、「虚偽の現れ」は、まだ現れ続けてしまうのであります。

でも、凡夫のように、間違った反応はもうしなくなっており、業も汚されることはなく、清らかに保てるため、迷い苦しみに輪廻することも無くなっており、解脱した存在と言えるわけであります。

この三昧、等引より出て認識するありようを「後得知」と言うわけです(幻の如き空性)。

但し、まだ「虚偽の現れ」が現れ続けている原因があり、それが「所知障」で、「無明の習気」として、過去世、何刧にもわたる輪廻にある中で、煩悩と業により汚され続けてしまった(熏習された、染み付いた)ガラスの「曇り」、「垢」のようなものと言えるでしょう。

要は、認識するための最後のガラス(メガネ)が、汚れて曇っているため、空性を最後の最後に見えなくして隠してしまっているラスボスと考えると良いでしょう。

この「所知障」を断滅する、つまり、最後の曇り、汚れを拭き取らないと、悟りへは至れないのであります。

この強烈な曇り、汚れをきれいにするには、智慧の力と共に、福徳(功徳)の力も欠かせないものとなるのであります。普通では三阿僧祇刧もかかる福徳の修行集積が必要となります。

また、智慧の力は、仏陀の法身を得るために、福徳の力は、仏陀の色身(衆生を救済するためのお身体)を得るためにも、それぞれ必要となるわけです。

智慧の力と共に円満な福徳の力によって、「所知障」を断滅することで、ようやくに「虚偽の現れ」も打ち破ることができるのであります。

その仏陀による認識のあり方、仏陀の知は、基本的には、空性現量了解の状態だけでありますが、その状態から、世俗のモノ・コトを、どのように仏陀が認識されることになるのかということで、「如量知」、「如実知」と、それぞれを便宜的に分けて述べるわけですが、「離戯論のみをご覧になる」とか、「ご覧にならない仕方でご覧になる」とか、まあ、よく分からないような表現を使わないと説明できないような感じでもあります。

より詳しくには、下記論文の精読をお勧め致します。

「ツォンカパ後期中観思想における二諦説の研究」拉毛卓瑪氏
https://otani.repo.nii.ac.jp/records/6784