41分45秒ぐらいのところからは、日本における仏教の一部変質に関して、非常に大事なことを述べていらっしゃいます。
本来、解脱、悟りを目指すべき仏教が、現実の幸せや命の大事さ、大切さの再認識を求めるようなものへと成り下がってしまっていったありようについて、となります。
もちろん言うまでもなく命は大事なのではありますが、輪廻(迷い苦しみ)の解決からは遠ざかるような生きることへの重視(ある意味での生への執着を助長するようなもの)に主眼を置くようなことも説き始め出したのではないかというご指摘であります。
生死は一大事のことですが、問題は、輪廻、迷い苦しみの連鎖から抜け出すためにどう生きるか、実践するか、であります。
仏教は、命の大切さ云々を説くための教えではないということであります。
簡単には、命の大切さを説くための空や縁起でもないということです。
方便→世俗諦、ではなく、方便→勝義諦とならなくてはいけないのであります。
これも単純なベクトルの誤りであると言えるわけですが、聖を俗に依らせていこうとすることによる弊害がもたらした問題と言えるのであります。